第二編第八章第三節 国家への一撃

 暗闇のなか枕元のラジオから流れるNHKの深夜ニュースは、与党の敗北と佐藤大臣の自決を淡々と告げていた。

 ――佐藤大臣が亡くなった。そのことは確かにショックだったが、それはある意味予想できていたことだった。

 大臣は今朝、『内戦』という言葉を使った。その裏には、自らの命を犠牲にして改憲派の決起を促すという決意があったのだろう。佐藤大臣は自らの命を捧げることで、ぶざまに乾いたこの国の歴史を鮮血で潤わせようとしたのだ。

 キャスターはNHKあてに届いたという、二通の遺書を読み上げた。一通は日本国民に対して改憲の正当性を訴えるものだったが、もう一通は武山高の生徒隊に宛てられたものだった。


武山高生徒隊の皆さんへ


 死を覚悟しない軍人に、存在価値はありません。

 私は、皆さんが志ある優秀な軍人であると信じています。

 皆さんの中には、熱き武士の鼓動が流れているのです。


 武士であるのなら、自らを否定する憲法を守る道理はありません。

 これは生き様と矜持きょうじの、言うなれば価値観と誇りの問題です。


 私達の先人は言いました。

 生きて虜囚りょしゅうはずかしめを受けず、

 死して罪禍ざいかの汚名を残すなかれ、と。


 死を恐れず、果敢に闘争するのです。

 皆さんに宿る、内なる誇りのために。


令和十年四月二日

   陸上自衛隊武山高等学校校長 佐藤優理也


 それを聞き終えたとき、背筋が震えた。漣々れんれんと溢れる涙に、視界が歪む。大臣がどんな覚悟で命を絶ったのか、その気持ちが痛いほど分かったからだ。

 死ぬべきときに死ななければ、あとに待つのは堕落だけ――。

 恐らくはそんなことを思いながら、佐藤大臣は自分の人生に終止符を打ったのだろう。一世一代の大バクチに負けて、それでも最後の希望を繋ごうと命を散らしたのだろう。

 ならば大臣の教え子である俺達は、大臣の遺志を継がねばならない。大臣が流した、殉国の鮮血に報いなければならない。

 既にさいは投げられた。血の川の流れにここまで踏み込んだからには、渡りきるしか道はないのだ。

 ――そのときだった。

「武山高生徒隊助教、児玉三曹。入るわよ」

 病室のドアが、軋みながら開く。消していた電気が灯され、眩しさに目がくらんだ。

「お疲れさまです。お待ちしてました」

 病室に入ってきた児玉班長は右肩に小銃を吊り、さらにもう一丁の六四式小銃を手にしていた。その銃の床尾側面には、YTSの上に白線を挟んで856と白文字が入っている。日比谷襲撃事件から生き別れになっていた、俺の六四式小銃だった。

 既に作業服に着替えていた俺は、待ちわびていた姿にベッドから立ち上がった。少し迷い、手にしていた作業帽をかぶる。

 自衛隊において、室内で帽子をかぶることは原則としてありえない。だがこの病室は既に室内ではなく、この瞬間から既に実状況中の『戦場』だ。児玉班長も同じ思いなのか、鉄帽テッパチを脱ぐことはなかった。

 編み上げた半長靴のかかとを六十度で揃え、帽子のつばに人指し指を当てて敬礼する。班長は手にした銃を右横に立て、銃礼を返した。彼女はいつもの迷彩作業服ではなく、俺達生徒と同じ無地のOD作業服をまとっていた。

「石馬士長。佐藤大臣の自決は……」

「聞きました。これから何が始まろうとしているのかも、今朝がた大臣に伺いました」

「……そう。なら話は早いわね。政権交代で新内閣が指揮権を獲得する前に、武山高生徒隊と陸上総隊GCC直轄部隊は国会議事堂と首相官邸周辺を制圧。そしてその上で、新しい国軍である『日本陸軍』の建軍宣言を出すことになっているわ。これは民社党も自民党も関係ない、わたしたち改憲派自衛官の独断専行よ」

「日本陸軍……では、そのOD作業服が日本陸軍の統一戦闘服ということですね?」

「そういうこと。GCCもODで統制よ。今後予想される市街戦で迷彩が意味をなさないという事情ももちろんあるけど、最大の理由は武力紛争法ね」

 近代戦争は、決して無秩序な殺し合いではない。交戦者として戦闘に参加するためには、一定のルールが存在する。

 条約と慣習からなる武力紛争法は、ハーグ陸戦協定において交戦者資格要件を定めている。すなわち、指揮官の存在、制服・き章類の統一、武器の公然携帯、武力紛争法の遵守。この四つだ。これから俺達を鎮圧に来る自衛隊の恭順派は、まず間違いなく迷彩を着てやってくる。建軍を宣言する日本陸軍が統一の戦闘服を採用することは、早い話が本気で戦う覚悟を示す意思表示だった。

「班長も、日本陸軍の建軍に参加されるんですか?」

 班長はコクリと頷き、だからこそ迎えに来たのよ、と付け加えた。

「で、石馬最先任? あなたはどうするの? 正直な話、どう頑張っても勝ち目はないわよ? 大人は、勝てない戦いはしないものよ?」

 ……そんなこと。俺だって素人じゃなし、これが勝てない戦であることくらいは分かっている。

 だが大事なのは、戦闘自体の勝敗じゃない。行動の主眼は後の祖国に九条改正の確固たる意志を示し、あわよくば五月一日の国民投票で改憲を実現することだ。それが叶わずとも俺達が歴史に爪痕を残せば、必ずや俺達の思いを継ぐ者が現れる。決死の覚悟を胸に秘め、俺は迷いなく告げた。

「児玉班長。ことの重みは勝敗ではありません。生徒隊の仲間が戦うのなら、俺が戦う理由はそれだけで充分です」

「そう。あなた、山口次先任と同じようなことを言うのね」

「雪緒……訂正、山口士長が? 山口士長は何と?」

「さあね? あなたも男の子なら、自分で訊きなさい」

 それだけ言って児玉班長は、入隊時の武器授与式に使う白手袋をポケットから取り出して両手に着用した。

「さて。石馬士長、気をつけッ! これより貴官の武器を、再授与する! 整備と動作点検は、既に完了している!」

「……ありがとうございました、児玉班長!」

 児玉班長は本体左側面の製造番号を読み上げると銃を裏返しに持ち替え、俺に向かってまっすぐ差し出した。

581246ごーはちひと、にーよんろく! ジュウ!」

 ……これが俺の銃、俺の命だ。確固たる意志をこめ、奪うような勢いで銃を受け取る。

「銃! 581246!」

 OD色の吊りベルトを親指で押し上げて刻まれた番号を確かめると、右肩に銃を吊って児玉班長に三挙動で敬礼した。班長は答礼すると回れ右し、病室のドアを開ける。

「じゃあ行くわよ、石馬士長。オートKLX250で来てるから、タンデムシートの鉄帽を着用のこと。忘れ物?」

「なし!」

 もう、この病室に戻ってくることもないだろう。それどころか、現地での戦死KIAも充分に考えられる。ならば、みっともない格好で死ぬのはごめんだ。俺は入口脇の鏡で手早く容儀ようぎを確認すると、電気を消して暗闇の中を児玉班長に続いた。

 ――たとえ、自衛隊員同士で銃を向け合うことになったとしても。命を賭けることでしか理想が実現できないのなら、ためらう理由はどこにもない。

 美しくあろうとする日本男児の意志は、必然的に死への揺るぎない憧憬どうけいを伴うことになる。佐藤大臣の死に様こそが、俺の理想とする最期だった。


 Be prepared to die in the service of the Rising Sun.

 May glory prevail on the future fatherland.


 死に方、用意。

 後の祖国に、栄光あらんことを――


         ▼


「計画通りなら生徒隊がいまごろ休日出勤中の衛視えいしや職員を追い出して、国会議事堂を制圧しているはず。あとから、GCCの応援も来ることになってるわ」

 偵察隊が使うオート――カワサキ・KLX250のシートに腰掛けながら、児玉班長がそう言う。タンデムシートにはテッパチの他に弾倉入り弾嚢もネットでくくりつけられていたので、俺はそれを弾帯にひっかけた。

 弾倉の一つを小銃に挿し、弱装弾を装填しながら訊ねる。

「……明日から、この国の統治機構はどうなるんですか?」

「佐藤大臣が亡くなった以上、副総理が当面の首相代理になるわね。それから速やかに特別国会が議事堂以外の別の場所に召集されて、新しい首班が指名される……恐らくは、立憲民主党代表の泉健太が総理に選ばれると思うわ」

「で、泉新総理閣下から議事堂の鎮圧命令が下されると」

「そういうこと。中に持ち込めた物資で、どれだけ粘れるかが勝負ね」

 班長は左足のギアを一速に踏み込み、アクセルを開いてクラッチを繋げる。KLX250は、エンジン音を響かせながら首都高池尻ICに向けて発進した。


 首都高の霞が関ランプを出ると、明るくライトアップされた国会議事堂が目に入った。だが衆参両院の国旗掲揚台に掲げられているのは、日の丸ではなく旭日旗だ。それは紛れもなく、既に議事堂の制圧が完了している証だった。

 よく見ると、あれは自衛隊が使っている八条の旭日旗ではない。赤い円から放射状に広がる十六条の旭日旗は、旧日本陸軍が使っていた軍旗だ。それは戦後日本への訣別を示す、俺達の政治的意志の現れに他ならなかった。

 土嚢どのう拒馬くるまどめで国会議事堂の周囲は完全に囲まれ、武装した生徒隊とGCCが公道を警戒している。そして国会正門の正面には、決起部隊の手で臨時の営門が設置されていた。

 班長はクラクションと巧みなハンドルさばきで警察やらマスコミやら野次馬やらをかき分け、営門の生徒に敬礼すると身分証を示し、拒馬をよけて陣地に入る。天幕の立ち並ぶ議事堂の前庭にオートを止めると、俺にタンデムシートから降りるよう促した。

「鈴木は衆議院議長室を接収して、日本陸軍の大本営に定めたわ。これからマスコミを通して、日本陸軍の建軍宣言が出されるはず。最先任上級陸士長として立会りっかいしなさい」

「……え? 鈴木区隊長が副校長ですか? だって、区隊長の階級は二等陸尉じゃ……」

「今は鈴木陸将補、よ。亡くなる直前に、佐藤大臣が特別辞令を出したみたい。……あ、それと武山高の名前だけど、『陸軍幼年学校』に変わるから。もちろん、階級呼称も変更よ。他の三年生は上等兵、あなたと山口士長だけは兵長扱いになるわ」

「じゃあ、俺が陸軍幼年学校生徒隊の最先任兵長で……」

「飲み込みが早いわね。わたしは第三班の助教、児玉紫苑陸軍伍長よ」

 ……この俺が兵長。もう誰にも遠慮することなく、堂々と軍隊であることを主張できるのだ。

 まさか俺達が『軍』を名乗れる日が、こんなに早く来るとは思わなかった。恐らく大臣は、そのあとの生徒隊・GCCの動きを全て計算に入れて命を投げ捨てたのだ。では大臣の筋書きでは、この物語はどんな結末を迎えるのだろうか?

 班長について五つ扉の中央玄関を抜け、赤絨毯の階段を踏みしめて吹き抜けの広間に昇る。広間の四隅に置かれた台座のうち、三つだけにお偉いさんの銅像が置かれている。

 確か議事堂の玄関は特別な時にしか開かないと、去年の政経で習った覚えがある。それが開放されているということは、議事堂が完全に我――自軍のこと――の手中にあるということを意味していた。

 ライトアップの光が天井のステンドグラスを通し、広間の床に降り注いでいる。よく磨かれた床には幾何学模様のモザイク図案が描かれ、議事堂の威容を格調高く飾り立てていた。


 班長に従って衆議院議長室に赴くと、昇任したばかりの鈴木副校長は真新しい制服を身にしていた。NHKのカメラが代表で入り、全国に日本陸軍の建軍宣言を流すのだという。テレビスタッフを手伝い始めた班長は、俺に室内待機を命じた。

 肩に陸将補の二つ星ツースターを乗せた副校長は、ライトで照らされた執務机に深く腰掛けている。手元の宣言文に何度も目を通し、文言を暗記しようとしているらしい。

 と、議長室のソファーに先客がいた。緑の次先任腕章を左腕に、赤十字腕章を右腕に巻いた雪緒だ。雪緒は素早く立ち上がり、俺に敬礼した。

「お疲れさまです、石馬最先任」

「ご苦労、山口次先任」

 敬礼を返した俺は、ソファーの隣に腰掛ける。他の人間が慌ただしく動き回る中、俺達二人だけが取り残された格好になった。

 暇を持て余した俺は、雪緒に顔を向けて尋ねた。

「……おい、雪緒。お前、なんでここにいるんだ?」

「え……? なんで、って……?」

「お前は確か、改憲に積極賛成じゃなかっただろ。決起に参加すれば間違いなく懲戒免職、運が悪けりゃ逮捕、もっと運が悪けりゃ戦死だ。防衛医大に行って、医官になるんじゃなかったのか?」

「そりゃそうだけど……本格的に鎮圧が始まれば、必ず生徒隊に死傷者が出るわ。第三教育隊が最上級生になった以上、いま次先任の自分が抜けるわけにはいかないじゃない。すぐ近くの仲間も救護できない人間が、医者になる資格はないわ。……それがあたしの守ろうとしている、骨肉至情こつにくしじょう挺身奉仕ていしんほうしの衛生科精神よ」

 雪緒は真顔を崩さず、それだけを口にした。俺はため息をつき、戦友こいつの生真面目さに呆れた。

 バカだな、こいつ。将来を約束された優等生なのに、人生を棒に振るなんて……

 そうは思うが、俺だって同じ穴のムジナだ。守りたい信念、叫びたい価値があるからこそここに来た。

 どうせ俺は、親なしだ。信じる理想を曲げてまで尽くす家族はどこにもいないし、死んだところで泣いてくれる人間もいない。そんな俺にも居場所を与えてくれたのが、武山高だ。だからこそ俺はここにいるのだが……そこまで考えを進めて、ふと雪緒のことに思いが至った。

「……なあ。お前、家族は?」

「え? 雪緒ちゃんちの家庭の事情、聞きたいの?」

「ああ。嫌なら構わないが」

「別に嫌ってわけじゃないけど……うちは両親が失踪中。アンタと同じように、親兄弟はいないようなものよ。だからある意味、後顧こうこの憂いはないわね」

 ……と。そこで執務机の電話が鳴り、副校長が受ける。副校長は二言三言やりとりすると、受話器を置いて立ち上がった。

「NHKの諸君。陸上総隊直轄部隊が手配していた装備品を、これよりこの部屋に搬入する。中継を繋いだ上で、物品の受領に立ち会ってもらいたい」

 なに? 装備品を議長室に搬入だって? 俺は訳が分からなくなり、雪緒と顔を見合わせる。

「……おい雪緒、どういうことだ?」

「知らない。あたしに訊かないでよ」

 もっともな答えである。そうしている間にもカメラと照明が位置を変え、部屋の扉に照準を合わせた。しばらくすると、廊下に響いていたキャスターの音が議長室の前で止まる。装備品を持ってきたとおぼしき扉の向こうの気配は、強く扉をノックすると所属を名乗った。

「陸上総隊特殊作戦群第一中隊、松本まつもと軍曹ほか一名の者、入ります!」

「入れ。撮影中につき、入室要領は省略のこと」

「はい!」

 一人が扉を開いて押さえ、もう一人が重そうな荷台を室内に運んでくる。取っ手つきの大きな荷台に乗ってやってきたのは、厳重に梱包された特殊合金の箱だった。俺は中身が気になり、副校長に問いかけた。

「副校長。なんですか、これ?」

「ああ、貴様らには話していなかったな。ロシアのブラックマーケットからGCCが極秘裏に調達していた、小型核弾頭だ。まったく、ゴルバチョフ様々だな」

「は!? か……核!? 非核三原則はどうなったんですか!?」

「あんなものは、政府権力が世論をだまくらかすための便法べんぽうに過ぎん。在日米軍が公然と核を保有している以上、非核三原則をもって我が日本陸軍の核保有を否定する道理はない」

 核弾頭……確かに抑止力としては心強いが、あんな危険な代物を大本営に持ち込むとは。ただただ驚愕することしきりだった。

「……既に我々は、シビリアンコントロールに真っ向から反旗を翻している。よくよく肝に銘じておけ。我が日本陸軍は以後、日本国政府とは別の意志に従って行動することになるのだ」

 核弾頭を部屋の隅に設置するGCCの隊員を眺めながら、副校長は声を落としてそんなことを呟いていた。

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