36話始まりの朝
そして、翌日の日曜日を迎える。
「お、お兄ちゃん!」
「まあ、落ち着け」
「あう?」
「し、詩織! お姉ちゃんどうしよう!?」
「あいっ!」
「そ、そうだよね!」
「いや、意思疎通できてないから」
朝ごはんを食べ終えた後、春香はずっとこんな感じだ。
どうやら、めちゃくちゃ緊張しているようだ。
ようやく落ち着いて、着替えを済ませる。
「さあ、行くぞ」
玄関前で振り向き、手を差し伸べる。
「う、うん……」
それをおずおずと握る。
「大丈夫だ、俺がついてる」
「お兄ちゃん……はぃ」
「どこいくお!?」
もう片方の手を握っている詩織が、目をキラキラさせている。
「詩織、昨日言ったろ? 今日は、庭でおじいさんに遊んでもらいなさい」
「おじいたん!? 遊ぶお!」
ふむ、さすがは亮司さんだ。
詩織が人懐こいとはいえ、こうもすぐに懐くとは。
まあ、俺も出会った頃からあの包容力には敵わないと思っているが。
下へ降りていくと……。
「みなさん、おはようございます」
「亮司さん!? は、早くないですか?」
まだ約束の二十分前なんだけど………。
「ホホ、申し訳ない。年甲斐もなく、楽しみにしてしまったようですな。まるで、遠足に行く前の子供の気分でしたよ」
少し照れ臭そうに、そんなことを言った。
……初めて見る顔だ。
うん、頼んで正解だったかもしれない。
「では、まずは庭に行きましょうか」
階段の脇を通り、家の裏側へと向かう。
「わぁ……こうなってたんだぁ」
「すごいお!」
「うむ、手入れが行き届いておりますな」
「昨日の夕方と、今日の朝に頑張りましたよ。これからは、お客様の目にも入りますからね」
店の一番奥の席からは、カーテンを開ければこの庭が目に入る。
「わたし、全然気づかなかったよ」
「まあ、店のカーテンも閉めてるしな。それに、ベランダは反対側にしかないし、階段の脇からしか行けないし」
最初は家庭菜園でも始めようかと思ってたが、あっさりと仕入先が見つかったからなぁ。
それ以来放置してあったが……うん、なんとか見られる範囲にはなった。
「じゃあ、俺は仕事に行くので。詩織のことよろしくお願いします」
きちんと柵もあるし、子供くらいなら走り回れるスペースもあるから平気だろう。
昨日の夕方にホームセンターに行って、テーブルと椅子も買ってきたし。
あとはオモチャとか、その類のものを揃えたし。
「ええ、畏まりました。目を離さないようにいたします」
お辞儀をする姿は、まるで一流の執事のようだ。
うーん、詩織お嬢様って感じか。
「あの、お給料は……」
「頂きませんよ。それは、昨日も申したはずです。こんな老人の暇潰しに付き合ってくれるのですから。むしろ、私が支払うべきかと」
「い、いえ! そういうわけには……わ、わかりました」
「ええ、ではいってらっしゃいませ」
「詩織、おじいさんのいうことを聞くように。わかったな?」
「あいっ!」
「良い返事だ。春香、行くとしよう」
「う、うん」
春香を連れて、店へと入ると……。
「兄貴! おはようございます!」
「どうも〜、おはようです」
「二人とも、おはよう」
「お、おはようございます!」
昨日のうちに、今野さんには連絡を入れておいた。
春香の指導のために、少し早めに来れないかと。
ちなみに、快く引き受けてくれた。
「じゃあ、俺は仕込みしちゃうから。今野さん、すまないがよろしくお願いね」
「はいはーい、お任せを〜」
年も近いし、コミュ力も高いから安心して任せて良いだろう。
俺は意識を切り換えて、厨房へと入る。
▽▽▽▽▽▽
うぅー……緊張するよぉ〜。
お、お兄ちゃんに迷惑かけないようにしなきゃ……!
「はーるかちゃん!」
「ひゃっ!?」
「むむっ! 発育が良い! お椀型のCと見た! しかも発展途上と……ずるいわねー」
「な、何をするんですか!?」
む、胸を揉まれました!?
うぅー……お兄ちゃんにも触られたことないのに……何言ってんの!?
「いやー、ごめんなさい。つい可愛くて。緊張取れた?」
「へっ……」
あれ? 身体が硬かったのに……。
「あと、こんなことする私なんで遠慮はいらないよー」
……そっかぁ、わたしの緊張をほぐすために。
わたしとそんなに違わないのに……大人だなぁ。
「あ、ありがとうございます!」
「あちゃー礼を言われちゃった……ちょろいって言われない?」
「ふえっ?」
「なるほど……こりゃー大将も心配するわけだ。電話で言ってた意味がわかったかも」
「お、お兄ちゃんはなんて……?」
「うーん……私から言えるのは、妹が可愛いから心配ってことかな。あと素直なところがあるから、騙されちゃうかもしれないって」
「お兄ちゃん……」
嬉しいけど……少し複雑です。
やっぱり、お兄ちゃんにしたらまだまだ子供なんだろうなぁ。
「あと……俺が守ってやらないと!とか」
「ふえっ!?」
「おい? 捏造するんじゃない」
振り返ると、お兄ちゃんがしかめっ面で立っていました。
「えぇー? 言ってませんでしたかー?」
「……似たようなことは言った」
「ほら〜」
「お、お兄ちゃん……エヘヘ」
「ったく……ほら、だべってないで仕事を教えてやってくれ。せっかく早めに来たんだし」
「そうですねー、その分いつもより良い時給も頂いてますしねー」
「じゃあ、俺は戻るから」
お兄ちゃんはそれだけいうと、キッチンへ入って行きました。
……それよりも、気になることが。
「あ、あのぅ……」
「ん?」
「時給って……」
「ああ、早めにくる代わりに時給が高いんだ。あと、指導するからその分のお給料も上乗せしてくれるって言うし」
「えっ?」
「あっ——私は遠慮したんだよ? 普段から散々お世話になってるからさ。でも、そういう馴れ合いは良くないって。お金のことや、仕事のことはきちんとしないとってね。ただでさえ職権濫用なのに、そこまでしたらダメだってさ。ほんと大将って、変なところで真面目だよねー」
「そ、そうなんですね」
わたし、そんなこと全然考えてなかった……。
ただお兄ちゃんに甘えるがままに、それを受け入れてしまった。
……そうだ、ここで落ち込んじゃうからダメなんだ。
わたしが今するべきことは……少しでも早く、仕事を覚えることなんだ。
それが、結果的にお兄ちゃんへの恩返しになるはず。
「こ、今野さん!」
「ん? どしたの?」
「が、頑張りますので……よろしくお願いします!」
「よっしゃ! お姉さんに任せなさい! あっ——大将の女性の好みとかも教えようか?」
「へっ……ふえっ〜!?」
「ふふ、真っ赤になって可愛い。さあ、やりましょうか」
お、落ち着いて! わたし! 今は仕事に集中!
でも、あとで聞いてみようかなぁ……なんてね。
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