第39話 ゼノという男

 魔神城の近くまで戻るとサノーが僕達を出迎えてくれた。

 魔神城は武装した魔族によってすっかり包囲されていて、正面から突っ込んだところでとてもじゃないが入れそうになかった。サノーは城に仕えていた頃に城の裏口を教えてもらっていたみたいで、お陰で僕達は誰にも見つかることなく城に入ることが出来た。


「ここを通ると、まだこんなに背の低かった姫様を思い出すのう。姫様はよくご公務を嫌がってここから外に出ると、得意の呪いで自分の姿を少年に変えて城下町の子供達とよく遊んでおった。お陰でわしも呪いを見破る目が鍛えられたわい。ここから出入り出来るというのはわしと姫様だけの秘密じゃった。懐かしいのう」


 ホッホッホとサノーの穏やかな笑い声が古びた水路に反響する。

 ここは元々魔神城に新鮮な水を届けるために使われていた水路らしいが、今は別の水路が使われていて、すっかり干上がっていた。


「それにしても、お前さんの顔色が良くなって安心したわい。あんなに暗い顔で心を閉ざされてしまっては、わしも悲しかったからのう」

「ごめん。ちょっと辛く当たりすぎたと思う。それにやっぱりサノーには感謝しないと。胸の傷、改めて見たけど、凄く綺麗だったから」

「ふむ……礼を言われるようなものではない。せめてもの償いじゃった。あの時のわしにはお前さんの死に姿を綺麗にすることしかしてやれることがなかったんじゃ」

「それでも、感謝してるから。きっとあそこで適当な縫合が行われてたら、〈命源ポエンティア〉を注入されてもすぐに出血多量で死んでただろうし」

「お前さんは本当に心の優しい子じゃのう。本当のイグニスも心優しかったものじゃが、お前さんの方が温かいものがある。涙が出てしまうわい」

「やっぱり僕は、本物のイグニスとは全然違ってたよな」

「そうじゃなあ。お前さんは七羽の妖霊を宿して現れた時からイグニスとはなんとなく違っておった。振り返ってみれば、似ているのは見た目だけだったかもしれんのう」


 水路を抜け、城内の裏庭に出た。ここから城と垣根の狭い間をずっと行けば、裏口に辿り着けるという。


「それにしても、イグニスが死んでおったとは。どうりで姫様の〈フォンス〉が枯れたわけじゃ」

「それなんだけど、僕とフロースで魂の契約を結ぶってことは出来ないのか?」

「残念ながら無理じゃ。あの契約は、魂を構成する生命、記憶、精神の全てがぴったりつり合わなければ結べない。成長してから釣り合わせようとしても、成功するのは天文学的な確率じゃ。妖霊が容易に人間と契約を結べるのは、生まれる前に宿ることで宿主自体の魂に干渉し、自分につり合わせることが出来るからといわれておる。わしら人間には到底出来ん技じゃ」


 そうか……。確かに僕はフロースとは同じ日に生まれていないし、今更どうしようもないんだな。


 裏口から城へ入り、階段を上がる。途中でサノーが遮音の壁を張ってくれたので忙しなく動き回っている召使達にも見つからずに済んだ。


「レグルスは戻ってきてるのか?」

「うむ。他にも来客がいっぱいじゃ。魔神室は今、動物園のような有様じゃよ」

「動物園?」

「レグルスは百獣の王の素質を持っておるからのう。とはいえ、かなり頭を下げて回ったらしいぞ。柄にも合わんことをしたもんじゃ」


 階段を上がり、大扉の前まで来る。サノーはそこで準備があるからと手を振り階段を下っていった。サノーの足音が遠のいたのを確認して、ひとまず大扉を開ける。

 無数の視線が僕に集中した。驚いた。僕に宿っていた妖獣達が、アルスを除いて六羽、勢揃いしていた。


「遅いぞ」


 深緑の獅子は立派なたてがみをメラメラ揺らしながら悠然と立っていた。こうして見るといかに立派な妖獣だったかがわかる。

 神々しい姿に吸い寄せられるように、僕は足を進めた。僕のことを指さして笑う妖獣達がいる中、レグルスは堂々とした姿勢を崩さなかった。


「僕のために彼らを?」

「お前のためだけではない。フロース、そしてこのテラに住む人間ども全ての命がかかっていると考えればこれくらいのことをするのは至極当然だ」


 まだお前に協力するとは言っていないぞ、と誰かが声を上げた。寄せ集めの五羽は口々にそうだそうだとレグルスを非難した。


「お前は彼らをどうやって仲間に引き入れたのか覚えているか?」

「確かレグルスが〈妖国フェリアーヌ〉の王子と契約を結ばせてやるとかなんとか言っていたっけ?」

「そのとおり。彼らはそれくらい由緒正しい人間なら協力してやってもいいといった。しかし、ここにいる皆は真実を知り、お前が本物の王子ではないことに気づいてしまった。もう我輩が説得することは出来ない。彼らの協力を得たいなら、お前自身が自らの魂の気高さを証明する必要がある」


 レグルスは極太の牙を剥き出しにしてゴウと吠えた。


「どうすれば証明出来る?」

「我輩と契約を結べればいい。我輩はこれまで勇猛な男と契約を結び、自らの格を高めてきた。魂の釣り合いをとり、契約に至らすためには、宿主自体の魂の質が高くなければならない。生まれる前であれば我輩が立派な魂に仕立て上げてやるが、もうそれは叶わない。自力で高めてもらう必要がある」

「待ってよ。別に僕は前から僕だし、魂が変わったわけじゃない」

「フン。己の心に訊いてから物を言え」


 そんなに僕が駄目って言いたいのかよ。

 魂の質を高くしろだなんて、一体どうやってやればいいんだ?


「お前は気づいていない。我輩がその体から締め出されたのは記憶のせいではなかった。異端ゼノと名づけられたお前の脆弱な性根を感じ取ったせいだ。そもそもお前と〈妖国フェリアーヌ〉の王子の命の質量は我々からすれば同じ。ではどこに差異が生まれてくるのか、考えて修正すればおのずと契約は結ばれる」


 そんな漠然としたことを言われてもわからないぞ。難しい話はアルスだけにしてくれ。


「話にならないな。俺は降りるぞ」

「こんな偽物に何が出来るっていうんだよ?」

「帰れ。もっとちゃんとした奴を連れて来い」

「この際、そこの弟君でもいいんじゃないの? そいつよりは根性ありそうよ」

「偽物ー、偽物ー」


 妖獣達が口々に僕をけなしてくる。最初は黙って堪えていたが、次第に我慢ならなくなってきた。

 レグルスが挑発するような縦筋の入った目で僕を見ている。見下してるのか? なんでこんな目に遭わないといけないんだ!


「顔を見ているだけで不愉快だ。こんなのが〈妖国フェリアーヌ〉王子になれるわけがない」

「偽物なんて興味ないよ。レグルス、もう行っていい?」

「時間の無駄だ」

「妖族の癖に体の変形を気にして、おかしいと思ってたのよね。本当は妖族っていうのも嘘なんじゃないの?」

「偽物ー、やだー」


 言わせておけば。いい加減に黙れよ!


「僕は偽物じゃない!」

「どう見たって偽物だろう。〈妖国フェリアーヌ〉の王子の影だ」

「違う。影として生きた覚えはない」

「影になるにも覇気がなさすぎるけどな」

「覇気ってなんなんだよ?」

「覇気は覇気だよ。お前は死人の目をしてる」

「死人の目?」

「そもそも心臓もないくせに生きてるって言えるの? 気持ち悪いわ」

「生きてる。僕は生きてるんだ!」

「イグニスー、お前に似合わない名前ー」

「余計なお節介だ。名前なんてなんだっていいだろう」


 見るに見かねた様子でペンナが現れた。

 神霊を前にして妖獣達が一斉に口を閉ざして頭を下げた。彼らには目もくれず、ペンナはイライラした声で僕を責めた。


「名前なんてなんだっていい? 違うでしょ? 貴方はゼノと呼ばれることも嫌がっていたし、イグニスと名乗ることだって抵抗があったはず。なんだっていいなら、どちらだって簡単に名乗ったはずよ」

「揚げ足取りするなよ」

「揚げ足取りなんかじゃない。いい加減に気づきなさいよ。貴方は一体誰?」


 ドキリとした。誰にでも答えられる簡単な質問のはずなのに、僕はすぐに答えを見つけることが出来なかった。

 考えてみれば僕には名前がなかった。アルスにはお前と呼ばれていたし、ペンナからは貴方と呼ばれていた。サノーも僕がイグニスでないとわかってから名前で呼んでいない。

 僕は誰だと言えばいい?


 ――ゼノ、しっかり。ゼノ!


 思えば、僕が誰だか知りながら、イグニス以外の名前で呼んだのはフロースだけのような気がする。

 ゼノ、異端という意味の言葉。酷い名前だと思った。

 でもフロースは決して僕をイグニスの影武者だとも偽物だとも思っていなかった。愛する人と似た特徴が沢山あるから気味が悪い、そういう見方をしても、きちんと僕を別人と見てくれた。


 ゼノ、嫌な響きだと思いつつも納得していた。


 僕は奇妙だ。心臓がなくても動けるし、生まれた時には十歳だった。普通の生き方をしていない。

 だから受け入れたんだ。ゼノという呼び名を、異端という身分を。自分が誰なのか、フロースにゼノと呼ばれる度に認めることが出来たんだ。


「もう一度訊くよ。貴方は誰なの?」

「僕は……僕はゼノだ。名字やミドルネームはない。その二文字だけ」


 ペンナは納得した様子で二回頷き、姿を消した。神霊への畏怖から解放され、妖獣達が安堵の息を漏らす。

 彼らの間から気高い獅子が現れた。むせ返るような熱気に押され、妖獣達が後退した。


「その言葉を待っていた」

「もしかして、僕を試していたの?」

「ああ。我輩はお前の中にゼノという確かな男がいることも見抜いていたし、その男が自らの心で物事を感じ、経験してきたことも知っている。ゼノの記憶、精神、いずれもイグニスのそれと優劣をつけられないものだ。但し、本人に認めようとする気がないのだけが気に食わなかった」

「優劣をつけられない?」

「お前は自分が非力だと知りながらも、我輩を宿したイグニスに戦いを申し入れた。勝ち目のない戦いでも、お前は決して諦めなかった。我輩はそんなお前の中にイグニスにも劣らぬ気高さを見た。だからフロースの計画に協力することにしたのだ。イグニスもお前の覚悟は見抜いていただろう。でなければ口が裂けても大切なフロースをお前にやるだなど言わなかったはずだ」


 鋭い目で見上げ、尻尾を一振りする。見た目どおり厳格な妖獣にここまで認めてもらえているとは思ってもみなかった。

 レグルスは自らの偉大さを示すようにゴウと鳴いた。威圧的な咆哮を聞いても、僕はもう萎縮しなかった。


「我輩はこれより、気高き少年ゼノに我が妖力を託す。地上に降り注いだ光をその目に写し、咆哮の炎により、麗しの少女を救ってみせよ」


 レグルスの体が炎に包まれ、続いて僕を取り込んだ。熱いと声を上げる前に炎は消えた。

 耳と手足、尻に違和感を覚える。見ると、耳は毛が生えて丸くなり、手足の爪は尖り、力強くしなる尻尾が生えていた。猫毛だった髪質もゴワゴワと波打つ剛毛に変わる。色も緑色になったようだ。


「そうして見ると、イグニスそっくりだね」


 コルヌが凄いと拍手を送ってくれた。手に力を入れると深緑の火剣が現れた。

 もう宿っている必要はないねと、ペンナが僕から離れて離脱した。神霊の姿を見た瞬間、妖獣達が一斉に跪いて頭を下げた。


「おめでとう」

「ペンナ、今の僕ならフロースに自力でステラを追い出させることが出来るかも」

「あ、ようやくわかった?」

「ああ。ステラには受け入れられない感情をフロースに思い出させる。今ならわかるんだ。フロースが僕のことをちゃんと愛してくれてたってことが」

「そうね。貴方はイグニスではなかったけど、だからってフロースが貴方を愛せなかったわけじゃない。ゼノという人間を受け入れて、イグニスとは別の人として愛してた」

「わかったよ、ペンナ。今度は僕がフロースに教える番なんだ」


 希望は見えてきた。今の僕ならフロースだろうが神霊だろうが、戦える。


「レグルス、フロースの居場所は突きとめられたのか?」

「それならディーバが」


 鋭いクチバシの鳥が煩く囀りながら舞い上がった。遠くの音を聞いてここでも場所がわかるらしい。


「ラインザの森に潜んでる。魔族の兵隊を連れて〈妖国フェリアーヌ〉に進行中よ」

「急がないと手遅れになる。行くぞ」

「うん。早く行こう」


 レグルス以外の妖獣達にはコルヌと一緒に先に戦地に向かってもらうことにし、僕はサノーを迎えに下に降りた。

 僕の勇ましい姿を見てサノーは嬉しそうに目を細めた。ペンナが現れ、移動用のソリを作ってくれる。二人で乗り込むと風のソリは空高く舞い上がった。

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