第14話 虹の光(後編)

 階段を駆け下り、梯子に足をかけると、サノーがフロースを渡すよう促してきた。

 そんな老体でと思いきや意外にも力はあるらしく、よいしょよいしょとジジくさい声を漏らしながら、ヘリコプターの助手席に乗せていた。


「早くせい。置いていくぞ」

「サノーは乗らないのか?」

「わしはもう一仕事ある。耳を塞いで待っておれ」


 殆ど突き飛ばすような形で俺を後部座席に押しこめると、サノーは部屋の中央に立った。

 手鏡を構え、魔導書に魔力を送る。本がオレンジ色に輝き、高速でページをめくり始めた。

 掲げた鏡の中でその光が揺れ、拾い上げた文字が不思議な生き物のように躍っていた。

 鳶色の目を閉じ、サノーは唱えた。


「求めるは、万物を砕く見えざる牙。音場よ、噛み砕け」


 サノーを中心に衝撃波が放たれる。古びた梁や壁が振動し、メリメリと亀裂が走った。

 耳の穴に指がはまりそうなほど強く塞いでいるのに耳がおかしくなりそうな轟音だ。

 さすがのフロースも飛び起き、何事かと騒ぎ始めた。サノーが運転席に乗り込み、扉を閉めた。


「雷よ、集え」


 制御パネルに電気が注入され、煌々と光り始めた。フロースが眩しいと顔を背ける。

 これは、さっきの板切れが放っていた物と同じ光だ。


「パネルの内容は見えていないんだろう。操縦出来るのか?」

「プログラムを直接読み取っておる。わしの天才的な頭脳に任せるんじゃ!」


 キーンと嫌な音を立てて機体が起動した。キーキーと嫌な音を立ててプロペラが回り始める。

 爆風に煽られ、脆くなった家が木端微塵に散った。

 天井の一部がプロペラに弾かれてガラクタの山につっこむと、ポッカリ穴から茶色い空が覗いた。


「離陸するぞ。掴まっておれ!」


 サノーが唸り声を上げて更に強力に電気を注入すると機体は静かに浮上した。

 本当に電気の力だけで鉄の塊を浮かせるなんて。

 状況が掴めず、盲目のフロースが何事だと騒ぎ始める。片手でフロースを制しながら、サノーはパネルに電気を送り続けた。

 機体の大きさギリギリしかない穴の中を器用によけながら機体が上昇していく。一階の高さまで来た時、地下室の床を突き破って太いイバラの枝が現れた。

 あと一分遅れていたら俺達はあの中だった。考えただけで恐ろしくて身の毛がよだつ。

 安堵するのは早い。イバラの成長は止まらず、尖った枝の先が迫ってきた。


「もうひと踏ん張りじゃ。エンジン全開!」


 プロペラの回転速度が上がり、機体の上昇スピードも速くなった。

 それでもまだイバラの方が早い。

 家のガレキからは抜け出せさえすれば避ける余地はいくらでもある。

 機体が抜け出すのが先か、イバラが機体の底を突き破るのが先か。


 頼む、間に合ってくれ。


 サノーが再び唸り声を上げ、加速を図った。

 駄目だ。追いつかれる!

 そう思った瞬間、機体がグラリと左に傾いた。

 左に大きく旋回。イバラが機体スレスレをかすめいく。

 傾いた反動で機体が不安定に揺れ始め、フロースが甲高い悲鳴を上げた。


「ジジイ、早く水平に戻せ! 落ちるぞ!」

「わかっておる。今やっとるんじゃ!」


 空中をジグザグに飛びながら、サノーは気合で機体を水平に戻した。

 いつの間にかかなり高い所まで来ていたらしい。さすがにイバラもここまでは伸びてこられないようだ。


「ハッハー、さすがわし。初見とは思えん見事な運転じゃ」

「どこがだよ!」

「全く、イグニスは冷たいことを言う。のう、姫様」


 フロースは頭を垂れ、手で口を覆っていた。

 船酔いしてんじゃないかよ。可哀想に。


 俺は窓から外を覗き見た。眼下には最悪な光景が広がっていた。

 この前、〈赤霊峰マウント・ルーベル〉から帰ってきた時に見た美しい街並みはすっかりなくなり、イバラの覆う呪われた樹海のようになってしまっていた。

 トゲの下ではまだ逃げ惑っている人がいる。しかし、隙間を縫うように新たに生えてくるイバラに捕らえられ、血祭りに上げられていた。


 フロース、お前、失明しててよかったな……。こんな光景、堪えられないだろう。

 船酔いしてないはずなのに、俺まで吐き気を催してきた。


 呆然と眺めていると、どこからか風鳴りのような不協和音が聞こえてきた。フロースが両手で耳を塞ぎ、全身で震え出した。

 サノーが魔導書と手鏡を置き、フロースの肩を抱き寄せた。


「この音は?」

「カルディアの嵐を覚えておらんようじゃな。今ここから見ておれ。お前さん達の調査に非常に重要なことじゃ」


 カルディア? 心臓っていう意味だよな。

 サノーが顎で下を指すのでもう一度窓から悲惨な街を見下ろした。

 何も変わらないような……。ん?

 巻き上げられたガレキの破片に混じってイバラの上で虹色に光る物が飛び回っている。

 一つじゃない。百、いや、千は超えている。


 まさか、この光の正体は……!


 先程血祭りに上げられた少年の方へ視線を戻す。もはやくたびれたボロ布にしか見えない体からあの光が抜け、泡のように浮上していくのが見えた。


 間違いない。あれは〈命源ポエンティア〉だ。


 しかもその後、街の中心辺りで急降下したかと思ったら消えた。燃え尽きたんじゃない。忽然となくなったんだ。

 光が消えた辺りに誰かがいる。

 一人の男がイバラに突き刺されることなく、右手を掲げて堂々とした様子で立っている。フードのように長い布を頭からかぶっているので、顔はよく見えない。


「手の中に黒い物があるのが見えるか? あれが〈心臓カルディア〉、正式には〈黒い心臓カルディア・ノックス〉じゃ」


 虹の光はあそこに吸いこまれているらしい。ということは〈心臓カルディア〉の正体はラピス・インケルタか。

 俺達が虹の神殿で手に入れた小さなものとは違ってドクドクと怪しい光が波打っている。〈心臓カルディア〉と呼ばれる理由はきっとそれだな。

 そういえばイリスが秘宝を持っていった男がいるって言ってたが、あいつのことかもしれない。

 俺は男の後頭部を睨みつけた。こんなに大勢の命を集めてどうするつもりだと、力一杯憎しみを込めて。

 不意に男が振り返る。やばい、気づかれた!

 男が一旦手の中の物を下ろした。代わりに魔導書を取り出すと手鏡を当て、氷の鳥を無数に作り出した。鳥はクリスタルのような美しい光を放ちながら、男の周りを旋回している。

 男が何かを唱えると、鳥が一斉にこっちへ迫ってきた。イバラと違って鳥なら高さの制限を受けない。何とかして倒さなければ。


 スルリ。聖気を纏った風が俺の髪を払って抜けた。ペンナが翼を広げ、ヘリコプターの後ろに構えた。

 長い耳がプロペラの風を受けて暴れている。翼をU字に広げ、ペンナはアロアロと威嚇の声を上げた。一体何をする気なんだ?

 鳥がある程度近づいてくると、ペンナは宙返りし、胸に紫色の光を溜めた。翼がペンナの体の三倍まで伸び、籠のように閉じていく。

 鳥が狙いを定めたように急加速し、一気に迫ってきた。

 待っていたと言わんばかりにペンナは翼を広げ、溜め込んだ力を一気に放出した。衝撃波で紫色の輪が何重にも広がる。

 聖なる光に包まれ、氷の鳥は浄化されるように無に帰した。

 驚いた。これだけの力を持っているなんて、神と名がつくだけあるな。


 遠くで男が面白くなさそうに腰に手をやる。もう一度魔導書を開き、黄色い光の渦を放った。ペンナがはっとした様子で翼を閉じ、再び力を溜め始める。

 しかしペンナが男の攻撃を相殺するより早く、渦はヘリコプターを呑み込んだ。

 見えない刃が頑丈な鉄の塊を何分割にも切り裂いた。床が抜け、壁が剥がれ落ち、俺達は宙に投げ出された。

 フロースがこの世の終わりとでも言うような悲鳴を上げる。男は長い裾を翻し、イバラの奥へ姿を消した。


「ああ、わしの超大作が……」

「今そんなことを嘆いてる場合かよ! 俺達、飛ぶ手段もなくて落下中なんだぞ」

「わしのヘリコプターさえあれば落下もせん!」

「壊れたもんは仕方ないだろう! フロース、早く俺に呪いをかけろ。この前みたいに翼をくれ」

「無理よ。こんな状態じゃあ魔導書は開けないもの」

「だからってこのままだと全員死ぬぞ」

「見えないんだから仕方ないでしょ!」


 地面が近づいてくる。

 あと何秒で叩きつけられる? 本当にどうしようもないのか?


 甲高い声が聞こえてくる。ペンナだ。ペンナは落下中のフロースの頭の上に降り立つと、ふぅと息を吐き出した。吐息が紫色のベールとなって俺達を包み込むと、落下が止まった。

 翼もないのに飛べるなんて、神霊ってのは凄いんだな。

 ペンナが西の方角へ進む。見えない糸で引っ張られているかのように俺達を包むベールも続いた。


「ペンナはどこに向かうつもりなんだろう?」

「知らないわよ。きっと安全なところよ」


 風をも追い越す速度でペンナは猛進した。惨事の音が離れていく。

 俺はもう一度、イバラに呑まれたリアロバイトに振り返った。虹の光は殆ど収まっていて、時々燃えカスのように一筋二筋と見えるだけになっていた。


 〈心臓カルディア〉の主、あいつは一体何者なのか。

 許せない。絶対にいつか懲らしめてやる。

 人の命を弄ぶなんてことが許されるはずないんだ。

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