第10話 緑の少女(前編)
虹の神殿、二つ目の目的地は〈
当然、相手は生物で疲れてしまうので休憩が必要だし、祈魔法で疲れを和らげてあげるのも限界があるので、一定時間が経ったら別の妖獣を捕まえて交代させてあげなければならない。それが地味に手間だった。
もう少しいいやり方はないんだろうかと思う。生物を虐めているようでいい気分もしないし。
到着は宵刻真っ只中だったので、明日の調査に備えて神殿の聖女像の前で眠ることにした。
この二日間、妖獣や時々現れる野生動物の気配が気になって安心して眠れなかったんで、ゴツゴツした石畳だったのに死んだように眠れた。
明刻が近づくとレグルスが俺を起こしてくれた。フロースを起こし、一緒に一回目の食事を摂ることにした。
「ところで、ノートのデコードは済んだのか?」
「済んだわよ。今は時間ないから、今夜読み上げてちょうだいね。それにしても、よく異国の言葉がわかったわね」
「レグルスが知ってたらしいんだ。なんで知ってたのかは教えてくれなかったけど」
「へえ。アルスが教えてくれたのかしら。思えばあいつも文字が書けたし、あんたが急に文字を読めるようになったのもアルスのお陰なのかも」
「あいつ?」
「そのうち嫌でも思い出すわよ。イグニスとは仲が良かったみたいだったから」
どこからともなく鐘の音が聞こえてきた。明刻になったんだ。
風の神殿の時と同じように淡々とした少女の声が語りかけてきた。
秘宝を求める者よ、私の試練を受けなさい。虹の輝きを手なずける女の姿をしかと目に焼きつけなさい。
聖女の瞳に緑の光が灯る。涙が落ち、深奥への道が開かれた。
そこから先は全くと言っていいほど風の神殿と同じだった。湧き出てくる妖獣を仕留めては呪い、復活のサイクルを止める。その場が落ち着いたら奥に進み、また戦い。時々壁や床に書かれた文字を見つけてはフロースと一緒に読み解く。
風の神殿とは違い、この場所にはあまり多くの文字は書かれていなかった。風の神殿の文章が忘備録なら、こっちはただの雑記かメモ書きだな。
馬鹿馬鹿しいとか、無意味だとか、随分と疲れ切った文章が目立つ。
「ここにも書いてあるな。『あの二人、いつまで続けるんだろうか?』。あの二人って誰のことなんだろう?」
「どうだっていいじゃない。さっさと先に進むわよ」
確かに、気にするだけ無駄なのかもしれないが……。気になるんだよな。
風の神殿の文章と筆跡が似ているし、これも『アナタ』に向けた文章だって可能性もあるわけで。
五時間ほど進み続けるとフロースが疲れを訴えた。ちょうど妖力の薄い空間に出ることが出来たので、休憩がてら食事を摂ることにした。
フロースはサノーの焼いてくれたパンを水魔法で凍らせ、ゴリゴリと音を立てて食べた。
「昨日の朝はなんであんなに怒ってたんだ?」
「ネズミの呪いをかけたことは悪かったと思ってるわよ」
「責めてるんじゃなくて、俺が何かやらかしたのかって訊いてるんだよ。言い訳するわけじゃないけど、寝てたから覚えてないんだ」
「別に。ただ、後ろにいることに驚いただけよ。背中がゾワッとしたの。それで、つい」
その、つい、であんな目に遭わなきゃいけないなんて。自分がどれだけ強い呪いを使ってるのかわかってんのか?
「俺達って恋人なんだよな?」
「……一応ね」
「そんな微妙な言い方しか出来ないっていうのは、やっぱり妖族と魔族の間柄だからなのか?」
「ええ、まあ。両国の信頼関係が崩れてからはそっちの両親にすっかり嫌われてしまって、半分公認で、半分否認ってところかしら。私のお父様は積極的に仲良くするようにとの仰せだったわ。私とイグニスの関係は長きに渡って分断されていた妖族と魔族の溝を埋めるきっかけになるって」
「どうしてお父さんは妖族と魔族を繋げたがるんだ?」
「それは……ってか、質問厳禁って言ってたでしょ? 何さりげなく訊いちゃってんの?」
「じゃあ、付き合って何年くらいになる? それくらいは教えてくれたって問題ないだろう」
「ざっと十七年くらいかしら?」
「おいおい。俺とフロースは十七歳なんだぞ。真面目に答えてくれよ」
「言っておくけど、私とイグニスは許嫁に近いようなものだからね。そこらへんのバカップルと一緒にしないでね」
「許嫁! そうまでして関係を繋げる理由はなんだ? 第一、一つのカップルが成立したくらいで離れた種族が繋がるとは思えない」
フロースがおもむろに魔導書に指をかけ、鏡を俺の胸に向けた。
「そろそろ氷漬けにしていい?」
「悪かった。暫く黙っておくから」
俺はふとポケットに押しこんだ懐中電灯のことを思い出した。フロースの今の状況を考えると絶対に使いこなせるようになった方が後々楽なんだよな。
カチッ。試しにスイッチを入れてみる。
薄緑色の壁が照らされた所だけ赤色に変わるのがわかった。体に向けてみると青みがかった皮膚も薄いピンク色に変化している。
なるほど。〈
「ん?」
首元で手鏡の丸い光が動いている。フロースが猫のような鋭い瞳で俺を睨みつけていた。
「わ、悪かったから!」
その後、俺は何十分走り回ったか覚えていない。
休憩時間を終え、出発する。妖獣を倒しながら奥へと進んだ。
やはり虹の神殿も分岐点が多い。加えて妖気が強まってきたんで俺もフロースも互いに口を交わす余裕を無くしていた。戦闘回数も増えている。
さすがのフロースも学んだのか、以前のような感情に任せた魔力の浪費は控えていた。持久戦になってもどうにか持ちこたえられたのはフロースのお陰だ。
「大蛇よ睨め、邪気を封じよ」
妖獣を封じ込めると壁に文字が書いてあることに気づいた。またあの筆跡で殴り書きのように綴られている。
『彼女がアイツと暮らし始めたらしい。仲睦まじい二人を見てるだけで発狂しそうだとあの子が言ってきた。暮らしたいと思うのも、嫌だと思うのも貴女達の勝手。私を巻き込まないでほしい。私は貴女達ほど暇じゃない。今日もどこかで命が生まれ、死んでいく。命の循環を止めることは出来ないのだから』
この文章、風の神殿にあったものとどう繋がっているんだろう? ひとまず、女三人とアイツと呼ばれている人物との間に何かあったってことはわかったけれども。
この文章を読んでいても何のヒントにもならないんだろうなとなんとなくわかっていても、気になってしまう自分がいた。
フロースがいい顔をしないし、深追いはしないでおくとして。
分岐を右に進むと広い空間に出た。部屋の雰囲気は風の神殿で泊まった部屋と似ているが、違って文字らしき物は見当たらない。その代わり、壁や天井に何やら黒っぽい石が無数にはめ込まれているようだ。
奥にはオオトカゲの妖獣が構えていた。やれやれ、また戦闘か。
「芽鼠よ、種をまけ。麗しの薔薇を咲かせよ!」
毒の棘で妖獣を一掃し、壁の石の正体を探るべく俺達は調査を始めた。
入ってきた時は何もなかったように思うが、気がつけば壁の石から虹色の怪しげな光が放たれていた。見方によっては、満天の星空のように見えなくもない。
調べていると、大きな音を立てて入り口が石壁に閉ざされた。もう宵刻か。
「疲れちゃった。ちょっと寝る」
「ノートの解析は?」
「するわよ。少し横になるだけ。ちょっとしたら起こしてね」
フロースはすぐに寝ついたらしい。やれやれ、こうなったら朝まで絶対に起きないぞ。
耳障りに思うほど気持ちよさそうな寝息を聞きながら、俺は怪しく光る壁に向き直った。
本当におかしな光だ。試しに手をかざしてみると光が強まり、横に振って見ると全体がシンクロして波打つように瞬いた。
気のせいか? さっきより光が強まっている。
むせかえるような熱気を撒き散らし、レグルスが現れた。
「イグニス、それくらいにしておけ」
「折角ここまで来たんだから、調べられるだけ調べておかないと」
「やめろと言っているんだ。少しは妖霊の言うことを聞け」
「なんでやめなきゃいけないんだよ」
「……」
「理由もなく止めるなよ」
レグルスは困ったように視線を泳がせていた。
変な奴。俺達はそんなに互いの空気を読まなきゃいけない関係だったのかよ。十七年も俺の妖霊やってるんなら遠慮せずになんでも言えばいいだろう。
瞬きの光が徐々に俺にも乗り移ってきて、俺とレグルスの体を虹色の霧が包みこんだ。レグルスがビクッと肩を震わせ、逃げるように姿を消した。
この光、何なんだろう? なんとなく壁の光が俺と共鳴しているような気がするんだ。単なる思い込みか?
「やめろって言ってんだよ!」
今度はアルスが出てきた。半ば突き飛ばすような形で俺を壁から引き離す。
五メートルは離れたのに、壁と俺はこの妙な光で繋がれていた。さっきのレグルスと同じように、アルスの体もまもなく虹色に光り始めた。
「お前、この壁が何で出来てるのかはさすがにわかってるよな?」
「知るわけないだろう。ここに来るのは初めてなんだ」
「わかってねえのかよ! クソ……。兎に角、お前には危険だ。今すぐ離れろ」
俺を包む光が急激に強さを増した。目が覚めるほど驚いたのに、直後から強烈な眠気を催すようになった。
まぶたがどうしても重い。まるで、睡眠の呪いでもかけられたみたいだ。誰も魔法を使っていないのに、どうして。
「大丈夫か? 顔が真っ青だぜ」
「体がガクガクする」
「そいつはまずい……。今、どうにかして石の壁を開ける。開いたら部屋から出るんだ。いいな?」
俺は眠気に堪えきれず、フロースの隣に倒れ込んだ。
自分でも驚くほど体が重く、一度横になるともう起き上がれなくなっていた。
「おい、しっかりしろ! いいか? 絶対に寝るなよ。寝たら死ぬからな」
極寒の洞窟じゃないんだから。そう言い返そうとしたのに、上手く言えなかった。夢うつつの状態で、口が思うように回らなかったんだ。
駄目だ。眠気が強すぎて何も出来ない。アルスが心配して俺の体を揺する。
もしかして、俺は冗談抜きにこのまま死ぬんじゃないか?
「フロース、起きろ! イグニスが大変なんだ! 起きろ、起きろー!」
アルスの言葉は嘘じゃないのかもしれない。急に実感が湧いてきて恐ろしくなった。
目を開けていなければ。寝たくない。
しかし、意に反してまぶたは閉じてしまい、呻き声を出して頑張ったのも虚しく、意識が途切れてしまった。
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