第2話 ソルのない世界(後編)

 守護の壁を取り払い、僕は開けた岩場に出た。妖獣は不格好に肘を張り、雄叫びを上げた。

 地面が震え、白い小石が飛び跳ねる。威圧的な振動に僕は武者震いした。

 翼を広げて飛び立ち、ハヤブサのように羽を縮めて急降下してくる。鱗の羽が電気を帯びて青白く輝き出す。


 体の震えが止まらない。

 これじゃあ武者震いじゃなく、単なる身震いじゃないか!


 ザクッ。

 真空波が放たれ、地面に深い溝が刻まれた。

 モロに受けていたらただの切り傷では済まなかっただろう。なんでこんなのを相手に戦わなければならないんだ……。


「アルス、来てくれ、アルス!」


 銀色の塵から翼の青年が現れた。


「俺は天使だぞ。攻撃スキルがないってことくらいわかるよな?」

「で、でも、どうすればいいか」

「早くレグルスに命令を出せよ。まだかって待ってるぞ」

「わわわ」

「情けないな。レグルスはそこらの妖霊と格が違うんだ。あれくらいの相手なら一撃だぞ」


 妖獣が急接近してくる。僕はアルスの羽をぶちまけて視界を遮り、逃げた。


「命令してくれないと俺達はどうしようもないんだ。悪いことは言わないから、早いところ呼び出してやれ」

「烈火の獅子レグルスよ、焼き尽くせ」


 深緑の獅子が現れ、妖獣と対峙した。怯むことなく突き進む妖獣に烈火の獅子は火炎竜を放った。

 渦に呑まれ、醜い妖獣が悲鳴を上げる。

 そのまま地面に落下し、動かなくなった。


 本当に一撃だった……。


 深緑の獅子が振り返る。縦に切れた黒目に睨まれドキリとした。

 すぐに呼ばなくて悪かったって。

 レグルスは緑色の吐息を漏らし、ボンと爆発音を立てて消えた。

 アルスはやれやれと肩をすくめ、銀色の目を閉じた。


「ま、お前にしてはやった方なんじゃないか?」

「そうだといいけど……」


 僕はふと空を見上げてある重要な異変に気づいた。

 ない。こんなに明るいのに、あるべきものが忽然と姿を消している。


「アルス、この地域には白夜があるのか?」

「白夜? ああ、〈太陽ソル〉がないから?」

「まあ……」

「やれやれ。そんなこと他の奴には訊くなよな。〈太陽ソル〉は一万年前に爆発して無くなったんだ。今は〈ルナ〉だけだ」

「まさか。〈太陽ソル〉がなかったら外は真っ暗じゃないか」


 さっきの穴の中からフロースの声が聞こえた。僕を呼んでいるようだ。


「フロースを怒らせると後で面倒だぞ。さっさと行ってやりな」


 アルスは僕の背中を叩くと姿を消した。〈太陽ソル〉のこと、凄く気になるのに。


 急いで駆けつけると、フロースは黒い翼の生えたずんぐりの生き物に跨っていた。

 この豚鼻、コウモリが巨大化したものか? 耳の大きい額の上にさっきのウサギがでんと構えている。

 一応フロースに妖獣を倒したことを報告したが、「あっそ」で終わってしまった。お礼の言葉……せめて一言ほしかった。結構頑張ったと思うんだけどな。


「どうしたんですか?」

「敬語やめて。この奥に聖女アーラがいるみたいなの。さっきから呼ばれてるし、一度挨拶をしなきゃ」

「聖女アーラ?」

「この世界、テラを守るお方よ。〈太陽ソル〉が消失して生命の住めなくなった大地に命を育む力を与えてくださっていてね、私達が生きていられるのも聖女様のお陰と言われている」


 へえ。確かに、普通に考えたら〈太陽ソル〉がなければ植物も育たないもんな。


 風がこちらへ来いと言うように洞窟の奥に向かって吹いていく。

 温い感触に背中を押されるようにフロースと進むと、気温が低くなってきた。布きれ一枚では寒くて、僕は密かに震える歯を噛みしめていた。

 大きな祭壇が現れる。上った先にはガラスの棺が構えていた。

 不思議に七色の輝きを放つ棺の中に人がいる。白い髪の少女だった。


「生きているのか?」

「さあ。私も初めて来るから。息してる?」

「してないように見える。でも、肌は生きてる人と同然だ」

「噂は本当のようね。アーラは聖女の力を手に入れた時に不老不死になった。全ては〈太陽ソル〉に見放されたテラを守るため」


 ヒューと風鳴りがした。おどろおどろしい音色に僕は背筋が凍る思いだった。

 フロースが手探りで僕の手を見つけ、しがみついてきた。甘えられている……?


――禁じられたアーラの秘術を使いし者よ、私の呪いを受けなさい。


 どこからか聞こえた、感情のない少女の声が告げた。棺の少女が喋ったのかと思ったが、やはり動いた形跡はない。

 風鳴りが大きくなり、こちらへ迫ってくる。

 冷たい風が吹き荒れ、虹色の輝きがフロースを包み込んだ。


「きゃあああああ!!」

「フロース!」


 フロースが自分の肩を抱き、悲鳴を上げる。光はフロースの胸に集まり、強烈な輝きを放った。その光が胸の中に浸透するにつれ、フロースは喘ぎ、身をよじらせ、聞いているこちらの心が張り裂けそうな悲痛な声を上げた。

 なんとかしなければ。駆け寄ろうとする僕を止めるようにペンナが飛び出してきた。どうして助けない? あんなに苦しんでいるのに!

 やがて燃え尽きるように光が消えた。痛みもなくなったらしく、フロースは安堵の息をついた。


「大丈夫?」

「ええ、まあ」


 押さえた手を下ろすと、胸に緑色のバツ印が刻まれていた。完全に痣になっていて、洗って落とせるようなものではない。

 盲目のフロースは気づいているんだろうか? 少女の身が穢されたような気がして、僕はうろたえた。


――麓に構える三つの神殿の扉を解放した。死の呪いを受けし者よ、呪いを解きたければ神殿へ行きなさい。自らの足で深奥に進み、アーラの秘宝を手に入れなさい。秘宝を得る途中、貴女達は三つの問いを得るはずです。三つの問いに正しく答えられればその呪いは砕け、少女を包む永き夢も覚めることでしょう。


 神殿の扉が解放された。フロースは呟き、俯いたまま悲しそうに微笑んだ。


「呪いって、一体どうして?」

「イグニスから記憶を抜き取るために、アーラの秘術を使ったからよ」

「なんでそんなことを!」

「計画通りよ、イグニス。私は最初から呪われるつもりだった。呪われなければならなかった」

「呪いが解けなければどうなる?」

「死ぬ。タイムリミットは一年」


 たった一年? なんでこんなことになってるんだ?

 何か思い出せればいいのに。どうして僕は記憶喪失なんだ。


「神殿、イグニスにも来てもらうからね。あんたにも私には逆らえない、そういう呪いがかかってる。アーラの秘宝、一緒に手に入れるんだからね」

「……」

「黙ってるのやめてよ。どんな顔してるかも見えないんだから」


 また風鳴りがする。逃げようと言うようにペンナがキュンと鳴いた。

 フロースがポンポンと跨っている獣の首を叩いた。風の行く方へ獣は足を進めた。


 空は相変わらず淀んだ茶色に染まっていた。雲は黄色味を帯びていて、枯れたような色をしていた。フロースはうな垂れたまま断崖絶壁まで進んだ。


「なんか、ごめん」

「何が?」

「いや、なんとなく。呪いを受けなきゃいけなかったのって僕のせいだったのかなって思ったから」

「全然違うから。ってか、理由もわからずにテキトーに謝っておくとか失礼よ」


 自分を奮い立たせるように伸びをし、フロースは顔にかかった髪を振り払うと、空を仰いだ。


「さて、気を取り直して出発するわよ」

「出発するってどこに?」

「リアロバイト」

「それってどこ?」

「イチイチ煩いわね。早く乗って」


 言われたとおり僕はフロースの後ろの狭いスペースに跨った。大きな翼をはためかせ、コウモリが上昇を始めた。耳障りな声で鳴き、急発進する。反動で危うく落ちかけ、長い毛に必死でしがみついた。

 眼下には赤いゴツゴツとした岩肌が広がっていた。山と山の間を黒っぽい紫色の川が流れていく。

 グロテスクな色調というか、毒々しいコントラストだな。

 羽がボサボサの不格好な鳥が群れを成して飛んでいく。古代生物のような飛行虫もすぐそばをかすめていった。


 これが僕の生きている世界。


 想像していた物と違っていた。記憶を失う前までは当たり前に見ていたはずなのに、不思議と見る物全てが新鮮に感じてしまう。


「悲観してるようだけど、私は呪いの餌食になるつもりはないから。呪いの効果が出るまで一年もあるの。それまでに呪いを解く方法を見つければいい、ただそれだけのこと」

「わかってる。協力するよ」


 コウモリが急旋回する。フロースがバランスを崩し、危うく振り落とされそうになった。

 僕は宙をかく華奢な手を捕まえ、しっかりとコウモリの首に回させる。

 ルビーの瞳は盲目の闇を見つめ、どんなに覗きこんでもこちらになびいてはこなかった。


「イグニスの記憶は私が小瓶に入れて預かってる。神殿を進んだら少しずつ返してあげる。何も思い出せないだろうけど、辛抱して」

「小瓶って、起きた時の飲んだ水みたいの?」

「そう、それ。アーラの秘術で記憶を抽出したの」

「やっぱり君が呪われたのは僕のせいなんじゃないか……」

「暗くなるのはやめてよね。いちいち励ますの面倒だから」


 コウモリは高度を上げ、空を駆けた。キンと冷えた風が心地よく吹いてくる。僕達は暫く何も言葉を交わさなかった。

 記憶を失った僕は真っ新だった。頭の中は空っぽで、何かを考えようとする度に思考が止まる。その時の手を伸ばしたのに何も掴めない空虚な感覚が喪失感だとわかるまで、時間はかからなかった。

 何かとてつもなく悲しいことがあった気がする。ひどく傷ついていた気がする。

 そんなぬるりとした不安を感じる一方で、僕の体は驚くほど軽かった。

 何かを許されたような、或いは許されていく真っただ中にいるような。

 コウモリの力を借りなくても飛べるんじゃないかと思うほど、僕の心は不思議と清々しかった。

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