秋蜩と神様

泥からす

   秋蜩と神様

 ──目覚めざめなさい。

 と、だれかにばれたようながして、セミはをあけました。

 ぬいだばかりの幼虫ようちゅうからからからだこすと、あたたかくほてった体温たいおんを、ひんやりとしたよるかぜがここちよくやしてゆきます。

 西にしそらには、ちょうど三日月みかづき帆船ほぶねくところです。てんほしたちは、太陽たいようがやってくるまえに、青空あおぞら布団ふとんやす用意よういにいそがしく、だれもセミに注意ちゅういけているものはありません。


 ──はて、だれかがぼくをんだようながしたけども。


 セミは、ぐるりとそらをみまわしました。すると、てんいただきを横切よこぎあまがわのほとりに、ヴェガのほしこしかけている神様かみさまのすがたがえました。

神様かみさま。ぼくをんだのは、あなたですか?」

 セミは神様かみさまかっておおきなこえびかけました。

「そうとも」神様かみさまくびおおきくたてにうごかして、こたえます。

わたしは、きみにおくりものをするためにっていたのだ。この世界せかいまれたあたらしいいのち役目やくめあたえるのが、わたし仕事しごとなのだからね」

 神様かみさまはそううと、セミむかって片方かたほうひらいてせました。

きみがこの世界せかいあたらしいいのちたおいわいに、このからきみのほしいものをなんでもあたえよう。しかし、よくかんがえるんだよ。それは、きみだれであるかをらせるためのものだ。きみがこの世界せかいでどのような役目やくめをもったものであるかを、おしえるためのものなのだからね」

 すると、セミはすここまったかおになっていました。

神様かみさま、ぼくはあなたのおもうをとてもうれしくおもいます。まだつちなか幼虫ようちゅうでいたときにも、ぼくは自分じぶんいのちなんのためにあるのかとかんがえていました。けれども、ぼくはまだ自分じぶんがどういうもので、なにをすればいいか、からないのです」

 いながら、セミは、なんだか自分じぶんがとてももうしわけないもののような気持きもちになりました。

っているとも」

 元気げんきをなくして、うつむいてしまったセミをて、神様かみさまはやさしくいました。

わたしきみこえいていた。だから、きみにおくりものをしようとおもったのだ。どのようなねがいでも、かまうことはない。きみいまこころからねがうものをそのままにってみなさい」

「それなら神様かみさま。ぼくは、世界せかいてみたいとおもいます」

 セミはかおをあげて、神様かみさまいました。

 それは、セミが幼虫ようちゅう姿すがたでいたときにも、ずっとかんがえていたことでした。くらつちなかにも、ときどきそと世界せかいおとこえることがあったのです。そと世界せかいには、どんなものたちがいて、どんならしをしているのだろう。出来できるなら、自分じぶんでその世界せかいてみたい。セミはずっとそうおもっていたのです。

 神様かみさまは、すこしおどろいたようにおおきくひらきましたが、セミをしかることはしませんでした。

きみのぞみはそれなのだね」と神様かみさまはセミにたずねます。

「はい」とこたえて、セミは、もしかしたら神様かみさまはぼくにがっかりしているのかもしれないとおもいました。ますます、自分じぶんがここにいることがずかしいことのようにかんじられ、こころにおもりがのせられていくようにおもいました。

 神様かみさますこしのあいだ何事なにごとかをかんがえている様子ようすをつぶり、それからいました。

「いいだろう。それでは、世界せかいて、自分じぶん役目やくめなにかをつけてくるといい。その途中とちゅうで、きみきみ何者なにものであるかをことができるだろう。そのたびきみねがいはかなえられるだろう。そのたびわったときに、わたしはもう一度いちどいにるとしよう。そのとききみてきたものをわたしおしえておくれ」

「わかりました。きっと、そういたします」

 神様かみさまおもいがけない言葉ことばに、セミははずむように返事へんじをかえしました。

 神様かみさまは、にしたつえをまっすぐにばし、みなみそらひくひかあかほしをセミにしめします。

「それでは、よるけたらかけなさい。あのあかいアルゴーの竜骨りゅうこつほしかってまっすぐすすむと、七日目なのかめ世界せかいてにく。そこで、わたしきみっているから」

「わかりました。よるけて、羽根はねがぴんとびて、からだがかたくったらかけます」

 セミがこたえると、神様かみさま満足まんぞくそうにまゆうごかしていました。

「そうするがいい。だけど、わすれてはいけないよ。きみいのちもまた一週間いっしゅうかんのものなのだから。どこかによりみちをしたり、よけいにやすんでしまったり、方角ほうがく間違まちがえてしまったら、世界せかいてにはたどりかないからね」

「はい。まったく、われたとおりにいたします」

 神様かみさま何度なんどおおきくうなづくと、星空ほしぞらなかにすがたをしてゆきました。

 がつくと、とおひがしそらあかつきひかりのぼろうとしています。

 一人ひとりになったセミは、これからかけることになる世界せかいおもいをはせました。

 ぼくは、これからなにることができるだろう。この世界せかいで、ぼくに出来できることがつかるだろうか。

 そうかんがえると、不安ふあん心持こころもちが入道雲にゅうどうぐものようにあつかさなっていくようにおもえてきます。

 けれども同時どうじに、羽根はねからだがかたく時間じかんすらも、もどかしくおもえるほどに、おおきくむね高鳴たかなるのをかんじたのでした。


 太陽たいようがすっかりのぼったころ、セミはみなみにむけて出発しゅっぱつしました。

 あたらしい成虫せいちゅうからだは、幼虫ようちゅうころとくらべて、とても具合ぐあいがよく、羽根はねのちょうしも良好りょうこうです。

 ひるあいだずっとつづけて、いくつものやまえたころになると、一面いちめん草原そうげんえてきました。

 そこでは、太陽たいようひかりびたくさ樹木じゅもくたちが、かぜのメロディにわせておどっています。

 かれらがたのしそうにをよじるたびに、そのからだおおきくしなやかに成長せいちょうしているのでした。

たのしそうだなあ。ぼくは幼虫ようちゅうときに、かれらのから栄養えいようをもらってそだったんだ。かれらがこんなに立派りっぱで、うつくしいものだったなんて、つちなかにいたときにはがつかなかった」とセミはおもいました。

 セミはそのなか一本いっぽん樹木じゅもくにとまり、すこ休憩きゅうけいをすることにしました。

 たくましいみきにそっとみみてると、みきなか道管どうかんながれる水脈すいみゃく鼓動こどうこえてきます。それは、いまこのとき樹木じゅもくおおきく成長せいちょうしていることしめ生命せいめいおとでした。

 ずっとわらずにそこにあるとおもっていたものでも、いつも成長せいちょうし、変化へんかしているのだと、セミはりました。


 二日目ふつかめになると、地平線ちへいせんこうにくろ建物たてものかげえてきました。

 そこは人間にんげんまちでした。

 たくさんのたか建物たてものならび、まち中心ちゅうしんではおおきな歯車はぐるまがいくつもクルクルとまわっています。煙突えんとつからはもくもくとくろけむりがたえまなくされていました。そのあいだを、人間にんげんたちが、ったすすのようにあちこちうごいています。

 どうやら、このまちはずっとやすむことがないらしいぞ。とセミはおもいました。

 とおりのこうから、一人ひとりこしがった老人ろうじんがやってきます。

 セミは老人ろうじんに「あなたたちはなにをしているのですか」ときいてみました。

 すると老人ろうじんは「らないよ。ずっとむかしに、このまちがつくられたときには、なに理由りゆうがあったはずだが、そんなこともうだれもおぼえてなんかいない。かんがえても仕方しかたがないじゃないか。ワシたちは、このいのち使つかってなにかをするだけだ。そうしなければ、いられないんだよ」そううと、たくさんの石炭せきたんがつまったふくろ背負せおって、よろよろとってしまいました。

 ものは、そのいのち使つかってなにかを理由りゆうさがしているのだとセミはりました。

 けれど、なにをすればいいのか、セミにもそれはわかりませんでした。


 三日目みっかめまちからはなれたもりなかでは、いままさにクマの王様おうさまいきろうとしているところでした。

 もり動物どうぶつたちは、その様子ようす遠巻とおまきにています。

 クマはこのもり動物どうぶつたちの王様おうさまでしたが、とても乱暴らんぼうだったので、友達ともだちべるような動物どうぶつはいなかったのです。

 けれども、ついにクマのたましい肉体にくたいからはなれようとしたそのとき動物どうぶつたちのなかから、ちいさなウサギの子供こどもして、そっとクマのそばにちいさなはなえました。

 それをきっかけに、もり動物どうぶつたちは、次々つぎつぎはなちよって、クマのまわりをかざりました。

 セミはその様子ようすをかしのみきからていました。

 いのちはその灯火ともしびえるときに、意味いみるのかもしれないとセミはかんがえました。

 クマは、いま、ほんとうにみんなの王様おうさまになったのだ。それが、なにかをすということなのかもしれない。

 性格せいかくおこないだけが、そのもの価値かちめるのではない。もっと大事だいじ意思いしというものがあるはずだ。

 もし、いまぼくがんだら、ぼくはなにかをしたといえるだろうか。だれかがぼくのためにかなしんでくれるだろうか。

 そうおもうと、セミは自分じぶんりないものがあるとがついたのでした。


 四日目よっかめ。セミは朝焼あさやけのそらんでいました。

 動物どうぶつたちのもりけると、とおくに万年雪まんねんゆきをいただくたか山脈さんみゃくがそびえているのがえました。

 そのふもとにはおおきな牧場まきばがあり、厩舎きゅうしゃでは、ちょうど元気げんき子牛こうしあかちゃんがまれたところでした。

 子牛こうしがふるえるあしがり、母牛ははうしちちいつくと、その様子ようすをじっと見守みまもっていた牧場まきば主人しゅじんは、かおあせぬぐって安心あんしんしたように微笑ほほえみました。

 そこに、使用人しようにんいきをはずませてはしってきました。それは、となり母屋おもやで、おかみさんがたまのようなおんなんだというらせでした。

 牧場まきば主人しゅじんは、そのらせをみみにすると、つちよごれたかおをくしゃくしゃにして、ひざりました。そして自分じぶんがどれだけ幸福こうふくであるかをおもい、大地だいち感謝かんしゃいのりをささげました。

 厩舎きゅうしゃそとでは、まれたくさについた朝露あさつゆが、主人しゅじんながなみだおなじようにキラキラと宝石ほうせきのようにかがやいています。それは、有名ゆうめい画家がかえがいた祝祭しゅくさいのような光景こうけいでした。

 なかいのちは、うしなわれていくばかりではない。とセミはりました。

 どこかでいのちあたらしくまれており、それはかならず祝福しゅくふくひかりらされているのです。

 今日きょう誕生たんじょうしたこの2つのいのちは、これからたくさんの出来事できごと一緒いっしょ経験けいけんし、よろこびもかなしみもかちっていくことでしょう。

 そうかんがえると、セミはすこむねがあつくなるようなむずがゆさをかんじました。それはどこか心地ここちよいものでもありました。


 五日目いつかめ。セミのまえに、おおきなうみえてきました。世界せかいてまで、もうすこしです。

 真下ましたえる大地だいちは、だんだんとおおきないしおおくなり、せるかぜにもすなじりだしました。

 そのでこぼこしたいわだらけのみさきに、一人ひとり人間にんげんおとこひざかかえてすわっていました。

 少年しょうねんいています。こえさずに、うみをにらんだまま、ただしずかになみだながしていました。

ぼく一人ひとりだ」と少年しょうねんうのをセミはきました。

 とても、さみしいこえでした。

 いまにも少年しょうねんむねかなしみにかれて、かぜげられてってしまうのではないかとおもわれるほどでした。

 祝福しゅくふくされてまれてきたものでも、きるかなしみとさみしさからのがれることができないのだ。とセミはおもいました。

 きっとこの少年しょうねんも、まれたときには祝福しゅくふくされていたはずです。ともにきる家族かぞくがあったはずでした。けれども、少年しょうねんたましいは、いまとてもおおきな孤独こどくかなしみにしつぶされそうになっています。

 だけど、とセミはつよおもいました。

 きっとこの少年しょうねんは、なみだかてにしてつよくなるだろう、という予感よかんがありました。

 はげしいあらしが、あたらしい季節きせつび、みのりをはこぶように、少年しょうねんなみだは、きっとかれこころつよく、しなやかにみがげるにちがいないとおもえたからです。

 きることはかならずしも、よろこびばかりではないのだ。いのちいのちとしてみがかれ、かがやくためには、たくさんのかなしみのよるえねばならない。

 セミはそれをりました。


 六日目むいかめ。ついに、世界せかいてがえてきました。

 そこでは、おおきななみくろしたのようにがけにぶつかり、大地だいちけずりとっています。とてもおそろしいながめです。

 セミは、その大地だいち先端せんたんと、そのこうにあるうみました。

 海原うなばら中程なかほどでは、なみをかきけ、しろけむりをもうもうとあげながら、あたらしいしままれようとしているのがえました。

 こんなにゆるぎなくえる大地だいちでも、なみあらわわれてくずれていく。その彼方かなたではだれもしらない場所ばしょまれている。この世界せかいに、わらないものはないのだ。いのちだけではない。この世界せかいそのものですら、再生さいせいをくりかえしている。

 セミは、それをたしかにかんじたのでした。


 そして約束やくそく七日目なのかめがやってきました。

 セミは、もうんではいません。

 大地だいちてにこしかけて、セミは最後さいご自分自身じぶんじしんました。

 ぼくはこの六日間むいかかんたものを、ぼくのなかきざみつけた。それは最初さいしょからぼくのなかにあって、そしてどこへもかないものだった。と、セミはおもいました。

 では、ぼくがてきたものはどういう意味いみがあったのだろう。

 だんだん神様かみさまっていたことかってきたがするんだ。

 ぼくのあしは、羽根はねは、こえは、なんのためにあるのだろうか。

 ぼくは、ぼくをどうしたいのだろう。

 ぼくは、ぼくをどこへれていきたいのだろう。

 この世界せかいにぼくがすべきことは、どのようなものなのだろうか。

こたえはせたかな」

 突然とつぜんそらうえから神様かみさまこえがしました。

 セミがそらけると、金星きんせい一番星いちばんぼしにのって神様かみさまあらわれました。

 神様かみさまは、セミのそばにやってくるといました。

きみは、この七日間なのかかんでたくさんのものに出会であった。それがどのようなものであったか、わたしかせてくれるかね」

 セミは、すこしのあいだあたまなかのたくさんの言葉ことば整理せいりしようとしましたが、けっきょくかんがえることをめました。そのかわりに、自然しぜんこころかぶことを、そのまま神様かみさまことにしたのです。

「ぼくは、いただいたいのち時間じかん使つかって、本当ほんとうにたくさんのものをりました。いのち変化へんかし、成長せいちょうし、かたちくし、そしてまたまれています。ぼくはそれをりました」

「そうだ。いのちとはつねかたちえてながれていくものなのだ。さあ、ほかにもあるかな?」

 じっとセミのはなしみみをかたむけていた神様かみさまは、セミにはなしさきをうながします。セミはいきふかんでからつづけました。

「けれどもぼくは、物事ものごとぎていくこと不幸ふこうではないとりました。よろこびであれかなしみであれ、ひとつとしてこの世界せかいにとどまりつづけるものはなかったのですから」

「そのとおりだ」と神様かみさまいました。

「すべてのものは、たえまなくれうごき、変化へんかしているのだよ。そしてそれは、ただのくりかえしではなく、あたらしいむかえるための輪廻りんね車輪しゃりんなのだ」

 セミは、神様かみさまおうとしているうことが、かるようながしました。

 自分じぶんのこのたびも、その車輪しゃりんめぐひとつの箒星ほうきぼしであったのかもしれないとおもえたからです。

「では、ぼくのいのちは、それをるためにあったのですね。そうして、いただいた時間じかん使つかったぼくは、もうぬのですね」

 セミは、神様かみさまにたずねました。

 しかし神様かみさまは「そうではない」とかおよこにふって、セミにいました。

「このとどまることのない世界せかいにあって、しん自分じぶん役割やくわりったものは、ぬことがない。本当ほんとうせいったものは、役割やくわりえるまでうしなわれることはないのだよ。それはきみきみでなくなったとしても、そうなのだ。きみたびは、それをるためにあった」

 ああ、そうなのだ。セミは、かみなりたれたような気持きもちになりました。まえしろ火花ひばながひらめき、それからこころにあたたかい気持きもちがながれていっぱいになるのをかんじました。自分じぶんりなかったものが、いまならかるようにおもわれました。

「さあ、いまこそ、きみのぞむものをあたえよう。きみは、これからどうしたいかな」

 神様かみさまがたずねます。

 セミは、今度こんどむねをはっていました。

「ぼくは、みんなに物事ものごとにはわりがあるということつたえたいとおもいます。永遠えいえんつづくようにおもえる暗夜あんやかなしみも、あたたかな毛布もうふのようなよろこびも、いつかかならわるということを。それはあらたな世界せかい準備じゅんびであるのです。その輪廻りんね車輪しゃりん運動うんどうこそが、さいわいの果実かじつみのるための段階だんかいなのです。物事ものごとわりこそは、その一歩いっぽことなのだと」

 神様かみさまは、とても満足まんぞくそうに微笑ほほえみました。

「そうとも。それはものいのちまっとうするために、まさしく大切たいせつことなのだ。これからきみは、このたびきみったことをつたえていくのだ。その役目やくめをやってくれるね?」

「はい。ぼくは、まったくそのとおりにいたします」

「それでは、だれもがきみこえみみをかたむけるように、すずのごとくひびこえあたえよう。そのこえ谷間たにまえてとおくまでとどくよう、ラッパのごとく空洞くうどうからだあたえよう」

 神様かみさまつえたかかがげると、セミは自分じぶんからだ不思議ふしぎ心地ここちよい温度おんどつつまれるのをかんじました。それはまるであまかわひかりながんでくるようにかんじられ、セミはうっとりとじました。

 やがて、それがむと、セミは自分じぶんからだまわしました。そしておなかちかられて背中せなかからしたまくすこふるわせてみました。

 とたんに、あたりにすずころがるような、きれいな音色ねいろひびきました。

 セミはうれしくなって羽根はねおおきくばたかせました。

ほかに、ほしいものはないかな」

 神様かみさまはセミにたずねます。

 セミはすこずかしそうに「ぼくは名前なまえがほしいです」といました。

「いいだろう」

 神様かみさまは、あごにをあてて、すこかんがえるようにくるりと一周いっしゅうさせていました。

「では、秋蜩とづけよう。なつさかりにあって、やがてくるふゆわすれないように。あきみのりにそなえるこころわすれないように。あらゆるものが、れたあとよるおとずれることわすれないように。そして、かならずよるけ、またのぼることをるように」

 それをいたセミは、よろこびのあまりにおおきなこえ神様かみさまいました。

「ああ、それです。まったく、そうなのです。これ以上いじょう、ぼくにぴったりな名前なまえはありません。この名前なまえのおかげで、ぼくはぼくであることおぼえておけることでしょう。その名前なまえばれるかぎり、ぼくは今日きょうまでにた、はげしく渦巻うずま生命せいめい銀河ぎんがひかりわすれぬことでしょう。いまこのときにも、いのち宇宙うちゅうのチリのように、摩擦まさつしあってえてかがやいいているのですから」

 そうはなすセミのは、とてもおおきなほしのように、きらめくひかりちていました。


 さあ、これでセミと神様かみさまのおはなしはおしまいです。

 おや?それからセミはどうしたのかって?

 セミは神様かみさまとの約束やくそくまもりました。いまでもずっとまもっています。

 初夏しょかから晩夏ばんかにかけての朝夕ちょうせきに、木立こだち合間あいまからぎやまんのすずをふるような、すきとおる音色ねいろひびくのをいたことがおありでしょう。

 あれが秋蜩。ヒグラシというものです。

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秋蜩と神様 泥からす @mudness_crows

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