第26話 兄妹

 扉の向こうの部屋は大きな机を挟んで椅子が二つ置いてあり、大きな窓がとりつけられているがらんとした部屋だった。以前行った部屋と似ているがあの部屋にはこんなに大きな窓はなかった。「ちょっと待っていてくれ、飲み物を持ってくるよ。いや、先に始めていてくれ」と言い残し、賀茂は一度部屋を後にした。


 急に取り残された僕たちと鈴木という男の間に沈黙が降りる。この中途半端な距離感はどうも苦手だ。依頼者と引受人という無関係な距離ではないため話すべきことはあるが話したいという動機は微塵も湧いてこない。まだまだこの仕事に対するモチベーションが足りていないのかもしれない。そう思っていると瀬奈が口火を切った。

「あの、私たち、この事務所にスカウトされて、今回の案件を途中からですが調査させていただいております。まだ学生の身ですが精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いいたします。私は八十神瀬奈と申します。」瀬奈は手を体の前で軽く重ねて頭を下げる。

「大葉大治です」僕もつられて軽く頭を下げた。少し待ってみたが小吉は何も言わずに男を見つめているだけなので咄嗟に「こっちは小口小吉です」と勝手に紹介した。


「あぁ、そうかい、学生さんが大変だね。でも、学生の方が手がかりを見つけやすいかもしれないな、私の依頼に関しては」鈴木という男は物腰柔らかく、頼りない声で言った。なんというか、こういうところに依頼してくるような人だと直感で思ってしまった。


「すみません、単刀直入にお聞きします。」小吉がこの部屋に入って初めて口を開く。その声で僕と瀬奈は同時に小吉に振り返った。

「あなたが探して欲しいと仰った佐々木里美さんですが、私たちと同じ大学生なんですよね。探してみましたがそんな人はいませんでした。あなたは知っていましたよね、そんな人はいないことを。」

 小吉が毅然として男に投げかける。鈴木は黙っていたが否定をすることもない。顔を見る限りでは図星を突かれたようにも見える。


「すみません、言い方を変えます。正確にはそんな名前の人はいない、ということをあなたは知っていましたよね。そして本当の名前をあなたは知らない。ですよね?」そこで小吉の言いたいことがわかった。僕たちは昨日佐々木里美人物を探しに行ったが元より存在すらしていなかった。つまりはそんな名前の人は存在しないということになる。だが、依頼者はそう言うしかなかったのだ。なんらかの理由で名前は変わってしまったことは知っていたがその先は知らなかったのだから。


「鋭いね。」鈴木という男は微かに口角を上げて小吉を細い瞳で見つめる。と同時にそこで初めて椅子に腰をかける。僕たちも自然な流れで座った。


「そう、私は佐々木里美の実の兄なんだ。だけど、私たちは幼い頃に両親の離婚によって離れ離れになってしまった。僕は父について行き、里美は母について行った。それから僕の父は再婚して、珍しいことに姓を相手方のものにしたんだ。だから僕も元の名字は佐々木と言うんだけど、イニシャルはどっちもSだしよくある名前だからどうでもいいや、とか思ってたんだ。私たち兄妹は仲がよかった記憶がある。離れてからも私は里美のことはたまに気にかけながら生きてきたつもりだったけど、中学生になった頃から疎遠になってしまったんだ。さすがに物理的距離が開くと心も離れていていくんだと感じたよ」虚を眺めながら語る鈴木は急に口籠った。


「どうしてですか?」瀬奈が間に耐えられなくなったのか聞く。


「幼い頃に離婚したから、よく覚えていないんだけど、父と母は離婚してから良好な関係を築けなかったみたい。離婚してからも僕らのためにたまに連絡を取り合っていたみたいなんだけどそれもぱったりなくなってしまったんだ。それが先日、急に父の元に母から連絡が届いて、再婚したって言うことだけが書かれていた。そのときに、私はもう大人になったし、里美に会いに行こうと思ったんだ。だけど、母は再婚したって言う報告だけで詳細は何も教えてくれなかった。名字すら教えてくれなかった。それで俄然気になったんだ。と言うより、シンプルに里美の身を案じたんだ。」

「里美さんが危険な目に遭っているってことですか」今度は僕が口を開く。


「わからない、でも苗字すら教えないなんて妙じゃないかい?それで自分で調べてみて、あの大学にいることだけはわかったんだけど、それ以上は何もわからなくて、だからここに頼みに来たんだ。」


「なるほど・・・」瀬奈は次に発する言葉を探しているようだ。僕も何を言えばいいのかわからず口籠る。


「俺今日、里美って呼ばれてる人と会いました」

 小吉が口を開いた。


「え?本当かい?」


「はい、その人があなたの妹さんかどうかはわかりませんが妹さんはおそらく、よくないことに巻き込まれてます。」

「よくないこと?」鈴木は腰を据えて椅子に座りなおす。

「はい、俺も巻き込まれたんですけど、裏社会の人間とつながっている可能性があります。」

「裏社会?里美が・・・?」

 鈴木は言葉を失っていた。久しぶりに聞いた妹の情報が不穏極まりないのだ、無理もないだろう。でもこの情報はまだ不確かだ。

「その人が妹さんかどうかわかりませんが、彼女は俺に何かを伝えようとしていました、なので彼女を助けたいと思ってます。ただ、その人が妹さんかどうか確証はないので、もし違ったら無駄骨になります。」

「いや、何にしろ困ってる人を助けるのは間違ってない。それに、その人が妹だとしたら、色々辻褄が合うような気がする。僕にも何か協力をさせて欲しい。」その時、扉が開いた。


「は〜い、お待たせしました〜、粗茶でございます〜」気の抜けた声をこぼしながら賀茂が戻ってきた。たかがお茶を入れるのに時間かかりすぎじゃないか?て言うか、この事務所にお茶を入れるような場所あったかな。


「どうやら話はできたようだね、小吉くん」

「えぇ、そうですね。やるべき方向は決まったかと。なんにせよ、あの連中のことを知る必要がありそうです」

「そうだね」


「鈴木さん」

「はい、依頼してきたときに本当のことを言わなかったのは私たちを試したから、と言うことでよろしいですか」鈴木は驚いた様子で賀茂を見る。が直後、俯いて口角を上げた。


「賀茂さん、でしたっけ?あなたも鋭い人だ。それをわかっていながら依頼を受けたんですね。参りましたよ。すみませんでした。もう何も隠したりしません。改めてよろしくお願いします」鈴木は立ち上がり深々と頭を下げた。僕たちも立ち上がり、それに応える。


「はい、お任せください、必ず私と、ここにいる優秀な若人たちがあなたと妹さんを無事にあわせますよ」賀茂は僕たちの後ろで手を大きく開いて断言する。


 この男、賀茂はおそらく全て分かっていた。佐々木里美なんて言う人がいないことも、鈴木さんがそれを隠して依頼してきたことも、そしてそのことに僕たちがたどり着くことも、全てわかっていたんだ。僕たちはあの日、あの夜道に自転車で無様に転んできた賀茂と出会ったときから、この男の掌の上で踊らされていたのかもしれない。全く、コケにされたものだ。しかし今回のことでカモという男が単にいい加減で気の抜けた男だというわけではないことは分かった。いつか一泡吹かせたいものだ。きっと小吉もそう思っているだろう。


 鈴木が帰った後、僕たちは今後の動きについての作戦会議をすることにした。

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