第11話 自意識過剰予備軍

 質素な扉とは裏腹に、事務所、と呼ばれるその場所は繁華街に佇むカフェのようなおしゃれな雰囲気を醸し出しており、デスクや椅子は木目を基調とした自然を感じる素材が多いものだった。絨毯の床や畳のフロアもあり、ソファや座椅子もある。書類がまとめられているファイルが所狭しと並べられている書棚の脇には高そうなコーヒーマシンが置かれており、アイスコーヒーはあるのかとちょっと気になってしまう。


 それにしても、僕が勝手にイメージしていたいわゆる事務所というものはもっとシンプルで殺風景なものだった。そのイメージはどうやら改めなければならないようだ。入ってすぐ目にしたのはおそらく従業員がそれぞれ仕事をするのであろう大きめのワークスペースだが、どこかに続いている扉が4枚ある。一つはよく見る男性と女性を表している人型のマークが書かれているためトイレだろう。のこり3部屋はなにも書いていないため分からないがいずれ分かるだろう。


「どうだい?これが我々の探偵事務所だ、ちなみに私の席は窓際のあそこだよ」


 賀茂が指差した席は薄い茶色のデスクでその上にはわずかな筆記用具と何やら蝋燭のような置物があるだけだった。


「あれは、蝋燭ですか?」

「あぁ、そうだよ。蝋燭というより、キャンドルだね。私は火を見るのが好きなんだ」

 火を見るのが好き、という賀茂の嗜好は私には理解しかねるがそういう人が一定数いるのは知っていた。確かに人工的な電気や照明より、自然を感じられる火の方が好ましいのかもしれない。


「そう言えば」

 そう口に出したときにしまった、と思った。小吉も火を見るのが好きだと、タバコを吸っているときによく言っていたのを思い出したが、おそらく小吉は賀茂と趣味が似ていることをよくは思わないだろうからだ。

「ん?何だい?」

「あ、いえ、何でもないです」

 そのとき、小吉の横顔を窺ったが、こっちの話なんて聞いていなかったかのような呆然とした顔をしていた。

「小吉?」

「ん?あぁ、いや、思ったより雰囲気が柔らかくてな。大学のラウンジとたいして変わらないなあって思ってたところだ」

「なるほど、そう感じるのか。もう私はこの場所にすっかり見慣れたものだし、何も感じていなかったよ。いやぁさすが小吉くんだね。もうすでに連れてきた甲斐があったかもしれない」


 それくらいなら、僕も同じようなことを感じていたが、言っても角が立つだけだしここは大人しくしたおこう。


「きっと、大治も同じようなことを感じていたと思いますよ、だよな、大治」

 小吉はそういうと少し口角を上げながら僕を見た。

「あぁ、そう、だね」

 小吉に嘘をつきたくない気持ちと、賀茂の前で小吉と同じようなことを感じていたという旨を伝える気まずさで曖昧な返事になってしまった。

「ほう、そうかい、大治くんも面白い感性をお持ちのようだ」

 賀茂は平然と僕たちの様子を見て感想を述べる。きっと本音なのだろうが、どうもこの人は掴めない。


「それじゃ、ちょっときてもらおうか、早速だけど、君たちにとある仕事を頼みたい。いや、その前に挨拶かな。」

 賀茂はそう言い、4つあるうちの一つの扉に手をかける。僕たちは賀茂の後についていく。そう言えば、この空間にはいまのところ僕たちしかいないのだが、他の従業員はどこにいるのだろう。



「あら、あなたにしてはお早い到着ね、賀茂くん」

 扉の向こうには先客が2人いた。1人は小綺麗なオフィスカジュアルな格好をしている20代後半ほどにみえる女性と、もう1人は僕たちと同じ年齢くらいの女の子だ。

 その部屋は真ん中に膝の高さくらいまでの大きめの机を挟んで、ソファが向かい合って並んでいるだけのシンプルな部屋だった。応接室、というやつだろうか。


「だから、私のことは中也って読んでって言ってるじゃないですか〜、美鈴さん」

 敬語を使って話をする賀茂は新鮮に見えた。どうやらこの女性は賀茂よりも年上のようだ。もしくはここでのキャリアが長いのかもしれない。どちらにせよ、賀茂の年齢はまだ知らないが、この2人にそれほど歳の差は感じられなかった。それにしてもこの男、実は誰にも中也とは呼ばれていないのではないのだろうか。少しだけ同情しそうになった。


「あれ?そっちも1人じゃなかったの?連れてくるのは」

 女性がそう言ったとき、僕は再びドキッとした。今日だけで心臓の位置が少しずつずれているのではないかと心配になる。

「あ〜、そうなんですけど。私の見込んだ彼の一押しらしいので、連れてきて間違いはないかなって思いましてね。1人増えるくらい、問題ないでしょ」

 賀茂は特に庇うでもなく、小吉が言ったからだという旨を強調したいようだった。あくまでも自分はこんなやつは連れてくるつもりはなかった、とでも言いたげだった。

「そう、それじゃ、お互いに自己紹介をしましょうか。私は一ノ瀬美鈴。歳は27歳。この探偵事務所の一員よ。よろしく。」

 細身の体を抱くように腕を胸の前で組みながら淡々と自己紹介をしたその女性はできる女性、という印象だった。口調は柔らかいが気品があり落ち着きもある。結んでいなければ肩甲骨くらいまではあるであろう髪を後ろで一つに結んでおり、可愛いというよりは美しいという言葉が似合いそうな女性だった。


「私は賀茂中也。26歳。趣味はキャンドルの炎を眺めることで好きなものはハーブティ。嫌いなものは辛いもの。最近のマイブームは」

「ちょっと賀茂君、そこまで聞いてないわよ。名前だけでいいから」

 なるほど、賀茂はあの女性より一つだが年下なのだ。それにしても26歳というのは僕たちとこうも違うものなのだろうか。僕も26になった頃にはこうなれているのだろうか。

「え〜、ちょっとくらいいじゃないですか。ま、いいか。これから追々話していくことになるだろう」

「それじゃ、私が連れてきた子から紹介するわね。あ、自分で言ってもらおっかな。じゃあ、お願い」

 僕たちと同じくらいの歳の女の子が一歩前にでて口を開いた。

「八十神瀬奈です。二十歳です。よろしくお願いします。」


 彼女の第一印象は普通の女の子、という感じだった、それ以上でもそれ以下でもない。ちょうどど真ん中の普通の子だと思った。しかしなぜか、彼女はそのとき小吉でも賀茂でもなく、僕を見ながら自己紹介をしていたような気がした。今彼女と私の目が合っている時間、この時間が夢でも、初めて訪れた場所での不安定な心から生じた思い込みでも、僕の中に存在する、痛い自意識過剰予備軍が顔を覗かせたわけでもなければ、の話だが。



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