ピアノ弾きの推理と昼間の香り

まさしくその香りだった。

モートン卿の護衛らしき女性に抱き止められたとき、自分を包んだ微かな香りは、ネロの移り香と同じものだった。

 ルイは真相を突き止めるべく、帰り際、屋敷のメイドに護衛の女性について尋ねた。

「あの、すみません。モートン卿の護衛の方のお名前、教えていただけますか?」

ルイが声を掛けたのは、話しかけやすい柔らかな雰囲気をしたメイドだったのだが、ルイの口から〝護衛〟という言葉が出ると、彼女はぴくりと眉を動かした。

「──モルテさんのことですか?彼女が何か」

急に彼女を包む空気が冷たいものに変わった、ような気がした。

戦闘態勢といわんばかりの雰囲気だ。

「いや、良い香りのする人だなぁ、なんて、その…、思いまして」

適当にごまかしてみたが、彼女の戦闘態勢が解かれることはなかった。

「彼女、香水か何かつけているんですか?」

ルイはめげずに話を続けた。

「…さぁ、香水はつけてないと思いますけど…。でも、もし何か香りがしたのならきっとクチナシの香りでしょうね。彼女、部屋で育てていますから」

彼女は淡々と返したが、その目は明らかに疑いの色に染まっていた。これ以上、護衛の女性については触れない方が良さそうだ。

「そうなんですか」

メイドの眼光が鋭く光った。

「……彼女の香りが知りたかったんですか?…それだけのために、わざわざ聞き込みを?」

彼女はまるで手品師のタネを暴こうとする観客のようだった。

「そうなんだ。香りが知りたかっただけなんだ。ありがとう」

これ以上怪しまれないために、ルイはその場を立ち去った。



 ずっと、どうして姿を見せてくれないんだろうと思っていた。

 ルイはお茶会を終えて離れに戻り、堅苦しい服から部屋着に着替え、ベッドに横たわり天井を眺めていた。

 お茶会から帰ってきてからというもの、ルイは上の空だった。ウィル子爵の従者が持ってきてくれた夕食のラム肉のステーキを食べているときも、ネロがミルクを舐めているのを眺めているときも、考えるのはモートン卿の護衛としてスーツに身を包んでいた女性のことだった。彼女の香りは彼女が暗殺者である可能性を強めていたが、身をていしてかばってくれた事実は、それを否定したがっていた。

 リアとモートン卿に注目が集まっていたせいで目立たなかったが、彼女も美しい人だった。長い黒髪を後ろで一つに結った姿は凛としていて、すっとした立ち姿は、るで芍薬のようだった。しかし華奢な体つきは女性らしく、どこか哀し気な雰囲気はミステリアスで、白い肌がより彼女の魅力を引き立てていた。彼女に抱き止められたときの感覚が、まだ、残っている。

──お茶会が開かれるまでの一週間、彼女が毎晩離れに来て物陰に身を潜めていたことには気がついていた。初めは勘違いかと思ったが、ネロに香りが残っていることから自分の思い過ごしではないと確信した。

一昨日あたりだろうか、油断していたのか、その晩、彼女の隠れ方は甘かった。

茂みから半身が見えてしまっていたのだ。もっとも外の闇は深いから、よほど目を凝らさなければ彼女の姿は見えないのだが、ルイは視力が良いこともあり、彼女の姿を見つけることができた。

 そして彼女の足元にはネロがいて、甘えるようにすり寄っていた。彼女はネロを膝に乗せて優しく撫で、心地よさそうにルイが奏でる音楽に耳を傾けていた。

ルイは純粋に、自分の音楽をこんな風に聞いてくれる人がいることが嬉しかった。

コンサートで披露する音楽はどれも有名なものばかりで、どちらかというと派手で華美なものが多かった。

貴族の好みに合わせて曲目が選定されるので、ルイに曲を選択する権利はないし、演奏させてもらえるだけありがたいのは分かっているのだが、本当は、この離れで毎晩弾いているような、あまり広く知られていない、華美でなくとも穏やかで心に染みる曲の方が好きだった。

ルイは彼女を見ていると、きっと彼女もそうなのではないかと思った。

自分が気持ちよくピアノ弾いているあいだ、彼女と心がつながっているような心地がした。それはルイがこれまでピアノを演奏してきて初めて味わった感覚だった。そしてそれは日を追うごとに深まり、やさぐれていたルイの心も鳴りを潜めていった。

 無能な王子として無下に扱われることや、兄たちと比較されることへの怒り、自分の家に居場所がない疎外感や、国王に体よく命の危険さえ伴う偵察役に指名されたことに対するショックなど、どうにも消えてくれなかった負の感情のさまざまが、彼女がピアノを聴いている間だけ姿を消す。

まるで魔法のようだった。

ルイは茂みに隠れているその人がどんな人でも、きっとその人を好きになると思った。

嘘。

本当はもう好きになっていた。

彼女のことをもっと知りたかったし、会って話をしてみたかった。

しかし彼女は自分の存在に気付かれていることが分かったら、二度と姿を現わしてくれないような気がして、なかなか行動を起こすことができなかった。

ルイは毎晩悩んでいた。

彼女がスペンサー卿を手に掛けた殺し屋だとは思いたくなかったが、仮にそうだったなら、遠くない未来、彼女は自分の命を奪いに来るだろう。

その時、どうするのが最善の策なのか──。

ルイは鎖がまとわりついた鳥かごの鍵を探し求めていた。

中に閉じ込められている、優しくて悲しい女の子を外に出してやるために。



 その日の夜、ルイは眠れなかったので、本でも読もうと起き上がった。すると離れの外にいた従者から一通の手紙を渡された。サンダーバード国王からかと思ったが違った。差出人はルイと面識のある人物で、内容は協力してモートン卿を出し抜こうという提案だった。

手紙にはずらりとモートン卿の悪事がリークされており、その情報は好きに扱っていいとのことだった。ルイは差出人と内容に驚くとともに、これで彼女を救うことができるのなら、と、手紙の案に乗ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る