殺し屋とピアノ弾き

@haruka1007

殺し屋といつもの夜

拳銃の安全装置を外しながら、また今夜も眠れない、とレイラはため息を吐いた。凍える夜の空気の中、レイラはレンガ造りの橋がよく見える林に潜り込み、木陰に身を潜めて、もうじき通るはずの辻馬車に照準を合わせていた。

 今夜レイラが殺害するよう命令されたのは、グレゴリー卿の派閥に属する由緒正しい伯爵家の長、スペンサー伯爵だ。スペンサー伯爵はグレゴリー派の中でも大きな勢力を持っている伯爵家の一つであり、レイラの雇い主であるモートン卿にとって邪魔な存在だった。

 モートン卿は以前からスペンサー伯爵を疎ましく思っていたが、表面上は体裁を取り繕い、我慢強くスペンサー伯爵を暗殺するチャンスをうかがっていた。

 スペンサー伯爵は用心深い人物であるため、少ない護衛で人気のない道を辻馬車で走ることはめったにない。基本的に厳重に警備が固められた自分の屋敷から出たがらない人物なのだ。

 しかし、そんな彼も、隣国と外交をする際だけは屋敷を出ないわけにいかない。警備の薄くなるそのタイミングだけが、彼を殺害する唯一のチャンスだった。

 ところが、モートン卿はスペンサー伯爵が外交に赴く日時を掴めずにいた。スペンサー伯爵は情報が外部に漏れないよう、細心の注意を払い、秘密裏に外交を行っていたため、なかなか外交日時を把握することができなかったのだ。

 しばらく情報を得られないもどかしい日々が続いたが、ようやく今夜、スペンサー伯爵が辻馬車に乗って隣国に行き、貴族や政治家たちと会合を開くという噂を聞きつけた。

 どうやら今回、卿は信じられないほど多額の金をつぎ込み、この国で一番と噂される情報屋を雇っていたようだ。その情報屋が入手した話によると、スペンサー伯爵は今夜三つの辻馬車で隣国に出向くらしい。前と後ろの辻馬車に乗っているのは護衛で、スペンサー伯爵は真ん中の馬車に乗っている。モートン郷は情報屋に約束通り金を支払うと、レイラに事故死に見せかけて伯爵を殺害するよう命令した。

「モルテ、彼奴きゃつ(スペンサー伯爵)を消せ。今夜彼奴は隣国に出向く。分かっているだろうが失敗は許されない。これほどのチャンスは二度とない」

「承知しました、我が主マイ・ロード

 モートン郷はレイラのことをモルテと呼ぶ。モルテはレイラに与えられたもう一つの名前だ。レイラがモートン郷に絶対服従する所有物である証。モルテとはイタリア語で死に神を指す言葉。

 レイラは言葉の意味を知ったとき、モートン郷に命じられるまま人の命を奪いに行く自分にぴったりな穢い名前首輪だと思った。

レイラにとってモートン郷は絶対だ。

──絶対的な主なのだ。

 

 レイラのいる国から隣国に行くためのルートは二つあり、一つは正門を出て行く正規のルートで、もう一つは橋を渡って遠回りして行くルートだった。後者のルートは一部の人にしか知られていない。

 情報屋の報告によると、スペンサー伯爵は深夜二時頃に屋敷を出て辻馬車で隣国に出向くとのことだった。夜に正門は空いていないから、スペンサー伯爵一向は橋を渡る裏ルートを使うはずだ。レイラはそのルートを辿って隣国に行く場合、身を隠すのに最適な場所を知っていた。橋の近くにある林だ。そこなら自分の身を隠して相手の命を狙うことができる。潜伏場所を決めると、レイラはスペンサー伯爵が城を出てから橋を通過するまでにかかる時間を頭の中で逆算し、計画を練った。

 まず算段として、一発目の狙撃でスペンサー伯爵の頭を撃ち抜き、絶命させる。そして二発目で馬車の車輪を撃って金具を壊し、馬と業者が乗っている部分を切り離す。狙撃の衝撃で車輪が壊れ、バランスがとれなくなった馬車は伯爵を乗せたまま川に落ちる。

わざわざ連結部を切り離さなくても暗殺することは可能だが、それだと手綱を引く業者まで川に落ちてしまうかもしれない。レイラは奪う命を最低限に抑えたかったので、業者を巻き込まない方法を考えた。前後の護衛を殺さないためにも、スペンサー伯爵は一発で仕留めなくてはならない。もし外して中途半端に怪我をさせてしまったら、前後の護衛に気づかれて、護衛の人間も殺さざるを得なくなるかもしれない。そのような事態は避けたかった。

〝一発だ。一発で仕留めなくては〟

レイラは事前に立てた計画を、時間が許す限り頭の中で繰り返し復唱した。

 レンガ造りの橋の上は石畳になっており、等間隔で置かれている街頭から申し訳なさ程度に灯りが落ちていた。その薄黄色の灯りが、レイラにとっては狙撃のタイミングを計る目安になった。

 レイラは片目をつぶり、拳銃を持つ右手を左手で支え、何度も照準を細かく修正した。計画を完璧にこなすためには、微塵のズレも許されない。ここだという完璧な位置を見つけると、レイラはその体勢のまま、じっと馬車が来るのを待った。

 やがて少し遠くから、コツコツと馬の蹄が石畳を鳴らす音が響いてきた。音はだんだんと大きくなり、着実に近づいているのが分かる。レイラは耳を澄ましながら、馬車がどれくらいの距離にいるのか測った。絶えず耳を研ぎ澄まし、しかし目は拳銃の照準から放さない。そして視界の端に馬の頭が入り込んだその瞬間、レイラはすっと息を止めた。

「……っ」

パン!パン!

 まず一発、そしてすぐにもう一発、レイラは恐ろしいほど的確なタイミングで射撃した。夜の冷えた空気の中に乾いた破裂音がこだまする。役目を終えた拳銃からは薄く煙が立ちのぼっていた。

 レイラが撃った最初の一発は見事スペンサー伯爵の頭を撃ち抜き、粉々に割れた馬車のガラスが花火のように周囲に飛び散った。次いで撃たれた二発目も計画通り馬車の車輪の金具を壊し、均衡の取れなくなった馬車は大きく傾いた。異変に気付いた業者が慌てて、思いっきり馬の手綱を引いた。突然喉元を締め付けられた馬が驚き、大きな声で苦しそうにいなないた。馬と業者はなんとか橋の上に踏み留まることができたが、スペンサー伯爵が乗っていた後部座席は、無慈悲にも橋の上から真っ逆さまに川へと落ちていった。バシャン!と大きな音がして、何事かと前後の護衛が馬車を止めて降りてくる。彼らは橋の上から川を覗き込んでいたが、もはや救い出すことは不可能だろう。手遅れだ。どれだけ必死に探したところで、スペンサー伯爵の死体は深い川底に沈んで見つからない。

 林の小さな枝葉の隙間からその様子を眺めていたレイラは、スペンサー伯爵の護衛に失敗した二人のことを少し気の毒に思いながら、拳銃を腰のポシェットにしまった。そしてすぐさま立ち上がり、膝についた土を手で払った。任務を終えた以上、長居は不要だ。

 レイラはくるりと林に背を向けて、一つに結った長い黒髪を夜の闇に揺らし、足跡を残さず主の待つ鳥かごの中へと戻って行った。

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