Epilog

第37話 それでも、生きて往かざるを得ない

「じゃあ、今日の診療は終わりだから」

「ええ、では、先生、戸締まりお願いしますね。良い週末を」

「ああ、君も」


 診療所の看護婦が帰り支度をすまして、帰路に就くのを見届けると、ジーンは、ほぅ、と大きな息をつき、伸びをした。

 そして外看板を下ろし、扉に鍵を掛ける。

 十二月のシベリアの外気は痺れるほどに冷たく、不機嫌な曇り空からは、昼に続きまたもや雪が舞い散りそうだ。



 ユーラシア革命軍政府元首のレ・サリの逝去の報が、突如、全世界に流れてから、一年と少しが経過していた。


 むろん、琥珀ヤンターリ村の研究所で、サリがジーンの手により死を迎えたことは国家機密として世間には明かされていない。

 あのあと、全世界に向けた放送で、故元首の盟友として現われたセルジオ・タハ将軍は、レ・サリ元首は病によって逝去したと明言したうえで、その後三年の期限を設け、ユーラシア革命軍政府の指導権を自らが握ることを宣言した。そのスムーズな権力の推移に、世界は驚き、また賞賛の声を上げた。


 しかし、それでも、国家の英雄であるレ・サリの死去は、それまで彼が生きていることで押さえられていたユーラシア革命軍政府内の対立の火花を表面化させ、大規模な衝突にこそ発展していなかったが、国内外には不穏な空気が生じつつあった。


 あの研究所から、ジーンとカナデとアイリーン、それにレベッカは、タハの手配により秘密裏に、そして丁重にサハリンから大陸へと戻された。勿論、月の裏側と、琥珀村での出来事は、すべて厳重に口止めされた上でだ。


 もっとも、タハにそれを命じられたとき、そんなことを言われなくても、喋る気になんてならないわ、とカナデは苦笑したが。

 それには、ジーンも同じ気持ちだった。すべてがこうして闇に葬られるには、国はあまりに大きな犠牲を払いすぎた、とも思わずにはいられなかったものの、カナデもジーンも、なによりも明日に求めるものは、自分たちの安寧だった。


 そのほかに、ジーンができたことといえば、月の裏側や琥珀村の、いや、ユーラシア革命軍政府掌握地の各所に存在するであろう被験体たちの保護を、タハに強く要請することくらいであった。

 それに対し、タハは重々しく頷いたものの、その約束が果たされるかどうかは、もはやジーンの視座にて確かめられることではない。

 だが、それが分かっていても、彼はそれを何度もタハに頼み込むことを、どうしても辞せなかった。


 こうして四人は他言無用を条件に、ウラジオストクで解放された。そして、いま、ジーンは軍を除隊し、ウラジオストク郊外にちいさな診療所を構えて、生計を立てている。


 カナデの髪の色は、最後に打たれたリ・ターンの薬の効能か、いまやしっかりと白く戻った。それに従って超人的な身体能力も失われ、見かけも、四十代前半くらいまでに年老いている。ジーンが経過を観察する限り、彼女はゆっくりと元の身体に戻りつつあるようだった。


 対して、レベッカの意識は、いまも朦朧としたままだ。記憶も定かでないまま、ベッドの上で日々、寝たきりの生活を続けている。

 彼女についてタハは、当初、大規模な軍病院にて治療を受けることを勧めたが、ジーンはそれを断り、自らが彼女を引きとることを求めた。たとえ、その方が彼女の為になるとしても、彼はレベッカを、三度みたび殺すことをしたくなかったのだ。それが自らの欺瞞でしかないと、分かっていても。

 最終的に、ジーンの嘆願は聞き入れられ、タハはレベッカをジーンに託すことを許した。その結果、現在レベッカは、カナデとアイリーンと共に、ジーンの家で暮らしている。


 アイリーンはカナデの再老化や、レベッカの同居に、はじめは落ち着かないようだったが、幼いならではの順応力を発揮し、カナデについては「カナデおばちゃん」と呼び方を変えて、今も懐いている。

 一方、レベッカについては「こわいおねーちゃん」と最初は近寄らなかったが、最近は、レベッカの食事を助けるなど、子どもながら必死にその存在に慣れようと努力しているようだった。


 ジーンはアイリーンに、レベッカが母であると、いつ、どうやって告げるべきか、常に悩み、そのたびにカナデに意見を仰ぐ。するとカナデはこうやっていつも静かに笑い、ジーンを力付ける。


「無理に急ぐことはないわ。彼女の記憶が今後どうなるかも分からないし、または、アイちゃんのほうから尋ねてくるかも知れないし。待っていれば、そのときが来るでしょう。私たちができるのは、それまでに、ふたりが良い関係を結べるように見守ることよ」

「そうですね、カナデ」


 ジーンは頷いた。

 そして、自らがその淡い琥珀色の瞳の女性に、あの逃避行の旅の途中から変わることなく、いまも、日々癒やされていることを知る。だが、その想いを口にすることは、もう、あの、コルサコフの夜以来、ない。


 なぜなら、カナデの心の中にある、彼女がかつて愛し、自らが殺した男性の存在の大きさを、彼は知ってしまっているから。そして、なにより、自分が彼女に犯した罪を忘れぬためでもあった。


 ともあれ、四人の奇妙な同居生活は、平和で、平穏なものであった。


 タハはレ・サリ逝去時に、全国民に一年間の服喪を要請したが、それも、もう明けて、それから初めてのクリスマスが来ようとしていた。


 アイリーンは近づく聖夜にことさらはしゃぎ、カナデは特別な料理を久々に振る舞う機会だわ、と微笑む。ウラジオストクの街も華やかな装飾に満ちてきたと、診療所を訪れる患者から聞いている。


 ジーンは思う。今週末は「家族」で久々に街に出てみようかと。そう決めてみると、ジーンの心も久しぶりに、華やかに浮き立った。彼はこの思いつきを早く帰宅してカナデに相談してみようと思案する。そして、もし街へ出掛けることになったら、自分は、三人に贈るプレゼントを、こっそり見定めるのだ。

 そう心を逸らせながら、歩いて十五分ほどの我が家への道を、ジーンは足取りも軽く急ぐ。



「あれがジーン・カナハラか」

「そうだ」

「間違いないか」

「ああ、あの男だ。月の収容所から、ここまで足取りを追って、ようやく所在を突き止めた」


 丘の上から覆面の老いた男ふたりが、銃をそれぞれ片手に、ひとり、家への帰路に就くジーンを見つめている。


 彼らは感慨深げに、語を継いだ。


「長かったな」

「長くはないさ、あの男に見捨てられ、命を落とした孫たちのことを考えりゃな」

「……そうだな」


 いつの間にか、空からは雪が舞っている。

 男たち、そしてジーンに白く透明な華が降り注ぐ。

 世界が白く染まっていく。


 見えざる神の手が、全ての罪を清めるように、地表を真白く塗り替えていく。


 そして男たちは、互いの目を見、頷くと、密やかに、銃の照準をジーンの頭部に定めた。



 第一部 完




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 ここまでお読みいただいてありがとうございます……!!


 これにて、第一部は完結です。

 第一部の完結より1年近く経ってしまいましたが、次話より第二部の連載を開始します。

 第二部の舞台は第一部のラストより13年後、主人公はアイリーンです。

 彼女が父ジーンの生をどう捉え直すかの、ものがたりとなります。

 続きも是非お読み頂ければ幸いです。 2022/10/17 つるよしの

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