第24話 慟哭と接吻

 その夜、三人はコルサコフのホテルに宿を取った。


 すっかり陽も暮れて、その日一日、海にはしゃぎ疲れたアイリーンがうつらうつらし始めた頃、街に出ていたジーンがカナデのもとに、ようやく帰ってきた。


 疲れた顔をしたジーンは、部屋に入るや否や、ホテルのソファーに身を投げ出す。そして、一息つくと、街でリサーチしてきた情報をカナデに語りはじめた。


「ユジノサハリンスク郊外、サハリン南東部の海岸には、天然の琥珀が流れ着く浜があるとのことです。そこを現地の人は琥珀海岸、その周辺を琥珀ヤンターリ村と呼ぶのだそうです」

「天然の琥珀。それは、なかなか、ロマンチックね」


 ジーンは純朴なカナデの感想に、一瞬、苦笑した。だが、その笑いはすぐにジーンの顔から消え、彼は眉を顰めた。


「ええ。ただ、その琥珀村には近年、大規模な軍の施設が建設されて、一般人は入れないとのことです。私が想像するに、その施設というのが……」

「私たちの目指している、研究所じゃないか、ということね」


 カナデの言葉に、ジーンは頷く。


「はい、そうです。そしてこのロケットペンダントを寄こした何者かは、そこに来いと言っている。これが偶然の一致なのか、それとも罠なのか、分かりませんが……」


 ジーンのその言葉に対し、間をおかず、カナデは、きっぱりと思うことを言ってのけた。


「罠と見たほうが良いと思うわ、私は」


 そして、カナデは眠ってしまったアイリーンをベッドに横たわらせる。

その光景をソファーの上から眺めつつ、ジーンはポケットから、くだんのロケットペンダントを取り出した。


「軍が私たちを月から追ってきているなら、彼らが、このペンダントを使って、私たちをおびき出そうとしている。そう、考えるのが自然なんじゃないかと、そういうことですね、カナデ」

「そうよ、ジーン」


 広場に面したホテルの窓から、行き交う車や、街灯の明かりが差し込んでくる。しばらく、ジーンは、それらが映し出すひかりと影の交差をぼんやりと見つめていた。

だが、カナデの次の言葉はジーンの心を穿つ、鋭いものだった。


「だけど、あなたは、危険を冒しても、琥珀村に行きたいのね、ジーン」

「どうして、そう思うんですか、カナデ」

「あなたの目がそう語っている」


 カナデはジーンの正面に立つと、彼の瞳を真っ向から見つめ直す。そして、少しの躊躇いの後、ジーンの顔から目を逸らさず、静かに尋ねた。


「ねぇ、ジーン。その、あなたの写真が入ったロケットペンダントは、いったい、誰のものなの?」


 対して、ジーンの返した声音は、消え入らんばかりの、弱々しいものだった。


「……妻のものです」

「あなたの奥さんの?」

「はい、私がいつぞやのクリスマスに、妻へ贈ったものです。見間違えようが、ありません」

「じゃあ、あなたの奥さんが、琥珀村にいるかも知れない。そういうことになるわね」


 するとジーンが、電気に打たれたように、びくり、と身体をのけぞらせた。そして、彼はソファーから立ち上がりながら叫んだ。


「そんなはずは! 妻が、生きているはずはありません!」


 そして、ジーンの弱々しい、しかしながら明瞭な声が、カナデの耳を打つ。


「なぜなら、私がこの手で、殺したからです」


 それだけ言うと、ジーンは再びぐったりとソファーに崩れ、目を固く瞑った。

 ジーンの心の最深部にしまい込んでいた風景が、不意に、息を吹き返す。鮮やかに蘇る。


 ――ああ、忘れはしない。


 この手の中で、消えていったいのちの、残像。

 それも、他でもない自分の手で、断ちきった、いのちの、残光。

 なのに、なのにだ、俺は、お前を、殺したのに。

 最後にあいつは、こう、笑って言ったんだ。


「ありがとう」と。


 俺の腕の中で、あいつはそう言って、息絶えた。

 そうだ、思い出した。


 そのときも、このペンダントが、物言わなくなったお前の胸の上で、揺れていたんだった。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。

 ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら――。


「うわーぁあっ!」


 ジーンは突如、大声を出した。

 そして、かっ、と目を見開き、立ち上がり叫んだ。


「俺は、俺は、俺は、俺は、あいつを、あいつを! 殺した! 殺したんだ!」


 そう言いながら、ジーンは苦悶の表情で、ダークグレーの髪をかきむしる。手から、がしゃん、と銀のペンダントが床に転げ落ちるのも、気に留めずに。


「ジーン! 落ち着いて、落ち着いて!」

「この手で、この手で、この手で!」

「落ち着くのよ、ジーン!」

「俺が! 俺がやったんだ! この手で!」

「ジーン! ジーン!」


 カナデは、混乱し頭をかきむしり続けるジーンに駆け寄った。そして、無我夢中のまま、彼の顔に自らの顔を勢いよく押しつけ、いきなり唇を重ねた。

 ジーンが驚いたように目を見開いて、カナデを見、その激しい挙動が一瞬止まる。

 その隙を逃さず、カナデは力一杯、ジーンを、自らの身へと、思い切りよく抱き寄せた。


 強く抱きしめるうちに、ジーンの身体から次第に力が抜けていく。強ばっていた肩が弛緩して、カナデの腕の中で、ジーンは、だらり、と手を伸ばす。

 彼の乱れた呼吸が、カナデの頬にかかる。

 脱力したジーンは、なおも、苦しげに喘ぎながら、ちいさく呻いた。


「俺、が……この、手で……」

「分かったわ、ジーン。辛かったのね、辛いことを思い出させて悪かったわ、ジーン」

「……すみません、カナデ……」

「謝ることない、謝ること、ないわ、ジーン」


 カナデは赤子をあやすかのように、ジーンを宥めた。

 宥めながら、いつだったか、癇癪を起こしたミハイルをこうやって抱きしめたことがあったわね、など、カナデは遠い日に思いを馳せる。


 そうしているうちに、ようやく落ち着きを取り戻したジーンは、カナデの腕に抱かれたまま、ぼそり、と呟いた。


「カナデ、ここで、このコルサコフで、アイリーンと待っていて下さい」

「なにを言い出すの」

「私を、琥珀村に行かせて下さい。罠だということは、分かっています。だから、私ひとりで」

「だめよ、ジーン。コンテナの中でも言ったでしょう。あなたひとりで死んでも、私には何の益もないのだから……」


 カナデはジーンの身体を、自分の肢体から、そっと離した。そして、ジーンの瞳を射るように、再び真正面から見つめると、揺るぎない意志を込めた声で、ジーンに告げた。


「一緒に行きましょう、琥珀村に」

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