第11話 彼女への手紙

 もう、20年前の話になる。当時、私はコンサルティング会社を辞めて、アルバイトで倉庫内作業をして、アメリカのニューオリンズの音楽大学に留学する準備をしていた。そして、同時にある楽器店のスタジオの中にあった全国展開する音楽教室のドラムのグループ・レッスンを受けていた。この当時、私は最初の躁うつ病の軽躁状態にあり、ハイな気分にあった。


 ドラムのレッスンには、同じ音楽教室のピアノの女性の先生もレッスンを受けていた。彼女はいつもTシャツ、ジーパンにスニーカーだった。だから、私は彼女が先生であることをあまり意識していなかった。


 しかし、今になって思えば彼女は難関のテストをクリアしたプロフェッショナルな女性だったのだ。また、彼女はルックスも良かったし、笑いも取れるという稀有な女性で、私は彼女に好意を抱いていたし、勘違いかもしれないが彼女も私に好意を持っていたように思えた。


 以前からドラムの先生と彼女に、留学して、日本食レストランでバイトをやると言っていたのだが、どうやら彼らは私の言っていたことを本気に捉えていなかったらしい。私は、躁鬱の躁で、ハイで野生の血が沸き上がり、アメリカで冒険することしか考えていなかった。


 渡米の準備を着々と進めて、留学ビザを取得しエアーチケットをおさえた。しかし、先生方にはクラスを辞めていつ出発すると言い出すことが、できなかった。結局、出発する一週間前の最後のクラスで飲んだ後、それも彼らが私とは逆方向に行く地下鉄に乗る直前で切り出した。


 すると、ドラムの先生は、「えっ⁉あの話、まだ、生きてたんか‼」と驚き、ピアノの先生は「向こうに着いたら手紙書いてね」と言った。そして、渡米したのだが、問題が発生した。ピアノの先生の住所を聞くのを忘れていた。


 私は、ドラム教室の友人二人には、アドレスを教えてもらっていた。だから、彼らに、私のアドレスを教えてもらうよう伝えれば良かったのだが、それが頭に浮かばなかった。教室の友人にピアノ先生どうしてる?と手紙を送ると、「それが、彼女は体調を壊してしまって…」との返事。


 俺は彼女を鬱にさせてしまったのか?そんな思いが頭をよぎった。そして、軽躁が終わりうつ状態になった。


 結局、渡米後四年目にして無理が原因の頭痛によるパニック障害の発症での帰国。アメリカ行きは無謀だった。自分を過信していた。あの時、彼女に手紙を出しさえすれば、私の人生は180度変わったかもしれない。ラブレターを書くこともできただろう。あるいは、アメリカからさっさと引き上げて、告白する手もあった。


 彼女はどうしているのだろう。先輩に今でも彼女のことが好きなんですよね、と言うともう結婚しているよと言われた。そら、そやな…。でも、気になる。先日、タロット占い見てもらったら、彼女は独身で好きなことをしてまた会えるとの事。でも、現実は甘くないからな。会わずに彼女の思い出を大切にしていた方が無難だろうか。いや、何とかして、白黒ハッキリつけようじゃないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る