幼馴染がバツイチになる話

月之影心

幼馴染がバツイチになる話

 白い封筒が机の上に置かれていた。

 裏返して差出人を見ると、高校3年の時のクラスメートでそんな名前の奴が居たなぁ……という程度の知っている名前が印刷されていた。

 封筒の中には二つ折りにされた厚紙が入っていて、取り出して開くと右に『同窓会のお知らせ』と書かれていたので、その先を読まずに封筒の中に戻し、そのまま後でシュレッダーに入れようと机の上に放り投げた。


(別に会いたいヤツも居ないしな。)


 そんな事を思いながらジャケットを脱ぎ、ネクタイを外していると、部屋に妻が入ってきた。


「きゃっ!?もう!帰って来たら『ただいま』くらい言ってよね!誰も居ないと思ってたからびっくりしたじゃないの!」

「あぁ……ただいま。」

「帰って来たらよ!」

「……すまん。」


 俺は長浜ながはま光汰こうた

 29歳のサラリーマン。

 俺の姿を見た途端に文句を言ってきた妻の友香ゆかとは大学時代に知り合い、卒業と同時に婚姻届けを出しにいったので結婚して8年目に入っていたが、お互い仕事やら趣味やらですれ違いが続き、冷え切った関係となっていた。


「それ、同窓会の案内でしょ?行かないの?」

「あ?あぁ、よく分かったな。まぁ行ったってつまらないから行かないつもり。」

「10年以上会ってない同級生も居るんでしょ?たまには顔出してみたら?」

「10年以上会わなくて困った奴なんか居ないんだからいいんだよ。」

「まぁ好きにすれば……」


 こんな具合だ。

 確かに高校時代はまだ友香とは出会っていなかったし、友香も別の高校出身なので俺の通っていた高校の同窓会なんか全然関係無いのは分かるが、冷えた関係だとそういう余計な一言が妙に腹立たしい。

 が、さすがにそんな事にいちいち噛み付くのも大人気無いと無視していた。


「晩御飯は電子レンジに入れてあるから温めて食べてね。私は先に寝るから。」

「あぁ、すまないな。」


 友香は俺の挨拶に無言で背中を向けて部屋を出て行く。

 俺は脱いだジャケットとネクタイをハンガーに掛け、スウェットに着替えてキッチンへと向かい、用意してあった晩御飯を一人で片付けた。




 翌日、仕事で外へ出ている時、見覚えの無い番号から着信が入った。

 仕事柄、客からの連絡の可能性もあるので相手の番号が表示された場合は出る事にしている。


「もしもし。」

『えっと……長浜さんの携帯ですか?」


 どこかで聞いた事のある声だと思ったが、それが誰の声だったのか思い出せなかったので、あくまでもビジネスライクに訊く事にした。


「ええそうですが、申し訳ございません、何方様でしょうか?」

『あ、ごめんなさい。咲奈さなです。』


 その名前を耳にして、俺の記憶が高校以前まで一気に遡った。


「咲奈って……隣の咲奈?」

『そう!光ちゃんちの隣に住んでた咲奈です。』

「おぉ!久し振り!元気か?」

『元気よ!光ちゃんも元気そうね!』


 懐かしい声に、思わず素の声になっていた。


 今津いまづ咲奈さな

 確か結婚して姓は変わっている筈だが、実家の隣に住んでいた幼馴染だ。

 咲奈とは幼稚園から高校までずっと一緒で、思春期を迎えてお互いを異性と意識しても尚『親友』のような付き合いを続けていた。

 そんな仲睦まじさに高校時代は『二人は付き合っているのか?』とよく訊かれたものだが、残念ながら恋人として付き合った事は無かった。


『急にごめんね。どぉ~しても光ちゃんの声聞きたくなって、光汰の母おばちゃんに番号教えて貰ったの。』

「あ~気にしなくていいよ。教えてなかった俺も悪いんだし。で、急にどうした?声が聞きたくなったなんて嬉しい事言うじゃないか。」


 少しの間、沈黙が続く。


「どうかした?何かあったか?」

『あ、ううん……何でもないよ。そうだ。光ちゃんは同窓会行くの?』

「いやぁ行かないつもり。咲奈は行くの?」

『えっと……まだ考えてるところだけど……どうしようかなぁと思ってて……』


 何とも咲奈らしくない、歯切れの悪い言い方をする。

 一緒に過ごしていた頃の咲奈はこんな微妙な言い方はしなかった。

 どうも引っ掛かる言い方に違和感を覚えた俺は、話をする機会を作った方が良さそうだと判断した。


「咲奈、今日仕事何時くらいに終わる?」

『え?あぁ、何も無かったら5時半には終わるけど?』

「じゃあそれから会おう。場所は……って、咲奈って今何処に居るんだ?」

『浜松町よ。』

「浜松町なら……新橋が真ん中になるかな。新橋駅西口SL広場で待ち合わせしようか。」

『うん、分かった。』


 何となく咲奈が俺に何かを言いたそうな感じを受けたので、電話ではなく直接会う事を選択し、咲奈との待ち合わせの時間まで外回りをして時間を潰す事にした。




 毎度の事ながらとんでもない通勤ラッシュを潜り抜け、何とか待ち合わせ時間の5分前に新橋駅前に辿り着いた。

 駅を出て正面の蒸気機関車の方を見渡して、目に留まった薄いグレーのスーツを着た女性が咲奈だとすぐに分かった。

 俺が咲奈の方へ小走りに近付いて行くと、咲奈は小さく微笑みながらこちらに向かって右手をひらひらとさせていた。


「お待たせ。いやぁこんな時間に電車乗る事なんか滅多に無いからラッシュで潰されるかと思った。」

「あははっ。光ちゃん潰すって相撲取りかラグビーの選手に囲まれなかったら無いでしょ。」

「て事は、俺の横のおばさんも前のおじさんもみんな相撲かラグビーしてたのかもしれないな。」


 咲奈と最後に会ったのは確かまだ大学生だった筈なので、今日会うのは7~8年振りという事になるのだが、会って早々にくだらない話で騒げるのも幼馴染だからこそだろうか。

 それにしても、咲奈は相変わらず美人だった。

 中学の頃に咲奈を異性として意識した時も綺麗な子だと思っていたが、今はそれに大人の女性の魅力を纏い、下手に都会を一人で歩こうものなら何人の男に声を掛けられるのだろうかと心配になってしまった。


「それで何処連れて行ってくれるの?」

「そうだなぁ……」


 俺は駅前をぐるりと見渡し、目に入った喫茶店を指差した。

 咲奈は何処でもいいと言うので迷わずその店に向かった。

 店の中は駅前とは正反対で静かな落ち着いた雰囲気だ。

 席に着いて、俺はコーヒー、咲奈はオレンジジュースを注文する。


「それで、どした?」

「え?」

「電話では言いにくい事あったんだろ?」

「あは……さすが光ちゃんね。私の事よく分かってくれてるわ。」


 咲奈は両手の指を顔の前で組んで目線を机の上に落として言った。


「電話で同窓会の話したでしょ?」

「うん。行くか行かないか考え中とか何とか。」

「それなんだけど……」


 過去に咲奈がここまで言い淀んでいた事は無かっただけに、簡単な事では無いような気がしてきた。


「『光ちゃんが行かないなら行くの辞めよかな』みたいな軽い話では無さそうだな。」

「そういう事だったら良かったんだけどね……」

「何かあったのか?」


 咲奈はバッグからA4サイズの白い封筒を出してきた。

 封筒からは数枚の写真と何かが書かれたレポート用紙が出て来る。

 写真には男女が手を繋いでいたり肩を組んで歩いていたりする姿が映っている。


「何か探偵さんの調査みたいだな。」


 咲奈は黙って広げた写真やレポート用紙を見ていた。


「え?マジ?」

「うん……」

「へぇ~こんなの初めて見たけど……これ誰?」


 俺が写真に写っている男の方とも女の方とも微妙な位置を指差して訊くと、咲奈の口から予想していなかった言葉が飛び出した。


「これ……旦那なの……」

「え?」


 一言で言えば、諸々あって旦那の行動に不信感を覚えた咲奈が興信所に調査を依頼したら見事に真っ黒だった……と言うわけで、これがその証拠らしい。

 だが、何故これをわざわざ俺に見せたのだろうか。

 疑問を頭の中で整理する前に、咲奈が更に静かな口調で言ってきた。


「それはいいのよ。もう弁護士にも言って準備してるから。問題はこっち。光ちゃん、びっくりしないでね。」

「え?俺?」


 咲奈が指差したのは写真に写っていた女だった。

 綺麗にピントが合っているわけでは無いが、その雰囲気と咲奈の口調から、俺の直感が『知っている人ではないか?』と言っていた。


「この女の人……?」

「そう。よく見て。」


 言われなくてもよく見てはいるが、何となく知っている人なんじゃないかなと言う程度で、それが誰なのかまでは判断しかねていた。


「見た事ある気はするけど……誰だろ?」


 咲奈は消え入りそうな声で言った。




「光ちゃんの奥さんよ……」




「え?」




 俺は改めて1枚の写真を手に取り、画像を食い入るように見た。

 確かに、この女の人が持っているバッグには見覚えがあったし、肩に掛けたストールも何処かで見た記憶がある。


「言われてみれば……けど本当にうちの嫁なの?」

「うん。興信所の人が調べたから間違い無いよ。と言うか自分の奥さんの見分けも付かないとか、光ちゃんのとこも末期ね。」


 咲奈が少し明るい口調で煽ってくるが、自分でも本当に末期だと思っているので敢えて突っ込まずに写真を眺めていた。


「ふぅん……そうなんだ……」

「あんまり驚かないんだね。」

「まぁな。嫁とはもう随分前から冷えた関係になってるし、浮気されてても文句言う気にもならん。」

「ふふっ。光ちゃんらしい反応で安心した。」


 咲奈は最初の引き攣った笑顔から幾分解れた感じの顔になったかと思ったら、俺の方にぐっと顔を近付けてヒソヒソ話をするテンションで話を続けた。


「で、さっき言った同窓会なのよ。」

「またいきなり話戻ったな。」

「まぁ聞いて。その同窓会の通知が来た次の日に旦那がメールしてたの。」

「誰に?」

「これも調査の一環だと思って旦那が風呂入ってる間にスマホ見たら、メールの相手は光ちゃんの奥さんだったわ。」


 咲奈はその端正な顔の奥に、悪戯っ子のような雰囲気を纏っていた。


「それで、次会う約束の事が書いてあって、それが例の同窓会の日。」

「それはまたベタな。」

「でしょ。私と光ちゃんが同窓会に参加してる間にこっそりとか思ってるんでしょうね。ホント単純。」


 何だか咲奈は自分の夫婦関係が崩れていくのを楽しんでいるかのように次々と言葉を綴っていた。

 そう言う俺も、既に冷え切っている嫁がどうなろうと知った事では無いので、悲しいとか辛いとかの感情など無く、咲奈の楽し気な雰囲気を一緒に楽しんでしまっているのだけれど。


「つまり、同窓会に参加したらあのメール通りに光ちゃんの奥さんと会って、浮気の決定的なネタを増やす事になるのよ。けどねぇ……」

「うん?」

「その間旦那が浮気の証拠増やすのを、参加してもしなくてもいい同窓会に出て待ってるだけって言うのもなぁ……と思ってね。」

「なるほど。それで俺が参加したら俺と話してる間だけでも気が紛らわせられるって事か。」


 口を押えてくすくすと咲奈が笑う。


「まぁそれもあるけど、旦那の浮気相手が光ちゃんの奥さんだなんて、絶対後から笑い話になるって思ったら、一緒に同窓会出といた方がいいでしょ。」

「浮気されたモン同士が幼馴染ってなかなか無いんだからそれだけでも十分ネタになると思うぞ。」

「確かにね。それに同窓会に出る事で色々準備も整うだろうから。」

「準備?」


 咲奈が目をキラキラさせて話を続ける。

 最早、完全に壊れた自分の夫婦関係を楽しむ事に全力を注ごうとしている目だ。


「本題はここからなんだけど、弁護士さんが言うには『もう少し証拠が揃えば確実に言い逃れ出来ない筈』らしいの。」

「もう少しって?」

「この写真は手を繋いでたり肩を組んでたり……普通に他人とはしない事ではあるんだけど、証拠としてはちょっと弱いかもしれないって。」

「つまり『確実な証拠』を揃える為に俺たちが同窓会に参加して旦那さんと嫁に時間を与えるって事か。」

「さすが光ちゃん。」


 嬉しそうな顔を見せる咲奈だが、自分の旦那と幼馴染の嫁が浮気しているのにその顔は無いだろう、と内心苦笑いだった。


「けど、こうやって内緒で会ってるのも咲奈の旦那や俺の嫁からしたら『浮気』に見えるんじゃないのか?」


 俺は冗談めかして言った。


「あはは……私はそれでもいいけど?」


 咲奈が色っぽい目付きで俺を見ながら返してきた。

 少し心拍数が上がった気もしたが努めて平静を装いつつ、その後は同窓会に参加する事や当日どうするかを簡単に調整し、駅前で咲奈と別れて帰宅の途に着いた。


 帰宅した俺は、机の上に放置してあった同窓会の招待状の入った封筒を(シュレッダーに掛けなくてよかった)と思いながら中身を出し、住所と名前を書いて明日の出勤途中にポストへ投函しようと鞄の中に入れた。


 同窓会の当日まで、俺は咲奈と一切連絡を取らなかった。

 咲奈の『万が一の事もあるからこっち側咲奈と光汰はノーアクションで』という気遣いだった。

 咲奈の旦那が入浴中にスマホをチェックされたように、俺もいつ嫁にそういった証拠になるようなものを見られても不思議では無いし、俺の方でそういった不手際があれば咲奈の方が不利になる恐れもあるので、それが正解だろうと思った。




 同窓会当日。


 会場のホテルに着いた俺は、広いロビーの片隅に置かれたソファに座った。

 ソファに座ってホテルの入口を眺めていると、薄いピンク色のスーツを着た咲奈が入って来たので手を振って迎えた。


「お待たせ。」

「まだもう少し時間あるから座って落ち着くといいよ。」

「ありがと。」


 咲奈が低い机を挟んで正面に座った。

 短いタイトスカートから伸びる白い足と、その奥が見えそうになるので視線を少しずらしていた。


 後からやって来たり、先に来ていた同級生がロビーに出て来たりして顔が合うたび『久し振り』『元気だったか』を繰り返し、『相変わらず仲いいな』を結び文句に聞いているうちに同窓会の始まる時間が近付いてきたので、俺と咲奈は会場の中へと入って行った。

 会場に入り同窓会が始まると予想通りと言うか、ロビーで会った同級生と同じように『久し振り』『元気だったか』『今何してる』を繰り返すだけで、咲奈との打ち合わせが無ければ本当に『来るだけ無駄な時間』になっていた。


 挨拶回りのように一通り同級生たちと話をした俺は、空になっていたコップを持って壁際へ行った。


「人気者だったね。」


 咲奈が横から近付いて来て話し掛けてきた。


「咲奈ほどじゃないよ。」


 咲奈は会場に入った途端、大勢の同級生たちに囲まれてワイワイとやっていたので、同窓会が始まって1時間程経ってようやく話をする時間が出来た。

 俺は水割りのウィスキーが入ったグラスを持って壁にもたれた。

 咲奈がワイングラスを持って俺の横に並んで立った。


「それで、これからどうするんだ?」

「一つ訊いておきたいんだけど……」

「ん?」


 咲奈はワイングラスに口を付けて唇を湿らせる。


「光ちゃんは奥さんの浮気が明かされた後どうするの?」


 当然と言えば当然の質問だった。


「知ってしまったからにはもう一緒には居られないだろうな。」

「それは戸籍上もって事?」

「そうだな。置いておく意味が……まぁ今も無いけど。」

「そっか。じゃあ遠慮は無用ね。」

「何だか怖い言い方だな。」


 咲奈がくすっと笑ってワインを一口。


「浮気は裏切りなのよ。それに対する代償は支払って貰わないと。」

「それだけ咲奈は旦那さんを信頼してたって事か。」

「それは間違い無いわね。信頼もしていたし尊敬もしていた。私の事を大事にしてくれていたし愛してもくれていた……って今思うとそれも旦那自身のやましい気持ちを隠す為の方便だったのかもしれないんじゃないかなって馬鹿らしくなっちゃうよ。」


 俺はグラスに残った水割りを口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。


「強くなったな。」


 咲奈は俺の顔を見上げて返す。


「もうアラサーよ。そりゃ強くもなるわ。それでここからの流れ……」

「うん……」


 俺は目の前を通り掛かったウェイターのトレーに空いたグラスを置き、代わりにトレーに乗せてあった別のグラスを取った。


「まぁ普通に、旦那の勤務先と実家、それから光ちゃんの家と奥さんの実家に内容証明付き郵便で浮気の証拠を送って、公正証書取り付けて離婚届出して慰謝料請求してオシマイ……って感じ。」

「なるほどな。で、俺はどこまですればいい?」


 要するに、証拠集めから離婚までの流れは出来ているから最後のは任せる……と言いたいのだろう。


「光ちゃんが可能なら、出来るだけ冷静に、出来るだけ事務的に片付けて欲しいかな。」

「そりゃ熱なんかもうとっくに冷めてるから出来るけど、その理由わけは?」

「そうねぇ……正直私は光ちゃんの奥さんの事なんか知らないしどうなっても気にならないけど同じ女だからね。直感的にだけど『その方が堪える』かなと。」

「なんだそりゃ。精神的に追い詰めたいだけかよ。」

「勿論。だって私の大事な幼馴染をこぉんなに悲しませたんだからぁ。」


 最後は何処かの舞台女優かと思うような身振り手振り口上で言ってきたものだから、思わず俺は飲みかけていた酒を吹き出しそうになった。

 咲奈も最後にぴたっとポーズを決めてから大笑いしていた。


 その後、内容証明を何時送るとかの話をし、その日までは前と同じように連絡をしない事を打ち合わせ、ちょうど同窓会もお開きになったのでホテルのロビーで別れた。




 内容証明配送日。


 仕事を休んで家で寛いでいると、綺麗な字で『長浜光汰様』と書かれた封筒が届いたので早速開封して中を確認した。

 以前、咲奈に見せて貰った写真以外にも様々な場所で撮られた咲奈の旦那と俺の嫁のツーショットがあった。

 そして想定通りと言うべきか、嫁の実家から電話が入る。


『光汰くん……これは一体……』


 そりゃ動揺もするだろう。

 自分の娘が浮気してる証拠を送り付けられたのだから。


「私の手元にも届きました。ただ、これだけで一方的に決め付けるのもどうかと思いますので、友香が戻ったら話を聞いてみます。」

『あ、あぁ、そうしてくれると助かる……私たちもそちらに行くから。』

「分かりました。多分夕方6時頃には帰って来ると思います。」

『分かった……それまでにそちらへ伺おう……』


 義父友香の父の狼狽え様が電話越しにひしひしと伝わっていた。

 何だか気の毒にも思えたが、話が全て終わったら最早他人になるのだと気持ちを切り替える事にした。




 義父と義母が来るよりも先に、前以て咲奈から紹介されていた弁護士が訪ねて来ていた。

 米原よねはらという人だった。

 米原氏は咲奈が依頼した興信所の紹介らしく、特に離婚調停は数多く手掛けている人だと言っていた。

 彼は内容証明で届いた書類一式にじっくり目を通した後、いくつか俺に質問を投げ掛け、俺の言葉をうんうんと頷きながら聞いていた。


「お子さんが居られない事と、奥様側に過失が認められますので慰謝料の請求は此方の思う提示額でいってみましょう。最悪、裁判になったとしてもご主人には過失になりそうな事が無いので負ける方が難しいと思います。もうすぐ奥様のご両親が来られるのですよね?それまでに賠償について調整しておくとしましょう。」


 自信満々に語る米原氏に、少し昂っていた気持ちが落ち着きを取り戻した気がした。


 一通りの話が済んで談笑していると玄関のインターホンが鳴り、義父と義母の来訪を伝えた。

 玄関を開けると、今回の件なのか、或いは長らく会っていなかったので単純に時の流れなのか、記憶にある義父母からは随分と老けた印象を受けた。


「あぁ……光汰君……この度はうちの愚女がとんだ迷惑を……」


 義父とその後ろに居た義母が腰を折って深々と頭を下げた。

 特別良家と言うわけではないが、義父も義母も言葉遣いや態度は非常に丁寧で、年上に言うのも変な話だが恐らくどちらも祖父母からの躾がしっかりしていたのだろうなと常々感じていた。


「お義父さんもお義母さんも頭をお上げ下さい。話は中で……さぁどうぞ。」


 リビングに入った2人は、先に来て打ち合わせを終えていた知らない人間の存在に一瞬怪訝な表情を浮かべたが、『今回の件を公的に証明して貰う為に来て貰った弁護士』と紹介すると、また頭を深々と下げて挨拶をしていた。


(何でこんな丁寧な両親からあんな娘が生まれたんだろうな……)


 そんな事を考えながら、お茶を用意する為にキッチンへと入った。


 沸いたお湯を急須に注いでいると、玄関が開かれた音が聞こえてきた。

 友香が帰って来たようだ。


「ちょっと!不用心だから鍵はいつも掛けてって言ったでしょ?……って誰か来てるの?」


 怒った口調でキッチンに入ってきた友香は、キッチンから見えるリビングに自分の両親と知らない男が座っているのを見たようだ。


「お父さんとお母さん?どうしたの?」

「此方へ来なさい。」


 義父に呼ばれた友香は俺の方へは一切見向きもせず、キッチンを横切ってリビングへと入った。

 俺も人数分のお茶の準備を終えてトレーを持ってリビングへと入る。


 義父と義母は固い表情で俯いたまま。

 友香は義父に促されて義父の隣に座った。


「えっと……何なの?此方様は?」

「此方は弁護士の米原さん。」

「弁護士?何があったの?」


 友香は何も知らないという口調で言ったつもりだろうが、その声は微妙に震え、その表情は引き攣ったものに変わっていた。

 俺は米原氏の隣のソファに座り、届いた写真証拠を机の上に広げた。


「この写真に写っているのは友香?」


 写真に写っている女性を指差して友香の方を見ると、その顔は既に真っ青になっていて、目を真ん丸に見開き、唇は目に見えて震えだしていた。

 もうそれだけで白状したようなものだが、はっきり自分の口で言わせないといけないので、俺は友香の返事を待った。


「正直に言いなさい、友香。」


 静かに、重く、義父が口を開いて友香に答えを促した。

 それでも友香は震えて写真を凝視したまま何も言わなかった。

 俺は届いていた封筒の中から数枚のレポート用紙を取り出した。


「5月×日欠勤……同△日欠勤……6月×日欠勤……この書いてある日って、俺の手帳と付き合わせると前日から泊りで出張って言ってた日付なんだよ。友香の勤務先調べたら全部休みになってたんだけど、これはどっちが本当かな?」


 友香は俺からレポート用紙を受け取って目を通していたが、やがて震えながら消え入りそうな声で……


「ごめん……なさい……」


 と証拠の全てを認めた。

 それと同時に友香の隣に座っていた義父が友香の体を引き起こしたかと思ったら、その大きな手が友香の左の頬を張った。


「この馬鹿者!」


 それだけ言うと義父はソファから降りて俺の前に土下座した。

 義父の隣に義母も並んで同じように頭を床に擦り付けるように下げた。


「お義父さんもお義母さんも止めて下さい。謝って頂く為に来て貰ったのではないのですから。」


 相当ショックだったのか、友香は義父に頬を叩かれてソファに倒れ込んだままの姿勢で動かなかった。


「私の意向は全てこちらの米原さんにお伝えして色々な手続きについて委任してあります。後は米原さんとお話して下さい。」


 そう言って米原氏に後を任せ、俺は自分の部屋で話が終わるのを待つ事にした。


 1時間程経って部屋のドアがノックされた。

 『どうぞ』と言ってから入って来たのは米原氏だった。


「奥様とご両親はお帰りになりました。」

「そうですか。お世話になりました。」

「いえいえ。概ねご主人の要求は呑んで頂けましたが、本当に慰謝料を請求しなくて良かったのですか?」

「はい。お金が目的ではありませんから。」

「であれば私は何も言いません。」


 柔らかい笑顔を向ける米原氏に俺も笑顔で返す。


「それでは、手続き等はこちらで片付けますので全て片付くまでもう暫くお待ち下さい。」


 そう言って米原氏は帰って行った。


 結局、『離婚届への署名捺印』『慰謝料及び財産分与は無し』という形で話はまとまり、俺はバツイチの独身となった。




**********




「私の方も終わったよ。」


 仕事が休みになった週末、俺と咲奈は郊外の公園で話をしていた。

 咲奈の方は『離婚』『慰謝料300万円』『財産分与は個別』という形に落ち着いたそうだ。


「個別にとなるとまだ暫く落ち着かないだろ?」

「でも今までの事を思えば気楽なものよ。」

「そうか。しかしあっという間に幼馴染が2人ともバツイチになっちまったな。」

「ホントね。」


 公園の中は数組の親子が遊具を使ったり広場で寛いだりしてそれぞれに楽しんでいるように見えた。


「これからどうするんだ?」

「ん?どう……って何が?」


 咲奈は正面に目線を置いたまま聞き返してきた。


「長い目で見たら独りでやっていくのも大変だろう?」

「ふふっ。」


 咲奈が俺の顔をちらっと見てベンチから立ち上がり、体ごと俺の方に向いた。


「そりゃ楽じゃないでしょうけど、色々と気遣いする事を考えればもう自分以外の人と一緒に暮らすなんて御免だわ。」


 正直、裏切られた者同士、幼馴染同士、というだけでは無く単純に咲奈と一緒になるのも悪くは無いと思っていたのだが、まるでそれを見通して釘を刺したと言わんばかりに明確に否定されて、つい吹き出してしまった。


「それもそうだな。」


 俺は咲奈を見上げながら、自分を納得させるかのように言った。

 咲奈は俺を笑顔で見下ろすと……


「でもならいつでも付き合うから誘ってね。」


 ……そう言って咲奈は元来た公園の散歩道を歩いて行った。


 俺は咲奈の姿が見えなくなるまで見送ると、咲奈とは反対の方向へと歩き出した。

 今までと変わらない咲奈との付き合い方を思い浮かべながら。

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