第十四話

「ねえ、奥谷の家から校長が出てきたのを見たんだけど、奥谷って退学にでもなるの?」

「なんで俺が退学にならなきゃいけないんだよ。こういっちゃなんだけど、俺は勉強は出来ないけどそれ以外の部分は問題無いはずだからな」

「それってつまり、ただでさえ勉強が出来なくて落ちこぼれているのにこの前の事件の影響でどうしようもないくらい頭が悪くなっちゃったってことなのかしら?」

「俺はいたって普通だし、山口が思っているよりもちゃんとしてるんだからな」

「それならいいんだけどさ、今から会える時間あるかな?」

「時間ならあるけどさ、どうしたの?」

「ちょっとね。奥谷に確認したいことがあって時間取ってほしいなって思ったんだよね」

「別にいいけど、この前の喫茶店に一時間後に集合で良いかな?」

「あ、ごめん。ちょっとお金ピンチだから喫茶店は無理かも。久しぶりに奥谷の部屋に行ってもいいかな?」

「え、俺の部屋って、それはちょっと困るかも。さすがに一時間じゃ片付けも出来ないからね」

「別に私は奥谷の部屋が汚かったり臭かったりしても気にしないわよ。奥谷も年頃の男の子なんだから、そんなの当然と言えば当然だしね」

「ちょっと待ってくれ。山口の中で俺がどんなイメージなのかわからないけどそこまで汚くないし臭くも無いと思うから心配しないでくれ。それに、今日はちょっと余裕があるから喫茶店の代金くらい俺が出すよ」

「いや、私から誘っておいて飲み物代を出せってちょっとした強盗じゃない。私はそこまで落ちぶれてはいないのだけど。それに、恋人でもない異性に奢られせるなんて私が酷い女みたいに思われそうで嫌だわ」

「そんな事ないって。山口はさっきから気にし過ぎだって。俺もたまにはお世話になってるお礼をしたいって思う事だってあるんだからね」

「私は何も世話なんてしてないんだけど、もしかして、奥谷って私の事を考えながら人には言えない事なんてしてないでしょうね?」

「ちょっとちょっとちょっと。いきなりなんてことを言うんだよ。言っておくけど俺はそこまで想像力豊かじゃないんでそんな事は出来ません。例えしてたとしても、それを本人に向かって言うわけないだろ」

「それもそうね。まあ、今回は奥谷の圧に屈してごちそうになることにするけど、次の機会があったら私が奥谷に奢るから覚悟しておきなさいよ」

「その機会を楽しみに待つことにするよ」


 僕は小さい時から山口を見てきたという自負がある。世の中のほとんどの人が気付いていない、ひょっとしたら山口自身も気付いていない事かもしれないのだが、山口愛莉という人間は他人に借りを作ることも他人に貸しを作ることも極端に嫌がっている。山口愛莉を中心とする人間関係においてもっとも重要な事は、誰とも上下関係を作らずに対等な関係を保つという事なのだ。そんなわけで、山口愛莉は俺の事を呼び捨てで呼んでいるのは親しいからというわけではなく、ただ単純に敬称を付けたくないというだけの話なのだ。

 ちなみに、山口は一時間後に集合と伝えた場合、遅くても三十分前には待ち合わせ場所に到着していることが多い。これは、相手に貸しを作る行為ではないのかと思っていたりもしたのだが、単純に家で時間ギリギリまで待っているのが嫌いなだけで深い意味は無いそうだ。その点を踏まえて、俺は山口よりも早く待ち合わせ場所に行き、彼女が驚いた顔を見てやろうというゲスな考えを抱いてしまったのだった。

 もっとも、俺が先について待っていたとしても、山口は俺に対して何かを思うということが無いという事を俺という人間は十分に理解しているのだ。それでも、俺は山口が驚くという可能性にかけて電話を切った瞬間から家を出る準備を行っていたのだ。

 相変わらず俺のスマホには宮崎からのメッセージが届き続けているのだけれど、俺は返信をあれから一度もしていないのに何度も送ることが出来るのだろうと不思議な気持ちになっていた。俺が何度か山口にLINEを送ったことはあるのだが、いまだに既読が付いていないという事はブロックされている可能性が高いという事ではないだろうか。ただ、先程みたいに電話が来ることがたまにあるので、山口が一体どういった理由で俺のLINEを無視しているのかという疑問はいつまでたっても払拭されることは無いだろう。


 日曜の午後の喫茶店は相変わらず混んでいるのだけれど、運のいい事についさっき空いたという席に着くことが出来た。山口との電話を切ってから喫茶店までほとんど時間は立っていないと思うので、当然山口はまだ来ていないのだけれど、俺はアイスカフェオレを一つ頼んで優雅に待つことにした。

 山口が来る前に飲み終わったら次は何を飲もうかとメニューを吟味していたところ、何の挨拶も無く山口が俺の正面の席へと腰を下ろした。


「私は約束の時間よりも結構早く出たと思ったんだけど、奥谷ってそれよりも早く来てたんだね。もしかして、そんなに暇だったの?」

「いや、暇じゃなかったと言えばうそになるけど、そこまで暇でも無かったと思うよ。前も思ったんだけどさ、日曜の午後ってここは混んじゃうからさ、ちょっと早めに来て席を確保出来たらいいなって思ったんだよね」

「そうなんだ。奥谷って意外と優しいところもあるんだね。それにしても、そのアイスカフェオレって美味しいの?」

「あんまり甘くないけど美味しいよ」

「へえ、私はそういうの飲んだことないからちょっと気になるかも。一口貰うね」

「へぁ?」


 俺は山口の突然の行動に変な声が出てしまったみたいだった。全身の血が顔に集まっているかのように顔が熱く感じているのは変な声が出て恥ずかしかったからではない。今の今まで俺が使っていたストローに何のためらいもなく山口が口を付けたことに驚いたからなのだ。男同士で回し飲みをするのとは全然意味の違う間接キス。それも、俺がずっと好きな山口が相手という事実。俺は今すぐにでも叫び出しそうになってしまったのだが、手元にある水を飲んで冷静さを取り戻そうと必死になっていた。


「すいません、注文いいですか?」

「はい、何でしょうか?」

「そうだな、アイスココアを一つお願いします」

「かしこまりました。ストローは二本お持ちしますか?」

「そうですね。二本でお願いします」


 俺は山口と若い女性店員のやり取りを聞いて口に含んでいた水を一気に噴き出しそうになってしまった。山口ってこんな冗談を言う人間ではなかったような気がするのだが。それよりも、こんな冗談を言ってくる店員がこの喫茶店にいたとは思わなかった。


「もしかして、今の店員さんって、私達の事をカップルだと勘違いしたのかもね」

「かもしれないな。勘違いされないようにあんまり変な事はしない方がいいぞ」

「私は、奥谷が相手なら勘違いされてもいいかも」

「え」


 俺は生まれて初めて開いた口がふさがらないという経験をした。人間、予想以上に驚いてしまうとリアクションは思っているよりも地味なのかもしれない。 

 山口がどこまで本気なのかはわからないが、俺はその言葉だけでも十分に嬉しかった。

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