幽明の英雄譚
故水小辰
第一話
死は永遠に醒めない眠りだと、誰が最初に言い出したのだろう。その発端はともかく、
——いや、今回はただ蘇っただけではない。王叙鶴はもともと険しい目元をさらに険しくすると、丹田にゆっくりと力を溜めた。棺桶と自身を取り囲んでいる謎の力が、朝、一向に起きてこないどら息子を叩き起こす母親のように、彼の全神経を刺激している。ゆるやかな熱が全身に回るのを感じながら、王叙鶴は術者の正体に目星をつけていた。この墓に入ってからどれほどの時が経ったのかは知らないが、墓の中身に術をかけたがるような連中といえば奴らしかいない。そして術者は、王叙鶴が目覚めたことを感じ取ったのか、術に変化を加えていた。全身の血潮をむりやり湧き上がらせるような乱暴な力を吸収し、自身の内功に転化させると、王叙鶴は棺桶の蓋を塚の土ごと吹き飛ばして外に躍り出た。
重いものが飛ばされ、地面に落ちる音の背後で、若い男の驚いた声がしたのを王叙鶴の耳は逃さなかった。墓標を飛び越して着地し、あたりを見回すと案の定、彼の墓を中心に毒々しい緑色の光を放つ陣が敷かれている。その陣の向こう側で、印を結んだ手を止めて口をぽかんと開けている若造こそが、彼を叩き起こした張本人だろう。
「お前、死霊術師か」
低い声で尋ねると、その青年は間の抜けた体勢のまま感嘆の声を上げた。
「
好奇に満ち満ちた視線が王叙鶴の全身をなめ回す。王叙鶴は語気を強めてもう一度尋ねた。
「俺の質問に答えろ。お前は死霊術師か」
「ああ、失敬、いかにも僕は死霊術師ですよ、まだまだ駆け出しですけどね。僕の名は
怖がるどころか悪びれる様子もなく、謝玄幽はペコリと拱手して礼をした。
「ときに王英雄、あなたのご尊名をお伺いしても?」
「教えてどうなる。
「つれないなあ、せっかく知り合えたのに、名前すら教えてくれないとは。名前がだめなら二つ名は?それこそ渡世人なら、何かしらのあだ名はお持ちでしょう」
「大方聞いた名前を
王叙鶴は、自身の墓標に目をやった。雨風にさらされてすり減った石には「王英雄之墓」と彫られたあとがうっすら残っている。どうやら相当長い時間、彼は眠っていたらしい。
「……ときに謝玄幽、今の皇帝は誰だ」
王叙鶴は墓標を見つめたまま尋ねた。この問いに謝玄幽は心底驚いたらしく、素っ頓狂な声を上げた。
「誰って、女真の奴らが中原を支配していることくらいご存じでしょう!やけに古い墓だとは思ったけども、あなた一体いつからこれに入ってたんです?」
「北の方から夷狄が攻めてきているという話を聞いた記憶はある。前にもあったことだからさして気にしていなかったが……それに、俺の敵は奴らではない」
どうやら、最後の死からかなりの時間が経っているらしい。すり減った墓標に苔むした塚の残骸、そして謝玄幽の言葉と外見がそれを物語っている。丈の長い丸襟の長袍、服の切れ目からのぞく細身の袴、後頭部から垂れる長く細い三つ編みは、たしかに王叙鶴たち漢族の格好ではない。かといって彼が女真とやらの血筋であるわけでもなさそうで、彼の知らない間に何度目かの異人による治世が始まっていたことは明らかだ——だが、彼にとって政局の変化は枝葉の些末もいいところだ。王叙鶴は棺に手を突っ込むと、一振りの長剣を取り出した。柄を握り、そっと鞘から引き抜くと、剣身が往時と変わらぬ輝きを放つ。ひとまず武器は安心だと鞘に納めて背中に渡せば、謝玄幽がまた感嘆の声を上げた。
「それ……!その剣、一体どこで手に入れたんです?」
「ほう、死霊術師のくせに刀剣を欲しがるか?」
ぎろりと睨みつければ、
「それほど古い時代の剣を持っている方に初めて会ったもので。古い王墓の中から出てくるようなヤツですよ、それ?それが最高の状態で保存されているなんて、もし目利きに見せたら、連中が有り金を全部はたいてもまだ足りないぐらいの値がつきますよ」
「そうか。だが俺はこれを手放すつもりは全くない」
謝玄幽が術を停止したせいで、陣はすでに消えてなくなっている。王叙鶴は謝玄幽をどかせると、その横を通りざまに言った。
「生憎俺にはお前の相手をしている時間がない。悪く思うな」
そう言い捨てて振り返りもせずに、王叙鶴はどんどん歩を進めていく。謝玄幽は慌てて歩き出すと、その背中に向かって呼びかけた。
「ええ!?そんなことってないでしょう!僕にはまだ話が——」
「
「そうじゃなくて!僕はあなたの復活について話がしたいんですよ!」
思わぬ言葉に、王叙鶴は足を止めて振り返った。
「そりゃあ僕も死霊術師ですから、傀儡の一つや二つは使役したいですよ。でも普通、こんなに古い墓、術をかけたところで中の死体は使役できたもんじゃない。羅盤だって反応しない。ところがその点あなたの墓は……僕も初めて見たんですがね、針がおかしな振れ方をしたんです。壊れたかと思ったくらいですよ」
「……それで?」
「僕ら死霊術師の羅盤が反応するのは新しくて陰の気の強い墓だ。それがあなたの墓に近付いた途端、針が陰と陽を交互に指したんです。ね、おかしいでしょう?だから陣を敷いて中の死体を起こしたら、今度は生きた男が飛び出した。ねえ王英雄、僕は知りたいんですよ、どうしてあなたは生きているんです?どうやって生き返ったんです?死んだときに術をかけられたとか?」
謝玄幽は息継ぎもせずにまくしたてる。その最後の言葉に、王叙鶴は思わず笑みをもらした。
「術か。そうなら良かったんだがな」
「良かったって、それはどういう……?」
謝玄幽が首をかしげる。
「さっきも言ったが、俺にはお前と呑気に喋る時間はない。為すべきことがある」
と告げて再び一歩踏み出した。
「為すって何をです?ねえ王英——」
何度か繰り返されたこの流れに、王叙鶴もいい加減うんざりしている。謝玄幽を遮って
「悪を討つ。」
とだけ告げると、王叙鶴は今度こそ振り返らずに歩き始めた。
「悪って何?ねえ王英雄……ちょっと!待ってください!僕はまだ聞きたいことが——!」
謝玄幽はありったけの大声で叫んだ。が、王叙鶴が立ち止まる気配は微塵もない。謝玄幽は天を仰ぐと、その後を追って駆けだした。
***
死霊術師として、作られて百年は経っていようかという墓から生きて出てきた男の秘密を知りたいのは当然のこと——
夜半、羅盤に従って森に入った謝玄幽は、木々を照らす鬼火の中、血まみれで倒れている王叙鶴を見つけた。
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