最大の脅威
終業後、話し足りなさそうなロス隊長を連れて、東島のアブデラの店へ行った。
いつもは賑わっているこの店だが、今日はほとんどが空席だ。
「おやいらっしゃい、レイ」
「アブデラ。なんだ、閑古鳥か?」
「試合ですよ、試合。スポーツバーに完敗です」
友人はやれやれと首を横に振る。
「試合?」
「そういえば、今日は野球の国際試合がありましたね」
「あー、うん」
知ったかぶりをしようとする前に、どうやら顔に出てしまったらしい。
「ニュースくらい見てくださいよ、レイ」
「いやその、スポーツ欄ってつい」
読む時間がないというか、興味がないというか。
アブデラのあきれ顔と同時にロス隊長がくすくす笑い出した。
「おっと、穂積隊長にもこんな弱点が」
指されていつもの席に座りながら、僕は呟いた。
「完璧な人間なんてどこにもいませんよ。――アブデラ、ビール」
「はいはい。お連れ様は?」
「私はお茶をお願いします」
言われてから気がついた。
「ひょっとして、お酒は?」
「ええ。衛兵会でも、修行中の身であることに変わりはありませんので」
――やってしまった。
酒を禁じられている修行僧を、よりにもよって酒場に連れてきてしまったのだ。
「申し訳ございません、気が回らず」
ここは近くのレストランでも選ぶべきだったか。
素直に頭を下げると、彼は笑顔で返してくれた。
「とんでもない。こういった所に入るのは本当に久しぶりですので、実は少し嬉しいんです。野球の分、二人で売上に貢献して差し上げましょう」
「……ええ、そうですね」
丁度やって来たビールと烏龍茶のグラスを合わせた。
さて何を話そうか、と思ったその時。ロス隊長の携帯が鳴った。
「夕霧姫様……?」
さっと顔色が変わった彼と頷きあう。
脅迫状の事件から制度が変わり、姫の部屋の隅に作られた小部屋で毎晩メイドが寝泊まりすることになった。
それでも近衛隊長に、しかもメイドではなく姫様自身から電話が来るということは。
「アブデラ、ツケで」
「はいはい」
二人速足で店を飛び出す。
「姫様?はい、ロスです。どういたしましたか?」
こういった時に慌てず落ち着いて話すのは、近衛としての最低条件だ。
「ええ。――ええ、大丈夫ですよ。すぐ参りますからね」
やはり、夕霧姫様には彼を呼び出さなければならないほどの事情ができたらしい。
緊急船の乗り場に向かおうとしたロス隊長の襟首を掴んで、僕は東島で一番高い崖へ向かう。
「ちょっ、穂積隊長!」
「いいから。話し続けてください」
「……っ――姫様、今どちらにいらっしゃいますか?ええ。十字路の小屋に?かしこまりました。ええ、ええ、今穂積隊長と向かっていますからね。安心してください。――そうですよ?近衛隊長が二人もいるんですから、無敵です。はは、怖くないですよ」
僕の法は、ありとあらゆる水を操る。
一番得意なのは、成分の変換により凝縮させた水の上に乗って、その上をサーフィンのように滑ること。東島から本島まで、これを使えば3分ほどで着く。
しかし実は、それよりも速く正確な方法がある。
東島の崖から本島までを水の柱で繋ぎ、さらにもう一本柱を垂らしてそれにつかまる。
要するに、水でできたターザンロープだ。
「え?穂積隊長?」
「舌噛まないでくださいよ、ロス隊長」
これと水で作った階段や滑り台を使えば、宿坊までは一分ほど。
げほっ、ごほっ、とずぶ濡れでむせる彼の服から水分を抜き取りながら背中を叩くと、さすが元軍人といったところか、すぐに立ち上がった。
「これは……」
乾ききった服に目を丸くする彼の方は振り返らず、僕はそのまま歩いた。
「話は後ほど。行きましょう」
常に持ち歩いている銃を取り出し、本当は制服以外での出入りが禁止されている宿坊に入る。法を使って、水分を持つ生物がどこにいるかを調べ、そして――僕はがっくりと肩を落とした。
「隊長?穂積隊長、どういたしました」
「……なんでもありませんよ」
なんとなく、なんとなくこんな気はしていたのだ。彼女ならやらかしそうだな、と。
しかしまぁ、ここで説明しては興が冷める。
無言のまま衛兵会で決められたサインをし、彼が頷くのを待ってから僕は扉を蹴破った。
すると。
「えっ、なんでこんな早いの?!」
出来あがったばかりのここに防犯設備の点検に来た時と比べて、中にはだいぶ物が増えていた。
メイドに持って来させたらしいティーンズ向けの小説本やお菓子、ぬいぐるみに雑貨。そして何より、慌てた様子でマグカップを置く姫様方と、そして奥には気まずそうに目をそらす各々のメイド達。
「夕霧姫様……」
後から入って来たロス隊長に呼ばれて、夕霧姫様はびくっと真夜姫様の背中に隠れる。
「あの、えーと、これはですね二人とも、計画したのは私でして、2人には仲良くなってほしいなー、なんて思いまして……」
必死にいいわけする真夜姫様をよそに、ロス隊長は夕霧姫の元へ歩いていくと、その前に膝をついた。
「心配しましたよ、姫様」
「ご、ごめんなさい……」
「いいえ。ご無事ならそれでいいのです」
ようやく緊張がほどけたのだろう、彼は糸目をますます細くした。
「いつでもこうしてお呼びください。あなた様をお守りすることこそ私の使命なのですからね」
ロス隊長が静かに夕霧姫様の頭を撫でると、彼女は急に顔を赤くして、それからぽろぽろと泣き出した。
「泣き虫さんですね。大丈夫ですよ、何も怖がることはありません」
「は、い……」
「改めてご挨拶させてください、夕霧姫様。新しく近衛隊長に任命されました、ルーカス・ロスと申します。どうかルーカスとお呼びください。それから姫様、一つだけ覚えておいて頂きたいことがございます」
ロス隊長は、そっと姫様の手を握る。
「私は何があろうとあなた様の味方です」
夕霧姫はきょとんと隊長を見つめると、真夜姫様が差し出したハンカチで目元をぬぐい、そして花のようにかわいらしく微笑んだ。
「分かりました。よろしくお願いします、ルーカスさん」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、姫様」
しばらく2人を見守ってから、僕は口を開いた。
「ロス隊長。研修でも教わったと思いますが、姫様のお身体に触れるのは厳禁です」
「へぇっ?!あっ、はい!」
慌てて手を下ろし、規範通りの礼に戻す彼を見て、真夜姫様がぷっと噴き出した。
「もー!」
そのまま、ロス隊長の代わりに夕霧姫様をぎゅっと抱きしめる。
「だから言ったでしょー?怖い人じゃないって!良かったね、これで仲良くなれるね!」
「真夜お姉様ぁ!」
「全く。あなた方ときたら。――わたくしもまぜなさい!」
「暁お姉様!」
扉の前に立つ僕の隣へ戻って来たロス隊長が、小さく囁きかけてきた。
「姫様方というのは、本当に仲がよろしいのですね」
「……ええ、そうですね」
つい数か月前までの張り詰めた空気が嘘のようだ。
メイド達への暴力をやめさせるためだけに嘘の神命を使ってこの小屋を建てさせ、銃撃戦が繰り広げられる回廊へと突入し、果てはたった一人の見舞いのためだけに島を出る。彼女の体はこんなにも小さいというのに、この膨大な勇気と行動力は一体どこに秘められているというのだろうか。
本当に真夜姫様は――僕にとって最大の脅威だ。
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