夜のおさんぽ

 この世界には、『法』と呼ばれる力を持った人間が存在する。

 法とは、この世をあまねく司る唯一の存在である『聖女』様が、自らお選びになった人々にのみお与えくださる力。

 ほとんどの持ち主は、国王家や貴族、その流れをくむ名家に生まれ、人々を治める立場となる。

 とはいえ、神聖視された法が市井の人のために使われることはほぼない。

 精々何かの祝いの席で余興としてだとか、宗教上の儀式の一部としてだとか――ああ、後は去年災害現場で支援のために使った政治家の息子がいて、称賛の嵐が巻き起こっていたか。そんなポイント稼ぎが精々だ。

 この世界が剣と魔法ではなく工事とシステムに支配される世界になったのは、きっとこの、意地でも法を人の役には立てさせないという、確固たる利己主義のおかげなのだと思う。

 そんな特別な力だが、稀に身分や血統など関係なく、極々普通の家にある日ぽんと能力を持った子供が生まれてくることがある。

 聖女様と同じく必ず女の子として生まれ落ちるこの子は、聖女様から特別な任を受けた者としてしかるべき場所に捧げられる。

 その先がここ。

 宗派や主張は違えど全世界の人に信奉される聖女教総本山、『本島』だ。


 本島へ捧げられた少女は、聖女様からのお言葉を全世界へと広める聖女教最高位『預言者』を目指して修行を重ねる。

 スマホもテレビも漫画も雑誌もなし。

 お姫様扱いされる以外は大した得もない存在、それが私、真夜も含めた三人の預言者候補、『聖姫』。

 私が法を持っていると分かったのは今から三年前、十二歳の時だった。

 これにはまあ色々と事情があったわけだけれど、要するにただ偶然それらしいことができる奴が現れたので、とりあえずぽいっと本島に入れられた。私の認識としてはそれだけだ。

 十二歳からこの島の教会に入った私は、それぞれ三歳と一歳から修行を重ねてきた他の二人の姫達よりあらゆる面で劣る。私が預言者になることなんて、きっとないだろう。


 そんなことより、預言者にならなかった時の方が重要だ。

 預言者の任命は、聖姫全員が十六歳になった時。

 ここで預言者に選ばれなかった少女には、二つの道が与えられる。

 一つは、このまま本島の修道院に入って生涯を聖女教に捧げること。大抵はこっちを選ぶらしい。他の二人も多分そうするのだろう。

 そしてもう一つが、本島を出て自分の力で生きること。

 要するに平民に戻るということだ。

 私はむしろこっちを目指している――というか、こっちになるものとほぼほぼ確信している。

 一番年下の夕霧姫が十六歳になるまであと三年。

 預言者様の決定さえ終われば、私は小学四年生の時に書いた将来の夢の作文通り、実家に帰って小さな造り酒屋で杜氏を目指せる。そして、適当にいい感じのサラリーマンを見つけて結婚するんだ!

 ――手を合わせるたびそんなことを思っていると知れたら、皆怒るだろうか。



*  * 

 たまに、遅くなっても眠れない日がある。

 そんな時は決まって、こっそりと部屋を出る。

 他の姫達の部屋との分かれ道までの広い廊下。他に部屋も通用口もない、ある意味では真夜姫のパーソナルスペースとも言えるそこを、小さな声で歌いながら歩くのだ。

 歌うのは讃美歌でも詩篇でもない、十二歳で家を出る前に流行っていたアイドルソング。


 ――君のこころの内側 見せておくれよ


 ――僕が守ってあげるから


 ――四角いその心を削り取っていく


 真夜というのは、私の本名ではない。

 教会に入った順に朝・昼・夜に関係する名前をという慣習にのっとってつけられた、いわゆる戒名だ。

 この歌を歌うと必ず思う。

 私をあの名前で呼んで、今も思ってくれる人は、どのくらいいるのだろう、と。


 ――君はいつも


 ――僕の前では


 その時。

 女の子の、すすり泣くような声がした。

「……えっ?」

 ざわっと全身の毛が逆立つ。

 ここは宗教施設だ。

 まさか、救いを求める亡霊って奴が……?


 恐る恐る、顔半分だけ出して柱の向こう側を盗み見る。

 そこにいたのは、一人のメイドさんだった。

 とりあえずほっとして、その子に近付く。

「どうしたの?」

 彼女は目線を合わせて膝をついた私の姿に、ひっ、と声を上ずらせた。

「大丈夫?何か、辛いことでもあった?」

「な、何でもございません!真夜姫様、なにとぞご容赦を!」

 必死になって床に額をこすりつける、そんな女の子を放っておけるほど私は強くない。

「いいえ、許しません」

 手が震えている。

 寒いのかな、と思って、上着を肩にかけてあげた。

「そうね、丁度話し相手が欲しかったの。命令です、私の部屋に来なさい」

 相変わらず震えたまま、ようやく顔を上げてくれた。

「ね?」

 笑顔には、なかなか自信がある。



*  *

「えーっと、確かこの辺に……あった!」

 私の部屋のメイドさん達が掃除の合間にお茶を飲んでいるのは、なんとなく知っていた。

「ふっふっふー、この真夜姫様に隠れてこんな美味しそうなもの飲んでるから悪いんですよーだ!」

 同じく隠してあった電気式の湯沸かし機とポットで、安眠効果のあるカモミールティーを入れる。


 水場から戻っても彼女は相変わらず、ドアの前に立っていた。

「こっちのソファ、座って?命令です」

 緊張した様子の彼女は、でもようやく礼をしてから向かいのソファに腰掛けてくれた。

「明日も目が腫れちゃったら困るでしょ?こういう時は、化粧水をしみこませたコットンがいいんですって」

 鏡台からコットンと化粧水を取り出すと、今度は酷く慌てられた。

「も、もったいないことで……!」

「あれ、嫌だった?」

 お化粧落ちちゃうのが、という意味だったんだけど、ひょっとしたら脅してるように聞こえたかも知れない、と直後に思った。

 とにかく彼女はありがとうございます、ありがとうございます、と言いながら、コットンを目に当てた。


 改めて向かいの席から彼女を見る。

 歳は私と同じ、十五歳くらいだろうか。見たことのない子だ。多分、他の姫のメイドだろう。

 でもまあ、これを言うのに垣根なんて必要ない。

「ちょっと疲れちゃうことくらいあるよね。いつもありがとう。すごく感謝してます」

「――!」

 うっ、うっ、と、彼女は声を抑えながら泣き始めた。

「ああ、泣かないでー。大丈夫よ、大丈夫だから」

 つい抱きしめたくなったけど、身体に触らないのは教会の掟だ。もし私が破ったら、この子も傷つくだろう。

 そう思って、ただカモミールの香りに包まれながら、彼女を見守ることにした。



*  *

「――ってことがあったのよ。あっ、どんな子かは内緒ね、内緒。でもあんな時間にうろつくなんてどうかしたのかなって思ってね」

 次の日、朝の身支度の最中に、いつものメイドさん達へその話をした。

「……左様でございますか」

 百夜さんも含めて、皆の顔は暗い。

「どうしたの?私何か悪いこと言っちゃった?」

「いいえ。訳については、お聞きにならなかったので?」

「ううん、私に話したら後々気にしちゃうかなって。しばらくしたら落ち着いたみたいだったからカモミールティー飲んでもらって寮に帰したの。……やっぱり黎くん呼んだ方が良かったかな?あんな時間に女の子一人なんて危ないもんね」

「わたくしどもが夜に近衛兵と歩くのは少々問題がございますので。聖姫様方がおわすこの建物に近衛以外の男子は禁制ですし、人に見られなければその方がよろしいでしょう」

「そっか」


 後ろで髪を梳かしてくれていたメイドさんの一人が、急に笑いかけてきた。

「姫様ぁ、今日は一段と御髪がお綺麗でいらっしゃいますぅ。まるで絹のようですわぁ」

 ――話そらしたな。

 まあ仕方ない、わーありがとう、と返しておいた。

 髪漉き担当の彼女は話し方がゆったりしていて、なんだかこっちまで癒される。

「でも朔夜ちゃんのおかげよ。この油も朔夜ちゃんが選んでくれてるんでしょう?とってもいい香り」

 いかにも高級そうなラベルつきの瓶を手に取る。

「オーガニックって、やっぱり何か違うのかな。お高かったり?」

 メイドさんの中には、美容師や看護師といった資格を持つ人が何人かいる。

 この朔夜ちゃんは確か、美容師の国家資格を持っていたはずだ。

「ええ、お高いですよぉ。ですが姫様の御髪はしっかりしていらっしゃいますので、このくらいのぉ――」

「朔夜」

 百夜さんに呼びかけられて、朔夜ちゃんはさっと肩を上げた。

「失礼いたしましたぁ、姫様!」

 そのまま、黙って作業に戻ってしまう。

「いいじゃない、百夜さん。私だってちょっとくらい皆とお話したいよ」

「なりません。姫様のようなお高きお方が、わたくしどもなどと」

「しんめ」

「なーりーまーせん!」

「ちぇー」

 お化粧の道具が来たので、そのまましばらく黙る。

 ここにも、有名なブランドがちらほら混じっている。

 ――本当に、私なんかがこんなもの使っていていいんだろうか。

 家に帰った時、高級化粧品じゃなきゃ満足できないなんて生意気なこと言う奴にだけはならないようにしようと、心の中でひそかに誓った。

 

「姫様」

 衣装の準備がほぼ終わった頃、ふいに、百夜さんが話しかけてきた。

「姫様は、12の歳まで学校に通われていたのですよね」

「ん?ええ、そうよ?」

 毎朝思うことだけど、この衣装はすごく重い。

「とても、色々なお友達がいらしたことでしょう」

「え?えーまあ、普通かな」

 そこそこ色んなクラスメイトと話す方ではあったけれど。

「では、先生方はいかがでしたか?」

「先生?」

 担任の先生は、私の本島行きの日に見送りに来てくれた。

 音楽の先生はとてもゆったりした人。

 体育の先生は、正直ちょっと苦手だった。いい人ではあるんだろうけど、声が大きくて少し怖い。

「『色々な先生』が、姫様やご友人の方々の上に立ってご指導をなされたことでしょう?」

「……え?」

 ――まさか。

「お待たせいたしました、ご用意全て完了してございます」

 とんでもない想像をしてしまった私の前でも、皆の態度は全く変わらなかった。



*  *

 聖姫には各2人ずつ、密偵を役目とする『小間使い』がついている。

 本当は聖姫同士蹴落としながら預言者を目指すためのものなんだろうなと思いつつ、私は初めて彼女を呼び出した。

 結果が出るまでに、3時間もかからなかった。

「……嘘でしょ?」

「恐れながら姫様」

 分かっている。こんな写真を合成したところで何の意味もない。でも、でも――。

「これが真実でございます」

 ――私以外の姫が2人とも、メイドを虐待していたなんて!

 差し出されたタブレットには、ひざまずいたメイド服の子を棒で殴ったり、物を飛ばしたりする、暁姫と夕霧姫が写っている。

 あまりの恐ろしさに、ベッドへ腰を落としてしまった。

「で、でも、だって、いつもお世話してくれるじゃない。ずっと一緒でしょう?メイド長はともかく、皆同年代の女の子なのよ?そうだ、あなたひょっとして、私が望む答えを探そうとしてくれているの?そんなの要らない、とにかく私は本当のことが知りたいだけなんだから」

「姫様」

 頭から被る黒布と作業服のようなズボンをはいた彼女は、頭を伏したまま、彼女ははっきりと断言した。

「わたくしの調査に、嘘偽りも間違いもありえません」

「そんな……」


「聖姫様方によるメイドへの暴力というのは、何代と数えることもできぬほど以前から行われてきたことにございます。幼き頃から友人を作ることも叶わず人と話すこともなく、日夜修行にお励みになる聖姫様方にとって、側で微笑みあう同年代の人々というのは独特に映るのでございましょう」

 ――考えたこともなかった。

「姫様。こちらの画像、いかがなさいますか?」

「……消していいよ」

「かしこまりました」

 彼女は深く礼をする。

「ありがとう。お疲れさまでした、下がってください」

「はっ」

 次の瞬間には、小間使いは窓の外へと消えていた。

 私は大きく息を吐く。

 ――やらなきゃいけないことがある。

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