第二節 勧誘

思念を伝える魔法


「友達作り、だと?」


「そうよ」


 何をふざけた事を――そんな意を隠しもせずに顰め面を浮かべる七夜へと、リィリスはしかし、至極真面目な様子で説明を始める。


「今から数ヶ月後にナナヤくんはこの監獄から解放されて、晴れて自由の身になるでしょう? でも私はね、出来ればナナヤくんに一人で行動をしてほしくないのよ。もちろんいつだってナナヤくんの傍にいるつもりだけれど、あくまで私は魔法による幻影体でしかないもの。もしも何か危険な事が突発的に起きても、私じゃナナヤくんを守れない。最低でも、ナナヤくんが自分に降り掛かる色んな障害を一人で払い除けられるまでの間、貴方と行動をしてくれる人を見つけなきゃいけないわ」


 話を聞いてもどこか釈然としない面持ちの七夜へ、リィリスは片眉を上げながら言う。


「ここを出た後にナナヤくんが元いた場所、『神の遣いレガリア』の子たちのところへ戻るっていうなら、何も心配はないのだけれど……どう?」


「それは有り得ないな」


 そこだけ七夜はキッパリと言い放った。


「だったら私の言う通り、お友達作りをしてもらうわ。これもナナヤくんがちゃんと生きていける為に、生きて私との契約を満了してもらう為に必要な事なのよ。分かってちょうだい」


「……そうは言ってもな」


 未だ納得のいかない様子で、七夜が眉根を寄せる。


「それってそんなに必要か? 要は仲間を作るって事だよな。リィリスが常に傍にいるのに、その上で仲間も必要とはとても思えないんだが」


「なら聞くけれど、例えばこの監獄から出てすぐに通り魔にでも遭遇して、それでナナヤくんはちゃんと対処できる? たぶん無理よ。言っておくけれど、私にどうこうしろと言っても無理だから。今の私は幻影体……実世界への接触が出来ない以上、ナナヤくんには触れないし、ナナヤくんに襲い掛かってきた通り魔を魔法で撃退する事も出来ないの。つまりそういう事態に陥った時、ナナヤくんはあっさり死んじゃうわ」


「いや、そんな極論を言われたら答えようもないんだが……、ん?」


 そこでふと、七夜は違和感を覚えて声を上げる。


「ちょっと待てリィリス。あんた今、魔法で撃退は出来ないとか言ったが、今まで散々俺に回復魔法を使ってきただろ。それと何が違うんだ? それも〝実世界への接触〟に含まれるんじゃないのか?」


 すると、リィリスは予めその疑問を予想していたかのように、間を置く事なく応じた。


「ナナヤくんに対して魔法を使えていたのは、私が貴方との間に魔法線を繋げているからよ。要領は念話と一緒ね。さっきの話で言えば、ナナヤくんとの間に繋いでいる魔法線を一度切って通り魔に向けて繋ぎ直せば、確かに貴方を守る事は出来るわ。けれど、ナナヤくんが何か危ない目に遭う度にいちいち線を付けたり切ったりしてたら面倒でしょう? 実際、私がとーっても面倒なの。そんなにほいほい接続し直せるものでもないのだし」


「そ、そうか……」


 リィリスが少しだけ強い剣幕で言うものだから、七夜は若干口端を引き攣らせながら首肯した。

 彫像の如き美貌にずいと至近にまで寄られつつも、何とか言葉を返す。


「だとしてもだ……こんな場所で仲間なんて探しようがないだろ。ここは王国一の巨大監獄、それもその最下層にある牢獄だぞ? 一体どうやって……」


「ふふふ、それについては何も問題ないわ。お姉さんのサポート力を甘く見ないで…………あら、?」


 唐突に言葉を遮り、リィリスが牢獄の外へ続く扉の方を見やった。

 その行動の意味を知っている七夜は、何ら怪訝に思う様子も見せず、彼女と同じ方を見る。


 暫くして、外の廊下から足音が聞こえてきた。

 ガシャンガシャン、という金属質の異音が混じっている。数秒の間を置いて、鍵が開錠される音の後、ゆっくりと扉が開かれた。


 上質そうな甲冑で全身を包んでいるが、兜だけは外した状態なため、その者の顔をはっきりと見る事が出来た。

 精悍なその顔立ちを、七夜は嫌でも記憶している。


 牢獄に姿を現したのは、グラスドであった。

 今まで何かと七夜の為に尽力していた彼は、なるべく音を立てないように外への扉を閉めると、次いで檻の鍵を静か開錠した。


「囚人番号『449』番。牢屋を出ろ。これより本日分の懲罰を行う」


 七夜たちが座っている寝台から少し外れた部屋の隅を見やったかと思えば、グラスドは誰もいない空間に向けてそう言った。

 しばらくして、剣帯にぶら下げていた手錠を取り出すと、これまた誰もいない空間に向けて、あたかもそこに人がいるかのような様子で錠前を固定する。


「……毎日毎日、同じ言葉と行為の繰り返し。本当にご苦労様よね、彼」


 くすりと笑んだリィリスは、直後、その白く細い指を持ち上げてパチンと鳴らした。


 すると、グラスドの正面に位置する空間が唐突に揺らめく。

 何かのベールが剥がれるかの如く、不可解な揺らぎはゆっくりと流れて霧散した。その異質な光景に、けれどグラスドは何も見えていないかのように、無反応であった。


 ベールの奥から現れたのは、七夜だった。

 より正確に言えば、リィリスが高度な魔法で生み出した幻影体の七夜だ。


 この一ヶ月近く、技能移植のせいで地獄のような目に遭っていた七夜に代わり、あの幻影体が一日一度の懲罰を受けている。

 幻は幻に違いないが、リィリスによって組み込まれた魔法式が作用しているお陰で、生身の人間と同じ感触を持っている上に感受した刺激に対して相応の反応をするようになっているらしい。


 つまり、拷問を受ければきちんと叫び声を上げてくれるという事だ。そこまで真に迫った幻影体であれば、本物と錯覚されて当然だろう。


 リィリスが気を利かせ、いつもは七夜達の視界に映らないよう細工をしていたのだが……。


「……やっぱり、自分がもう一人いるって光景は、普通に気持ち悪いな」


「でしょうね」


 もう一度リィリスは指を鳴らした。

 再び空間にベールがかけられ、幻影体の七夜の姿が覆い隠される。手錠だけが浮いて見えるその光景もまた、少しだけ気味が悪かった。


 グラスドが偽七夜を引き連れて牢獄を出てゆく。

 ガシャン、という音と共に扉が施錠され、ゆっくりと金属質の足音が遠ざかっていった。


 訪れた静寂。それを破ったのは、リィリスの何かを考え込むような声だった。


「うーん」


「どうした」


「あの男、中々の手練れだと思ってね。パッと見だけど、たぶんこの国にいる人間の中でもかなり強い方なんじゃないかしら。どうして彼のような男がこんなゴミ溜めで獄卒なんてやっているのか、不思議でならないわ」


「……、」

 

 そんな彼女の言葉には、不思議と納得出来る部分があった。

 理由は分からない。

 それでも七夜は、グラスドの佇まいや挙措を見た時、彼は相当の強者つわものなのだろうと意識のどこかで判じていた。


 ただの一般人が、世界王者のボクサーを見て安易に「強そう」と思うその感情とは、明らかに異なる。

 相手の身体から滲み出る雰囲気、オーラとも言うべきそれを微かにだが確かに感じ、その結果として七夜は力量の程度を判別した。


 自らの内側へと、意識を向ける。

 身体の奥底で絶え間なく蠢いている〝何か〟の存在を、改めて認識する。


 言うなればこの変化は、七夜に根付こうとしている技能の影響なのかもしれなかった。

 自分の中身が作り変えられるような感覚。その実感を得て、七夜は少しだけ、怖気に近いものを感じた。


「……話を元に戻したいんだが」


 その感情を振り払うかのように、表情を引き締めて言う。


「こんな地獄の底みたいな場所で、どうやって仲間なんて見つけるんだ。もしかして、さっきのアイツでも引き入れるのか?」


「違うわよ」


 リィリスがあっさりと首を横に振った。

 七夜の膝上からふわりと退きながら、艶やかな黒髪を靡かせる女は流麗な声音を紡ぐ。


「確かに、彼をナナヤくんのお仲間にする事が出来れば上々よ。いま私が抱えている、ナナヤくんに対する色んな不安要素がまるっと解消されちゃうくらいにはね。……でもダメ。彼をこちらに引き入れるつもりは毛頭ないわ」


「何でだよ。強い奴が一緒だと、それだけ俺が安全に生きていけるって事だろ。リィリスの望みにも沿ってるし」


「私がナナヤくんの〝お友達〟に相応しいと思う人間は、強いだけじゃダメなのよ」


 リィリスの目が細められる。

 内心を悟らせない意味深な光を宿した瞳に、七夜は怪訝の顔を向ける。


「それにね」


 女はひっそりと付け加える。


「お姉さんの勘だけれど、ナナヤくんがあの男と仲間になるのは、はっきり言ってやめておいた方がいいわ。多分もっと他に、有益な関係性があると思うから」


「有益な関係性? 片や囚人で、片や獄卒だろ。それ以上に何の関係が出来るって言うんだ」


「だから勘だと言ったでしょうに。とにかく、あの男はナシ。というかもう、お友達候補は見繕ってあげてるから。お姉さんのサポート力を甘く見ないでちょうだい!」


 豊満な双丘を惜し気もなく揺らしながら胸を張ってみせるお姉さん。

 その姿に七夜が若干の鬱陶しさを感じていると、リィリスがまたも牢獄の壁へと視線を向けた。


「まぁ、私も最初はダメ元だったのよ。ナナヤくんの時間に余裕がある今の段階でお仲間作りを達成出来るのが一番だけど、もし私のお眼鏡に適う人がいなかったら、ナナヤくんが出所した後になって考えようって」


「……じゃあ、そのお眼鏡に適う奴がいたのか?」


「えぇ」


 リィリスは自慢げに言う。


「私たちが今いるのは、ディアメルク王立刑務所……その中でもこの深層七階級に収容されているのは、ナナヤくんを含めて三人。その内の一人に、お姉さんは目を付けたのっ」


 言いながら、彼女はつぅ、と腕を持ち上げ、壁の方を指さした。


「ちょうどここの真向かいにある牢獄に収容されている囚人よ。ナナヤくんには今からその人とお話をして貰って、上手く仲間になってくれるよう言いくるめてほしいの」


「……は?」


 思わず七夜は瞠目した。


「ちょっと待て、リィリス。話って俺がするのか?」


「当たり前じゃない。ナナヤくんは幼い頃、お友達作りをパパやママにしてもらっていたの? 違うでしょう。そういうのは自分の力でやらなくちゃ」


「いや、だけどな……」


 七夜にしては珍しく、渋るように言い淀む。

 脳裏に思い起こされるのは、元の世界での記憶――小学一年生から中学三年生までの九年間、基本的に誰とも遊ばず、殆ど一人の時間を過ごしてきた〝ぼっち〟の記憶だ。


 自主勉強と読書が趣味だったかつての七夜は、おおよそ自ら進んで友達を作りに行くような行為を一度としてした事がなく、ゆえにリィリスの指示を遂行するのはいささか難儀に思えた。


 例え凄惨な地獄を経験して人格が変容してしまっても、心の奥底に染み付いた性格の方はなかなかどうして変わらないものである。

 人間とはそういうものだ。


「……というか、俺が話をするしない以前に、どうやってコンタクトを取ればいいんだよ。牢屋の鍵は当然開けられないし、看守の目だってあるだろ。普通に考えて無理なんじゃないか?」


 過去の自分の性根を省みて内心で嘆息を溢した七夜は、しかしそんな胸中を悟られないよう、質問を重ねる。

 とは言え的を射てはいるだろう彼の問いに、リィリスは間を置かずして答えた。


「何も直接顔を合わせて交渉しろって言うつもりはないわよ。ナナヤくんってきっと人見知りで、そういうの苦手なんだろうなーとは思ってるし。お姉さん、そこまで無理をさせるつもりはないからね」


「……、」


 こうして言葉を交わすようになってまだあまり日が経っていない相手に、どうしてそこまで見抜かれているのか。

 諭されるように言われて、七夜は若干の気恥ずかしさを覚えた。


「そこで、私の持っている魔法をまた一つ、ナナヤくんにあげるわ」


「魔法?」


「そ。『思念を伝える魔法ネフィリム』っていうの。いま私がナナヤくんとしている念話と同じようなものね。この魔法を使えば、誰にも聞かれずに任意の相手と直接話す事が出来るようになるわ」


「……って事は、あっちの世界の電話みたいなものか。それなら……、ん?」


 そこでまた七夜は一つの違和感を覚え、リィリスを見た。


「その魔法とリィリスが使ってるこの念話って、まったくの別物なのか? それっていったい何が違うんだ?」


「『思念を伝える魔法ネフィリム』は使用者が任意の相手、もしくは集団に自由に言葉を伝える事が出来るけれど、私のは、謂わばナナヤくん専用。貴方との間にある魔法線に特殊な細工をして、私の声がナナヤくんにしか聞こえないように設定してあるの」


「……えっと。よく分からないが、普段のリィリスは俺としか会話が出来ないって事か?」


「えぇ、その認識で大丈夫よ」


「俺にあげるって言ってたが、それって要は、『ノード』の技能と一緒でリィリスのものじゃなくなるんだろ? いいのか、その魔法があれば俺以外の人間とも話せるんだろ?」


 七夜の懸念に、けれどリィリスはあっさりとした調子で微笑んだ。


「問題ないわ。寧ろ、色んな事情があってナナヤくん以外の人とは喋りたくない……というか喋れないから、持ってても意味のない魔法だったの。いい機会よ」


「……まさかあんた、大陸中に認知されてるお尋ね者とかじゃないだろうな?」


「失礼ね。こんなに可憐で美人なお姉さんが犯罪者な訳ないでしょうに」


 リィリスはそう言ってむくれた様子を見せながらも、七夜の傍へと近付く。寝台に座る彼の隣に腰を下ろし、おもむろに状態を擦り寄らせてくる。


「じっとしててねー」


 おもむろに突き立てられた人差し指が、七夜の額に触れる。

 その段階に至り、七夜はある事に気付いて咄嗟に身を退いた。


「ま、待て! いま思ったが結局これも移植と同じだよな!? まさかまた同じような激痛が襲ってくる事はないよな!? 流石にもうあんな苦しい思いをするのは御免だぞ!」


 珍しく声を荒げる七夜に、リィリスは暫しの間きょとんと固まった後、愉快そうに笑みを溢した。


「ふふ、心配しなくても平気よ。技能の移植に痛みが伴うのは、本来その人が持つ事はありえない……その人の身体には適応しない筈の魔法体系を無理やりに縫い付けるようなものだからよ。例えるなら……痛覚遮断の魔法を使わずに、皮膚を引き裂いて神経を抜き取って、別の人の神経を代わりに繋ぎ合わせるような感じかしら」


 要は麻酔をかけずに大手術を行うようなものという事か。

 七夜は思わず想像して身震いし、よくもそんな狂気じみた事をされて生きていられたなと、自らに感心した。


「けれど、『思念を伝える魔法ネフィリム』は技能ではないし、無数にある魔法の中でも一般魔法に分類されているから、移植したところで何の痛痒も感じないわ。ナナヤくんも、きっと封印魔法さえかけられてなかったら普通に会得出来ていたものだったんじゃないかしら?」


「……なるほど」


 説明を受けて納得した七夜は、自身の中からトラウマレベルの記憶を意識の片隅へと追いやった。

 今度は大人しくリィリスの接触を受け入れる。


 当然、彼女の指の感触が伝わって来る事はない。

 それでも直後、何かが自分の中に流れ込んでくる感覚を味わった。


「ッ……」


「はい、おしまい」


 移植はすんなり終わった。

 一応、それなりの覚悟をしていた七夜は、リィリスの言葉を合図として一気に身体から力を抜く。


「呆気ないな……」


「あらどうしましょ、ナナヤくんがマゾヒストになりかけているわ。お姉ちゃん困っちゃう」


「何でだよ」


 軽いやり取りを交わした後、七夜は無意味と分かりつつも自らの身体を見下ろす。当然、目に見える変化はない。


「これで、俺も魔法が使えるようになったのか?」


「そうよ。一つ目に覚えた記念すべき魔法ね。早速使ってみましょう?」


 そう言ってリィリスは七夜の傍らに座ったまま、正面の壁を指さす。


「思念の接続は、今回だけ私が補助してあげるから、ナナヤくんは魔法の行使にだけ集中してちょうだい」


「そう言われてもな……」


 七夜は戸惑う。何せ魔法を使う機会はこれが初めてなのだ。

 戸惑いの表情を浮かべながらも、かつて、座学として宮廷魔導師団の人間から教わった諸々の事柄を思い出す。


 ――魔法を使う上で、多くの魔導師が詠唱を行う。

 しかしそれは、魔法の使用に際して必要となる〝イメージ〟を補完する為であるらしい。


 実際に行使する魔法を言葉として認識し、記憶に刻み込む事で、より強力かつ安定した魔法行使が可能となるのだそうだ。


 ゆえに、魔法発動にはイメージ力が一番の要素になると七夜は考えた。


 目を閉じ、想像をする。自身の身体から電話線のようなものが伸びている光景を。

 そしてそれが相手と繋がる事によって、『思念を伝える魔法ネフィリム』は発動できるのだと、思い込む。


「……、」


 瞼の奥に広がる暗闇に、細い白の糸が揺蕩ったような気がした。

 それは行き場を持たず彷徨うかのようにゆらゆらと揺れていたが、すぐ後に、何かに導かれるように真っ直ぐ暗闇の奥へと進み始める。


 その線が、やがて何かに繋がった。リィリスの声が耳に入る。


「いいわよ」


 その言葉を合図に、七夜は瞼を開き、訥々と話し始める。


「……あー……その、聞こえるか? 急に声が聞こえてきて驚くだろうが、別に、俺は怪しい奴じゃない。だからまぁ、怪しまないでくれ……ひとまずだな、あれだ、俺の話を聞いてくれると、俺としては助かるんだが……」


 何と不器用で下手な話しかけ方だろうと、七夜は自分に嫌気が差す。

 声として口に出している以上、それはリィリスにも聞かれている訳で、ちらりと隣を見れば黒ドレスの女はにやにやと意味深な笑みを溢していた。


 そこから暫く相手からの返答を待つ。――しかし。


「……なぁ、リィリス。これ、ちゃんと向こうに聞こえてるんだよな?」


 一向に返事がない為、七夜は訝りを込めて傍らの女へ訊ねる。


「その筈よ。まぁ、得体の知れない相手から唐突に話しかけられて、すんなり応じるような人ってそういないとは思うけれど。……それを思えば、最初、ナナヤくんって私の言葉にすごくあっさり返事してたわよね?」


「いや、あの時の俺は死んでるも同然だったんだぞ? リィリスも知ってるだろ。相手が誰だとか考える余裕もなかったんだ。普通に返答出来てただけでも褒めてほしいくらいなんだが」


「それに関しては私のお陰なのだけれど。良かったわね、一生廃人コースから抜け出せて。改めて、もっとお姉さんに感謝してくれてもいいのよ? というか寧ろ感謝してほしいくらいだわ!」


「鬱陶しい。いい加減に感謝の押し売りは止めてくれ」


 リィリスの反応を見るに、魔法はちゃんと発動できている筈なのだが、返って来るのは静寂だけである。


 この監獄に収容されている以上、当然、相手はかつて何らかの罪を犯した咎人だ。念話で話しかけた瞬間、その野蛮で荒い気性が祟って叫び返されなかっただけまだマシだったと、七夜は考える。


 とは言え、会話が出来なければ交渉のしようもない。

 リィリスがもっと話しかけろと指示を出してくるので、渋々言葉を続ける。


 ――その直前で。

 不意に、七夜の脳内に響くものがあった。


『………………あの、』


 その声は。

 かつての七夜と同じで、酷く掠れていた。


 それでも確かに人の発する言葉としての音を成していて、確かに掠れてはいるものの、その者が本来持つ声音の美しさを残しているようで耳障りが良かった。


『貴方は、どちら様でしょうか……? いったいどこから、念話を……?』


 不安と猜疑が入り混じってか、微かに震える声に、けれど七夜は何か返事をする訳でもなく、沈黙を貫いた。

 魔法を行使したままであるにも関わらず、ぐるんと首を巡らせ、傍らに座るリィリスを見やる。


「……なぁ、リィリス」


「なにかしら、ナナヤくん?」


 黒ドレスを身に纏う妖艶な女は、嫣然と微笑んでいた。

 その笑みに紛れもない悪意……というよりも小さな悪戯心が潜んでいるのを感じて、七夜の頬が引き攣る。念話先の相手に声が聞こえてしまう事など気にも留めず、やがて少年は、我慢できないといった風に強く叫ぶ。


「何で、よりにもよって〝女〟なんだよッ!!」


 これ以上ない簡潔な訴えが、牢屋の中に響いた。

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