訪れるは投獄の末路


 突如として声を挙げた者の姿を見て、光聖は怪訝の色を込めて目を瞠った。


「……仲嶋さん?」


「やー、光聖くんには悪いんだけどねー。私も犯罪者の味方なんてしたくないしぃ? 、光聖くんのお陰で無罪放免だってなったら嫌だもん。ほら、私や他の女の子とか、次は自分が襲われるかもってずっと震えてなきゃいけないの、光聖くんも可哀想だと思うでしょー?」


「いっ、いや、だから!」


 杏奈の言葉に、光聖は即座に否を唱えた。


「斯波くんはエルネリアさまを襲ったりなんかしてないんだ! 絶対みんな、変な誤解をしてるんだよ!」


「えぇー? じゃあさ、さっき国王さまが言った通り、王女さまの部屋の傍で色んな人が斯波くんを見たっていう話はどう説明するのぉ? 本人の姿を見たとか言われちゃったらさぁ、もうそれ完璧クロだと思うんだけどー?」


「それ、は……」


 再び光聖は言葉に詰まる。

 これでは同じ問答の繰り返しで、いたちごっこにしかならない。


 無理やりにでも何かを言おうと苦悶しかけて――だが不意に割り込んできた声が、彼の思考を止めさせた。


「だったらそれ、本物の斯波くんじゃないんでしょ。斯波くんになりすました、別の誰か。その人が王女さまを襲って、斯波くんに罪を着せたんじゃないの?」


 奏である。

 クラスメイトの集団から一歩歩み出た彼女は、寝惚け眼の双眸を杏奈に向けると、相も変わらぬ無感情な声音で続けた。


「秘宝の水晶が破壊されたのもそう。王宮の監視結界は捏造が出来ない。なのに、その場にいなかった斯波くんが映ってたのは、あの映像は本物で、でもそこに映ってたのが斯波くんの成りすましだったから。だから斯波くんはどっちの事件も無罪なの」


 周囲の者たちの視線が一気に奏を向く。

 国王までもが彼女を見据え、そして告げられた言葉に対して目を眇める。


 ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていた仲嶋杏奈も、突如として割り込んできたのが奏であった事に驚きの表情を浮かべたが、すぐに元の不敵な態度に戻った。


「急にしゃしゃり出てきて何言うかと思ったら、何の根拠もない事でウケるんだけど。もうちょっと現実味ある事言わなきゃじゃんねぇ? まー蘇芳さんってゲームオタクだしぃ? そーゆーのムズイのかもしれないけどさぁー?」


「……根拠がない? 貴女はそう思ってるの?」


 明らかに奏を見下すような態度で嗤う杏奈。

 そんな彼女に小首を傾げて訝りの視線を投げる奏。


 嘲りの言葉が通用せず、何食わぬ顔で立ち続ける奏に対し、杏奈は尚も口許を歪めて言う。


「あのねぇ、そんな勝手な憶測言われたって誰も信じたりなんかしないの分かんないのぉ? 誰かがソイツに成りすましてたとか、どうやって証明するワケ? ただの思い付きだけで言ってんだったら、余計な口挟まないでほしいんだけど」


「別に。思い付きじゃないから」


「はぁ? 証拠はあるのぉ?」


「うん。だから、それを信じてもらうために、王女さまにお願いしたんだけど。斯波くんは無実だって証明したくて。エルネリアさまに直接聞けば、ほんとかウソか分かると思うよ」


 彼女はあくまで落ち着いた物腰を変えない。

 それが勘に障ったのか、相対する杏奈が奏を忌々しげに睨む。


「っ……ていうか、何でアンタが光聖くんに協力してんのよ。ずっと興味ないフリしときながら、アンタも光聖くん狙いだったワケ?」


「? 言ってる意味が分からない」


 きょとんと首を傾げる奏に向けて、杏奈は舌打ちを鳴らした。

 周囲のクラスメイトも、光聖も、少女二人の対峙を無言で見守っている。

 再び玉座の間が鎮まり返ろうとしたタイミングで。


「ふむ……何者かによる成りすまし、か」


 国王が低い声を発した。


「もし本当にそのような手口であったならば、其奴そやつが無実である可能性も否めないだろうな」


 奏の意見を後押しするかのような言葉に、光聖は僅かな希望を見出したかのように、表情を明るくする。

 だが。

 ユーグロアは厳かな眼差しを収めないまま、傍らに控える宰相の男へと視線を流した。


「フリードリヒ」


「は」


「たった今、スオウ殿が口にした仮定を裏付ける事が出来る魔法は、現在この王国内に存在するか?」


「否でございます」


 否定の言葉は即座だった。

 王の右腕たる男は、銀縁眼鏡の奥で瞳を細めながら、滔々と続ける。


「未だ魔法知識の薄い『神の遣いレガリア』の皆さまにも申し上げますと、この世界には、一〇〇パーセントの精度で他者に変貌出来る魔法は存在しません。外見操作の魔法はあっても内側から漏れ出る魔力の質を変える事は出来ず、印象操作の魔法はあっても監視映像越しにその魔法が作用する事はありません。もしも……そう、もしも、外見だけでなく内在する魔力の質も変える事が可能で、外的要因としての監視結界を介しても尚、〝偽装〟を保つ事が出来る魔法があれば、流石のわたくしとて気付けはしないでしょうが……」


 暫しの間を置き、フリードリヒは結論付けた。


「少なくとも、現在、この王国に私の眼を欺けるほどの認識作用系統魔法は、一つとして確認されていませんね」


「だ、そうだ」


 絶対の確信を持って告げられた言葉に、ユーグロアが厳格な面持ちのまま静かに瞼を閉じた。

 光聖がギリ、と歯を食い縛り、奏も心なしか顔を顰めて国王を見上げている。


 彼等の傍らで杏奈が「ふふっ」と笑い声を洩らした。


「ざぁんねん。せっかく頑張って頭使ったってのに、見事的外れになっちゃったねぇ? だからもっと現実的に考えようよって言ったのにさぁー」


 自らが崇拝する光聖が傍にいる事も忘れて、杏奈は愉快そうに笑う。その笑い声に、奏は、生徒たちの間に弛緩した空気が流れるのを感じた。


 クラスメイトの殆どは、七夜を無能を嘲り、そして罪人として徹底的に蔑んできた。

 そんな相手が実は無実でありましたなどと言われては、あまりにも気まずいのだろう。


 それしきの事で、と奏は呆れた。


 彼等の中に、同じクラスメイトの人間を慮る気持ちはとうにない。

 全員の中で、斯波七夜はれっきとした犯罪者として認識されていた。


 嫌な流れである。

 そしてこれは、確実な誤算だ。

 奏の考えでは、どんな場面であろうと光聖の持つ求心力が皆を先導してくれると踏んでいた。


 しかし現状、光聖よりも杏奈の立場が優勢である。

 ――何故?

 そう思案して、奏は黙り込む。

 今の空気を作り出している張本人に目を向ければ、当人が目を細めてこちらを睨んでくる。


「何よ?」


「別に。……ただ」


 奏は茫洋とした瞳で、杏奈の瞳を見据えながら言った。


「まるで貴女が、無理やりに斯波くんを貶めようとしてる風に見えたから。それが気になっただけ」


「っ、」


嫉妬と同じように斯波くんを害そうとしてるなら、今すぐやめて。今までとは違うの。貴女のせいで、斯波くんが犯罪者になっちゃうかもしれないんだから」


 揺らがない瞳で真っ直ぐに奏はそう告げた。

 数秒、両者の間に沈黙が流れる。

 

 不意に、杏奈が奏の言葉を散らすように鼻で笑った。


「はっ……〝なるかもしれない〟じゃなくて、もうとっくに犯罪者なんだからさぁ? なに勘違いしてるワケ? そいつはこの国の大切なお宝を壊して、その上王女さまをレイプした大犯罪者なの! そんな奴をとっとと牢屋にぶち込みたいって思って、何がいけないの!?」


「……何度も言わせないで。それは貴女たちが誤解してるだけ。斯波くんは無実。ちゃんと証拠だってあ――」


「あーもう、ウザってぇなぁ!」


 唐突に、乱暴な声が割り込んできた。

 クラスメイトの輪から一人の女子生徒が歩み出て来る。

 スラリとした長身に、後頭部で一つに結わえ上げたポニーテールが特徴的な少女だ。


 クラスの女子勢で最も高い身長を自慢げに晒し、多くの者の注目を浴びながら杏奈の隣に並んだ彼女の名は、桐谷きりたに玲香れいか

 光聖の取り巻きを成す親衛隊の一人であり、光聖に匹敵するほどの運動神経を持つ女子中学生である。


「蘇芳さぁ、あんま調子乗んなよ? お前ゲーオタのくせに、ちょっと魔法の扱いが上手いからって浮かれてんじゃねぇの? 身のほど弁えろやこの陰キャが」


 杏奈の傍から数歩歩み出し、至近から奏を見下ろしながら、玲香は男勝りな口調でそう吐き捨てた。

 奏と玲香の身長差は三〇センチ弱。只でさえ鋭い眼光は、同い年の男子であれば殆どが怯えて逃げ腰になってしまうだろう。


 しかし奏は表情一つ変えなかった。

 威圧的に睨み付けて来る玲香に、しかし変わらぬ無感情な瞳を返し、応じる。


「調子になんて乗ってない。私はただ事実を言ってるだけ。貴女たちの誤解を正そうとしてるだけだから」


「だーかーらーさぁ!」


 ダンッ! と玲香が強く床を踏み鳴らして言った。


「王女さまは斯波にレイプされた! あの水晶壊したのも斯波! 誰かの成りすましとかありえねぇから! 誰かが斯波に成り代わってたら、絶対分かる筈なんだからさぁ! ですよねぇ、宰相さん!?」


 唐突に話を振られたフリードリヒは、流石に少し驚いた様子を見せたが、すぐ後に眼鏡のブリッジを指で押し上げてから、いつもの冷然とした声音で答えた。


「そうですね。例え何者かがシバ殿の姿を模倣して犯行に及んでいたとしても、私の魔眼は誤魔化せません。それだけは断言出来ます」


「だってさぁ? 杏奈も言ってたけど、お前の言ってる事は全部的外れな訳。適当な事しか言えないんだったら今すぐ黙ってどっか行ってくんない? アタシらの邪魔でしかないんだけどー」


「ッ……桐谷さん! それは流石に言い過ぎだ! 俺たちはただ斯波くんの……それに彼女の言ってることは――」


 玲香の物言いに口を挟もうと詰め寄りかけた光聖。

 しかしその動きは予想外の者たちによって阻まれる事となった。


「落ち着いてよ光聖くん! 一旦落ち着いたらいつもの光聖くんに戻れる筈だから!」


「そうよ! きっと今は混乱してるの! 犯罪者の肩持つなんて九条くんらしくないし! だからまずは落ち着いて、何が正しいのかちゃんと考えてってば!!」


「九条くんが優しいのは分かるけど、早くアイツ処分してもらおうよー! だって怖いじゃん! 九条くんは、これからずっと私たちが斯波くんに怯えながら過ごしても平気だって言うの!?」


 光聖の周りに、クラスメイトの女子たちがこぞって群がってきたからである。

 いつもいる親衛隊の面々ではない。親衛隊ではないが、それでも光聖に憧れていたり好意を持っている者たちだ。


 奏を含めたほんの数名の女子生徒を除く、多くの少女の群れに囲われて、さしもの光聖も激しく戸惑った。


「ちょっ、みんな落ち着いて……! 俺の話を聞いてくれ……!!」


 心の優しさが根付いてしまっている彼は、叫ぶだけで、縋り寄って来る少女たちの身体を強引に引き剥がしたりはしない。

 何とか宥めようと言葉を尽くすが、一向に収まってくれない。


 半ば混乱状態に陥っている皆を見て、光聖は少しだけ、違和感を覚えた。


 自分を取り囲む少女たち全員に見える違和感。

 それが何かを考えるより早く、光聖はバッと視線を転じて、輪の外にいる奏を見やった。


 彼女は光聖以上に明確な何かを感じ取っていたようで、いつもは無感情な貌を僅かに顰めていた。


「ッ……蘇芳さ――」


 女子生徒たちに揉みくちゃにされながら何とか奏を呼ぼうとして、


 パンッ! と。

 不意に、乾いた音が玉座の間に響き渡った。

 

 それまでの騒ぎが嘘であったかのように、シンとした静寂が満ちる。

 その場にいた全員が音の方を向けば、フリードリヒが両手を重ね合わせた状態で静止していた。


 場を鎮静化させるために、大きく手を叩いたのだろう。


「鎮まれ、『神の遣いレガリア』の者たちよ」


 国王ユーグロアが緩慢な仕草で中空に手を翳せば、玉座に続く道を形成している重臣や貴族たちが一斉に頭を下げた。


「話が少々ややこしくなってきているようだ。論争の当事者以外は列に戻るがよい」


 厳かな声で王がそう言うと、光聖を囲っていた少女達は、拍子抜けするほどにあっさりと元いた場所に戻って行った。

 唖然として固まる光聖を放り、ユーグロアは言葉を続ける。


「クジョウ殿とスオウ殿は、ナナヤ=シバの罪があだであると思っている。そうだな?」


「……は、はい。その通りです」


 光聖は訥々としながらも、確かに答える。


「そしてその証明には、我が娘エルネリアの言葉が必要であると。つまりエルネリアは事の真偽の全てを知っており、彼奴あやつに聞けば、何が真相か分かると?」


「……秘宝破壊の件に関して言えば、そうですね」


「なるほど」


 それだけを言って、王は体内から漏出する怒気を少しだけ抑え、大仰に肘を突いて何かを考え始めた。

 こめかみに指を当て、視線を中空へと彷徨わせている。いったい何をしているのかと光聖が怪訝に思った直後、ユーグロアの視線が真っ直ぐ光聖と捉えた。


「良い。ならば確かめてみようではないか」


「え……?」


「フリードリヒほどではないにしろ、エルネリアもまた優れた魔眼を持っておる。錯乱状態にあったとは言え、それでも自らを襲う相手が何者か……本物のナナヤ=シバなのか、それとも其奴そやつに成りすました誰かなのか……最低限の判別だけは付けられていた筈だ」


「……では、エルネリアさまご本人から、どちらであったかを訊ねれば、少なくとも斯波くんが犯人ではない事の証明になるんですね?」


「まぁ、そうであるな。そしてこの一件に関して本当にナナヤ=シバが冤罪であったとしたならば、ひとつめの罪……王級秘宝破壊の件も再考する余地が生まれてこよう」


 それは、言うなれば相手が光聖だったからこその、ユーグロアの譲歩だったのかもしれない。


 本来であれば。

 娘を犯された父の立場であれば、例え真偽が定かではなくとも、容疑者として疑われている七夜を即刻罰したい筈である。


 それでも光聖の言葉に耳を貸し、こうして事態に猶予を与えたのは、彼がブラッドルフ王国……大陸一の強国を収める王であるからか。


 ――とにかく。

 光聖は、追い込まれている今の状況に対する活路を見た。


 エルネリアに話を聞く事が出来れば、全てが収束する。

 真を偽を見定めた上、未来を見通して自分たちに味方すると決断してくれた彼女が、皆に真実を話してくれれば、七夜を謂れの無い罪から解放できる。


 そう思うと、自然と心が高揚した。


「な、ならその役目、俺が引き受けます! エルネリアさまの許へ行ってもよろしいですか?」


「ならん」


 光聖の申し出に、しかし国王はゆっくりと首を横に振った。


「我が娘は男によって酷い目に遭わされたのだ。今の状態で、異性である其方そなたと会わせる訳にはいかん」


「い、いや! だからエルネリアさまを襲ったのは斯波くんじゃなくて……!」


「その真偽を、これから確かめるのだ。事の真相が分からん内は、其方そなたの言葉を信じる事が出来ん。……仲間の肩を持ちたい気持ちは分かるが、あまりしつこく口を挟まん事だ。儂はともかく、他の者たちが黙っておらんぞ」


 ハッとなり、光聖は王から視線を外して周りを見た。

 王に仕える重臣や、国を動かす貴族たちは、一様に光聖へと猜疑の視線を向けていた。


 あまりに王へ食い下がり続ける光聖を、彼等は七夜に与する者として認識し始めている。

 つまり、光聖も共犯ではないかと疑われつつあるのだ。


 その事を理解して、彼は咄嗟に口を噤んだ。


「……あなた、私が行きます」


 そこで口を開いたのは、今までずっと事の成り行きをユーグロアに任せ、自身はひたすらに黙り込んでいた王妃、ヒルデガルトであった。


 エルネリアと全く同じ艶やかな金髪を揺らし、頭に煌びやかなティアラを乗せた彼女は、洗練された動作で立ち上がると、夫である国王に向き直る。


「侍女の者たちに任せるよりも、母親である私が赴いた方が良いでしょう。そうでなくとも、一刻も早く私はあの子の許へ行きたいのです」


「……そうだな。ヒルデガルト、其方そなたに任せよう」


 但し、と王は言葉を区切った。


「エルネリアの言葉が如何なものであれ、必ず真実を伝えよ。私怨に駆られ、虚偽の報告だけはしないよう誓えるか?」


「……あの罪人の肩を持つような事を仰られるのですね?」


「そうではない。王として、私は民に対し中立であるべきだからだ。それが例え、罪を犯した異世界の者に対してであってもな」


「ご心配なさらず。あの子の言葉をありのまま、陛下にお伝えしますわ」


 そう言ってヒルデガルトは、一度だけ七夜を鋭い双眸で見下ろした。

 七夜は先ほどからずっと床に這いつくばっているため、王妃と視線が交わる事はない。


 周りの重臣貴族が、王と妃の間に流れる険悪なムードに気圧され、引き攣ったような顔を浮かべた。

 その只中を、ヒルデガルトが割り入るように歩み出し、広間を後にしかけたタイミングで――


 バアァンッ!! と。

 突如として、玉座の間の大扉が派手な音を立てて開かれた。


 ユーグロア、ヒルデガルト、光聖、奏、その他全員の視線が一挙にそちらを向く。

 扉を開け放った格好で立っていたのは、質素な給仕服を身に着けた侍女だった。

 大きく肩で息をしながら、普段であれば丁寧に結い上げられているであろう髪を僅かに乱し、その女性は玉座の間へと闖入してきた。


「はぁ、はぁ……こっ、国王陛下と、王妃殿下に……は、拝謁致します……」


「うむ。だがまずは息を整えよ。無理をさせて悪かったな」


 誰もが突然の闖入者に唖然とする中、まるで彼女が来ることを予見していたかの如き口ぶりで、ユーグロアが言った。

 数名の訝りを含めた視線が、彼へと注がれる。


 しかし王は何も言わなかった。

 侍女の呼吸が落ち着くのを黙って待つ。


 十秒以上の間があった後、ようやく彼女は言葉を紡いだ。


「――エルネリアさまがお目覚めになられました。精神状態は落ち着いており、記憶の混濁なども見られません。ひとまずは無事と判断して問題はないと思われます」


「まぁ、本当ですか!?」


 ヒルデガルトが喜びの色を浮かべる。

 しかし、対して侍女は何かを言い淀んでいるかように少し視線を彷徨わせる。


 王妃につられる形で安堵の息を洩らし、弛緩した空気を伝播させかけた貴族たちを軽く制してから、国王は応じた。


「それは何よりだ。……?」


「は、はい……」


 奏や杏奈たち『神の遣いレガリア』の横を過ぎ、光聖の横を過ぎ、七夜の横さえも過ぎて……侍女は王の御前で立ち止まった。


、王女殿下にお訊ね致しました……殿下を襲ったのが、いったい何者であったのか……」


 その言葉に。

 ヒルデガルトが驚愕と共にユーグロアを振り返った。


 ふるふると震える王妃の瞳と、揺るぎの無い国王の瞳が、交わり合う。


 その交錯を遮る形で、銀縁眼鏡の宰相フリードリヒが王の斜め前へと歩み出た。


「……王女殿下の容体を診ている者たち全員に、予め念話で伝えておいたのです。エルネリアさまの意識が戻り次第、事の真相を問い質し、早急にこの場へ伝えに来るようにと」


「フリードリヒ……!」


「陛下のご命令でしたので」


 泰然とした姿勢のまま答えるフリードリヒ。

 僅かな憤りすら見せながら、ヒルデガルトは国王ユーグロアへ再び視線を転じた。

 王の静かな声が響く。


其方そなたがエルネリアの許へゆくのが先か、エルネリアの意識が戻るのが先か……ただそれだけの話だったという事だ」


「だとしても、目覚めたばかりのあの子に問答無用で追及をするなど……! 可哀想だとは思わないのですか……!?」


「許せ。今は一刻たりとて時間が惜しい状況だ。事実、その裁量のお陰で其方そなたが赴くより早く真相を知る事が出来る。……このようなにいつまでも時間を割かれている場合ではないのだから」


「……些末ですって?」


 夫の言葉を聞き咎めたヒルデガルトが何かを言うより早く、ユーグロアは御前に立つ侍女へ告げた。


「エルネリアより聞いた言葉を申すが良い。我が娘は、いったい何と言っていた?」


「……、」


 少し俯き気味だった侍女の顔が、僅かの間を置いて、ゆっくりと持ち上げられる。

 尚も揺らぐ双眸で、それでも辛うじて国王を見上げながら、やがて彼女は静かに口を開いた。


「……エルネリアさまは、仰られていました」


 そして告げる。


「あの夜、寝室に侵入し、自分に襲い掛かって来たのは――間違いなく、シバさまであったと」


 一人の少年を地獄へ突き落す、決定的な言葉を。


「魔眼を通しても尚、偽装魔法や隠蔽魔法、幻影魔法の類は見られなかった……正真正銘、あの時あの場にいたのは、シバさまで間違いありませんと……そう、仰っていました」


「ちょ、ちょっと……ちょっと待って下さいよッ!!」


 叫んだのは光聖だった。

 先ほど、群がる女子生徒を意地でも強引に引き剥がさなかった彼は、しかし侍女へ掴み掛かる勢いで詰め寄り、鋭い声を飛ばす。


「なに言ってるんですか……!? そんな訳ないじゃないですか! 嘘つかないでくださいよ!!」


「え!? あっ、あの……」


「斯波くんじゃない! 斯波くんはやってない! 何で嘘言うんですか!? でたらめ言わないでくれますか!? 本当にエルネリアさまがそう言ったんですか!?」


「は、はい……たし、確か、に……」


「ならきっと目を覚ましたばかりで混乱してるんだ! もう一度ちゃんと聞いてみて下さい! そうすれば今度はそんな事言わない筈だ!! お願いします! ほら、今すぐエルネリアさまのところに戻って下さい! 今度は俺も行きます! 俺が聞いたら、ちゃんと殿下は正しい答えを言ってくれる筈だから! だから――」


 そこで言葉の奔流は途切れた。

 途端に光聖へと高密度の重力が降りかかり、彼を床に叩き伏せたからだ。


「ぐぁ……!?」


「クジョウ殿、陛下の御前です。どうかお静まり下さい」


 見れば、七夜をここへ連行してきた騎士ルイスが、光聖へと右手を翳していた。

 術者当人は涼し気な顔をしているが、先ほど七夜を苦しめたものと比較して、およそ数倍の重圧が光聖にはかけられている。

 それでも彼が無事なのは、ひとえに九条光聖が持つ資質や能力値の高さゆえだ。


 濃密な圧力によって拘束されている光聖の全身から、黄金色の粒子が放出され始めた。

 ルイスが瞠目する。


「ッ、これ、は……!?」


「……ふざ、け、るな……」


 放たれるは彼の魔力光。

原初の色ブラッド』の中でも『ルア』を発現させた九条光聖の、洗練された宝石の如き光。


 それが、まるでルイスの魔法を喰い破るかのように――浄化するかのように、端から霧散させてゆく。


「おれ、は……」


 小さな、しかし強い声が洩れた。


「俺は、約束したんだ……君を守るって……一度目は守れなかった……だから今度は、絶対に……斯波くん、を……守って見せるッ!!」


 光聖の絶大なる魔力が、玉座の間を満たす。

 ――それに紛れる形で、彼のすぐ傍でもう一つ、強大な魔力が膨れ上がった。


 微かに地面が振動する感覚すらあった。

 しかし誰も気付かない。


 数瞬の後、全ての魔力が霧散した。

 突発的に魔力を放出しすぎた光聖が、魔力枯渇によって意識を失ったからだ。


 低い魔力値しか持っておらず、光聖の放つ魔力のあまりの強大さに気を失いかけていた数名の貴族たちが、深い呼吸を何度も繰り返す。


 場は騒然となっていた。

 玉座の間にいる者……クラスメイトの面々やルイスたち騎士でさえもが、光聖に恐れのような視線を注いでいる。


 ざわめきの全てを沈めたのは、やはり、またも王の言葉であった。


「――これで真相は、明らかになったな」


 ユーグロアが玉座より立ち上がる。

 全員を睥睨するように見渡してから、やがて彼の瞳が床へ伏す一人の少年へと注がれる。


 怒りと冷静、衝動と理性、本能と責務の狭間で揺らぐ心を意思のみで支え。

 そうしてブラッドルフ王国国王ユーグロア・アルネス・ブラッドルフは、ゆっくりと言葉を連ねた。


「大罪人ナナヤ=シバを、王宮秘宝の破壊及び王女強姦の罪により、咎人の流刑地……ディアメルク王立刑務所へ送る事とする」


 その宣告に。

 先の喧騒よりも大きなざわめきが広間に満ちた。


其奴そやつに与える罰は、そこでの禁錮三年間と、一日一度の懲罰だ。これは特例である。『零れ落ちた雫リーンブラッド』の破壊に加え、性的暴行……それも一般市民ではなく王族に対する行為に及んだならば、本来は即刻死刑だ。だがそれでは、多くの者が納得せんだろう。ナナヤ=シバには三年もの間、徹底的な地獄を見てもらう。その過程で死を選ぶというのならば、自ら舌を噛み切って勝手に死ぬがよい」


 国王に審判に対し、誰も言葉を返さなかった。――判決を言い渡された七夜でさえ、先ほどから床に跪いた姿勢のまま、微動だにしていない。


 とうに、何も認識出来ていなかった。

 床に四つん這いで蹲り、そして地に額を押し付けた姿勢のまま、無言で固まっている。


 ――結局。

 騎士たちに連行される間も、七夜は糸の切れたマリオネットの如き姿を呈していた。


 多くの者が見据える先で、両側を騎士に支えられた斯波七夜は、やがて玉座の間から連れて行かれてしまった。

 王国屈指の犯罪者のみが収容されている最狂最悪の大監獄へと。


 そうして。

 七夜の、三年に及ぶ地獄の牢獄生活が、幕を開けたのだった。

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