下着姿と戯れのひと時


 折れそうになっている心をどうにか保ちながら、七夜は宿舎の廊下を歩いていた。

 溜息を吐きたくなるのも当然だろう。この一週間の中で、どんどん自分の肩身が狭くなっているのを感じる。


 能力検査の折、「皆の足を引っ張らないように頑張る」とフィルヴィスに宣言してしまった手前、めげる事無く訓練を積み重ねてきたが、とうとう教官からも匙を投げられつつあり、座学はともかく戦闘訓練には参加させて貰えない始末。


 どうして自分は碌に魔法を覚えられないのか。

 プロの魔導師に検査して貰っても原因が分からなかった七夜は、自分で王宮内の図書館に行って似たような前例が無かったか調べた事もあったが、生憎、そのような事例は過去にさえなかった。


「ほんと、何がいけないんだろう……どれだけ頑張っても結果が出ないとか、もうこれいっそ呪いとかって言われた方が納得出来るんだけど……」


 ぼやく七夜は今、奏の部屋へと向かっていた。

 夕食の時間は済んでおり、生徒達は各々自由な時間を過ごしている筈だが、七夜の歩く廊下には人ひとりいない。


 そもそもこの階層は女子専用のフロアで、滅多な要件が無ければ男子は入れない。

 しかし、実際に奏から「私の部屋に来て」と言われてしまった為、若干ビクビクしつつも歩き続けていた。


(ていうか、何で呼ばれたんだろう? 助けた見返りにって言ってたけど、わざわざクラスメイトを部屋に呼ぶかな?)


 午後に起きた一件の後、何度か彼女と顔を合わせる機会があったが、奏は一言も要件を言ってこなかった。

 何の説明もなければ、当然、色々と想像してしまう。


「はっ! もしかして、部屋には女子生徒全員が待ち構えてて、のこのこ扉を開けたら皆から笑われるヤツ!? 冗談なのに真に受けてやって来た阿呆だって言って!? ……い、いや、蘇芳さんはそんな酷い嫌がらせに加担するような人じゃないし……!」


 一人でぶつぶつ言いながら、結局、七夜は奏の部屋の前に辿り着いてしまった。


 男子部屋の扉は青を基調としたデザインだったが、女子は赤だ。花の意匠がところどころに散りばめられた豪奢な扉を、恐る恐るノックする。


「蘇芳さん? 斯波だけど。言われた通り来たよ……?」


 声を掛けるが、返事はない。

 奏の言葉を思い出せば、扉の鍵は開いていて、当人がいなくとも勝手に入って良いとの事。だが、いくら了承を得ているからと言えど、女子の部屋に踏み入るのは相当な覚悟を必要とする。


 なので七夜としては、奏自身が扉を開けてくれるまで待っていたいが、不幸にもここは女性専用のフロア。

 いつまでもこの場でこうして立っていては、いつか他の女子生徒に見られてあらぬ誤解を生む事になる。


 それもそれで……というかそっちの方が嫌だった。

 なので。


(……ごめん、蘇芳さん! 勝手に入るけど許して!)


 心の中で確認を取り、扉を開けた。

 内装は男子側のそれとあまり変わらない。それでも要所要所にお洒落な装飾が見受けられる部屋へと、七夜は踏み入る。


 緊張しながらも、素早く扉を閉め――その音に、別の扉の開閉音が重なった。


「え」


 七夜の傍、部屋の入り口に程近い箇所に設けられた別の扉が、彼の眼前で開け放たれた。


 それと同時、朦々と白い煙……否、湯気が漏れ出てくる。七夜の部屋とは間取りが違うが、あそこは風呂のある個室なのだろう。


 固まる七夜の前に、扉の奥から一人の少女が歩み出てきた。


 濡れた髪を乱雑にバスタオルで拭いている。

 その小柄な肢体は衣服の類を身に着けておらず、辛うじて上下の下着だけが、七夜の目から彼女の大事な部分を守っていた。


 普段は白い柔肌を仄かに赤く上気させ、一息つくように深い息を吐いた蘇芳奏は、そうして玄関扉の前で硬直する七夜に気付くと、いつも通り淡泊な様子で言った。


「何だ、もう来てたのね、斯波くん。ごめん、ついさっきまでお風呂入ってたの。まだ入ってないんなら、斯波くんも入ってく? 私の残り湯で悪いけど」


「……い、いや、遠慮しときます……」


 下着姿の奏に真正面から見つめられて、七夜は何とかそれだけを答える。


 あられもない格好を同級生の男子に見られていると言うのに、奏は何ら動揺を見せない。デフォルトの寝惚け眼は変わらず、寧ろ腰に手を当てて見せつけるような姿勢で佇んでいる。


 七夜はそんな彼女に頬を染めながら、何で自分だけが照れなきゃいけないんだと、思わず心の中で叫んだ。



     *



 部屋のソファーで、七夜は借りてきた猫のように硬直していた。

 すぐ傍では、奏が王宮側から用意された寝着に着替えている。脱衣所に引っ込む事なく、堂々と七夜の前に居続けるものであるから、彼としては目のやり場に困るばかりだ。


「ごめんね、待たせちゃって。何か飲む?」


 そう聞きながらも、彼女は当然のように二人分のマグカップを用意し始めた。

 七夜が「う、うん」とだけ答えると、「ん」という淡泊な声と共に奏は頷いた。


「まぁ、紅茶淹れた経験なんてそう無いから、あんまり期待しないでね」


 光聖が部屋に来ても、何ら構う事をしなかった七夜としては、こうしてお茶を出してくれるだけで勿体ないと感じてしまうほどだ。


 七夜が眺める先で、奏が湯沸かし用のポットに向けて人差し指を向けると、おもむろに何かを呟いた。それはどうやら魔法の詠唱だったようで、指先から熱湯が生まれ、あっという間にポットが満タンになる。


「……その魔法」


「うん?」


「そんな魔法、あったっけ? 座学で教えられてる魔法の中に、水ならまだしもお湯を出す魔法なんて無かったと思うんだけど」


「あぁ、これ?」


 奏は手元の作業を止めないまま、言葉を続けた。


「私、空き時間はよく図書館に行って、色んな魔法を勉強してるの。これは最近覚えたやつの一つで、指先からお湯が出る魔法。すぐに珈琲とか紅茶飲めるから、結構便利だよ」


 カップにお湯を注ぎ入れ、茶葉を抽出しながら話す奏の横顔を見て、何となく、七夜は奏のイメージと違うなと思った。


 元の世界ではゲームばかりして、他の事柄には一切興味を示さなかった。そんな彼女が紅茶を淹れている姿に、どうにも違和感を覚えた。


 彼女はどちらかと言えば、自分と同じく自室に客人が来ても何ら構う事をしない人間だろうと、七夜は勝手に思っていたからか。


「お待たせ。……どうしたの? 私の顔、何かついてる?」


 お盆にカップを乗せて戻って来た奏に、七夜は慌てた様子で我に返った。


 きょとんと首を傾げてから、奏は七夜の隣に座った。

 マグカップから立ち昇る紅茶の香りが、二人の間に流れる。


 未だ緊張して固まる七夜の横で、奏はソファーの上で膝を抱え込んだ姿勢で座っている。

 その無感情な貌は、何かを考えているようにも、やはり何も考えていないようにも思えた。


 ――何か話さなければ。そう七夜が考えた矢先。


「ごめんね。急に私の部屋に来てなんて言って」


 膝を抱えて、膝頭に頭を乗せた状態で、奏は七夜の方を向いて言った。

 お風呂上がりの所為で熱の籠った瞳や、濡れて艶めく黒髪、いつも見ている制服とは違った寝着の姿が、彼女からどこか無防備な色を覗かせている。


 シャンプーの香りだろうと思われる甘やかな芳香が鼻に触れ、七夜は少しだけ、自身の心臓がドキリとなるのを感じた。


「いやっ、そ、それは別にいいんだけど……何で蘇芳さんは、僕をここに呼んだの?」


 そう訊ねても、暫く答えは帰って来なかった。

 奏の視線が、何かを考えるかのように中空を彷徨う。数秒の沈黙を経てようやく、彼女は応じる言葉を口にした。


「私たちがこの世界に来て、もう一週間だよね?」


「え? う、うん……そうだね」


「一週間も経てば、私、いい加減に禁断症状が出てきそうで怖いの。だから斯波くん、〝これ〟を発散させるの、手伝ってくれない?」


 そう言って奏は、何故か七夜の太股にゆっくりと手を置いてきた。


 自分のものとは違う白くてほっそりした指に触れられ、七夜の緊張は更に度合いを増した。それに加えて奏がこちらにもたれかかるような形で体重を預けてくるものだから、心臓がうるさいほどに鼓動を伝えて来る。


「えっ、ちょ、蘇芳っ……さん!?」


「動かないで」


 ぴしゃりと言葉を遮り、彼女はもう撓垂しなだれかかる勢いで七夜に密着してきた。

 中学三年生という年齢ゆえか、はたまた彼女本来の身体付きゆえか、女性としての起伏に乏しい肢体はしかし柔らかく、優しいぬくもりを宿していて。


 いつもは前髪に隠れて見えにくい整った顔が眼前へと迫り、七夜が思わずぎゅっと目を瞑ったところで――「んしょっ」という声と共に、唐突に奏の身体が離された。


「え?」


「これ、図書館にいる司書さんから借りてきたの。こっちの世界にも似たようなのがあって驚いた」


 恐る恐る目を開けた先で、奏は手の平サイズの小箱を七夜へ見せるように持っていた。

 それはこの世界にある代物なのだろうが、七夜はその箱に描かれたデザインを、前の世界で何度も持た事があった。


「……えっと。もしかしてそれ、トランプ?」


「そ」


 近代貴族の風体をなす人間の絵が描かれた箱を開けて中身を取り出せば、まさしく七夜達の世界にあったトランプと酷似したカードの束が現れた。


「せっかく貸して貰ったんだし、しよ? ゲーム」


「げ、ゲーム?」


「この一週間、私、何のゲームも出来なくなっていい加減禁断症状が出そうだったの。FPSどころかコンシューマーゲームですらないけど、まぁ、あんまりないものねだりしても仕方ないし、このトランプで一緒に遊ぼ?」


 そう言って手慣れた手つきでカードをシャッフルし始める奏。そんな彼女へ七夜が困惑しながらも訊ねた。


「……一緒にトランプゲームしたくて、僕を呼んだの?」


「? そう言ってるんだけど」


 きょとんと小首を傾げる奏に見られないよう、七夜は顔を背けて小さく溜息を吐いた。そして、色々考えを巡らせていた自分が恥ずかしくなり、全身の緊張を解きほぐす。


 再び奏へと向き直れば、彼女は茫洋とした瞳をトランプに向けて、「最初は何しよっか?」と気軽な様子で訊ねてきた。



     *



 幸い、というべきか、七夜はかなりの数のトランプゲームを知っていた為、こういった類の遊戯を全て網羅していると言っても過言ではない奏に、問題なく付き合う事が出来た。


 しかし、勝ち負けの点に関しては全くとして敵わなかった。

 ゲームに興じ始めて一時間近くが経過しているが、その間に行った全てにおいて七夜は負け続けていた。


「――私もね、この機会だし、ゲーム以外に何か趣味でも作れないかなって思ったの。図書館で読書してみたり、美味しい紅茶の淹れ方を勉強したり、色々やった。でも、駄目。やっぱり私は、ゲームしてる時が一番好き」


「……そっか」


「私、友達少ないから、こうやって一緒に遊んでくれる人がいなかったの。良かった、斯波くんが付き合ってくれて。あそこで助けた甲斐があったよ」


「いや、別にこれくらいならいつでも付き合うよ? 皆と違って僕は訓練してないから疲れてないし、寝付けるのもほんと遅い時間だからさ」


 苦笑と共にそう言えば、七夜の視界外で、奏が若干伏せられた瞳を彼に向ける。その双眸は相変わらず無感情だが、少しだけ揺れ動く何かがあるように思えた。


 二人は現在、トランプもどきを使ってセブンブリッジをしていた。

 カードのペアを多く形成して手札が少なくなっているのは、当然の如く奏の方であり、この時点でとうに七夜は彼女に勝つという選択を捨て去っていた。


 奏の無双が続く中で、不意に、華奢な体躯の少女は膝を抱えた姿勢のまま、ぽつりと言う。


「毎日夜中まで、魔導書を読んで勉強してるの?」


「ッ」


「斯波くんってほんと、勉強熱心だね。元の世界と一緒で」


 奏がテーブルの上へ更に二枚のカードと放り捨てる。

 言葉を交わしながらも、二人のゲームは変わらず続いていた。


「でも、だったらこの世界は不便だね。向こうじゃ頑張ったら頑張っただけ結果が出てたけど、こっちじゃ、斯波くんはどんなに頑張っても結果を得られない」


「……、」


「それでも頑張り続けてるんだから、やっぱり君は、勉強が趣味で勉強熱心な秀才くんだよね」


「……何が、言いたいの?」


 ぽつりと零れた問い掛けに、しかし奏は七夜の方を向かないまま、淡々とゲームを続ける。

 だが結局、七夜が手を動かさない所為で番は止まってしまった。


 そこでようやく隣に座る七夜へ視線を向けた奏は、顔に陰影を浮かべる少年に対して、やはり無感情な声で応じた。


「私が思ってるのは、こっちの世界でまで秀才でいる必要は、別にないよねって事」


 その台詞に、思わず、瞠目した。


「結果が伴わない頑張りを続けてたって、しんどいだけ。だったら一回、頑張るのを止めてみたら? この一週間、ずっと勉強し続けても、一つも魔法は覚えられなかったんでしょ? ならそれって要は、秀才の斯波くんにも苦手な事があって、それが運悪く、魔法を覚える事だったってだけ。そう考えれば楽じゃない?」


 責めるでもなく、諭すでもなく。

 学校で時おり言葉を交わしていた時のような気楽さで、奏はそう言った。


 ――この七日間、彼女はいつも七夜を気にかけていた。

 魔法が一つも覚えられず、その事を周囲から嘲笑され、無能とまで呼ばれてしまっている。

 だからこそ、そんな彼を慮っての言葉を告げた。


 しかし七夜が僅かに持つ卑屈な精神は、奏が自分に対して「無駄な努力は止めろ」と言っているのだと彼に思わせた。

 無意識に握り込んでいたトランプを投げ捨て、思い切り立ち上がる。


「なっ、何で蘇芳さんまでそんな事言うんだよ!? ここで全部止めちゃったら、今までやって来た事が無駄になるんだよ!? 今までずっと頑張って来たのに……今さら〝苦手だから〟って理由で止められる訳ないだろ!」


「……斯波くん」


「せめて何か一個魔法を覚えるだけでいいんだ! そうすれば、誰も僕を無能だなんて言わなくなる! 僕には皆よりも大きい魔力があるんだから! 本当に簡単な戦闘魔法を一つでも覚えられたら、僕は皆の足手纏いにはならずに、蘇芳さんや九条くんたちと一緒に――」


 王宮で一部の騎士や魔導師をすれ違う度、七夜は陰口と嘲笑を囁かれてきた。

 それが少しずつ彼の心身をストレスで蝕んだ。


 元の世界にいた頃は、取り巻き達からどんなに馬鹿にされようが受け流してきた七夜であるが、そんな些細なストレスの積み重ねが、七夜の卑屈さを助長させた。


 その心因に任せて言葉を吐き出した七夜は、しかし、唐突に飛んできた何かが額に当たった事で口を噤んだ。

 見ればそれはトランプのカードで、奏が弾き飛ばしてきたのだろう。


「落ち着いて」


 茫洋とした瞳を少しだけ顰めて、彼女は言った。


「切羽詰まった時こそ、落ち着いて周りを見渡す。これ、バトルロイヤルで最後の二人まで生き残った時、私が意識してる事。焦ったって何もいい事ない」


 そうしておもむろに七夜の服を掴むと、ぐいと下に向けて引っ張った。座れという事だろう。

 ただ荒ぶった呼吸を繰り返していた七夜は、促されるがまま、ソファーへと座り直す。


 しばらく、奏は七夜に何も言ってこなかった。

 彼の心が落ち着くのを待つように、一度その場から立ち上がって紅茶を淹れ直してきた。


 奏がソファーに戻って来たタイミングで、ようやく七夜は我に返る。


「……ご、ごめん。急に叫んで」


「いいよ。そうしたくなる気持ちも分かるから」


 端的にそう返して、彼女は七夜の前にソーサーを置く。

 両手で摘まむようにカップを持ち上げ、口を付ける奏。それに倣って七夜も紅茶を飲んでいると、不意に言葉が続いた。


「おかしな事にね、頑張ろうと思って気を引き締めたら、拍子抜けするくらいあっさり負けちゃうの。負けてもいいって気を抜いて戦ってる時の方が、集中力もエイムの精度も上がるんだよ」


 恐らく彼女がのめり込んでいたゲームの話だろうと、七夜はすぐに理解した。

 下手に返事はせず、黙って聞く。


「だから私は、斯波くんが『周りから無能って言われてるから頑張って魔法を覚えよう』って思ってるなら、すぐに頑張るのを止めた方がいいなって思う。だってそれだと、焦っちゃうだけなんだもん。追い詰められて追い詰められて、そうやって出せた結果なんて、その人にとってはあまり意味がないものだって私は思ってるから」


 カップをソーサーに戻した奏が、机の上に散らばったカードをまとめ始める。


「斯波くんは、周りから貶されるのはいや?」


「……うん、嫌だよ。皆から嗤われて、嫌じゃない人間はいないよ」


「でも、私は君を無能だなんて思ってないよ。その時点で、〝皆〟じゃないよね? ……まぁ、私以外にも、少なくとも一人は、同じような人がいると思うけど」


 言いながら、奏は綺麗にまとめたカードを元の小箱へと仕舞い込んだ。

 それをパタンと音を立ててテーブルに置いた奏が、隣の七夜へ視線を向ける。彼は未だ何かを考えるように顔を俯かせており、それを見た彼女は、一つ溜息を吐いた。


「じゃあ、約束しよ」


「……約束?」


 怪訝な表情を見せる七夜に、奏は小さく頷くと、ソファーの上に足を乗せて座り、身体ごと彼へと向き直った。


「そ、約束。――今日みたいに、斯波くんが私と一緒に遊んでくれるって言うなら、その代わりに、私は斯波くんを守る。もし君に何かあっても、今日みたいに助けてあげる。その約束」


 そう言って彼女は、右手の小指を差し出してきた。

 まさかの指切りげんまんである。小学校低学年以降は一度もした事のない行為を提示されて、僅かに精神状態が乱れていた七夜も、思わず複雑な笑みを浮かべた。


「えっと、あの、蘇芳さん……」


「ほら、はやくー」


 顔を顰め、「ん」と小指を突き出してくる奏に、更に数秒戸惑った後、結局七夜は同じように右の小指を差し出した。

 奏の白く滑らかで、そして少しだけひんやりとした指が、七夜のそれと絡み合う。


 不思議と、彼女の下着姿を見た時以上の動悸が、少年の胸中に響いていた。


「はい、これで大丈夫。斯波くんの身に大変な事が起きたら、その時は私が力になってあげる。その代わりに、私が呼んだ日の夜は、必ずここに来てゲームに付き合ってよね」


 その時。

 七夜は、今まで見た事のない奏の表情を見た。


 非常に淡い、それでも確かにそうと分かる、だった。

 初めて見た蘇芳奏の微笑みは、何故か、鮮明な絵のように七夜の目に映り込んだ。


 少しだけ、重なる。

 一週間前の夜。

 七夜の部屋を訪れて、先の奏と似たような台詞を口にした、一人のイケメンと。


「……ははっ」


 ゆえに、自然と苦笑が零れた。


「ほんと……僕って何気に恵まれてるな……」


「ん? 何か言った?」


 問うてくる奏に「何でもない」と返した七夜は、おもむろに窓の外を見やり、そこに広がる宵月の位置を確認した。


「そろそろ部屋に戻るよ。あんまり夜更かししたら、明日の座学に響いちゃうでしょ?」


「別に問題ないよ。元の世界じゃ、徹夜でゲームなんて当たり前だったから」


 けろりと言う奏に肩を竦めた七夜は、それでもと言って、ソファーから立ち上がった。


「紅茶、ありがとね。それと……色々と話を聞いてくれた事も。かなり楽になったよ」


「それは良かった。まぁ、私も斯波くんとトランプ出来て楽しかったし、お互い様。でも次からは約束、絶対に忘れないでね」


「もちろんだよ。いつでも呼んでね。必ず来るから」


 そう言って手を振ると、奏も手を振り返してくれた。

 互いに「おやすみ」と言葉を交わしてから、部屋を出る。


 色々と用心しながら男子のフロアへ戻らなければと懸念していた七夜だったが、時間が時間だけに、殆どの生徒が自室で眠りに就いているようだった。


 お陰で、そそくさと男子禁制の階層から出る事が出来た。

 安堵の表情を浮かべて自室へ戻る七夜は、それゆえに――一連いちれんの行動を始終観察していた者がいた事実に、どうしたって気付く事が出来なかった。

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