二度目の人生は貴方の為に。

閑谷 璃緒

第1話 プロローグ~そして少年は世界を渡る~前編

「はぁー、やっぱりヴィンス団長は助からない」


 妹に押し付けられるようにして始めた乙女ゲーム。

 とあるキャラクターが死んでしまうストーリー以外は案外面白くて、すっかりハマってしまった。

 初めは気乗りしなかったが、今では周回プレイの常連である。


 少年は小型のゲーム機を膝に置くと、小さく溜息をこぼした。


 セミの鳴き声が物悲しく聴こえるようになったのは、いつからだろうか。


 空調の効いた室内でしばらく窓の外を眺めていた少年は、おもむろに手を伸ばす。

 そして、ベッドの横に置かれた箱からティッシュペーパーを十枚ほど一気に掴み取ると、その中に咳込んだ。


 ――ごぷり、と零れ出た血液が白いティッシュペーパーを紅く染めてゆく。


 やがて咳が治まったらしい少年は、再び箱に手を伸ばすと、今度は四枚ほどティッシュペーパーを抜き取った。

 それから、手の中の紅い塊を無言で丁寧に包むと、ゴミ箱の中に乱雑に隠した。


 日増しに生産数が増えてゆくティッシュペーパーの塊に、諦めに似た恐怖がこみ上げる。


 若干色が残っている左手を右手の指でゴシゴシ擦ると、乾燥した血液がゲーム機の画面の上にパラパラと落ちていった。


「そろそろじゃないか、死神」


「ええ、確かに。・・・ですが、よろしいのですか」


 天井に向けて放った問いかけに、窓際から声が飛んでくる。


 少年以外誰もいなかったはずの室内に、いつの間にか黒い人影が佇んでいた。


「勿論さ。その為に・・・今まで生きてきたんだから」


 震える指先をぎゅっと握りしめ何食わぬ顔をする少年に、死神は肩をすくめて見せる。


「貴方は何故、そんなにも生き急ぐのですか」


 眉をピクリと動かした少年は、一瞬の逡巡しゅんじゅんの後にゆっくりと口を開いた。


「生き物ってさ、最後には必ず死ぬだろ?鳥も魚も、植物も・・・人間だって例外じゃない。『人生、何が起こるかなんてわからない』とかよく言うけどさ、唯一これだけは生まれた瞬間から決まっているんだよ。どんなに生きたくても、死にたくても・・・最期は必ず、みんな死ぬんだ。これってさ、つまりは死ぬ為に生きているようなものだと思わない?必ず訪れる最期。その瞬間を後悔のないものにするために、最善の結末――ハッピーエンドにするために努力すること。生きるってさ、そういう事だと僕は思う」


「死ぬために生きる、ですか」


 窓から差し込む月明かりが逆行となって、少年からは死神の表情を窺うことができない。

 それでも、死神が悲しんでいるのが少年には分かった。


「そう。だからさ、これは僕が決めたこと。紛れもなく僕の意思なんだよ。・・・これが、僕の選ぶべき最善だったから」


 少年は、意識して明るく言う。

 それがどうにも虚しく思えて、死神は泣きたくなった。


 カチリ・・・カチリ・・・。


 静かな病室では、時計の秒針の音がやけにはっきりと聴こえる。

 音が鳴るたびに死が近付く恐怖にも、もう慣れてしまった。


 八月十六日。午後十時四十二分。


 死神に伝えられていた時間まで、あと五分。

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