第2話 親友と、先輩と、好きな人

 輝流が教室に着いた時には、すでにクラスメイトのほとんどが室内にいた。時計の針はホームルーム五分前をさしている。思っていたより図書館に長居していたようである。

 輝流は急いで自分の席に座り、授業の準備を始めた。輝流の席は左端の一番後ろ、廊下が右側なので窓際の一番いい席だといえる。昔からしょうもない運だけはいいようで、普段からそのちっぽけな幸運の恩恵を受けている。その反動かここぞというときに限って物凄い不運が襲い掛かるのだが、ここに因果関係はあるのだろうか。

 そんなことをぼっーと考えていた輝流だったが、突然視界が暗転して困惑した。柔らかい感触を目と背中に感じる。要するに後ろから抱きつかれて目隠しをされている状況である。

「誰~だ?」

 吐息交じりの小声が輝流の耳元で囁かれる。

「浅野でしょ?僕にこんなことするの君しかいないんだからさ」

 輝流がそういいつつ横を向くと、顔が付いてしまいそうな距離ににやける少女がいる。

「あったり~!」

 この少女の名は浅野優あさの ゆうという。輝流にとっては数少ない友人にあたる。明るめの茶髪のボブヘアに青みがかったつり眼。その姿からよく猫っぽいと評されるが、猫の様な気高さはなくあくまで人懐っこい。常に笑顔を絶やさず、多くの友人がいるが、隠し持ったあざとさに魅了されるものも少なくない。

「ねぇ、輝流、昨日告られたでしょ」

「な、なんでそれを!」

 輝流は分かりやすく動揺した。あの時きちんと確認したはずである。周りに人はいなかった。

「上の教室にいたんよ。用事があってさ」

 輝流はしまった、とばかりに額に手を当てた。輝流が告白された場所は校舎裏だ。普段生徒が来ることは少なく、また放課後だったため油断していた。

「心配せんでも誰にも言わんよ。あたしが言いふらしたこと、今までにある?」

 確かに優は口が硬かった。輝流自身もそのことは十分承知している。

「それはそうと、ほら、これ」

 優の手にはチケットが二枚、握られていた。

「なにそれ?」

「今度市民ホールにアイドルが来るんやけどさ、それのチケット。パパから貰ったの。輝流君と行ってきなさいって」

 優と輝流は中学時代から家族ぐるみの付き合いだ。輝流も優の父親には何度か会っている。

「アイドルか......あんまり詳しくないんだけど」

「女子の地下アイドルらしいよ。普段は隣の県で活動してるらしいんやけど、ここらですることもあるみたい。それに今回はコンサートホールじゃなくて市民会館やから一般の人も多いし、ファン層広げにいってるんやろうね」

「でもなんでそれに連れていってくれるの?  浅野も別にドルオタじゃないでしょ?」

 正直輝流には敷居が高くて怖いイメージがある。

「パパの仕事先の知り合いがそのアイドルと関わりあるらしくてチケット貰ってきたんやって。あたしも詳しくないけど、自分らが知らん世界を見てみるのもおもろいやろ。それにそのアイドル、無名だけど最近は順調に人気が出始めてる期待の新星らしくてさ。古参ぶれるで」

 古参ぶるつもりはないが、輝流は興味を持った。昔から好奇心が強い方だった。

「行きたい。行っていいかな?」

「もちろん! 」

 優は満面の笑みを浮かべた。

「それっていつあるの?」

「う〜んと......ささってやから......日曜やね」

「案外すぐだね」

「そうなんよ。やから輝流に予定入っとらんで良かったわ」

 優が言い終わると同時に始業を伝えるチャイムが鳴った。

「じゃあ輝流ん家に十時半集合ね! チャリで行こう」

 優はそう言いながらそそくさと自分の席に戻って行った。


 その日の授業は何事もなく終わり、輝流は図書室へ向かった。輝流は図書委員だけでなく、文芸部にも所属しており、今回はそっちの活動に参加せねばならない。朝とは打って変わって、明るい廊下を抜け、図書室へ入る。

 輝流は息を呑んだ。まるで絵画の世界から切りとってきたかのような光景が目の前に広がっている。女子高生が読書をしている、そんな日常にありふれた光景が芸術にかわるほど、輝流には彼女が魅力的に映った。その女子高生は長い黒髪と左目の下のほくろが魅力だが、特別美人なわけでもない、良くも悪くも普通だった。しかし輝流には彼女の一つ一つが特別で、全てに恋焦がれていた。

 止まったかのように思えた輝流の時間はつんざくような高い声によって動き始めた。

「輝流〜!! 遅いぞ!」

 金髪の少女が歩み寄り、背伸びして輝流の顎を指で小突いた。

「先輩、すみません。ホームルーム長引いちゃってて」

 輝流は自分より十数センチは小さいであろう先輩に目線を合わせる形で謝罪する。この小柄な金髪の少女は篠田桃香しのだ ももか。三年生であり、文芸部部長でもある。校則違反の髪染めを辞めなかったために遂に教師陣から諦められた変わり者だった。

「うーん、それなら仕方がない。今日はすることもないし不問とする」

 どうせいつもすることないでしょ、と輝流は内心思ったものの、桃香の扱いに慣れているため、いちいち口には出さない。ありがとうございます、と輝流はなるべく笑顔で言う。変人気質の姉と過ごしてきたからか、年上の女性の扱いに長けていた。

「まあ適当に過ごしててくれ。私は明日の準備をせねばならないからな」

 桃香はそう言って机の書類に何かを書き始めた。明日は新入生歓迎会がある。部員が三人しかいない文芸部にとって、新入生の数が命運を分けるのだ。桃香は自分の代で部員を増やしてみせる、と躍起になっているのであった。

 そんな桃香から解放された輝流はもう一度、カウンターを見た。先程まで読書をしていた少女だったが、今の出来事を見ていたらしい。輝流と目が合うなり頬笑みを浮かべた。この、普通感に溢れている彼女こそ輝流の初恋の相手、藤宮春菜だった。コミュニケーションが苦手で友人もおらず、図書室に引きこもり読書をする学校生活を送っているため影が薄い。輝流自身も何故この少女に一目惚れをしたのか、全くの謎だったが恋に理由なんてものはないのだろう。

「輝流くん、今日は朝行けなくてごめんね」

「いいよ。気にしないで」

 輝流は春菜と話す時はどうしても声が上擦ってしまう。出会ってから一年も経つのに目を合わせることすらままならない。それはどうやら春菜も同じらしい。お互いがコミュ障なのでどこかよそよそしい。

「そ、そういえばさ、今日可憐さんって人と話したんだ。春さん同じクラスでしょ?」

 輝流が一年間、春菜と話してきて得たものは、話を途切れさせることなく会話を続ける能力だけだった。

「うん、可憐ちゃんは有名人だよ。あんなに美人なんだもん。みんなの人気者だよ」

 可憐自身は嫌われている、と言っていたがどうやら評価は真逆らしかった。

「春さんは話したことある?」

「私は無いなぁ。そもそも可憐ちゃん、そんなに学校来ないしね。理由分かんないけど、それも有名な理由の一つなんだ」

 輝流はだから見覚えがないのか、と納得した。

「でもあの子が輝流くんと仲良く、か。上手くいくかな?」

 春菜が小声でそう言ったのを輝流は聞き逃さなかった。

「それって、どういう?」

 春菜は少し考えた後、言いにくそうに小声で言った。

「可憐ちゃんは男子嫌いって噂があるの。だから輝流くんが仲良くできたのって、女子と勘違いされてるんじゃないかな......なんてね」

 輝流は否定できなかった。思えばそう思っていそうな節はあった。それに前例もある。

「でも、僕は騙したつもりは無いよ。というか可憐さんから話しかけてきたわけだし」

「早く誤解を解いた方がいいと思うよ」

 無論、輝流もそのつもりだった。


「二人とも、もう帰っていいぞ。明日は必ず来てくれ」

 いつの間にか隣にいた桃香に驚き、二人は顔を見合せた。

「じゃあ私は今日は帰ります。お先に失礼します」

 春菜は軽く会釈をして、図書室を出ていった。久しぶりに長い会話が出来て輝流は満足していた。それが顔に出ていたのか、桃香は怪訝な顔で輝流を見ていた。

「輝流って春ちゃんのこと好きだよな」

 油断していたからか、輝流はむせた。

「とっ、突然何言い出すんですか!?」

「でもそうだろ? 見てりゃ分かるもん」

 輝流は何も言い返せなかった。

「そんなお前に私からいいものを教えてやる。恋愛相談メール『プレーン・メージュ』って知ってるか?  今巷で人気らしくてさ、完全紹介制なんだ。一人につき一人しか紹介できないんだが、お前にやる。私は恋愛のことはなんも分かんないが、そいつなら何かしら力になってくれるかもな」

 輝流は詳しくは知らないものの、最近流行っているという噂を聞いたことがあった。

「でもこれ、人気すぎて全然紹介権が回ってこないらしいじゃないですか」

 この怪しげなメールは恋愛相談が解決して初めて人に紹介する権利を貰えるという一風変わった条件があった。なんでも人気がありすぎて管理しきれないかららしい。

「大きな声では言えんがな、管理人がこの学校の関係者らしいんだ。だから紹介権が簡単に受け取れる秘密があるらしい。私は人伝だから知らんがな」

 桃香はなぜか得意げだった。

「でも先輩、紹介権持ちってことは......」

「くだんないこと詮索するのはやめろ。いいから携帯だせ」

 桃香は輝流の携帯を強奪すると、自分の携帯と交互に操作し始めた。

「よしっ! これで大丈夫だ。お前を紹介したから、これでいつでも相談できるはずだ」

「あっ、ありがとうございます」

 別に利用するつもりは無かったが、輝流はとりあえず礼を言った。

「いーんだ。お前の面倒みるって先輩と約束したんだから。それに、それ抜きでも私はお前に助けられた。お前が入らなかったらうちは廃部だったんだから。そのお礼さ」

 桃香は珍しく感謝を述べた。輝流は桃香の意外な一面に自然と笑みがこぼれるのであった。

「そんな顔で私を見るな。先輩としての役割を果たしただけだ。いいからお前もさっさと帰った帰った。戸締りしなきゃならないんだから」

 桃香は顔を赤らめながら輝流を無理やり追い出した。

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