最後の魔法使い。(東の国)
あかる
第1話 脱走
その日、魔法使い協会に激震が走った。
「最強の魔法使いが死んだ」
何かの聞き間違いだと思った。しかし、その情報は瞬く間に教会を駆け巡り、ものの数分でその情報を知らぬ者はいなかった。
最強の魔法使いが死んだ。
彼が、死んだ。
「馬鹿な。ありえるはずがない。誰が彼を殺せると言うんだ?」
そうだ。それはありえない。
だって彼は最強の魔法使いなのだ。彼を殺せる者なんて存在するはずがない。
教会内は混乱を極めていた。
「確かな情報なのか?」
「笑えない冗談はやめてください」
「殺したのは弟子?」
「弟子だって?あの人に弟子なんていたのか?」
「弟子……?」
騒然とする中、教会の長がそれを鎮めた。
「はい。全員静粛にして。君たちに二つ報告がある。一つは一人の魔法使いの死。そしてもう一つは新たな魔法使いの誕生だ」
その場にいた全員が息を呑んだ。そして、確信する。
最強の魔法使いが死んだのだと。
殺されたのだと。
「ゆる、さ、ない」
長の隣に小さな影があった。虚な目で虚空を見つめていた。
頭痛がした。
「絶対に許さない」
知らず呟いた。
時刻は午前二時を回った頃だった。
西の国にある魔法使い協会、その一室。
「ユーイ、本当にやるんだね」
静まり返った部屋の中で、私の肩に乗ったそれが言った。
「うん」
短く答えて辺りを見渡す。部屋の中には必要最低限のものしかなかった。打ちっぱなしのコンクリートで四方を囲まれた部屋の中には、ベッドが一つ。後は最低限の着替えを収納するための棚。
「協会にはすごくお世話になったよ。でも、ここは私の居場所じゃないから」
「ユーイは居場所が欲しいの?」
「……少し、違うかな。私が本当に欲しいものは、なくなっちゃったから」
「欲しいものがないのに脱走する必要ってある?」
「ある時もあるんじゃないかな、オド」
黒い毛玉のような身体に目が二つついた使い魔、それがオドだった。オドは一年前からの相棒で、ずっと傍にいる。
「行こっか」
そっと自分の部屋を出る。ドアを閉める前に、部屋の前で一礼した。
一年間、ここで暮らした。ある事情で居心地は悪かったものの、最近では少しずつ馴染んできていたように感じていた。けれどもう、ここに戻ってくることはないだろう。
部屋を出て自分の持ち物を確認した。最低限の用意を詰めた鞄と、腰に刺した短剣。後は使い魔のオドがいる。
「誰もいないね」
オドに確認してもらいながら、なるべく物音を立てないようにして廊下を進んでいく。
事前に人が通らなさそうなルートは調べ上げていた。毎日どの時間にどの場所を人がどれくらい存在するのかをオドに記録してもらっていたのだ。思い描いていた通りに進んでいく。
「妙だね」
このまま問題なく脱出できそうだと思った時、オドが言った。
「妙って何が?」
「誰もユーイの邪魔をしないから妙だと思って」
「どういうこと?」
誰にも会わないようにしているのだから邪魔が入らないのは当然のはずだ。
「罠じゃないかなと思ってね」
「罠って?」
「だってユーイの脱走はバレてるのに、邪魔しない理由って他にある?」
「え?」
足が止まった。私と同じようにオドが驚いた。
「え?」
「どうして私の脱走がバレてると思うの?」
「ユーイの脱走がバレてると思う?思うじゃなくてバレてるよ」
「何で?」
「だって、部屋の前で使い魔がユーイのことを見ていたよ」
オドが目をぱちぱちとさせながら私を見た。私は奥歯を噛んだ。
「どうして教えてくれなかったの?」
「え?気づいてると思って」
気づいていたら脱走なんてするわけがない。
しかしもうここで立ち止まるわけにはいかない。使い魔に見られていた以上脱走はほぼバレてると見て間違い無いのだから、このまま騒ぎになる前に逃げ出した方がいい。
外へ通じる扉が見えた。私は祈るようにドアノブを掴み、ドアを開けた。
「遅かったですね、ユーイ」
ドアを開けた先には黒いドレスに身を包んだ魔法使いがいた。
暗闇の中でもわずかな光で映える金髪に真紅の眼をした魔法使い。彼女は長剣を手に私を見据えていた。
「テレサニア、さん」
私が名を告げると、ぴくりと彼女の肩が動いた。
テレサニアは現協会最強の魔法使いだ。実際に会って話すのはおそらくこれが二度目。最初に教会へ連れてこられた時に「あなたがマナを殺したのですか」とものすごい形相で詰めよられた。
「こんな夜更けにどうしましたか。散歩ですか」
無表情のまま私を見据えている。テレサニアの使い魔が私を見張っていたのだ。私は唾を飲み込んだ。
「あなたの外出は許可されていません。散歩できるのは協会内のみ。シーヴェルト卿から教わりませんでしたか」
言葉が出てこない。答えられないと言うよりは、テレサニアから発せられている重圧で口が動かない。そもそも呼吸ができない。呼吸の仕方を忘れてしまったようだ。
「ユーイ、どうするの。テレサが外出はダメって言ってるよ」
オドの少し間の抜けた言葉に私は呼吸の仕方を思い出した。
「テレサニアさん、外出を許可してもらえませんか」
「議論の余地はありません」
「ダメだって」
「強行突破、しか、ないよね……」
「テレサ相手じゃ万にひとつも勝ち目はないよ」
「でも、億にひとつくらいならあるかもしれないよね」
「ないと思うけどなあ」
「じゃ、兆。京?」
やれやれ、とオドが言った。
「こうなったユーイは何を言っても聞かないもんね。上手くいくといいね」
「うん!」
呆れるオドに頷いた後、テレサニアを見据えた。先ほどとまるで変わらない佇まいで彼女はそこにいる。
「使い魔との相談は終わりましたか。どうしますか、ユーイ。このまま戻れば、今晩のことは私の胸に留めておきましょう。しかし戻らずに向かってくると言うのであれば」
長剣を私に向けた。
「マナを殺したあなたを、逃すわけにはいきません」
ずきり、と胸が痛んだ。
そうだ、私がマナを、殺した。
「戻れば見逃してくれるみたいだよ」
「それは、できない」
今回戻れば、今後脱走はより難しくなるに違いない。幸か不幸か、今であれば現教会最強とは言え相手はテレサニア一人だけ。まだ突破の余地はある。
「戻りませんか。忠告はしました。殺されても文句は言えませんよ」
「戻りません!」
だって、戻っても私には何も無い。
腰の短剣を抜く。意を決して地面を蹴った。
「−−−愚かですね」
テレサニアに飛び掛かると見せかけて横を駆け抜けようとした。しかし、そんな小細工など通用するはずもなく、一瞬でテレサニアが目前に立ちはだかる。長剣が振るわれた。私はそれを短剣でかろうじて受け止める。
戦闘に関しては私にも少しは経験がある。
それでもテレサニアには全く及ばなかった。経験値に差がありすぎるのだ。私が短剣を振るっても、わずかに身体を動かしてそれを躱してしまう。攻撃を受けた際の隙をついて逃げる、ということもできない。長剣に気を取られていると、テレサニアの足が伸びてきて私を蹴り飛ばした。
地面をころげる。私は蹴られた腹部を抑えて立ち上がった。顔を上げると、テレサニアがわずかに顔を歪めていた。勝ち目のない私が向かっていくことが理解できないのだろう。
「オド、お願い」
正攻法では無理だと悟った私はオドに声をかけた。
「ユーイが言うなら、やるよ」
ゆっくりと立ち上がる。両手の全指につけた指輪を確認した。指輪は銀色に鈍く輝いている。相対しているテレサニアの指には金色の指輪がつけられていた。この指輪は魔法使いに必要なもので魔法を使うための道具だ。
「テレサニアさん。お願いです、通してください」
「くどいですね。あなたと問答をするつもりはありません」
「なら、押し通ります!」
宣言すると私はテレサニアに向かって腕を突き出した。
「魔法を使うつもりですか。使えばこちらも魔法を使わねばなりません。容赦はできませんがよろしいのですね」
テレサニアの言葉に一瞬怯む。
「ユーイ、準備できたよ」
「私はここでいるわけにはいかないんです!」
魔法を、使う。
私の周りに二本の剣と槍が出現した。それを見た瞬間にテレサニアの表情が変わる。元のいた位置より数メートル飛び退いた。
「まさかあなたがそれを使うとは思いませんでした」
暗闇の中、テレサニアの表情が確認できない。私の周りに出現した剣と槍はその場で浮遊していて、魔力を使ってこれを射出することができる。
「退いてください」
もしかしたらこのまま退いてくれるかもしれない。そう思った次の瞬間、私の背筋に悪寒が走った。目の前にいるテレサニアを見る。紅の瞳が私を睨みつけていた。これは殺気だ。
「それでマナを殺したのか、それともマナから奪ったものなのか」
ゆらりと揺れて、現教会最強の魔法使いは長剣を持っていない腕を突き出した。
「どちらにせよ、ここで消せば済むことです」
その構えでテレサニアも魔法を使うつもりなのだということが分かった。
「オド、テレサニアさんの魔法って」
「無の魔法だね。テレサの手に黒いものが見える?それに触れたものは消されちゃうから気をつけてね」
「気をつけてって……」
テレサニアの突き出した腕の前に闇よりも黒い球体のようなものが出現している。物体ではなさそうだ。
ここで尻込んでいるだけでは脱出は不可能だ。私は剣と槍を射出する。
テレサニアが腕を薙ぐ。すると黒い球体が拡散し、私が射出した武具の前に立ちはだかった。武具が黒の魔法にぶつかった瞬間、姿を消す。
「ほらね」
オドが自慢げに言った。
「抵抗は終わりですか」
素手でも勝てない、武器を使っても勝てない。頼みの魔法を使っても勝てない。
このまま続ければ、多分私は負ける。オドの言う通りだった。現協会最強であるテレサニアには手も足も出なかった。
それでも、戻ったところで私には何もない。
きっと、進んだ先にしか、私の居場所はない。
「ユーイ?」
オドが心配そうに私を見ていた。
「オド、私はやっぱり行くよ」
「うん。ユーイがそうしたいならいいんじゃない」
「ごめんね、巻き込んで」
「いいよ」
テレサニアに向き直る。同じ姿勢のまま、最強の魔法使いはそこにいた。
「今後の人生は決まりましたか」
「できれば手加減してくれたら嬉しいかなぁって」
「容赦はしません」
「……はい」
その言葉通り、テレサニアには微塵も隙はなかった。それも当然だ。恐らく私のことを警戒しているのだろう。
マナという最強の魔法使いを殺した私のことを。
そこに、突破する足がかりがある。
「行きます」
地面を蹴った。
テレサニアが身構える。魔法を発動したのが指輪の輝きで分かった。
「オド!」
「うん、やるよ」
私の指輪も輝く。
テレサニアの頭上に三本の槍が出現した。一瞬躊躇する。でも大丈夫、テレサニアならこの程度でダメージを負ったりしない。
槍を彼女に向けて射出したが、予想通り黒い魔法で全てを消し去った。
決して私から視線は外さない。
「まだまだ!」
二本、二本、四本。
創っては射出を繰り返す。私のつけていた指輪が突然、三つ壊れた。
「ユーイ、乱発は無理だよ」
「分かってる!」
それでも、通るためにはこれしかない。
このままテレサニアに私の魔法を迎撃させ続け、その間に走り抜ける。ある程度距離を取れば、魔法で身体能力を強化して逃げ切れる。
「足止めで私を抜けると思っているとは愚かな」
一瞬だった。
気がつくとテレサニアが目の前にした。真紅の瞳が私を覗き込んでいる。
「これでお別れです。マナを殺したことを消えるまでの瞬間、後悔しなさい」
テレサニアが私の首を締め付けていた。
息ができない。魔法を使われれば、消される。
ここまでかと思っていると、突然首を締める手が緩んだ。
「……これは、」
首から手が離れて咳き込む。テレサニアを見ると、何かに耐えるように膝をついていた。
「え?え?」
私が困惑していると、オドが叫んだ。
「今だよ、ユーイ!」
「う、うん!」
動かないテレサニアを横目に私は走り出した。
「逃げられはしませんよ」
「−−−!」
そのまま駆け抜けた。
どんどんと協会が遠くなっていく。ずっとずっと、ずっとずっと、ただただ走り続けた。
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