倫書官吏列伝 張龍伝
鮎川剛
獅子
まるで焦げ付くような日照りが続き、街の酒場は昼間からごった返した。ただでさえ酒の美味い季節である。
この寂れた酒場にも一人、猛暑の中の任務に疲れ果てた大鷲が一人。名を
「はぁ……何でこんなに暑いんだよ? せめて酒が飲めればな…………」
ため息交じりにぼやく彼の周囲では、船乗りらしき男たちが馬鹿騒ぎをやっている。倫国有数の大河、大江のほとりに位置し、倫国南部における水上交通の要である江城には、全国から船乗りや商人が集う。大鷲にとってはこの船乗りたちが厄介である。もとより乱暴な者が多く、そこに加えてこの暑さで酒をたらふく飲むと来た。今年の江城は酔っ払いの見本市とでも言うべき有様で、屯所の大鷲たちが一日に捕まえた暴行犯、窃盗犯の半分が船乗りだった日もあるほどだ。
張龍は歌い踊る船乗りたちの顔を近くにいる者から順番に見渡した。もめ事を起こしはしないかという警戒が半分、白昼堂々酒が飲めることへの羨望が半分。休んでいる心地はしなかった。張龍がこの日何度目か分からぬため息をこぼしかけた時──
「おい、そこの
張龍はしまった、と心の中で呟いた。船乗りの集団の一人、髭面の男と目が合ってしまった。出来れば穏便に切り抜けたいが、これ以上刺激しないようにはどうすれば良いだろうか。考えている間にも、髭面はこちらに向かってくる。日々の労働の賜物か、髭面の体格は張龍の倍近い。張龍とて仮にも大鷲。決して小男ではないのだが、素手では分が悪いと思われた。腰の物を抜くのもやむなしか。ゆっくりと席を立ち、髭面の方へ向き直る。
「お! やるか若ェの!」
「やっちまえ!」
対峙する二人を見て、周りの客が野次を飛ばす。
「さっき俺のこと睨みやがったよな、ああ? 何か文句あるのか!」
「勘違いだ。機嫌を直せ、怒りながら飲む酒は不味いだろう」
「何だその口の利き方はよお、大鷲ごっこか? だったら酒場なんかにいねえで見回りでもして来いよ、暇人のガキが!」
怒号と共に、髭面が拳を振りかぶった。身構える張龍。殴ってくる腕を取り、取り押さえる算段だったが、その目論見は外れる。腕を振り上げたまま、髭面がその場から動かないのだ。よく見ると、髭面は背後から何者かに手首を掴まれている。張龍は髭面の巨体の向こう側に、獅子のような鋭い眼光を見た。
「……なあお客さん。楽しく飲んでるところ悪いんだけどさ、あんま暴れないでくんんない? オレは別に良いんだけど、この店の親父が喧嘩とか嫌いなんでね」
「ぐ、離せこの野郎っ! 誰なんだよ横から!」
「用心棒だよ。お客さんみたいな迷惑な野郎をつまみ出すのがオレのお仕事。ちなみに言うと、一本向こうの通りに
用心棒を名乗る男がそう言うが早いか、髭面の体は一瞬宙を舞い、近くの壁に叩き付けられた。用心棒が投げ飛ばしたのだ。それは力任せなようでいて、流れるような美しい動きだった。髭面はその場に崩れ落ち、呆然と足元を見下ろしている。
「悪かったな、兄ちゃん。お詫びに茶代はオレが出してやるからさ、この顔に免じてそこのお客さんは許してやってよ」
用心棒は飄々として張龍に陳謝した。突然の出来事に混乱しつつも、張龍は言葉を絞り出した。
「いや……うん、ありがとう。だが代金は自分で──おい、後ろ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます