旅の始まり
第6話
異世界での旅が始まって、三日目。
景色は未だ大差なく、雪の積もった山の中。緩やかな傾斜と足が深く沈む雪、肌を刺す寒さは、体力をゴリゴリと削る。
結果どうなったのかといえば、バテた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「ねえリュータ、やっぱり荷物はわたしが持つわ」
「いやっ、これくらいは……なんともねえから……!」
膝に手をつき、この寒さの中であっても汗をびっしょりと掻いた龍太は、旅の荷物が全て詰まった大きなカバンを背負っていた。
これがまたとても重い。魔導の力で見かけ以上に容量の大きいカバンだが、重さまではさすがに誤魔化せないようで。
数日分の食料と水、二人の着替えとテント道具、念のためにと持たされた薬類に、ハクアが戦闘で使う魔道具のナイフの予備。
そのカバンを背負っているだけでも十分すぎる重労働なのに、龍太は腰に村長から貰った剣を佩いでいた。
まだ一度も抜いていないその剣は、当然金属で出来ているからそれなりの重量がある。慣れないそれをぶらさげながらの旅は、龍太から必要以上に体力を奪っていく。
だが男たる者、こんな程度で根を上げてはいられない。
よしっ、と気合を入れる龍太を、ハクアは微笑ましく見守りながらも、その足を止めさせた。
「今日はこの辺りで終わりね。そろそろいい時間だし」
「きゅー」
「ふふっ、エルもお腹すいた? 実はわたしもお腹ぺこぺこなの」
賛成だとでもいうように鳴くエルと、手頃な木の株に背負っていたライフルを立てかけるハクア。空を見上げれば、この世界に来た時から変わらぬ曇天に、少しずつ夜の顔が覗き始めていた。
龍太も素直に荷物を下ろし、夜営の準備を始める。二人と一匹で協力してテントを張り、腕を組んでそれをしげしげと眺める。
「どうかした?」
「いや……」
村でもらったテントは、元の世界だと登山用のドームテントに該当するものだ。一応二人用で、それなりの広さは確保できている。
しかし、とは言っても、だ。村で使わせてもらった小屋や、元の世界の家よりも当然狭い。そして寝る時は、このテントの中でハクアと二人、身を寄せ合って寝ているのだ。
これも魔導具の一つなのか、外の寒さは完全に遮断しているし、寝心地も悪くはない。悪くはないのだけど。
「なあに?」
視線をやれば、コテンと可愛らしく小首が傾げられる。
そう、こんな美少女が隣で寝ているのだ。息遣いも、衣擦れの音も、静かな夜だと嫌でも耳に入ってくる。しかも龍太の方に寝返りを打った時なんて、めちゃくちゃ可愛い寝顔がめちゃくちゃ近いし。自分の心臓の音で起こしてしまわないか、なんて無駄な心配までしてしまう。
そんな状況で寝れるか? 俺は無理だね。
「なんでもない。それより腹減ったんだろ? だったらさっさと飯にしようぜ」
熱くなった頬を隠すようにしゃがみ込んで、カバンの中から食料と水を取り出す。
村でもらったのは乾燥させたパンだ。日持ちする上に、一度乾燥させた割には結構美味しい。二人と一匹分のそれを取り出してハクアに渡し、雪の上に敷いたシートに腰を下ろす。エルもそこに降り立って、置いてやったパンに齧り付いていた。
「さすがに、三日連続で同じパンは飽きて来たな……」
「なくなったら狩りもするけれど、それまでは我慢ね。それじゃあリュータ、今日もお勉強を始めましょうか」
乾パンを千切って口の中に放り込んでいると、ハクアがそう提案した。
この旅が始まった初日の夜から、龍太はハクアにこの世界のことを教わっていた。彼女と常に行動を共にするとは言っても、こちらにはこちらの常識があるだろう。それを知らなければなにかと不便なはず。
そして龍太が真っ先に教えを乞うたのは、魔導についてだ。
「まずは、昨日一昨日の復習から。魔導の概要について説明してみて?」
「魔導とは、この世界のあらゆるものが生まれながらにして持つ魔力を、あらゆる分野に応用するためのもの。日常生活から戦闘まで、この世界の至る所で使われている、だっけか」
「正解、よく覚えてたわね」
「昨日の今日で忘れねえよ」
元の世界での魔法や魔術なんて呼ばれるものは、奇跡の産物として描かれていた。しかしこの世界では違う。人間やドラゴンを始めとした、この世界の全ての存在が生まれながらに有しているもの。謂わば血液のようなものが、魔導の源となる魔力だ。
つまり、この世界にはあって当たり前のもの。決して奇跡の産物でも空想上の力でもない。
れっきとしたひとつの科学分野として確立されている。
しかし魔導という名は、あくまでも学問の一つとしての名称に過ぎない。
文明の発展に大きく貢献した魔導だが、遥か太古から今現在に至るまでの主な使い方は、やはり戦闘に寄るらしい。
ということを、昨日一昨日の二日間で教わった。今日からは実践編。龍太には特に必要な、戦闘における魔導の使い方を教わる予定だ。
乾パンの最後の一口を口に放り、水で流してしっかり呑み込んでから立ち上がった。
「よし、じゃあ早速教えてくれよ、魔力の使い方ってやつ」
「立ち上がらなくても大丈夫よ。最初は、自分の体内の魔力を感じ取るところから始めましょう」
なんだか空回ってしまったみたいで、すごすごと座り直す。ハクアの温かい目が羞恥心を煽った。
「そ、それで? 魔力を感じ取るって言っても、具体的にはどうやればいいんだよ」
「今のリュータなら、なにも難しいことはない。バハムートセイバーの時、何度かわたしがリュータの魔力を操作したでしょう? あの時の感覚を思い出してみて」
と、言われても。たしかにあの時の感覚は今でも思い出せる。体の奥底で、なにかの力が蠢くあの感覚。不思議な熱と少しの違和感を覚えたあれを、バハムートセイバーも起動していない今の状態で。
「大切なのはイメージよ。魔導を扱う上で、想像力は絶対必要になる」
「つっても、どうイメージしたらいいもんか……」
「そうね、わたしは川をイメージしたわ。あなたたち異世界の人間はこの世界の人間と違って、魂から生命力を、生命力から魔力を汲み取る。だから魂が水源で、そこから流れる川が生命力。川はやがて分たれていき、それが魔力の流れる川」
目を瞑り、頭の中に言われるがまま思い描く。大きな流れから分かれた、小さな川から。ほんの少し、水を掬い取るイメージ。
すると体内に、不思議な熱を感じ始めた。ハクアが龍太の魔力を使った時と、同じ感覚だ。
「さすが、飲み込みが早いわね。じゃあ今度は、その魔力を全身に巡らせてみて」
「全身に……」
大切なのはイメージだ。掬い取った水が力そのものなのだと分かれば、その力を全身に回すようイメージする。例えば、体の筋肉を順番に動かしていくような。
龍太の全身が、淡い光を帯び始める。魔力をうまく体に巡らせた証拠だ。
ただ、変化はそれだけ。巡る力は感じられるが、だからと言ってなにかが具体的にパワーアップしたりなんてことはない。
「ここまでなら、この世界の人間は生まれた時からできるわ」
「それ、そもそも体の作りが違うんじゃねぇか?」
「いいところに気づいたわね。この世界の人間とドラゴンは、魔力を全身に行き渡らせる器官を体に備えているの」
魔力を血液に例えるなら、血管のようなものだ。ただし血液とは違って、体内の魔力とは実体のあるものではない。ゆえにその器官も同じく実体のあるものではなく、だからこそ血管や他の臓器などに干渉せず、龍太の世界と同じ人間の姿でいられる。
「そして肉体の中には、魔力を溜めやすい場所というのも存在してるわ。代表的なのは心臓ね。あとは目とか、首の後ろの頸椎とか、手首や膝。男性なら精巣、女性なら卵巣も該当する」
「そっすか……」
美少女の口から聞いてはいけないような言葉が飛び出して、龍太の頬は俄かに熱を持つ。その様子を見て小首を傾げたハクアだったが、今は完全に教師モードになっているのか、構わずに説明を続けた。
「さて、それじゃあこれらの部位の共通点、なにかわかる?」
「人体の急所だろ? 喧嘩になったら目は真っ先に狙うし、金的蹴り上げたら大体沈む」
「正解、さすがね」
柔らかく微笑みながら頭を撫でられた。拒絶しようと思えば簡単なのだが、どうにもそんな気は起きないし、なんなら撫でられてちょっと嬉しいまである。
恥ずかしいことに変わりはないけど。
「子供扱いすんなよ」
「ごめんなさい、嫌だった?」
「嫌じゃ、ないけど……恥ずかしいだろ……」
その返事でさらに気をよくしてしまったのか、ハクアは嬉しそうに頬を緩めたまま、撫でる手を止めようとしない。
まあ、実際の年齢を見たら龍太なんて子供も子供なのだろうけど。しかも教師モードに入ってしまったハクアは、どうにも年上のお姉さんぽさがある。見た目が同年代の少女なだけに、男子高校生としてはつらいところだ。
「この世界で人体の急所というと、魔導の観点から見ても大きく意味のある箇所なの。だから優先的に潰すのがオススメね」
なるほど、と頬の熱が収まらないまま頷く。頭を撫でる手はそこで止めてくれたが、今度は何故かその手がそのまま龍太の手にまで移動した。
「ちょっ!」
「手を繋いだだけよ?」
「いやでも、そんないきなりっ!」
そう、手を繋いだだけである。なんならバハムートセイバーに変身する時は、体のどこか一部分でも触れ合っていないとダメだとかいうのだから、今更ではあるけれど。
でも、もう少し事前の説明というか、心の準備する時間をくれませんかね……。
どうやら龍太の動揺は完全にバレているようで、ハクアの口角がわざとらしくニヤリと上がる。
「ふふっ、リュータは揶揄い甲斐があって楽しいわ」
「俺は楽しくない……」
「なら嫌?」
「……嫌でもない」
鈴を転がしたような笑みが耳朶を打つ。今の聞き方は卑怯だ。否定できるわけがない。
「さ、レッスンに戻りましょうか。今からあなたのその魔力を借りて、術を一つ発動させるわ。さすがに、触れていないと魔力は使えないから」
「そのために手を握ったのか……」
「リュータが望むなら、それ以外の時でも握ってあげるわよ?」
「……っ」
思わずお願いしますとか言いそうになってしまい、必死でお口にチャック。一々反応していてはキリがない。
女性に対して免疫のない自分としては、結構頑張っている方だ。
今も手汗は大丈夫かとか、ハクアの手柔らかいなぁとか、余計なことを考えてしまっている。
ただ、純白の少女はさすがにそこまで察していないのか、瞼を閉じて集中していた。
繋いだ手を近くの木に向けて翳すと、眼前に魔法陣が広がる。
「凍えて貫け」
小さく低い声で唱えられた一言。
次の瞬間、魔法陣からは大きな氷柱が出現、発射され、木に命中した。
おぉ、と感嘆の息を漏らすと、隣の少女は得意げに笑う。
「これが魔術。魔導よりも更に歴史が古い、原始的な使い方。それでいて現在も多くの魔導師が使う、戦いには必要不可欠なもの」
「魔力で扱う術だから、魔術ってわけか」
「そう。でも根本的にはそのどちらも同じものよ。便宜上、今みたいに術式を構築、魔法陣を展開してこの身ひとつで使うものを魔術って呼び分けているだけなの」
氷柱は木にぐっさりと突き刺さり、消える様子はない。あれも魔力で作っているのなら、この前戦ったスペリオルの兵隊みたいに、消えるものだと思ったのだが。
そんな疑問をぶつけてみれば、ふむ、と頷きがひとつ。
「そこは各魔術による差ね。あの兵隊たちには、戦闘不能になったら消えるように術式を描いてたのかも。スペリオルはテロリストなんだし、その手掛かりになるようなものをわざわざ現場には残さないでしょ?」
「消えるように描いてなかったら、残るってことか?」
「というか、消えないように描くのよ。術式というのは、イメージを補強するためのもの。曖昧な想像に具体的な式を組み込んで、魔術として成立させる。それが術式。更にイメージの補強のために、詠唱も用いる」
「さっきのセリフが詠唱ってやつか」
「その通り。術式がうまく描けなくても、詠唱だけでイメージを補強する人だっているし、その二つがなくても十分なイメージを持っているなら、術式も詠唱も必要ないわ。だから人間よりも長命なドラゴンは、無詠唱の簡単な式だけで魔術を発動できる」
先程のハクアがしっかり術式を描き詠唱も口にしたのは、あくまでも見本のためだろう。あるいは、他人の魔力を使っているから、なんて理由もあるかもしれない。
なにせ先日の戦闘では、詠唱無しのままで龍太をサポートする魔術を使ってみせた。
拡散して追尾する、荷電粒子砲だ。
あの魔法陣には、拡散と追尾のための術式が描かれていたのだろう。
「で、その魔術を簡単に発動できるようにしたのが、わたしのライフルとかナイフみたいな魔導具。昔、ドラゴンと人間で大きな戦争があったのだけれど、魔導具はその中で生まれた兵器が発祥よ」
「でもハクアのそれは龍具って言ったよな」
「龍具はドラゴンが特別な力を込めて作ったものなの。魔力とも違う、この世界でもドラゴンしか持てない力。そちらの世界では異能と言うのだったかしら?」
いや、そう聞かれても。龍太は元々、魔導やら魔術やらとは無縁の一般人だ。むしろ今は、元の世界のそれらよりもこの世界の魔導
の方が詳しくなってしまっている。
「例えば、水の龍神ニライカナイは、その名の通り水を、転じてあらゆる流れを操れる。これは魔導とはまた違った力で、強力な一部のドラゴンはみんな、そう言った力を持っているわ」
「もしかして、
「ええ、わたしは魔力を持っていないから、そういうことになるわね」
魔力を持たず、ドラゴンの姿も封じれたハクアが、辛うじて使えた力。
しかしエンゲージ自体は、ハクア以外にも使えるドラゴンがいたのだろう。失われた技術と言っていたし、そのような言い方をする以上はハクア特有の力というわけでもなさそうだ。
「じゃあさ、ハクアの持ってるドラゴンの力ってなんなんだ?」
興味本位で尋ねた質問。
少しでもこの子のことを知りたいと、ほんのちょっとだけ下心もあった。
けれどハクアは、ほんの一瞬だけ、とても寂しげな光をその真紅に宿す。そして、眉根を寄せて困ったように笑いながら、言った。
「わたしの力は変革。今あるものを、全く新しいものへと変える力。もうなくなっちゃったけどね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます