第五話 feat.梶京平

★八月二日 午後三時十三分 池袋西口Esola四階 梟書茶房店内


「ふぅ………」


 ノートパソコンで延々とキーボードを叩くというのはなかなか疲れるものだ。ライターという仕事柄パソコンでの作業は切っても切り離せないが、手を使わずに文章をタイプできるようにならないかと、現代の技術でも実現が難しいのであろうことをつい考えてしまう。

 私が仕事をするのは池袋駅西口から徒歩十五分ほどの場所にある自宅マンションか、ここの喫茶店のどちらかしかない。静かに作業ができる場所ならどこでもいいというわけではないが、数年前に取材がきっかけで訪れたこの喫茶店は特に私のお気に入りの場所だ。

 書店を兼ねたこの喫茶店は少々特殊な販売形態をとっており、利用者はタイトルも作者も分からない本を、店員の書いた紹介文だけを頼りに選んで購入する。店内の少しレトロで落ち着いた雰囲気もさることながら、普段ライターという仕事で生計を立てている身としては、書物との一期一会を大事にしているこの店には好感しかなかった。


「お待たせしました。梟ブレンドです」

「あ、ありがとうございます」


 今取り掛かっているネット記事の執筆をちょうど終えた頃に、注文した珈琲が届いた。この店は珈琲も美味い。ちなみに本を買うと珈琲百円引きのクーポンがついてくる。一仕事終えた後の一杯は格別だった。

 珈琲の香りを楽しみながら、私は『complicationコンプリケイション』のアプリを開いた。“管理者”である私のところには、二十四時間ほぼ休みなくこの街の人々の声が届く。誰よりも池袋の街を知るライターと私が自称しているのは、ひとえにこの街の住人のおかげだ。新しくできた店の感想から路地裏で起きた若者同士のちょっとしたトラブルまで。アプリの名前のとおり、複雑に絡み合ったこの街の人々の思いがすべて手に取るように分かる。

 もちろん今ホットな話題としてはまず《竜》が一番に挙がってくるのだが。常日頃からこのアプリで街の変化を観測しているが、皆が街のランドマークとして受け入れてしまっている《竜》という都市伝説に対して、私は今も警戒心を捨てていない。この街を深く愛する住人の一人として、街に害を与えるかもしれない存在は無視できなかった。

 もっとも、ネットで街の記事を書き連ねるしか能のない私に、あの人知を超えた都市伝説をどうこうできるはずもないのだが。あくまで私は街を愛する一市民の一人でしかない。まして都市伝説でもエイリアンでもサイキッカーでも忍者でもない。特別な力など何も持っていないのだ。

 だが、どうやら今この街で《竜》とは別の、私ではない都市伝説が地を翔けているらしかった。


【速報:池袋で《竜の涙》発見】

【南池袋公園にさっきたまたまいたんだけど、《竜の涙》拾った男の子がATフ〇ールド的なの展開してた!超能力???】

【百億円がマジで降ってきたん?】

【いま街中で《竜の涙》探してる人いるっぽいけど、死人とか出ませんよね】

【ねぇ、さっき自販機に追いかけられてる男の子いたよ?なにあれ、幻覚?】

【見た見た。あれって手品なのかな?でもその割には自販機はまんま自販機だったするけど】

【今日の池袋、ヤバくね?】


 『complication』のトレンドは“《竜の涙》”や“百億円”、“超能力”だの“サイキッカー”だので持ちきりだった。

 最初に言っておくが、私はそこまで金にがめついわけではない。ライターの仕事で生活に困らないだけの収入は得ているし、この街に住み続けられるのならそれ以上の贅沢はないと思っている。つまるところ、百億円の財宝に興味はない。

 しかし私はライターであり、記者でもある。毎月この街の情報やトピックを発信している身としては、長年存在を囁かれ続けた秘宝がついに見つかったという話題は到底無視できるものではないのだ。


「———確かめる必要がある」


 私は注文して届いたばかりの珈琲を一気に飲み干し、天翔ける都市伝説が見守る街に繰り出した。


***


 これまでに語った四人はプライバシーに考慮して仮名で表記させてもらったが、私については過去の記事で飽きるほど梶京平かじきょうへいというペンネームを名乗ってきたので、今更わざわざ別の名で語る意味もないだろう。編集部以外には私の個人情報は基本割れていないはずだし、今回の一連の騒動に首を突っ込んだことについて私はこれといって後ろめたい気持ちがあるわけでもない。

 ともかく私、梶京平(二十八歳)という男は池袋という街を深く愛している。この街は私の故郷であり、どこへ行っても帰りたくなる場所だ。生まれ育った場所に愛着があるのは当然だと思う。街への愛着が行き過ぎてライターという職業を選んだわけだが、正直私という人間を語るうえでこれ以上話すべきことはないように思う。池袋の街が誰よりも好きなヤツ、とだけ認識していただければそれでいい。

 今回の記事であの日この街で起きた《竜の涙》を巡る騒動の顛末はすべて語り終える予定なのだが、願わくばこれを読んだ貴方が、この街にかけらでも興味を持ってくれることを願うばかりだ。

 ちなみに私はよく池袋の居酒屋をハシゴして飲むことが多いので、もしこの街に貴方が来ることがあるのなら良い店を紹介しよう。この街の魅力について朝まで語り合いたいものだ。


***


★同日 午後三時二十三分


 Esolaを出た私はその足で西口公園に来ていた。そもそもEsolaが西口公園のすぐ傍にあるからというのもあるが、目の前に西口公園があるのに寄らないというのは街への礼儀に反する。(意味が分からない?分からなくていい)

 その場を目撃したことを、私は運命と受け取った。

 視線の先に地面に突っ伏す少年と、それを介抱しようとしている別の少年が映った。若者同士の喧嘩、というわけでもなさそうだった。もしあの二人が殴り合いでもしたというのなら、介抱している側の少年には傷一つ痣一つ見えない。少なくとも遠目に見ていた私には。

 善良な池袋市民としては、目の前で倒れている子供がいるのなら助けを呼ぶなり協力するのが当然。そう思い私は二人に駆け寄ったのだが。


「———えっ?」


 私の目の前で、介抱していた少年の姿がかき消えた。霞のように。


「………」


 ベタだが、自分の目を手でゴシゴシと擦ってみる。

 再度目を開く。

 やはりそこには地面に突っ伏す少年の姿しかない。


「………超能力か?」


 いい歳した大の大人が何を言っているんだと言いたくなる気持ちも分かるが、私はその時決定的に、今この街で起きている異変が真実であり現実だと直感した。

 ありきたりな結論だが、人は自分自身の目で見たものは基本的に真実だと思うように思考回路が設計されているのかもしれない。


「う、うぅぅん……」

「おいキミ、大丈夫か?」


 兎にも角にもまずは目の前で倒れている少年の救助を最優先とした。目の前で突然消えた人物の捜索のマニュアルなど、私は大学でも自動車教習所でも教わっていないのだから。


「………ん、あれ。俺なんで………」

「よかった、目が覚めたのか」

「おじさん、誰?」


 夏の日差しの眩しさゆえか、それとも意識が混濁しているのか、目を覚ました少年は眉間に皺を寄せながら訝しんだ。


「えーっと、通りすがりの一般人だよ。梶京平ってもんなんだが、キミが地面に突っ伏して倒れてたもんだから熱中症にでもなったのかと。それより名前は?言えるかい?」

「そうですか、そりゃどうも……僕は諏訪翔って言います。あれ、イヌヤマは……?」

「イヌヤマ?」


 変わった名前だなと思うより前に、おそらくそれは先程私の目の前で忽然と消えたもう一人の少年のことなのだろうと思い至る。

 

「もしかして、キミと一緒にいた男の子か?」

「えぇ、ヘラヘラして軽薄そうな———ッ!?」


 その時、諏訪少年が何かに気付いたらしい。朧気だった目をカッと見開き、その場で勢いよく立ち上がった。


「ないッ!!」

「ない?何がだい?」

「竜の———」

「竜?」


 諏訪少年は何かを言いかけ、咄嗟に口を噤んだ。

 代わりに、何やら私には意味の分からない独り言を呟いている。


「まさか、あいつが盗んだのか……」

「あいつ?盗んだ?」

「探さないと———」

「あ、いたいた!」


 別の方向から若々しい声が響いた。

 声の先にいたのは、Tシャツにジーンズとラフな格好をした一人の少年だった。おそらく目の前にいるこの少年と年齢は大差ないと思う。顔の精悍さから見るに高校生くらいだろうか。

 少年の視線は真っすぐこちらを見据えている。記憶の糸を辿ってみるが、過去に取材した人々のレコードに、この少年の顔はない。であれば倒れていたこの子の知り合いか。

 そう思い傍にいた諏訪少年の顔を見るが、諏訪少年もまた誰だろうと言いたげな表情を浮かべていた。


「あーもう、直斗のヤツこんなとこまで逃げてたのかよ。どんだけ走らせるんだっつーの。ライン送っても返事しねーし」

「あー、すまない。キミは?」

「え、俺はあれ、直斗の友達のタクヤってんだけど。キミ、さっきアニメイト前で自販機に追われてた子だろ?直斗が追いかけてった」

「え?」


 目の前に現れた三人目の少年の言葉に、私は思わず話題の諏訪少年の顔を見た。

 改めて見ると、確かに『complication』で上がっていた動画や写真の人物と特徴は一致しているように思う。

 

 ———まさかとは思うが……。


「坊や、キミもしかして、《竜の涙》を———」

「違う!」


 否定が早かった。早すぎる否定は質問者に対してそれが真実であるという疑念を抱かせてしまうものだ。それなりにライターとして取材の経験を重ねていればこういうやり取りは感覚的に分かる。

 もしこの少年が《竜の涙》を拾っていたとするなら、さっき私の目の前でもう一人の少年が忽然と消えたことにも説明がつく気がした。この時点で私は《竜》や《竜の涙》の正体などこれっぽっちも知らなかったが、逆に言えば今の池袋の街で説明がつかない事象はすべて《竜の涙》という語をあてれば筋が通るのではないかと思ったのだ。


「あの、直斗どこ行ったの?トイレ?」

「僕は、知らないです。突然頭に何かがぶつかった感じがして、気付いたらこのおじさんがいただけで」

「何かがぶつかった?ひょっとしてそこに転がってるドクペか?」


 タクヤ少年はすぐそこにあった未開封の凹んだ五百ミリ缶を指さした。


「そう、なのかな?」

「あー。つまりその直斗君っていうのがどこに行ったのかはこの子も私も知らないということだな」


 私の目の前でその子は消えた、なんて見たものを正直に話してしまえば余計に混乱を招く気がして、ひとまずその件については触れないことにした。

 その時、その場にいた私達三人のスマートフォンが同時に鳴動した。現代人の癖だ。自分の携帯が鳴ればとりあえずその場で確認する。

 私たち三人の画面に映っていたのは『complication』の通知ポップアップ。全文を乗せられないため短い一文しか表示されない仕様だったが、それはこれ以上なく端的に街のニュースを伝えていた。


【池袋駅東口で火災発生】


 それに次いで、タクヤ少年のスマートフォンが鳴る。通知音は『complication』ではなくどうやら誰かからのラインだったようだ。


「……は?」


 タクヤ少年の顔に明確な疑問符が浮かんでいる。私は彼に気付かれない程度に、こっそりと彼のスマホ画面を覗いてみた。


【犬山直斗:《竜の涙》見つけた】


***


★同日 午後三時五十五分 サンシャイン60通り 東急ハンズ前


「………」

「………」

「………」

「………」

「………」


 その場にいたのは私の他に上遠野尋史、神水綾、犬山直斗、諏訪翔。数メートル離れた場所にタクヤ少年もいるが、周りに不審な人影がいないか見てもらっている。百億目当てのミーハーが現れたらすぐ逃げられるように。

 最初に声を発したのは神水女史だった。


「えっと、どうする?」

「どうするって、何がっすか?」

「これ」


 そう言って彼女は、いまは上遠野少年が手に持っている《竜の涙》を指す。


「誰も欲しくないって言うなら僕が貰いたいんですが」


 諏訪少年はそう言うが、すかさず犬山少年がそれを煽った。


「お、翔もやっぱ百億欲しいクチか?」

「違うし。俺は百億じゃなくて超能力が欲しい。他の皆にも起こったと思うけど、噂通りこれの“力”は本物でしょう?」

「自販機だのドクペの缶だの引き寄せて自爆するのにか?」

「うっ、そ、それは……」


 四人の話を聞くに、《竜の涙》を手にしている間、当人に所謂“超能力”が備わるという噂は真実だったらしい。『complication』でも既に大勢の人間がそれを目撃しているのだからそれは紛れもない真実なのだろう。

 凡そコントロールが効かないという難点があるようだが。

 上遠野少年の『障壁リフレクト』は彼が恐怖心を覚えたときだけ。

 諏訪少年の『奪取スナッチ』は少しでも欲しいと思ったものを見境なく引き寄せる。

 犬山少年の『瞬間移動テレポート』は一瞬でも彼が行きたいと思った場所はたとえ危険な場所でも瞬時に移動してしまう。

 神水女史の『発火イグニッション』は敵意を覚えた相手なら誰でも何にでも発火する。火加減の調整も効かない。

 説明に不便なので便宜上能力に固有名詞を設定させてもらったが、兎に角特定の個人が持つには誰が見ても手に余る代物だろう。


「川にでも捨てちゃえば、いいんじゃないですか」


 おずおずと上遠野少年が進言する。


「でもヒロ、どこかに捨ててもいつかは誰かが拾っちゃうかもよ?そうなったら結局別の誰かがウチらみたいにめんどいことになりそう」

「まぁそれはそれで面白くなりそうだと俺は思うけど」

「あんた、SNSでそういうこと呟いたら絶対炎上するよ」

「ふはっ、さすがにそこまで迂闊なことはしないって」


 私はそんな彼らのやり取りを聞きながら、この街にとって何が正解なのかを悶々と考えていた。空を見れば、長い尾に西洋風の大きな翼を持った《竜》の姿が変わらずそこにある。


 ———《竜》は何を考えている?

 ———どうして《竜の涙》なんてトラブルの元をこの街に落とした?

 ———というか、お前は結局なんなんだ?

 ———なぜ池袋の街に留まり続けている?

 ———なぁ、お前は何を考えているんだ?


 そう疑問を投げかけたとき、《竜》がこちらを見たような気がした。


「あっ」


 ふと、上遠野少年の間の抜けた声が聞こえ、次いで私の足元に何かがぶつかる感触があった。

 見ると、私の足元に《竜の涙》が転がっていた。どうやら上遠野少年がうっかり手を滑らせてしまったらしい。

 何気なくそれを拾ったとき、私は確かに声を聞いた。

 この街の声。

 《竜》の声を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る