素敵でしょう?
宮上拓
素敵でしょう?
ある日私が口笛でハービー・ハンコックの『ウォーターメロン・マン』を吹きながら書き物をしていると、急に部屋のドアがこん、こん、こん、とノックされた。家には私一人しかいないはずだったし、誰かが鍵をあけて入ってきたという気配も感じなかったので、とてもびっくりして、デクスター・ゴードンとのソロ競演をとり損ねてしまったほどだ。時刻は夕方の四時過ぎで、ガールフレンドとの約束の時間までにはまだ間があった。
私はしばらく黙っていた。もう一度ノック。こん、こん、こん。
泥棒かもしれない、と私は思った。しかし、普通の泥棒は盗みに入る部屋のドアをわざわざノックしたりはしない。あるいはするのかもしれないけれど、そんなのは知ったことじゃない。
私はおそるおそる聞いてみた。「そこでノックしてるのは、いったい誰だい?」
ドアの向こうから返事はなかった。そのかわりに、もう三回こん、こん、こん、とノックする音が聞こえてから、いきなりがちゃりとドアが開いた。
「こんちは」とその女の子は言った。「こんちは。私って素敵な女の子でしょう?」
私はとても驚いていた。その女の子は、私のガールフレンドにおそろしいほどよく似ていたからだ。しかし、その女の子が彼女本人でないことは簡単に分かった。その女の子と彼女は本当によく似ていたけれど、本物の私のガールフレンドはその女の子ほどに歯並びが悪くはなかったし、肌ももっとつるりとしていたし、前衛芸術的に色の合わない靴下を履くこともなかったからだ。きっと私のガールフレンドの型を作って、三万回ぐらい繰り返し使えば、この女の子のような人間が出来上がるんだろうと私は思った。
「私って素敵な女の子でしょう? だって、私はあなたのガールフレンドなんだもの」と、その女の子は言った。背筋がぐにゃりと曲がっていて、なんだかポリバケツの中に一週間ぐらい詰め込まれていたような雰囲気だった。
「冗談じゃない」と私は言う。「君なんか僕は知らないぜ」
「あら、ひどいのね」
「だって、君は僕のガールフレンドじゃないもの」
「男の人ってみんなそう言うのよね。みんな死んじまえ、よ」
彼女はそう言うと、持っていたハンドバッグからバージニア・スリムの箱を取り出して、そのうちの一本に火をつけてふかし始めた。吸い方は全然さまになっていなかった。
「ふん。気取っちゃって」
彼女はぶつぶつとつぶやきながら勝手に私の部屋に入ってくると、私のそばに寄ってきて、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。三日前にどぶ川に落っこちて、そのまま私のところへやって来たんじゃないかというひどい匂いがした。
「君はくさいよ」と私は言った。
「なによ、つまんないもの書いてるのねえ」と彼女は言った。
「これは僕の仕事だ」
私は少しいらいらしながら、彼女を部屋の入り口まで押し返した。彼女の服はなんだかじめじめしていて、手を離すときに糸を引きそうなぐらいだった。
「さあさあ、帰った帰った」
「なんで入れてくれないのよ。私はあなたのガールフレンドなのよ?」
「たしかによく似てる。でもさっきも言ったけれど、君は僕のガールフレンドなんかじゃ全然ないんだ。僕は君なんか知らない。それと、大通りに出れば病院があるからそこに行くといい。保険証は持ってるかい?」
「男の人ってみんなそう言うのよね。みんな死んじまえ、よ」
やれやれ、と私は思った。全然話が前に進んでいない。見ると、彼女はまたハンドバッグを開けて、バージニア・スリムを取り出そうとしていた。
「分かった。ちょっとそこで待っててくれるかい?」
私はそう言うと急いで部屋の中に戻り、本物の私のガールフレンドの痕跡が何か残っていないか探した。ちょうど上手い具合に、彼女のヘアピンと、彼女が貸してくれると言って置いていった本と、二人で撮った写真があった。私はその三つを手に取ると、もう一度部屋の入り口で待っている女の子のところに戻った。
「これが僕のガールフレンドだ」と、私はヘアピンを彼女の目の前に掲げた。
「なにさ、そんなもの。ふふん」と彼女は鼻を鳴らした。
「これが僕のガールフレンドだ」と、今度は本を掲げて見せた。
「フローベール? くそくらえよ」と彼女は息巻いた。
「これが僕のガールフレンドだ」と、最後に私は二人で撮った写真を掲げた。去年の春に京都の二条城で撮った写真だった。
私が写真を掲げると、女の子は一瞬はっと息をのんだ。そして、顔を近づけてまじまじとその写真を食い入るように観察し始めた。彼女はしばらくそのままの体勢でじっとしていたが、やがて「くっ」と小さくうめいて、じりじりと後退りし始めた。私は、これがチャンスだと思った。
「どうだ! これが僕のガールフレンドだ!」
「ひゃあ、参った参った! 降参だあ!」
女の子ははじかれたようにそう叫ぶと、ばたばたと私の家の廊下を走って、あっという間に外へ飛び出して行ってしまった。念のために私が玄関を開けて外を確かめてみると、彼女は靴も履かずに、前衛芸術的に色の合わない靴下のまま道路を駆けていた。
私はしばらくその後姿を眺めていた。五分ぐらいすると家の中で電話が鳴ったので、家の中に入り、玄関にしっかりと鍵をかけた。
「もしもし」と、受話器を取って私は言った。「そこで電話を鳴らしているのは、いったい誰だい?」
「私よ」と受話器が言った。私のガールフレンドだった。
「今仕事中なんだけど、ちょっと長引きそうなのよ。今日の約束、七時だったかしら?」
「うん」と私は言った。「でも、もし仕事が長引きそうなら無理はしなくていい。僕の方は時間なんて有り余ってるんだからね」
「ありがとう。なんとかしてみるけど……間に合わないようならもう一度電話するわ」
「わかった」
「ごめんね」
「いいさ」
「うん」
「ところでさ」
「なに?」
「君に双子のお姉さんか妹っていたっけ?」
「いいえ、いないわ。どうして?」
「うん、ちょっと気になったんだ。君と同じ顔で、でも中身が全然違う人間がいるってのはどういう感じがするんだろうなあって」
「変な人。ねえ、仕事中なのよ。もう切るわよ?」
「うん、わかった。君は素敵な女の子だよ」
「ありがとう」
「じゃあ、あとで」
「あとでね」
がちゃん。
がちゃん。
(了)
素敵でしょう? 宮上拓 @miya-hiraku
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