聖女が死んだ
皆川 純
聖女
聖女が死んだ。
25年という年数は勇者が生まれた寒村ではどうだか知らないが、彼女が生まれ育った王都においては夭折であり、「まだ若いのに」という声がそこかしこで聞こえる年齢だ。
実際、その知らせが王城に届いた際の動揺は激しかった。
それは確かに悲しみうや慟哭であったのだが、それよりも聖女不在の今後に対する不安や憐れみの声が多く、特に彼女の優秀さから今後に期するところが大きかった教会では不安が大半を占めていた。
神の声を聞くことの出来る聖女は人たる聖職者がその発現を制御できるようなものではないのだが、少なくとも聖女を迎えるための下準備を整えることは行ってきた。彼女が聖女になるまでは。
ところが、聖女たる彼女が見出されてからは、そのあまりの優秀さに甘えてしまい聖女不在の動揺に備えて多くの候補者を教育して万一に備えるべきと考える慎重論が少数となって封殺されてしまったのだ。
それゆえ、当たり前のように教会は動揺した。
聖女とは教会ではなく神が示す存在。
それだけに市井では神の代弁者として認識されており、信仰の厚さも教会や聖職者に対してよりも強い。常に存在している訳ではないが、歴史上その存在が断言できる四人の聖女が座している期間の信仰は教会ではなく、ほぼ聖女に対して向けられると言って良い。
始まりの聖女は創造神話の中で語られる、ただ聖女とのみ記された存在であり教会も学会も眉唾であることは暗黙の諒解としている。
二人目の聖女システィーナが二十歳で受命したのは考古学上確認できる1200年前、史書や地層などの照合からも大陸全体に影響する大規模な地震が発生した際であることがわかっている。
500年前、たった二ヶ月で人口の三割を失う疫病が蔓延した時に人々を癒した聖女イティスは、十五の成人と同時に聖女となった。
直近の四人目は史上類を見ない干ばつが大陸中を襲った200年前、辺境で雨を降らせた聖女エリカは、夫と子供を置いて大陸中を巡り恵みを齎した。
確認されている四人の聖女と同様、五人目の聖女アリスもまた、大陸南部に興った魔王国による侵略に呼応するかのように生まれている。
なぜ有事や天変地異に備えてではなく事が起こってから託宣されるのか、その理由は神ならぬ人が頭を寄せ合っても解答は出てこないが、そういったものなのであろう。
実際にそれでも人界を壊滅せしめるような被害までは至っていないのだから、神が人間に与えた試練も兼ねているのではないかというのが神学界では主流となっている。
さて、史上五人目の聖女アリスは生まれてすぐに受命し、王都の大聖堂で育てられ五歳で神の御業を代行できるようになった。その間も魔王国の侵攻はあったものの、二つの小国が飲み込まれた不幸はありつつも人類全体が支配下に置かれるような事態には至らなかった。
小康状態の中で戦闘力を持たない彼女は大聖堂で御業を示し、遠く離れた戦場での士気高揚や人類全体の精神に作用して不屈の思いを新たにするなど、魔王に対する使命を受けた聖女ならではの務めを果たした。
過去の聖女たちも同様に受任した時の状況に応じた御業を発揮したことから、彼女も彼女の周りの聖職者や王族たちも、世界中の人類に希望を与えることが彼女の御業だと思っていた。
圧倒的な個の暴力で攻め寄せる魔物に絶望する人類に、光と希望を与える存在。それが今代の聖女であると。
教会と王国がこぞって教育を施した彼女は、大聖堂から出たことがなくとも今に至るまでの世界を正確に理解し、何を必要とされているのかを正確に把握している。
力に対する力でも、軍を支える物資でも、民衆を満たす食料でもない。
遍く世界を照らす希望の光であること。
打ち拉がれて蹲る民に、傷ついて項垂れる兵に、私財を吐き出す貴族に、子を失った親に、全ての民に等しく立ち向かう意思を与える聖女。
だから彼女はこう呼ばれた。
勇気の聖女。
建国の聖女、復興の聖女、癒しの聖女、恵みの聖女。
それぞれに与えられた使命と御業に応じた尊称で呼ばれる聖女の中でも、彼女は生誕と同時に受命したという点で特別視され、同時に事態の深刻さを人々に認識させた。
それだけ未曾有の危機である、と。
心ある為政者の中には、親の顔も知らぬまま大聖堂で務めを果たすだけの幼年期を過ごさざるを得ない彼女に痛ましい思いを抱く者もいたのだが、だからと言って人類の危難と秤にかけた場合どちらに傾くのは自明だった。
子供らしい笑顔を見せず、日々を祈りに捧げて人類に奉仕し続ける聖女に胸を痛めながら、せめて早く戦乱を終わらせることが彼女への償いの一歩であると決め戦場に赴く貴族は後を絶たず、その姿がまた民衆や兵を奮わせることとなった。
期待以上の成果を挙げ続けたアリスだったが、ちょうど彼女が十五歳となった年、勇者の存在という新たな預言をしたことで更に人類の希望となる。
帝国の東北、辺境伯領の寒村で貧しい生活を送る少年こそが、魔王を打ち倒す勇者である。彼は人外の膂力と神に与えられた戦技で魔物の暴力に抗し得、何よりも魔族の行使する魔術への完全なる耐性を持つ、と。
また彼女は、同時に勇者を補佐する魔術師ミハイを告知する。曰く、西の王国にて司祭として神に使える青年は勇者ユーリを魔術にて補佐し、勇者の力をより高みへと至らせるであろう。
すぐに伝令が走り、見出された貧農の子ユーリが僅か七歳であったことは為政者や軍の関係者を沈痛な面持ちにさせたが、西へ走った遣いが連れてきた魔術師ミハイが二十歳を過ぎた青年であることが辛うじて彼らの罪悪感を抑え込んだ。
彼は類稀なる叡智と魔術の知識を持ち、それは戦いのみならず幼い勇者のあらゆる面を補佐し得るだろうと感じたからだ。
それゆえ彼は、聖女の告知に従い賢者と尊称された。
聖女アリスは勇者、賢者と共に魔王軍を討滅することも預言しており、集められた二人と王城で半年間の訓練を行った後南へと旅立って行った。
王都の城門を出る彼らの姿はより一層民衆の心を奮い立たせ、勇気を与えるのみならず勇者をも見出す聖女に改めて「勇気の聖女」であるとの思いを強くさせることとなる。
だが、初めて見る外の世界に歓喜することもなく、彼女の心は暗雲で満たされている。
ただ人のために御業を行使し続けた聖女は、周囲の聖職者が感じていたような感情の欠落を抱えていた訳ではない。奉仕するしかない存在である自分に絶望し、未来に希望を見出せず、無感情になる他に幼い心を守る術がなかっただけだ。
それに、と隣を歩く少年をちらりと見やる。
誰が見ても子供でしかない横顔は訓練を経て戦う顔となり、年に似合わぬ風貌で眉根に暗い影を落としている。
元から年齢不相応に落ち着いたところのある彼だったが、王城へ来た際はそれでも初めて見る荘厳な雰囲気にきょろきょろと辺りを見回していた。
そんな僅かに残された子供らしさも、半年間の訓練と自分に課された使命の重さを理解するに連れ消し飛んでしまった。今はまだ少年らしさを残す面影も、きっとこの旅の間にこそげ落とされてしまうのだろう。
きゅっと口元を絞っているのも、到底七歳とは思えない。
彼が魔王を打ち倒すことは神託によって明らかだ。それは神託を受けた聖女が誰よりもよく知っているし、そこに疑問を挟む余地はない。
けれども結果ありきの神託は、その経緯を教えてはくれない。
勇者の体は傷つかないのか。
五体満足で旅を終えられるのか。
何より、少年の心はどうなってしまうのか。
そう言ったことを神託は教えてくれないのだ。その危惧が現実的なものであることは、こうして旅に出たばかりの彼の様子からも伺える。そして彼をそのような危地に置いてしまうのは他でもない、聖女である自分なのだ。
人々の希望である少年に、彼自身の希望は存在しているのだろうか。
そう思いながら無表情に歩く聖女と、希望に押し潰れそうな小さな体を大きな防具に押し込めた少年は無口に歩みを進める。
一人年長者である賢者ミハイが何それとなく世話を焼き、声をかけてくれているが二人の受け答えは静かで少ない。
王城を出る時の歓声の大きさに似合わず、物静かな勇者たちの門出は見上げた曇天のように薄暗かった。
旅の中で聖女アリスにはいくつかわかったことがある。
とは言え、彼女は生まれてからずっと大聖堂と王城でしか世界を知らず、旅空の下ではあらゆるものが新たに知ることなのだが、戦乱の中でも人々を癒す風光明媚な景色も王国とは異なる珍しい文化風習も、さほど彼女の興味を惹くものではなかった。
彼女が気にかけるのは勇者ただ一人。過酷な運命に自分が引き入れてしまった少年のことだけだ。
王城でも大聖堂でも、人類の希望を預言した成果を寿ぎ賛美されることはあっても、彼女の内心を慮ってくれる言葉はなかった。彼女自身も、だからと言って勇者の存在を隠すべきだったとは思っていない。
神の言葉は絶対であり、その代弁者である自分が隠蔽することなどあってはならないことだからだ。
それでも、十五歳の少女にとってその双肩にかかる重みは苦痛であり、誰かに替わって貰いたいとは思わないけれどわかっては欲しかった。
旅の始まりは穏やかに過ぎた。
王都周辺では戦乱の足音すらないし、人類が一丸となって立ち向かう危難の時勢において人々は団結に向かい世を擾乱するような輩も少なかったからだ。
たとえ荒事があったとしても勇者と賢者がいて危険が及ぶことなどなかっただろうが、拍子抜けするほど安全に旅は進み、行く先々で人々や国を挙げての歓迎を受け支援を得られた。そこで会う人々は擦れ違うだけの存在であり、だからこそ彼女も王都で過ごす日々よりは心にゆとりを持てたのだろう。
口々に平穏を祈り武勇を願い支援を申し出る一瞬の関わりの中で、だからこそそれらとは一線を画す濃密な関係である勇者と賢者がくっきりと浮かび上がってくる。
勇者ユーリはいつも無口で無表情だが、寒村の出身とは思えないほどの利発さで目にし耳にしたあらゆる情報を吸収し自分のものとする。そしてそれらを用いて何かしらの課題を解決できた際、手放しで褒める賢者ミハイの言葉に僅かに少年らしい笑みを見せるのだ。
彼の感情は無いのではなく、きっとそれを上回る使命の過酷さで覆い隠されているだけなのではないだろうか。
賢者ミハイは、三人の中で唯一の大人であり、彼女の見たところ聖女である自分よりもよほど聖者として相応しい司祭なのではないかと思う。
常に聖女や勇者を気遣い、けれどそれを重荷と感じさせることのないようなさりげなさで行える彼は、王城でも大聖堂でも見たことのないほどの魔術を操り旅を支えている。訓練でしか見たことはないが、彼の大規模魔術は一帯を荒野に帰する威力を持っているのに、旅路で水や火を扱う小規模な魔術も繊細に扱う。
勇者も賢者も、きっと聖女の抱える葛藤に気づいている。
大人である賢者はもちろん、年齢に見合わぬ洞察力を見せる勇者も。
けれどもそれを口にしない理由はきっと違う。
賢者は大人としての心の余裕から見守ることに徹しているからだろう。これは聖女にはありがたい気遣いだった。
問題は勇者だ。
悩みの大元が勇者その人へ向いているからこそ気づいているだろうけれども、聖女が何かしらの働きかけをしようとするとそれとなく回避される。
会話がない訳ではない。必要なことは話しかけてくれるし、こちらの発言を無視することもない。
それでも賢者に対するものと聖女に対する態度では、どことなく後者に隔意を感じてしまうのだ。
それはきっと賢者の対人能力によるものだけではなく、聖女が勇者に持つ罪悪感に気づいているためだろう。
勇者の少年は寒村の出であり、大聖堂で聞いたところによればあの年で家族や故郷を恋しがる素振りすら見せなかったらしいけれども、だからと言って貧しくとも家族がいて生命の不安のない環境から、見知らぬ大人ばかりでいつ死ぬかわからない最前線に投入される勇者に選ばれたことに何も感じるところがないということもないはずだ。
だから、憎まれても仕方ない。
いや寧ろ、明確な嫌悪を示してくれた方が楽だった。
謝りたいのに、自分から進んでいけない。
聖女としての生き方しか出来ない彼女には、こんな時どうすれば良いのか誰も教えてくれなかった。学ぼうともしなかった、いやそんな機会すら彼女には与えられなかった。
だから立ち竦むしかない。
仲間であるのに受け容れられていない、そんな居心地の悪さを感じながら勇者一党は魔王国へと踏み出そうとしていた。
一年ほどかけて各国を回り、勇者のお披露目を兼ねた魔物の討伐などの実戦訓練を行った聖女たちは遂に魔王国に足を踏み入れ、魔族との戦いを経験していた。
広範囲を殲滅する賢者の魔術で薙ぎ払い、倒せなかった強力な魔族や魔物を高火力の勇者が仕留める。
聖女の祝福で威力を上げ、万が一傷つけば祈りで回復する。
長く人間を苦しめた魔王軍を相手にたった三人の勇者たちは、バランスの取れた組み合わせで順調に進撃を続けていた。
奪われた人間の領域である小国二つを奪還するまでに五年の歳月をかけたが、その時間は彼らにとって無駄にはならなかった。
ほんの僅か、それこそ常に一緒にいる聖女や賢者にしかわからない違いでしかないだろうけれども、勇者が戦闘以外で自分から口を開くことが増えた。心情を吐露するなんてことはないが、少なくとも聖女との会話を「はい」「いいえ」の単語で終わらせるようなことはなくなったのだ。
だから彼がどのような生活を送って来たのかについて、教会の調査ではなく本人の言葉で聞くことができたのは僥倖だった。
そうは言っても未来や将来のことになると口を閉ざしてしまうことは気になったが、どうもそれは言いたいくないのではなく言いようがないということらしい。
随伴する各国の兵と、軍議以外で会話をする姿を見かけることもある。
勇者たちの役目は戦いだけではない。
人々に希望を齎すことこそが聖女に求められる役割であるから、彼らは取り戻した二つの国、そのひとつである大公国の復興を手伝い公都で仮復旧した領主館に間借りしながら少しずつ魔王国へ侵透していくのだ。
勢いこの五年は兵や官僚だけでなく市井の民衆とも触れ合う機会が増えたが、彼自身の成長もあろうが旅立ちの時よりも柔らかい雰囲気になったと思う。
それはとても良い傾向ではあるのだが、そうだとしても聖女には気にかかることがある。
いや、勇者は聖女にも以前よりずっと積極的に接するようにはなった。
だがそれは、心を開いたというよりも配慮のような気がしてならない。
大陸全土に行き渡る祈りを捧げた後、緊張が緩むのを感じながら充てがわれた部屋の窓から公国兵と模擬戦を行う勇者を見遣る。
この五年で成長し、勇者は十二歳、聖女は二十歳となった。
未だ成人していない少年であると言えど、賢者が感心するほどに勇者は大人になった。
だが自分はどうだろうか。
旅立ちの際の賢者の年齢に近づいたのに、何かが変わったという実感はない。色々なものを実際に自分の目で見て、より一層多くのことを考えるようになったけれども、それでいて何か出来ることはないだろうかと悩みながらも結局何も成していない自分に悶々としている。
むしろそんな自分を勇者の方こそが気遣っているのだから、年上の面目など欠片もない。
いつからだろうか、今までは賢者が二人の心情を慮って気を回してくれていたのが、少しずつ精神面でも勇者を中心に回るようになっていた。
五年前に旅立った時は、年に似合わない影を落とした幼い勇者、無駄に気を回して近づきたいのに近づけない遠慮がちな聖女、それとなく二人をまとめる賢者、というちぐはぐな一党だったのが名実ともに勇者一党と見なされるようになっている。
変わっていないのは自分だけという気もするが、それでも数々の戦いや触れ合いを通して少しずつ自分の中で折り合いをつけられているようにも思う。
あれは旅に出て三年が経ったあたりだろうか。
大公国解放の端緒についた戦いの狭間、大規模な魔王国の軍勢を押し返した束の間の休息であった。
手傷を負った勇者から、自分よりも先に軍団への癒しをと言われて後ろ髪を引かれながらも祈りを捧げた彼女が勇者の元へ戻ると、彼は既に従軍衛生隊に手当を受けているところだった。命に関わるようなものでもなかったことからそうしたのだろう、ということは聖女にも理解はできた。
聖女の力とて無限ではない。
大規模な癒しを用いれば疲弊はするし、神の摂理に逆らうような奇術を使えるわけでもない。それでも、人の手による治療は関わる人数が上限であるが彼女の力の上限は遥かに上回り、それこそ祈りであれば大陸全土を覆うことが、癒しであれば千単位の軍ですら対応可能だ。
だから彼一人の傷は衛生兵に頼み、聖女の癒しは軍に振り分けることが最適であることは理解できるのだが、長く見てきた勇者の在り様が聖女の胸に傷をつけるのだ。
勇者は自己が希薄だ。
家族のこと、出身地のこと、幼少の頃のこと、いずれも教会が調べた内容を知っていたし旅の中でぽつぽつと彼自身が話してくれたことから、外形的には「知って」いる。
けれど、賢者にも聖女にも預かり知らぬ勇者自身の想いが、そんな中で消えて行ってしまったのではないだろうか。
そして彼は、そのことを残念とも思っていないし惜しいとも考えていない。思いも何も自ら手放すことでただ自己の存在を限りなく透明にし、他者の願いを受け容れ叶え続ける。
もしかしたら、自己をどこまでも希薄にできる存在こそが神託に叶う勇者の条件ではないだろうか、そう思うこともある。
自己犠牲ではない。
犠牲にするほどの自己を持たない、と言うべきだろう。
そんな人間でなければ人類の救済を背負うことは不可能だ。僅かでも自己を持ち欲望を発露するようではきっと、未曾有の危機である魔王軍の討伐を実現することなど出来ない。
そしてそれはきっと先天的なものでなく、聖女が少年を勇者に変えたのだ。
だから聖女は、勇者を癒やすべきは自分であるとの思いを強くしてこの旅に臨んできた。罪滅ぼしにもならない自己満足に嫌悪しつつも、その役目を以て辛うじて自らの存在意義をこの世界に見出そうとしていた。
聖女のそんな気持ちも、賢者は見通していたのだろう。
彼女自身が告知した尊称に恥じず、賢者はまるで何百年も生きているかのような洞察力と包容力を持っている。こんな浅ましい小娘の考えなどお見通しの上で、手を差し伸べたり自立を促したりしてきているのだ。
だから賢者はその時、聖女にこう言った。
聖女とは、神の僕ではない。
だからあなたも人であって良いのだ、と。
聖女でありたいならあれば良いが、人でなくなる必要は絶対にないのだと。
賢者は言葉少なくそう諭しただけだったから、聖女や勇者でなければ彼の発言の奥に込められた意味を感じ取ることはできなかったろう。
それでも聖女は三年に渡って苦労も歓喜も分け合ってきた。だから彼が何を言いたいのかを理解し、理解した上でそれでも少しだけ悩むかのように俯いたがすぐに顔を上げると勇者へと歩み寄った。
どちらも後衛としての立場から何度も見かけたことはあっても、間近で見ることのなかった聖女の接近に衛生隊の兵士は緊張した顔を見せたが、勇者の頷きを見て引き下がる。軽く頭を下げた聖女は思い切って勇者に手を差し伸べると、彼はそんな聖女の意思をはっきりとわかっていたのか、怪我をした右腕を黙って彼女の手に委ねた。
祈りと共に淡い光でその腕を包みながら聖女は思う。
癒さなければではなく、癒したいと思って祈りを捧げるのは初めてかも知れない。常に誰かのためにある存在として、そうしたいと思うことすらなかった。そうすることが当たり前である、としか考えなかったからだ。
献身的な聖女の姿は、人々には自らの意思で癒しを施していると見えたろう。なぜなら彼女は聖女とはそうあらねばならぬ、そう思い込んで他者に接してきたのだから。
その実はただの強迫観念でしかなかった、と知られたら聖女の受命も消え去り民衆の信仰も失ってしまうかも知れない。
そんなことを思いながらそれでも聖女は勇者を癒した。
その力を用いるほどの怪我ではない。傍から見れば、衛生兵の仕事を奪ってまで不必要な癒しを行使する酔狂な聖女にしか見えないかも知れない。
それでも良かった。
聖女は勇者を癒したいと思ったのだから。
それで良いのだ、と賢者が背中を押してくれたのだから。
そして。
初めて見た訳ではないのに、なぜかお礼を言った勇者の微笑みが、彼自身のものであると初めて感じたのだから。
ただ、それだけで満足だった。
復興成った公都から三人は再び魔王国への侵攻を開始する。
ここから先、奪い取った領土を旧に復するだけではない魔王軍もその戦意が段違いとなるため、無茶な戦いはできない。
そう、ここからは明らかな彼ら人間による「侵攻」なのだ。
だから公都からまず彼らが進発し、敵を排除した安全地帯を一定距離まで作る。そこを整備しながら王国や帝国、大公国など人間の各国が寄り集まった連合軍が進軍して勇者一党が辿り着いた最前線で拠点を構築、防衛を彼らに任せた聖女たちは更に先へと一党で進む。
遅々とした歩みだが、確実な方法で彼らは魔王国へと足を踏み入れていった。
けれどもそれは連合軍の上層部や教会も了承済の戦法ではあったが、戦いが遠いものである市井の民や新たに加わった兵士、輜重部隊などにとっては何とも歯がゆいものだったろう。
共に前線で戦い自分たちの故郷を取り戻した二小国の兵士や、その戦いに参戦していた兵士たちは魔王軍の脅威とそれに最前線で相対する勇者たちに敬意を持ち、戦友としての認識が強いから問題にはならないが、安全圏にいた人間たちはどうやらそうではなかったらしい。
そして聖女には、勇気を奮い起こさせ希望を示すことはできても、それ以外の負の感情を消し去ることはできなかった。
絶望の淵に立たされている時には勇者一党の戦いに光明に感じた彼らも、衣食足りて危険が遠いものとなった今となっては足りずもどかしいものでしかない。
人類全体よりも自分たちの安全の方が大事なのか。
戦功を仰々しくするためにわざと進撃を停めているのではないか。
面罵するような命知らずはいなくとも、拠点にいればそう言った囁きは耳に入る。そうと知った聖女は賢者に、自己の希薄な勇者が突撃してしまわないよう対策を相談したが、返ってきたのは聖女のことをこそ心配する言だった。
自我の薄い勇者は自分が止めれば進まない。
けれど、自己犠牲の聖女は自分が止めることはできない。
だからあなたこそが心配なのだ、そう言った賢者はけれどすぐに穏やかな笑みを浮かべると、勇者を心配する余裕があるなら大丈夫ですねと安堵した表情になった。
自分を犠牲にしていると考えたことすらなかった彼女は、賢者の言葉に一瞬戸惑ったが三人の中で精神的に最も突き出た彼の言葉は絶対だ。ならば問題ないのだろう。
そうと信じられるくらいには信頼を深めてきたのだから。
今後は必要最低限の接触に留め、可能な限り目の前の問題に集中していくことを二人は決め、今後の方針とした。
それからの五年間はより一層辛いものとなった。
拠点にいる間は多くの従軍関係者に囲まれ、人々の中に埋もれているのに人との隔絶を感じた。人が多ければ多いほど、賛美の声に囲まれれば囲まれるほど、そこから浮き上がってくる悪意や害意を強く感じる。
彼らは多くの人に囲まれている間にこそ孤独となり、三人だけの世界に意識を閉じ込めることが多くなった。
人の希望であるから、人の世界から弾き出される。
勇者もそれを感じていたのだろう、彼らが何を言わなくとも聖女と賢者の傍にいるようになり、軍議でも模擬戦でも口数は少なくなっていった。
人のための存在である彼らは、人のために孤独だった。
それはきっと、世界が解放されればより強くなって彼らを苛む。
もはや彼らには、彼らしか理解者がいない。
そのことがより一層彼らの紐帯を深めることに繋がり、だからなのだろうか、勇者が聖女と賢者に「これからのこと」を口にする機会すらあった。
幸いであったのかはわからない。
少なくとも将来を考えるようになったことは幸いなのかも知れないが、その内容は明るいものと言えなかった。聖女はけれど、勇者がそう思うであろうことは分かっていたような気もしていた。それはきっと賢者も同じで。
二人が初めて勇者から戦いの後のことを聞いた時の反応は、まったく同じものであったから。
だから聖女は思う。
そして祈る。
せめて自分がこの世界に引きずり込んでしまった勇者の希望は叶えてあげたいと。それが例え教会や人類世界に逆らうことであったとしても。
そしてできることならば。
救世という重荷を下ろした勇者に、心の底から明るく笑えるただの少年である彼に、ひと目でも会ってみたい。
神託を受け止める聖女が、その祈りの中で自ら神に祈る我儘な願い。自らのために祈らなかった聖女がたったひとつだけ祈った自らの願い。
それはとても我儘で利己的で、聖女らしからぬ短い祈りだった。けれどこの世界でたった三人の、触れ合える魂のために捧げる小さな祈り。神がそれを許してくれるのかどうかわからなかったけれども、それでも聖女は勇者のために祈りを捧げるしかなかった。
つまるところ。
人の世界に、人の希望たる彼らの居場所はもうないのだ。
そうして徐々に人類の版図を広げた勇者一党は、遂に魔王国の王都、その中心である魔王城に辿り着く。
ここに至るまでに聖女の決意は固まっていた。
いや、そうと決まっていた。
だから決戦であるにも関わらず、彼女の表情は穏やかでまるで幼な子への祝福を祈るようにも見えた。
住民は退避したのであろう、空っぽになった王都を通り抜け城門に立つ。先頭の勇者の三歩後ろに賢者と並んで、十年間見続けた背中を見る。
七歳の少年は十七歳になり、見違えるように大きく逞しくなった。
けれどその心は、幼い頃から希薄だった自己のためか常に成熟しているように見えたが、その実すり減って消える寸前だった。そうしてしまったのは神託を受け勇者を見出した自分だ。
だが、もう贖罪としてではない。
聖女としてでもない。
彼女は彼女の望みとして、彼を十年の軛から解放したいと思う。
その願いの元が何であるのかはわからない。彼より八つも年上なのに、きっと彼より幼い心のままだから。経験したことのない、ふわふわとした感情の理由を賢者に尋ねようとしたこともあったが、訳もわからず恥ずかしくなったのでやめてしまった。
呼び止めようとして宙に浮く手を見て戸惑う彼女に気づいた賢者は、振り返ってほんの少しだけ驚いたような表情をしていたが、すぐに穏やかに笑って歩いて行ったからきっと彼にはわかっているのだと思う。
それでも聖女は賢者に尋ねることをしなかった。
これは自分で考え気づかなければならないのではないか、そう思ったから。
だから今だにそれが何なのかよくわからない。
それでもわかっていることだってある。
この決意は、聖女としての務めを果たしたら人として叶えて良いものなのだと。彼女が彼女として、望んだたったひとつの祈りは神に届いている。
そう考えながら賢者を見ると、その視線に気づいた彼はいつものように目を細めて頷いた。
もう迷わない。
この戦いが終わったら、やっと勇者を解放できる。
そして自分もまた、聖女から解放されてきっといつか彼の明るい笑顔を見ることができる。
輪廻の先の世界で。
───神よ。聖女アリスの灯を以て、勇者ユーリに安らかな転生を叶え給え。
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