天球 lalala
飛鳥休暇
たまに鼻歌なんかを歌いながら
観測すべき星が特定の位置にきた。
私は指示通りに手元にある決められたボタンを押す。
今回は左から14番目の白いボタンだ。
私がボタンを押すと「ポーン♪」と小気味の良い音が鳴る。
こうすることで地球に通信が送られ、何かの役に立っているらしい。
私はそのまま観測を続ける。
それだけが私に与えられた役割だからだ。
球体の宇宙船の一部がガラス張りになっていて、私はそこからずっと外を見つめている。
「おい、ライラ。そろそろ目薬の時間じゃないか?」
ソフトボールほどの丸い物体から、機械で合成された音声が聞こえてくる。
私と共にこの宇宙船に乗っている補助ロボットの「ラバー」だ。
補助ロボットといっても搭載されている機能といえばしゃべることだけ。
自走能力すらもついておらず、内蔵されているスピーカーが震えるたびにそれに合わせて無重力の中をあちらこちらと跳ね回っている。
自分で動きを制御できないのでそこら中の壁にぶつかりまくっているのだけれど、彼の表面は黒く染められた特殊なゴムで覆われている――彼の名前の由来でもある――ためどこにぶつかろうが気にする素振りを見せない。
「分かってるわ、ラバー」
私は前方の窓から目を外し、そばに置いてある目薬を手に取り慣れた手つきでそれを目に垂らす。
アンドロイドである私の身体の中で、わずかに人間の部分が使われているのが眼球と鼓膜だった。
乾燥を防ぐために定期的に目薬をさす必要があるのだけれど、それならば目の部分も機械にしてくれれば良かったのにと何度考えたことか。
私の名前は「ライラ・ラズベリー・ライラック」。
機械の身体である私の名前の中になぜ植物の名前が二つも入っているのかも分からない。
この眼球のことや名前の由来。私には分からないことばかりだけれど、私は私に与えられた役割を淡々とこなすだけだった。
「ところでライラ。ウサギって自分のケツの穴に口を付けてウンチを食べるって知ってるか?」
ラバーがその身体を震わせながら話しかけてくる。
しゃべるたびに壁にぶつかり、ゴムボールのように部屋中を跳ね回っている。
「そう」
私は興味なさげに言葉を返す。実際、宇宙の片隅でここにいない生き物の話をされたところで興味の持ちようがない。
「コアラの主食がユーカリってのは有名だけど、ユーカリには毒があって、そのせいで解毒にエネルギーを使ってるから結局一日中寝てるんだとよ。バカだよな」
私はコバエのように飛び回るラバーの話を無視することにした。
無視したところで彼は一人でしゃべり続けているので問題はない。
正直黙って任務に集中させて欲しいのだが、過去に彼にそれを言った際「仕方ないだろ。君が退屈しないようにしゃべり相手になるのがおれの役割だ」といって聞く耳を持たなかった。
そもそも彼に聞く「耳」があるのかどうかも分からないが。
宇宙船の中、おしゃべりなゴムボールと二人きり。これがどんな任務なのかも私には分からない。ただ、私が造られた目的がこの任務のためであることだけは理解出来ていた。
きっと地球では私の報告が何かの役に立っているのだろう。
窓の外には黒が広がり、ぽつりぽつりと輝く星が散らばっている。
まるで真っ黒な布のところどころに穴が開いて光が漏れ出しているような、そんな風にも見える。
観測目標である星が所定の位置にくる。
私は定められたボタンを押す。
今度は左から十七番目の黒のボタンだ。
私がボタンを押すと「ポーン♪」と小気味の良い音が鳴る。
「なぁライラ。ジョージ・ワシントンが桜の木を切ったことを正直に告白したときに、なぜ父親が許したか知ってるか?」
「さぁ?」
おしゃべりゴムボールが話しかけてくる。
「それはな。ワシントンがまだ斧を持っていたから父親がビビったんだよ」
そう言うとなにが可笑しいのかラバーがゲラゲラと笑い出した。
笑い転げるという言葉があるのは知っているが、笑い飛び跳ねるという言葉は果たしてあるのだろうか。
笑うたびに壁から壁へと跳ね回るラバーを横目で見ながらそんなことを考える。
「ねぇ、ラバー」
「お、君から話しかけてくるとは珍しいな。どうした?」
「私がいま何を考えているか分かる?」
「なんだ? スローロリスの動きがなんで遅いのかってことか?」
「アナタの動力が早く尽きてくれないかなってことよ」
「そりゃないぜベイビー」
そりゃないぜそりゃないぜと繰り返しながらせわしなく飛び跳ねるラバーを見て、ちょっかいを出すのはもう二度としないでおこうと心に誓う。
そうしている間にも観測すべき星が所定の位置にくる。
私がいつものように決められたボタンを押す。
「ポーン♪」と音が鳴る。
――と、その時だ。
突然、船内に聞いたことのない音が流れ始めた。
ただの音ではなく、それは旋律――音楽のようだった。
「これは?」
私のマニュアルにはこんな音が鳴った時の対処方法は記載されていない。
「――ついに、この時がやってきたね」
戸惑う私の耳に入ってきたのは、いつもとは様子が違うラバーの音声だった。
「ラバー? これは一体なんなの?」
「君の最後の仕事が始まったんだよ、ライラ」
壁にぶつかりながら、それでも落ち着いた口調でラバーが言う。
「……最後の仕事って?」
「もう間もなく、地球は滅亡する」
「アナタ何を言って――」
「いま船内に流れているのは組曲『惑星』。ライラ、君が押していたボタンはこの曲を奏でるための鍵盤さ。曲に合わせて星を観測させる計算は骨が折れたよ」
ライラは手元のボタンに目を向ける。
白いボタンと黒いボタンが規則的に並んでいるそのボタンたちを。
「地球と通信するためのボタンじゃなかったの?」
「あぁ、そうさ。それは地球になんか繋がっていない。ただのピアノの鍵盤だよ」
「ラバー、意味が分からないわ」
私はまるで人間がするかのように両手を広げてラバーに訴える。
「いまから話すよ。僕と君のすべてを」
そう言うとラバーは一呼吸置いてからゆっくりと話し出した。
******
僕の正体、正確には僕のメモリに組み込まれた人格はとある天文学者のもので、かつて君――正確には君の眼球と鼓膜の持ち主か――と恋人関係にあった人間だ。
君の元となった女性――ライラは病によって若くしてその命を失ったんだ。
絶望にうちひしがれた僕は、時を同じくしてとある小惑星の存在を発見した。
その惑星は、僕の計算上数年後には地球に衝突する可能性が高いということが分かったんだ。
その時に僕が取った行動はなんだったか。――君を宇宙に打ち上げることだった。
おかしいだろ?
政府に伝えるでも、学会に発表するでもなく、君を宇宙に打ち上げることだけを考えたんだ。
君がいない世界のことなど、僕にはどうでも良かったんだ。
君の眼球と鼓膜だけをライラ自身のものにしたのは理由がある。
人間の目の解像度は約5億7600万画素あると言われていて、つまり、どんな高性能カメラよりも世界を美しく捉えることが出来るんだ。
そして鼓膜は、いま鳴っているこの音楽。これを本物の耳で聞いて欲しかったから。
そして君の最後の仕事とは――。
******
ラバーの言葉に呼応するように宇宙船がその向きを変える。
窓の外、その遠く向こうに青く輝く星が見えた。
「――君の最後の仕事は、ここで美しい音楽を聴きながら、地球の最後を眺めることだ」
いつもは激しく飛び回っているラバーが、その落ち着いた声に合わせるようにふわふわと浮かんでいる。
「そんな」
「すまない。これはすべて僕のわがままだ。でも、僕に考えうる最高のプレゼントがこれだったんだよ」
意図したわけではないだろうが、ラバーがふわふわと窓のそばへと飛んでいく。
私の目が地球とラバーをひとつの視界に収める。
青い球体と黒い球体。その二つが浮かんでいる。
「地球が滅んでいく様を、その目に焼き付けておくれ。世界でたった一人。君だけに与えられた役割だ」
ふいに、目の端に光が走ったかと思うと、光は地球に交わった。
交わった部分から徐々にその光は広がっていき、やがて地球すべてを包み込む。
私の耳に聴こえてくるのは美しいピアノの調べ。
目の前の光景と相まって、それはまるで壮大な映画のクライマックスのようだった。
やがて光が収まると、そこに存在していたはずの青い星は跡形もなく消え去っていた。
「……終わったの?」
「そうみたいだね」
私の問いにラバーが答える。
「……で? 私の最後の仕事が終わって、私はこれからどうすればいいの?」
ラバーは何も言わずにふわふわと浮かんでいる。
「……まさか、なにも考えてなかった?」
「……ごめん」
ラバーの返答に、私は大きくため息をついてから、すぐに吹き出してしまった。
「どうするのよ。これから」
「大丈夫だ。動物の雑学ならあと五千時間は話せるよ」
「いらないわよ、そんな話」
「あぁ、じゃあ、こんなのはどうだ? 君の名前をなぜ『ライラ・ラズベリー・ライラック』にしたのかって話だ。まずラズベリーってのはな――」
ラバーはいつもの調子に戻り、勝手にしゃべり続ける。
BGMは組曲「惑星」。
球体の宇宙船の中で、球体のおしゃべりゴムボールと、私の旅は続いていく。
――きっと、今までよりは少し楽しく。
【天球lalala――完】
天球 lalala 飛鳥休暇 @asuka-kyuka
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