第37話 それは突然やってくるもの(4)
待ち合わせの場所に指定されたのは、王都の郊外に第五公営霊園だ。約束の時間よりも少しばかり早く到着するつもりでやって来たハルジだが、鉄門扉の前で姿勢良く佇むヴェルザを見つけ、雪が薄く積もる道に気をつけながら、駆け寄った。
「こんにちは、ステルキ准尉」「こんにちは、カウピさん」
「若しかして僕は遅刻をしてしまいましたか?」
「いいえ、約束の時間どおりですよ。ほら、ね?」
防寒着のポケットから懐中時計を出して、彼女はハルジに時間を確認させてくれる。確かに今、時計の針はその時間を指示していたのだが、彼がどことなく納得いっていないように見受けられて、ヴェルザは言葉を付け足した。
「軍人の職業病と言いましょうか、出来るだけ早め早めに行動してしまう癖が御座いまして、ええ。ですから、どうぞお気になさらずに」
「そうですか、それなら良いのですが……」
「あら、素敵な花束ですね!」
唐突に話題を切り換えたヴェルザの目線の先、ハルジの手元には二種類の花束が。
「白と黒の
ヨールロースは年の瀬が近づく頃から春の手前くらいまでの時期によく見かける花。俯くように咲くその花を、ヴェルザの亡き母親が好いていたのでヴェルザはその花を知っていた。だが、もう一束の橙色が鮮やかな花の方はというと見覚えがあるような否や、といったところのようだ。
「
「カレンデュラ……ですか。花弁の色がなんだか、トゥーリッキの髪の色に似ていて、彼女のように明るい印象を受けますね」
「僕もそう感じましたので、この花を買いました。そしてヨールロースの花束は、ステルキ家の方々に」
「きっとトゥーリッキは喜んでくれるでしょうし、私の家族も喜びます」
「そう、ですか。それは良かった、です」
花束を用意してくれたハルジの気持ちが嬉しいとヴェルザが微笑んで見つめてきて、無性に恥ずかしくなったハルジはついつい無愛想な物言いをしてしまう。彼女が気を悪くしていないかとは思えど、なかなか顔を見られなくて、彼女の胴体の方に目をやり、彼女が何かの包みを大事そうに抱えているのに気がつく。
「ステルキ准尉、その包みは何ですか?」
「これはお酒です。母が大酒飲みでしたので、お墓参りには必ずお酒を供えることにしておりまして……その日のうちに必ず持ち帰って、私が美味しく頂くことにしております」
お供え物の意味とは何ぞや。声にはしなかったし、表情にも出なかったが、ハルジがそう言いたげなのがヴェルザには伝わったようだ。けれども彼女は敢えて素知らぬ振りをして、「さあ、ステルキ家の墓所へと向かいましょうか!」と促した。
「公営霊園とは、かなり広い場所なんですね。カウピ一族の墓所は別の土地にあるので、こういった場所を訪れる機会がなくて、知りませんでした。アトリの墓参りをするのも初めてです」
広大な敷地を埋め尽くすように、無数の墓石が並んでいる風景に圧倒されるハルジは、すたすたと進んでいくヴェルザの背を追う。
「この第五公営霊園は王都に幾つかある霊園の中で最も敷地が広い場所で、端から端まで歩くとかなりの時間を有しますね」
「これほど広くて、変わり映えのしない風景の中を歩いていると迷ったりはしませんか?」
「区画分けがきちんとされておりますし、案内の立て札の所々に設置してありますので、割り振られた墓所の番号さえしっかりと覚えていたら迷うことはないですよ」
「そうですか?立て札があろうとも僕は迷う自信があります」
彼があまりに自信たっぷりにそんなことを言ってのけるものだから、ヴェルザはついつい「ふふっ」と声を漏らして、笑ってしまう。
「そういえば、先程カウピさんは御一族の墓所は別の土地にあると仰っていましたけれど、何方にあるのですか?」
「王都からずっと離れた、内海に浮かぶ島の小さな漁村の一角にあります。其方が一族発祥の地なのだとかで、僕は本家筋の一員として、幼い頃から成人するまで最低でも年に一度は墓参りに連れていかれたものです」
三人の兄たちは墓参りとはいえ、長期旅行に行けるのだと喜んでいたが、ハルジにとってそれは苦痛だった。近いのか遠いのかよく分からない親族への挨拶参りに、相性が宜しくないとかしか思えない同世代の子供たちとの交流を強制されているとしか感じられないハルジは、それに費やす時間を自宅で読書をすることに当てたかった。
或る年のこと、遂に我慢ができなくなったハルジは、一家の主たる父親に物申した。
『先祖の墓参りには行きたい人たちだけで行かれては如何ですか?行きたくなくてどうしようもない僕は自宅で留守番をしていますから』
その直後、ハルジは父親に特大の雷を落とされたのだという彼の昔話に、ヴェルザはこみあげてくる笑いを堪えるのに一苦労した。本人にとっては真剣な話なのかもしれないと、気を遣ったようだ。
こうして他愛のない話をしながら歩いているうちに、二人は目的の場所――ステルキ家の墓所に到着し、ヴェルザは墓前に跪いて語りかける。
「お母ちゃん、お父ちゃん、アトリ、暫く振りですね。今日はアトリの友人のカウピさんも来てくださいましたよ」
二基のうち、大きめの墓石には「勇猛なるヒルディブランド・ステルキ、妻グンと共に眠る」と文字が刻まれていて、彼女の両親のものだと分かる。もう一方、小さめの墓石に「アトリ・ステルキ、どうぞ安らかに」と刻まれているのを目にして、どうしてかハルジの胸がツキンと痛んだ。
「それから……アトリ、貴方の大切なトゥーリッキも連れてきましたよ。私は彼女から、二人は将来の約束をしていたのだと聞きました。ですから、彼女を迎え入れてあげてくださいね。因みに不満がある場合は、二人で私の夢に出てきて訴えるように。良いですね?」
私はやると決めたから、文句があるなら言いに来い。ハルジには、そのようにしか聞こえなかった。何故だろうか。
墓石にかかっている雪を払い落し、先ずはヴェルザの両親の墓に酒瓶を供えると、ヴェルザはアトリの墓石の蓋になっている部分を取り外す。骨壺を納める空間が現れ、既に収まっているアトリのものが見えた。
「ああ、良かった。中身が零れてしまっていないかと心配してました……」
片掛け鞄の中から取り出したトゥーリッキの骨壺を抱きしめてから、ヴェルザはアトリの隣に彼女を並べて、蓋を閉じると、此方の墓石にも酒瓶を供える。
「ステルキ准尉、僕も花を供えても宜しいですか?」
「勿論です」
彼女の両親にはヨールロースの花束、アトリとトゥーリッキにはカレンデュラの花束が供えられ、二人は墓前に並んで、死者の安寧を祈る。静かな時間が、その場を支配した。
(祈りとは、どれほどの時間を要するものなのか……)
ああ、もっと真面目に墓参りをしていれば。こういった時に、昔の己の所業を嘆きたくなるものだ。祈りは短すぎても長すぎても宜しくないような気がしたハルジは閉じていた目を開けて、隣に佇むヴェルザを見上げる。ハルジよりも先に祈りを終えていたらしい彼女は眉間に皴を寄せ、家族の墓をじいっと見つめて、何かを堪えているような表情を浮かべている。穏やかに笑っていることが多い彼女に何かが起こっているというのか。そう考えたハルジは彼女に声をかける。話しかけにくい雰囲気を彼女が纏っていようとも、空気が読めないハルジには関係がないのだ。
「ステルキ准尉、どうかしま……っくしゅん!!!」
ハルジのくしゃみが霊園に響き渡り、そのあまりの音量に驚いたヴェルザは彼を見下ろした。
「失礼しました……」
「いえ、くしゃみは突然したくなるものですから」
ハルジは手巾で鼻をかんでスッキリし、ヴェルザは曇天を仰いで、逡巡する。
「寒い中にいましたから、体が冷えてしまったのかもしれませんね。あらら、雪まで振ってきてしまいました。さあ、温かい飲み物で体を温めましょうか」
また来ますね、と、家族の墓に声をかけて、バツの悪そうな表情をしているハルジの手を引いて――いや、彼をずるずると引き摺って、ヴェルザはその場を後にしていった。
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