第30話 酔っぱらう人、酔っぱらわない人

 冬の夕暮れ時、養護院を後にした二人はエルヴロー地区を足早に通り抜ける。そして二人が初めて出会った市場の近くにある酒場に落ち着いた。店内は酔っぱらいで溢れていて、酒の匂いと騒ぎ声が充満している。そんな中、注文をし終えたヴェルザは対面でぐったりとしているハルジに笑顔で話しかけた。


「本日は大変お疲れ様で御座いました」


 貴方は子供たちに大人気でしたね、と言われたハルジはのっそりと顔を上げ、生気の無い目で彼女を見つめる。


「あれは大人気というのでしょうか?どう考えましても、玩具にされていたのではないですか?……僕は知りませんでした。元気溌溂とした子供の集団を相手にするのは至難であると……養護院の職員の皆さんはあれを毎日……尊敬の念しかない……」


 疲労困憊といった様子のハルジだったが、目の前に料理が並べられると目に生気が戻った。食欲は無事だったらしく、ヴェルザが「どうぞ、お先に召しあがってください」と促されると遠慮なく骨付き肉にかぶりついていた。彼の口の周りにべっとりとソースがついているのを目撃して、ヴェルザは優しい笑みを浮かべる。


(余程、お腹が空いていらっしゃったのですねえ……)


 黙々と食事をするハルジによって、あっという間に料理皿は空になっていく。増えるばかりの空の皿の枚数を数え、ヴェルザは自分と彼の財布の中身の心配をし始めた。


「……子供たちが、アトリのことを沢山話してくれました」


 腹が満たされて落ち着いたのか、ハルジはぽつりと言葉を零す。

 ――おじさん、メガネかけてるアトリのトモダチだから、ハルジ?

 ――ハルジはすご~くカシコイってアトリがいってた!

 ――アトリがいってたの。ハルジはなんでもたべちゃうって。ぼくもたべちゃうの?

 話したい気持ちが先走っている子供たちの言葉はまとまっていなくて少し分かり難かったし、所々気になる点もあった。


「アトリは子供たちに友人のハルジのことを話してくれていたんですね。そして子供たちはそのことを覚えていてくれた。僕は本当にアトリの友人だったんですね」


 ハルジは素直に嬉しかった。ただ、できればアトリ本人から聞きたかったと思ってしまうのは、欲張りか。


「私のことも話していたようです。自慢の姉だなんて、本人から聞いたことはなかったですね。アトリのお姉ちゃんは熊を乗り回すのかと子供たちに尋ねられた時は驚きました。職業柄、馬には乗れるのですが、流石に熊は乗り回したことはないですね……あはは……」


 両腕に子供たちをぶら下げて軽々と持ち上げ、突進してくる幾人もの子供を難無く躱していたヴェルザならば、それは可能なのではないか?ハルジは頭に浮かんだ言葉を口に出さないように、塊肉を頬張り、咀嚼して飲み込むと追加の注文をする。


「トゥーリッキさんはステルキ准尉に会いたいと思ってくれるでしょうか?」


 トゥーリッキと過ごしていたという年長の子供曰く、彼女は隠れ住んでいた場所を出て、別の場所で暮らしているらしい。だが居場所を知られたくないらしく、彼女はだんまりを決め込んでしまうのだそうだ。危険なことをしていないのであれば、深追いはしない。付かず離れずの関係にある方が良い場合もあるからと、院長たちも敢えて彼女の口を割らないようにしているようなので、ヴェルザもハルジもそれに従うことにした。


「私の我侭ですから、トゥーリッキさんに拒否されてしまっても致し方ないことです。然し、会って頂けたらと期待はしていますよ」

「……僕も、そう願います」


 喜びと寂しさがまぜこぜになったハルジは気持ちを切り替えるべく、通りがかった店員に麦酒を注文した。そして――


「……ステルキ准尉ぃ、僕はぁ地に足をつけてぇ立っていますかぁ?いえぇ、足はぁ生えていますかぁ?」

「ええ、カウピさんはきちんと地に足をつけて立っていらっしゃいますし、足も二本きっちり生えていらっしゃいますよ。ただ……強風に煽られている大麦のように上半身が揺れていらっしゃいますね。その状態で倒れないのが不思議なのですが……」


 記憶力の良さには自信のあるハルジだが、ついうっかり物を忘れてしまうこともある。常の生活においてハルジは殆ど酒を飲まない。そのような人間が一気に大量の麦酒を飲み干してしまえばどうなるのか。答えは簡単だ、泥酔するしかない。


「カウピさん、お財布は鞄の中にしまいましたので、鞄をしっかりと持っていてくださいね」


 ハルジに財布を渡されたヴェルザが彼の代わりに会計を済ませて、立っていることさえもままならないハルジを背負い、夜の雪道を進んでいく。泥酔したハルジを酒場に放置していく訳にはいかないし、一人で帰宅させようものなら、この寒空の下、路上で寝て凍死してしまいそうだし、若しかしたら水路に落ちて溺死か凍死する可能性しか見当たらない。だからヴェルザは彼を役人用の独身寮まで送ることにした。


「ステルキ准尉ぃ、貴女は僕以上にぃ、お酒を腹に収めていたはずですよねぇ?どーして酔っぱらっていないんですかぁ?」

「う~ん、お酒の強さは母譲りではないかと。私の母はとんでもない酒豪だったそうですから」


 その素質を受け継いで良かったと思ったのは、酒飲みの勝負を持ち掛けられても負けることがなかったこと。良くなかったと思ったのは、泥酔して動けなくなっている屈強な体の軍人たちの世話をしなくてはならない機会が多かったこと。ヴェルザが思い出し笑いをすると、背中から小さな寝息が聞こえてきた。


(カウピさんは酔っぱらうと口数が増えて、直ぐに眠ってしまう類の御方なのですね……それにしても、手持ちのお金で代金を払いきれて本当に良かった。物凄く冷や冷やしてしまいましたよ)


 誰彼構わずに絡んだり、暴れる酔っぱらいではなくて良かった。ほっと、息を吐く。

 静寂に包まれた夜道を歩き続けて暫く、目的地である役人用の独身寮に到着する。玄関の扉を叩く音に気が付いて現れた管理人に事情を話し、ヴェルザはハルジの自宅に通してもらうと、深い眠りに就いているハルジを寝台の上に転がして、ヴェルザは帰路に就いた。




 ――それから数日後。執務室でコーヒーを片手に、警邏隊本部から送られてきた書類に目を通していたヴェルザは、突然開け放たれた扉に視線を移す。其処には鼻息を荒くしているグス兵長が立っていて、目をぎらつかせていた。


「ステルキ准尉!カウピ財務官を泥酔させて襲ったって本当ですか……!?」

「……あらら、今度はそのような噂が流れているのですね」


 噂の出所は、あの夜に会った独身寮の管理人に違いないと確信したヴェルザが、やれやれと言いたそうな薄い笑みを浮かべる。


「グス兵長の情報収集能力の高さには驚かされます。そして、その情報が間違っていないかどうか、噂の人物に尋ねる度胸も大したものです。――ホルティ曹長、あとのことは宜しく御願い致しますね。私は本部から送られてきた新しい変質者情報を頭に叩き込まなければなりませんので」

「へっ?」「畏まりました、ステルキ准尉。兵長、今から二人きりでお話をしようか?」


 間抜けな表情をしているグス兵長の背後には、額に青筋を浮かべたホルティ曹長が佇んでいた。逃げることは決して許さないと、光の速さでグス兵長の首根っこを掴んでホルティ曹長は敬礼をしてからその場を後にしていった。その背中を見送ったヴェルザは、手元の書類に視線を戻す。


「人々があまり外に出ない冬場でも変質者の目撃情報はあるので、管轄地域の巡回を怠らないように。いやはや、変質者に季節は関係ないのですね……困りましたね……おやおや、この寒空の下、素っ裸で出現するとは……一体どうしたいのでしょうかね……?」


 コーヒーの残りを飲み干し、ヴェルザはお代わりを貰いに執務室から出ていった。

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