第23話 振り返れば其処にカブが二つ
上品な料理を十分に堪能し、食後に甘味とコーヒーを頂いて、ほっと一息。
これにて食事会はお開きとなるが、と、ヴェルザは正面の仏頂面の眼鏡ではなく別席へと視線を動かす。始まりから終わりまで、一度もヴェルザたちの席を振り返ることのなかった見合い担当――王太子の侍従ニューベルグは同席の若い女性と熱く見つめ合い、動かない。
「あの方々は未だ前菜も食べ終わっていないのですか?」
いつの間にやら上体を捻じって、ヴェルザと同じ方向を見ていたハルジの呟きに反応して、彼女は視線をやや下方へ移す。二人だけの世界に入り込んで現実を忘れ去っている二人の食卓には、手をつけられた形跡のない前菜が置かれていた。もう少し視線を移動させれば、その席を担当している給仕が二人の食事の進み具合を窺っては、冷たい笑みを浮かべているのも見えた。
「いつまでもあの調子では、折角の料理の味が落ちていってしまうばかりです。作ってくださった方々に対して、それは失礼ではないですか?」
「そうですね、誠に勿体無い……うぉっ!?」
「どうかされましたか、ステルキ准尉?」
「……ああ、いえ、何かを感じ取ったような気がしたのですが、気のせいかもしれません……」
急に背筋がぞわっとしたヴェルザはその原因を探ろうと、左右の二の腕を撫でながら、周囲を見渡す。そうすると、食事と会話を楽しんでいた人々が手を止めて、一定の方向――ヴェルザの背後に目を向けているの状況が見えてきた。対面のハルジも何かに気が付いたようで、従業員が開閉をしている扉へと目を向けていた。
(やたらと身形の良いカブと、やたらと見目の良いカブが並んで歩いてくる……)
王侯貴族のように身形の良い方のカブには見覚えがあるような気がして、ハルジは頭の中の人物図鑑のページを高速で捲ってみるが、答えが見つからない――その人物図鑑は異様に薄いので、目的の人物が見つかる確率は非常に低い――それなのに、どうしてそのカブに薄気味悪い既視感を覚えるのか。ハルジはぼんやりと、二つのカブを眺めるばかりだ。
この場にいる者たちの視線を集めるものの正体は何なのか。意を決したヴェルザは振り返り、強烈な眩暈に襲われた。軍人然としている見目の良い方のカブは、蟀谷を押さえて項垂れているヴェルザの背中を見つけると愉快そうに目を細めて、淑女たちにうっとりとした溜め息を吐かせた。
「やあ、ステルキ准尉」
「……これは、王太子殿下」
身形の良い方のカブこと王太子は、礼儀として席を立とうとするヴェルザと、それに倣おうとしたハルジを制す。そして、気が利く給仕が用意した椅子に鷹揚に腰かけ、何故か二人の間に陣取る。見目の良い方のカブことヴェルザの義兄ヘルギは席に着くことなく、王太子の背後に控えた。
前触れもなく現れた王太子とヘルギに驚いて、紳士たちは居住まいを正し、淑女たちは手鏡を覗き込んで己の美しさを確認したりと、この場を包んでいた和やかな空気が変質してしまう。
「其方が勇者……ではなくて、見合い相手のカウピ財務官だね。カウピ商会の会長の御子息だと聞き及んでいるが……」
「お初にお目にかかります、王太子殿下。財務院に勤めております、ブリュンハルズ・カウピと申します。殿下の仰います通り、私の父はカウピ商会の会長で御座います」
どうして王太子は断りもなくこの席に居座っているのか。自分のことを勇者と呼んだのは何故か。それらの疑問を口にしたい衝動を抑えて、ハルジは父母に口酸っぱく言われた教えを守り、丁寧に受け答えをしていく。
「見合いを楽しんでいるか、ヴェルザ?」
背筋をピンと伸ばして、死んだ魚の目で虚空を見つめているヴェルザの耳元に無駄に良い顔を寄せて、ヘルギが無駄に良い声で囁く。それを目撃した一部の淑女は「美貌のクヴェルドゥールヴ中将と男装の麗人ステルキ准尉が顔を寄せているの、絵になりすぎて麗しい、尊い……」と胸をときめかせた。
「諸事情によりお見合いは成立致しませんでしたが、有意義な時間を過ごすことが出来ました。ところで、
「ステルキ准尉の見合いが成功してくれないと困ると言って、職務に手が付かない状態に陥られてな。職務が滞っては支障しか出ないので、御自分で様子を見に行かれては如何でしょうかと進言して、殿下を此方にお連れしたのだ」
ただでさえ新婚気分が過ぎて、頭の中が新妻のことでいっぱいで手が止まりがちだというのに。これ以上王室にポンコツが増えられては、臣下が困って、国政が乱れてしまうではないか。
先程から小声で話しているので、同席しているハルジと王太子には聞こえていないと分かっているが、ヘルギの遠慮のない言葉にヴェルザはひやりとする。
「時々では御座いますが……義兄君は王太子殿下のことを敬っていらっしゃらないように見受けられるのですが……私の気のせいでしょうか?」
「気のせいではないか?私はヴェルザが納得出来るのであれば、見合いが成功しようが失敗しようがどうでもよいと思っている。殿下主催の見合いだろうが、変に遠慮はするな、ヴェルザ」
「はあ……有難う御座います、義兄君」
「どういたしまして。それでは、別件に移るか」
琥珀色の目がすうっと動いて、獲物を定める。鋭い視線の先には、漸く現実に戻ってきたらしいニューベルグの背中。ゼンマイ仕掛けの玩具のようにガタガタ震えるニューベルグを同席の若い女性が不安気に見つめている。
「殿下、これ以上は二人の邪魔になってしまいますかと。彼方の席にニューベルグがおりますので、労って差し上げては如何で御座いましょうか?」
「う、うむ、そうだな。折角の見合いが破談になってしまっては私が困る……いや、何でもない。ステルキ准尉、カウピ財務官、食事の次は散歩でもしたらどうだ?まだまだ語り足りぬことがあるだろう、うんうん。それでは、私は失礼するよ」
ヴェルザとハルジの間の空気が険悪なものでないことに安堵したのか、顔を綻ばせている王太子は席を立ち、陸にあげられて呼吸が出来ないでいる魚の如きニューベルグの席へと向かっていく。それに合わせて、他の席にいた幾人かの紳士淑女、更には給仕も動いて、その席を取り囲んだ。
(私が告げ口をしなくても、義兄君も王太子殿下も彼の動向をしっかりと把握していらっしゃいましたか)
やれやれ、とヴェルザが息を吐く。
「王太子殿下が仰っていましたが……この後、ステルキ准尉と散歩をした方が良いのでしょうか?」
用件も食事も済んだので、帰宅するつもりだったハルジがぽそっと呟く。それに返答したのはヴェルザではなく、未だ移動していなかったヘルギだ。
「散歩でもして、より一層仲を深めていってはどうかと殿下は御提案なさっただけですので、強制ではありませんよ。このまま帰宅したいのであれば、そうして頂いて構いません、カウピ財務官。ステルキ准尉、貴官はどうするつもりだ?」
ヘルギに問われたヴェルザが「私も帰宅しようかと考えておりました」と答えたので、ハルジは小さく胸を撫で下ろす。人付き合いが苦手は彼には、適度なところで会話などを終わらせる判断が難しいのだ。
「外は雪が降ってきておりますので、しっかりと防寒をして、帰路に就かれるのが宜しいかと。それでは、小官は失礼致します」
華やかな空間には大凡似つかわしくない、葬式のような空気を醸し出している席へと向かうヘルギの背を見送り、ヴェルザはハルジに明るく声をかけた。
「今日一日を良い気分のまま過ごせますように、早々に此処から退散致しましょうか」
「はい、そのように」
二人は顔を見合わせて、こっくりと頷く。
受付に預けていた防寒用の上着に腕を通し、雪が降る外界へと足を踏み出した時、ニューベルグの悲鳴が二人の耳に届いたような気がしたが、二人は聞こえなかったことにした。
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