第22話 ハルジとアトリの関係は如何に?

 落ち着けば、落ち着く時、落ち着いたならば、落ち着いていこう。

 何だかよく分からない言葉がぼわわわんと浮かんできて、ヴェルザは少しばかり冷静になれた気がした。見合いをする気がなかったのはヴェルザも同じ。相手に先制攻撃をされただけで混乱するとは、自分らしくない。


(若しや私は、何かが始まるのを期待していたのでしょうか?そう、乙女が嗜むという小説のような展開を……何でしたか、望んでもいないのにやたらと美形の青年に求愛をされて、嫌だとか断るとか言っていたのにいつの間にか絆されて恋人になっているという……)


 多感な年頃の時分、ヴェルザは士官学校の勉強に精を出していた為に乙女小説ではなく、軍事の参考書を熟読していた。恋や夢や希望などのキラキラ成分が多分に詰まっているという乙女小説については噂話程度しか知らないので、正解はよく分からず、大変に失礼な勘違いをしている可能性がある。


(然し……まあ、ささっと終わって良かった……のでしょうかね?これで一度はお見合いを成立させたことにはなりますので、王太子殿下の面目は保たれるはず……)


 となれば、ヴェルザは見合いから解放されて警邏隊の職務に励むことが出来るのではないか。微かな希望を見出して、ヴェルザの胸が喜びに震える。


「先日は危ない所を助けて頂き、更には実家に送り届けてくださいましたこと、誠に感謝しております」

「……うぇい?」


 一人の世界に入ってしまっていたヴェルザに全く気が付いていなかったらしいハルジが唐突に謝辞を述べてきたので、現実に引き戻された彼女はまたしても奇妙な声を出してしまった。


「ステルキ准尉に感謝の言葉を直接申し上げたかったのですが、貴女の所在が掴めず……このようなことになりました」


 見合い相手に立候補した旨を順を追って説明していくハルジ。ヴェルザは適度に相槌を打ちながら、真面目な表情で耳を傾けていた。


「軍に知人がいらっしゃる上司の方に相談をした結果が、小官とのお見合いを利用することであった、と……成程、よく分からない」

「今思えば、あの時の僕はどうして上司の頓珍漢な提案を受け入れてしまったのか……兎に角、目的は達成出来ましたので、安心しています。尚、変に期待をさせてしまっていましたら、大変失礼な真似を致しました。心よりお詫び申し上げますと共に、貴女の鉄拳制裁を受ける所存で御座います。できましたら、目元を殴るのだけは避けて頂きたい。仕事に支障が出ますので」

「……苦言くらいは申しますが、鉄拳制裁までは致しませんので。仮にするとしても、カウピさんを殴ったら粉砕骨折をさせてしまって、私が傷害、或いは殺人未遂で逮捕されてしまいます。ええと……目的を達成されまして、良う御座いました……?」


 見合いをする気がないと発言したハルジだが、ヴェルザを虚仮にしようとしていた訳ではない。理由が理解出来たヴェルザは食前酒を一口飲んで、思考を巡らせる。


(こんな回りくどいことをされなくても、軍の人事部に連絡をして頂けたら、其方から私に連絡が来たと思うのですが……?)


 ハルジの上司はどういった思惑で、とんでもない提案をしたのか。冗談のつもりだったのか、彼に嫌がらせをしたかったのか。

 ――まあ、そんなことはどうでも良いか。ハルジは目的を達成できたのだし、これでヴェルザも王太子に「お見合いは一回こっきりで結構で御座います。二回目以降は拒否!」と堂々と主張出来そうだ。


「一介の軍人として、当然の行いを致したまでのことですが……態々小官に直接感謝の意を伝えようとしてくださいましたこと、嬉しく存じます。それでは、お見合いをする必要も無くなりましたので……お食事を楽しんで帰りましょうか」

「はい、そのように」


 漸くやって来た高級料理に舌鼓を打つことに納得して、二人は頷く。

 この料理は美味しいですね。そうですね。短い言葉のやり取りをぽつぽつとするだけで暫く過ごしていると、ふと、ヴェルザは見合いをすることを了承した理由を思い出した。


「唐突では御座いますが、カウピさんにお尋ねしたいことが……」

「僕に答えられることでしたら答えます。どうぞ」

「有難う御座います。先日の夜のことなのですが、カウピさんは私に、アトリ・ステルキの姉かとお尋ねになりましたよね?アトリとは……弟とはどのような御関係なのでしょうか?」

「僕とアトリの関係ですか……?」


 ヴェルザの問いに、ハルジはフォークとナイフを持つ手はそのままに視線を落とす。何やら言い淀んでいるように見えて、ヴェルザは不味いことを質問してしまったかと肝を冷やす。


「全くもって自慢出来ないのですが、僕は幼い頃から人付き合いが非常に下手で、他人との距離が上手く掴めません。ですから、僕とアトリの関係を示す適切な言葉が見当たりません」


 ニューベルグに渡された釣書にもそのようなことが記載されていたことを思い出して、ヴェルザは質問を変えてみた。


「アトリとはどのように知り合われたのですか?」

「財務院庁舎の食堂でアトリに話しかけられたのが切っ掛けだったと記憶しています。三年ほど前のことでしょうか。辛気臭い顔をしていると真正面から言われたのは生まれて初めてで中々の衝撃を受けましたし、腹がはち切れそうになるまで料理を食べさせられたのも初めてでした」


 ヴェルザの実弟のアトリは、その食堂で料理人として働いていた。必要最低限の人間の顔しか覚えられないハルジは彼の存在を気にしたことがなかったが、アトリは痩せの大食い財務官のことを以前から知っていたようだ。


「弟が大変失礼なことを致しまして、申し訳なく存じます……」


 初対面の人物に対してとんでもないことをしていた弟に代わって、ヴェルザは深々と頭を垂れた。


「それから……何故でしょうか、食堂で会うと少し会話をするようになりました」

「どのようなことを話されていたのでしょうか?」

「食堂の献立に始まり、仕事のことや家族のことなどを話していました」


 或る時、アトリに今の仕事に就いた理由を尋ねられたことがあり、ハルジは正直に答えた。商人の家に生まれたものの、性格が商人向きではなかったので家族会議をして、役人になったのだと。するとアトリも、軍人になりたかったが向いていなかったので料理人に方向転換をして今があるのだ、と答えた。


「アトリはよくお姉さんの話をしてくれました。士官学校で優秀な成績を修め、精鋭揃いの近衛師団に所属して活躍しているお姉さんを尊敬していて、同じくらいに嫉妬していたと」


  同じ親から生まれた姉弟なのに、どうしてこんなにも能力に差があるのか。そう呟いたアトリの横顔は、いつでも明るい彼とは異なっていて、ハルジの脳裏に強く焼き付いていた。


「……」


 アトリとのやりとりを思い出すことに集中しているハルジは、ヴェルザの表情が曇ったことに気が付かない。


『クヴェルドゥールヴ家に引き取られたくせに軍人になれないなんて恥ずかしい?近衛師団のステルキと本当に姉弟なのか?似ているのは身長だけか?そんなこと、外野に言われなくても俺が一番分かってますよ』


 士官学校へ進むことを諦めた際にアトリが吐き出した言葉が不意に思い出されて、ヴェルザの胸を酷く締め付けた。


「僕には三人の兄がいて、三人とも商人になりました。けれども彼らは商売の得意分野が異なっていて、末子の僕に至っては職業が違います」


 同じ親から生まれた四兄弟でも違いがある。だから姉と弟で違いがあるのはおかしいことではなく、当たり前なのではないか。ハルジが朗々と語ると、アトリは瞠目して息を飲み――それから、はにかんだ。


「落ちこぼれの愚痴だと断じなかった他人は貴方が初めてです、とアトリは言っていました。結局は軍人になれなくて良かった、今が一番充実しているとも。その後は食堂以外の場所で会うことも増えていきましたが……どうなのでしょう?友人であると称しても差し支えの無い関係だったのか、僕には判断出来ません……何せ、友人が存在したことがないので」


 そのつもりはないのに敵を作ることだけは人一倍得意だったと語るハルジに、ヴェルザは視線を上げて、にっこりと微笑んだ。


「貴方はアトリの友人です」

「何故、そう思われるのですか?」

「アトリは周囲に溶け込むのが上手な子でしたが、浅い付き合いに留める嫌いがありました。家庭の事情などで色々とありましたので、他人を警戒していたのかもしれません」


 そんなアトリがハルジには深い話をしていた。それはハルジを信頼していたからに違いないので、二人の関係は友人と称しても問題ないのではと、ヴェルザは主張する。


「アトリに家族以外に心を開ける友人がいたことを知れて、嬉しく存じます。弟と親しくしてくださって、有難う御座います」


 柔らかく微笑んだヴェルザに既視感を覚えて、ハルジは目を瞠る。あの日の夜、眼鏡を失い、ぼやけた視界では見られなかったもの。暫しの間、言葉を失う。


「……ステルキ准尉に先日の感謝の意を伝えたかったのは事実ですが、もう一つ理由があります。貴女の顔を正面から見てみたかったのです。眼鏡を掛けている状態で、明るい場所で」


 あの時は、ヴェルザの背の高さと優しい声音だけは認識出来た。別れ際に彼女がアトリの実姉であることを知り、日を追う毎にスヴェルズレイズ・ステルキという人物の相貌が気になってきた。レンズの向こうの緑瞳で、ハルジはじいっとヴェルザの顔を見つめる。何かを見つけようとしている目だ。

 無言の凝視に居心地が悪くなったヴェルザが営業用の笑顔を貼り付けて、その目をじっと見つめ返すと、ハルジの硬い表情筋が微かに動いて、目元が下がり、唇の端が上がった。


「アトリは自分とお姉さんはそれほど顔が似ていないと言っていましたが、僕の目には表情や仕草が似ているように映ります」


 脳内の記憶領域に登録していない人面は全て蕪に変換される奇妙な機能を搭載しているハルジは、アトリの面影を持つ、けれどもアトリとは違うヴェルザに興味を抱いたらしい。


「どのようなところが、アトリと似ていますか?」

「気まずいことがあると態と笑顔を作って、相手の目をじっと見詰める癖がそっくりだと思います」


 人付き合いが不得手だという割には、ハルジは他人の表情や仕草をよく見ているらしい。但し、その相手に興味を持っていることが前提条件ではあるようだが。

 アトリの風変わりな友人に「家族にも指摘されたことがあります」と言って、苦い微笑を浮かべるヴェルザだった。

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