第17話 とんだ茶番で御座います
ヴェルザが小箱を上着のポケットにしまうと、ヒミングレーヴァが掌を打ちつける。広さの割に置かれているものが少ない、隙間が多い館長室に小気味良い音が響いた。
「さあ、大事なお話はここまでね。ここからは余談ということに致しましょう。ファールキ、リョーゼイ、思うところがあれば遠慮なく口を挟んでくださって構わないわ」
初めに話題が沢山あるのだと言っていたので、時間が許す限りはヒミングレーヴァに付き合おうとヴェルザは決め、漸くお茶を口にする。お茶は少し冷えてしまっていたが、良い茶葉を使っているのだよう、香りも味も良い。
「ヴェルザ、貴女、王太子殿下に見合い相手を用意してもらっているのですって?」
「ごほっ」
「不当な処分への賠償の内容がこのようなものなんて、あの御方もなかなか愉快な思考の持ち主でいらっしゃったのねえ。血は争えないということかしら?わたくしも気を付けないといけないわね」
思わぬ話題が出たことに驚いて、口に含んでいるお茶を噴き出しそうになるがヴェルザは何とか堪える。然し行き場を失った水分が気管支に入り込んでしまい、噎せてしまった。心配したレインストラウムが背中を摩ってくれて、徐々に落ち着きを取り戻していく。
国王や異母兄のハムセール王子とは異なり、ヒミングレーヴァは情報収集に力を入れている。ヴェルザの災難など、直ぐに耳に入るのだ。彼女が知らないはずがない、こんな面白そうなことを訊いてこないはすがないということを、ヴェルザはすっかり失念していた。半年ほど中央から離れていただけで随分と暢気な考え方になってしまったと呆れてしまう。
「お話を続けても宜しくて?」
「……はい」
「ヴェルザのことだから、見合い相手の申し出に女性が殺到しているのかしら?」
男装の麗人ステルキ(元)准佐に憧れる女性は多い。そのことを知っているヒミングレーヴァが意地悪に問うと、ヴェルザは死んだ魚の目をして答えた。
「小官のお相手の条件は独身男性ということになっておりまして、成人されていれば年齢、職業問わず幅広く募集しております――が、一人として希望者が現れないのだと、王太子殿下や侍従の方から伺っております」
それとなく見合いの話を口に出すと、独身男性は目を輝かせて食いついてくるのだが、相手がヴェルザだと判明するとそそくさと逃げていくのだという。この現状に言い出しっぺの王太子は頭を抱えているらしい。正直なところ、ヴェルザはもう止めてくれないかと思っているのだが、王太子は引き下がってくれないのだ。
「あらいやだ、この国の独身男性の皆さんは腰抜けでいらっしゃるのかしら?片手で林檎を握りつぶせるだけで、ヴェルザは至って常識人で、人当たりも良く働き者の最優良物件だというのに。ああ、そうだわ。ファールキは貴女の好みに該当するのかしら?」
好奇心で目を輝かせているヒミングレーヴァにいきなり会話に引きずり込まれて、ベルググレインがぎょっとする。三十路を過ぎたばかりの彼は募集条件に該当する独身男性なのだ――但し、離婚歴があるのだが。
「正直に申し上げますと、新人時代にとてつもなく厳しくご指導頂いた御蔭で、ベルググレイン少佐が目の前にいらっしゃいますと、当時のことを思い出して現実逃避をしてしまいたくなりますので……ないです」
「本当に正直に仰るわね、貴女。相手を慮って言葉を選んで話すヴェルザがここまで言うなんて……どれだけ厳しく指導をしたのかしら、ファールキ?」
「常識の範囲に収まる指導しか致してはおりませんが」
ヴェルザが新人だった頃、彼らを指導する教官たちの中で最も恐れられていたのがベルググレインだ。然し彼は決して、新人いびりをしたのではない。近衛師団には暗黙の差別が存在する。地方出身の庶民ということで、優越感丸出しの上流階級出身の団員たちにやっかまれて苦労してきたベルググレインは、同じような境遇の後輩たちが潰れていってしまわないようにと願いをこめて、敢えて厳しく指導していたのだ。彼の願いは担当した新人たちには届いてはいたが、実際には悪魔の所業とかしか思われなかっただけだ。
ヴェルザの後輩レインストラウムは噂でそのことを知り、自分の教官がベルググレインではなくて良かったと心から思ったことがあるが、今この場でそれを言うのは止めておいた。
「クヴェルドゥールヴの……貴女の養親のお二人は、このことを御存知なのかしら?」
「はい。昨日、お二人が帰国されまして、現状をお話致しましたところ、王宮を攻め落としてくると仰って武装されましたので必死にお止め致しました」
「そうなって当然ね。お二人を止めてくださって有難う、ヴェルザ。国民に不要な恐怖を抱かせるのは宜しくないもの、内乱に発展しなくて良かったわ」
仰る通りで御座います、と、ヴェルザたち軍人は声を揃えて頷いた。そこで、はた、とヴェルザはある出来事を思い出す。
「姫君に御報告申し上げたいことが御座います。こちらもまた昨日の出来事なのですが、ハムセール王子殿下が遂にアルネイズ嬢を諦めてくださいました」
異母兄の名前が出た途端に、ヒミングレーヴァは優雅な王女らしからぬ渋い表情を浮かべた。彼女はハムセール王子を毛嫌いしている。出来れば彼の話題には触れたくないのだが、内容は気になるようで、こめかみを押さえて深呼吸をしてから「詳しくお話してくださるかしら?」と、ヴェルザに催促をした。
完全武装した養父母をアルネイズと協力して止めていた時のことだ。非常に間の悪いことに、能天気なハムセール王子がお供を連れての屋敷を訪れてしまった。彼の姿を見るなり、素早く銃を構え、彼の額に照準を合わせたクヴェルドゥールヴ家当主アースビョルン。アルネイズは父親に引き金を引かせるまいと腕にしがみついて阻止する。一方の当主夫人リーンも何処から出したのか分からない抜き身のナイフを投げつけようとしていたので、此方はヴェルザが前に立ちはだかって阻止した。
「あら、引鉄は引いてくださって宜しかったし、ナイフもぶっ刺して差し上げたら宜しかったのに。わたくしの心に平穏が訪れる機会が遠ざかってしまったわねえ」
「ステルキとアルネイズ嬢の英断です。実行されていたら大問題です、殿下」
「承知の上で敢えて申し上げたのよ、ファールキ。冗談の分からない方ね。まあ、良いけれど。それで、そこからどのようにしてあの馬鹿はアルネイズ嬢への執着心を無くしたのかしら?」
クヴェルドゥールヴ夫妻もアルネイズも、ハムセール王子の求婚を丁寧に断った。彼は全く聞く耳を持たず、自分に都合の良い解釈しかせず、それはやがて”自滅のワルツ事件”へと発展し、無関係のヴェルザが一番悲惨な目に遭ったのだ。ブチ切れたヒミングレーヴァを恐れて、国王と共に彼女が苦手とする王太后の離宮へと逃げ込んでからも、アルネイズへの求婚を諦めず、同じ行動を繰り返していたのに、と、ヒミングレーヴァは首を傾げた。
何ともお粗末な結果となったのですが、と前置きをして、遠い目をしたヴェルザが語る。
「アルネイズ嬢に化けた屈強な傭兵が立ち塞がり、二人の恋路を邪魔している。これはまるで邪悪な竜に捕らわれた姫を救いにいく勇者のようではないか。そのようにお考えになっていた王子殿下は、その傭兵こそがアルネイズ嬢であるとお気づきではいらっしゃらなかったのです」
今度がヒミングレーヴァがお茶を噴き出しそうになったが、彼女は何とか飲み込んで、噎せることもなかった。淑女たる者はしたない真似はするまい、その矜持が彼女を救った。そんな彼女の背中を見守っているベルググレインは「王女殿下でも喜劇のような面白い反応をするんだな」と心の中で呟いた。
――ハムセール王子の勘違いが判明したのは、女装の傭兵をクヴェルドゥールヴ夫妻が娘のアルネイズとして扱っていることに彼が疑問を抱いたのが切っ掛けだった。
『似合わない女装をした傭兵をアルネイズとして扱うのは無理があると分からなかったのか?身代わりを立てるのであれば、せめて女性にするべきだ。だがそれでも私は本物のアルネイズと偽物を見破ることが出来るがな……!』
『王子殿下。お言葉の意味が分かりかねるのですが。此方は正真正銘、我らが娘のアルネイズで御座います。身代わりなど用意しておりません』
いや、真偽の区別がついてないじゃん。何を格好つけて言ってんの?――を、別の言葉で覆い隠して、アースビョルンが答える。
『笑えない冗談はよしてくれ、クヴェルドゥールヴ。反応に困る。なあ、お前たちもそうだろう?』
『恐れながら、王子殿下。其方の屈強な戦士然としていらっしゃる御方は間違いなくアルネイズ嬢に御座います』
お供の一人としてついてきたガガル伍長が真面目に答える。ヴェルザも頷く。ハムセール王子はガガル伍長以外のお供に顔を向けたが、ガタガタと震え、顔色を悪くしている彼らは一斉に目を逸らした。そこで漸く、ハムセール王子は己の間違いに気が付いた。
「小官も久方振りにアルネイズ嬢にお会いした際、あまりの変貌ぶりに衝撃を受けましたが、直ぐに気が付きました」
ハムセール王子が恋していたのはアルネイズではなく、アルネイズの恵まれた容色だったのかもしれない。身代わりを立てても真偽の区別がつくと豪語してしまったハムセールは己の勘違いを悟り、激昂した。
『アルネイズとの婚約は破棄する!私を騙した罪は重いぞ、クヴェルドゥールヴ!貴様たち一家に最大の罰を与えるよう、父王に進言する!震えて眠れ、愚かな者どもよ!』
要約すると、パパに言いつけてやるんだからな!と大声で叫んでハムセール王子はお供を連れて去っていく。最後尾にいたガガル伍長だけが申し訳なさそうに会釈をしていった。
――いや、アルネイズと王子殿下は婚約なんてしてませんけど。してもいない婚約を破棄するってどうやるの?え?
ヴェルザとクヴェルドゥールヴ一家はぽかんと口を開けて、顔を見合わせて、その場に暫く突っ立っていたのだった。
「頭痛が痛い……」
こめかみを押さえながら項垂れて、頬の筋肉を神経質そうに痙攣させているヒミングレーヴァの言葉の表現がおかしい。身内が想像よりも遥かに大きい恥を晒していたことを知った衝撃が強すぎて、彼女の言語中枢が一次的に機能不全に陥ってしまったのかもしれない。ベルググレインとレインストラウムは表情を無くし、「クヴェルドゥールヴ家の皆様、大変お気の毒で御座います」と目で語ることしか出来なかった。
「……あの馬鹿を溺愛している国王陛下でも、貴女のこともあるし、クヴェルドゥールヴ家を完全には敵に回したくないでしょうから、お咎めは何も無いと思うわ。やらかそうとしたら、わたくしが止めます、王族としての責任を持って……!」
兎に角、これでもうアルネイズはハムセール王子に付き纏われることは無くなるだろう。物凄く後味が悪いが、アルネイズの問題は解決したと言っても良いのかもしれない。
「後は、王太子殿下が関わってしまっている貴女の見合い問題だけね」
「小官はアルネイズ嬢の問題が解決し、小官の次の職場が決定致しましたらそれで満足で御座いますので……王太子殿下が例の件を放棄してくださいますことを心より願っております」
「難しいのではなくて?言い出しっぺとなってしまった責任をとらないと、臣下に白い目で見られるのは必定。こればかりはわたくしも救いの手を差し伸べられないわ。出来るのかどうかは分からないけれど、貴女自身で見合い、若しくは結婚相手を見つけるのが最短の解決方法なのかもしれなくてよ?」
それは最短ではありません。最も難易度の高い方法です。無理です。とは口には出さなかったが、ヴェルザは表情と雰囲気に出してしまった。それは勿論ヒミングレーヴァに伝わり、彼女は大きな扇で顔を隠して、体を震わせた。ベルググレインもレインストラウムも顔を逸らして、微かに体を震わせていた。
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