第9話 王太子、暴走する

 冷静さを欠いている王太子は、不意に浮かんだ一案に賭けてみることにした。


「ステルキ准尉。近衛師団への復帰を辞退するのであれば、一度、貴官とヒミングレーヴァで話し合ってくれないか?貴官がそれを望んでいるのだと分かれば、彼女も納得してくれるだろう」


 これならきっと自分の責任にはならないだろう。根拠のない絶対の自信を感じた王太子は、にっこりと微笑む。


「畏まりました。姫君の御都合を教えて頂けましたら、姫君の許へと参ります」


 ヒミングレーヴァ王女は聡明な人物だ。しっかりと説明をすれば、納得してくれるだろう。そんな自信のあるヴェルザも、にっこりと微笑む。


「それではステルキ准尉の処遇が決定するまでの間、王都に留まってもらわねばならないのだが、貴官の連絡先はクヴェルドゥールヴ家の屋敷で構わないか?」

「いいえ。小官は既にクヴェルドゥールヴ家の庇護下から出た身です。半年前まで住んでいた家は既に引き払ってしまいましたので、宿の一室を借りて待機をする所存で御座います」


 お前は未だいらぬ遠慮をするのか、と、隣から冷気を孕んだ視線が送られてくるが、ヴェルザは敢えて無視をして、話を続ける。


「王太子殿下は御存知かもしれませんが、クヴェルドゥールヴの御屋敷には、ほぼ毎日のようにハムセール王子がアルネイズ嬢を訪ねていらっしゃるようです。本日も小官が此方に伺う前に、使者の方が訪ねていらっしゃいました」


 自分を不当な処分に追い込んだ元凶が出現するような場所に留まっていたくはない。鉢合わせでもしたら、自分はどんな行動に出るのか、想像もつかない。若しかしたら、重大な事件を起こしてしまうやも。昏い目をしたヴェルザが本音を吐露すれば、王太子は深い海の色よりも顔を青くし、隣から飛んでくる視線攻撃も止んだ。


「……分かった。貴官の宿代は此方が負担しよう。それくらいはさせて欲しい」

「有難う御座います、王太子殿下」


 宿代を奢ってもらえるのなら、王都でも有数の高級宿に止まってやろうか。そんな邪な考えが過ったヴェルザだが、生真面目な彼女はお世話になっているクヴェルドゥールヴ家に迷惑がかかるような真似をしない。ベッドさえあれば、それで良い。硬い床の上でも、石だらけの地面の上でも問題無く眠れるヴェルザは、ほどほどの値段の宿に泊まるに違いないだろう。


「話が長くなってしまったが、最後に、この件の賠償についてだが……」

「恐れながら、殿下。小官に賠償をして頂く必要は御座いません」


 平民の分際で王族に賠償させた面の皮が分厚い女軍人――などと噂されでもしたら、今まで以上に風当たりが強くなるに違いない。下手をすれば、そのせいで軍人を辞めなければならない事態に発展しかねない。そう、噂の力を侮ってはいけない。ヴェルザが猪の子供を逃がしてあげた話が巡り巡って、猪を素手で倒した話に変化してしまうのだから。ヴェルザが林檎を片手で握りつぶした話が巡り巡って、鉄球を片手で粉砕した話に変化してしまうのだから。噂は広がれば広がるほど、原形を留めなくなるのだから。

 それを避けるべく、ヴェルザは王太子の申し出を再び断るのだった。


(困った事態になったぞ……宿代の負担しただけでステルキ准尉をロスガルジに帰したとしたら、ヒミングレーヴァに白眼視され、更にはヘルギにも失望されるのではないか……!?)


 反省する気が皆無の国王に代わり、ヴェルザに謝罪と賠償をすることで己の株を上げようと目論んでいた王太子は当てが外れてしまい、当てにしていたヘルギの助けも得られず、焦燥感に思考を支配されていくばかりだ。


(今回の交渉失敗を糧にして成長なさってください、殿下)


 現国王よりは遥かにマシなので、下手な真似さえしなければ支えていく所存のヘルギは出来るだけ示談に介入しない。次期国王たる王太子には、様々な壁が立ちはだかってくる。いずれ王座に就けば、これまで以上に海千山千の諸侯や軍幹部と対抗しながら、国の行く先を主導していかなければならないのだから――というのが半分で、もう半分は自棄気味のヴェルザと焦る王太子のやり取りが面白いので傍観者に徹しているヘルギだった。至極簡単なヴェルザの釣り方を知っている彼だが、王太子にそれを教えて差し上げる気は毛ほどもないようだ。


(どうしたら……どうしたら良いのだ……!)


 どこぞの能天気王子と血が繋がっていることは認めるが、同類だと思われたくない。世襲制であるとはいえ楽に国王になれるよ思うなよ、という周囲の厳しい視線に耐える王太子の身分は大変なんだぞ。まだ若いのに頭痛薬と胃薬がお友達だ。新婚なのだから、四六時中新妻のことだけを考える新郎でありたいのに、新妻のこと以外で悩まなければならないなんて。ああ、こんなことになるなら己の株を上げようとして首を突っ込むんじゃなかった。雑多な心情が、王太子の頭の中で喧嘩をしている。

 この危機的状況――だと思っているのは王太子だけ――を打破するにはどうしたら良いのか。途方に暮れた王太子の脳裏に新妻の姿が浮かんできた。


「……ところでステルキ准尉。貴官は独身だったな?」

「……はい、左様で御座います」


 どうして王太子は急に個人的な事情を尋ねてきたのか。嘘を吐いても虚しいのでヴェルザは素直に答える。その質問を耳にしたヘルギは何となく嫌な予感がする。


(言うに事欠いておかしなことを言い始めたな)


 混乱状態に陥っている王太子がヴェルザの尊厳を傷つけるようなことをいうつもりならば、例え主君といえども容赦はしない。それを見極めるべく、ヘルギが眼光を鋭くする。


「恋人はいるのか?」

「いいえ、現在はおりません」


 その質問を耳にしたヴェルザは、士官学校に入る前にごく短い期間だけお付き合いをして、相手にフラれてしまったことを思い出す。


『君と付き合ったら、クヴェルドゥールヴ家の美少女アルネイズに会えると思ったのに。君は全然屋敷に連れていってくれない。もう無理をしてまで君と付き合うのは止めるよ』


 ヴェルザは事情があって、あの家の人々に良くしてもらっているだけの居候だった。故に、自分の家でもないのに他人を気安く呼ぶことはない。アルネイズに会いたいが為にヴェルザと付き合うとはどういう理屈なのか。ヴェルザは頭を悩ませて熱を出したものだ。

 それ以降はというと、士官学校に入ってからは軍人教育についていくのに必死で、恋愛どころではなかった。卒業後も近衛師団のやり方を覚えるのに必死でそれどころではなかった。

 ――あまりにも面白くないことを思い出してしまったと、ヴェルザは王太子に分からないように嘆息する。


「結婚願望はあるのか?」

「え?人並みには御座いますが……?」


 何なんだろう、この会話は?

 そう思いつつも正直に答えていってしまうヴェルザの反応に、王太子は「しめた!」と言わんばかりの表情を見せる。


「……良し!ステルキ准尉への賠償は、”ステルキ准尉の結婚相手を見つけること”にしよう!」

「「は???」」


 王太子の突拍子もない発言に、ヴェルザとヘルギの義兄妹は声を揃えて、呆気にとられた。発言者は悦に入っているようで、二人の異変に全く気が付いていない。

 この時の様子を、王太子の背後で空気のように佇んでいた侍従は後に語る。


「麗人と称されるステルキ准尉、常に泰然としていらっしゃるクヴェルドゥールヴ中将閣下のポッカ~ンとした御顔を目にしたのは、あの時が最初で最後で御座いました。巷で流行し始めた写真に収めたいほどの御顔で御座いました。もう、思い出すだけで……ぐふっ、ふほっ」

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