愛しけやし吾がつま

かなえ ひでお

第1話 左遷されて、片田舎

 南部辺境の町、ロスガルジ。豊かな牧草地帯にあるこの町の主な産業は地の利を活かした畜産業と畑作で、嘗ては優秀な軍馬を育てる産地として国内外に名を馳せていた時期もある。時代の流れで船や鉄道などの交通機関が発達していくにつれて、馬の需要が減りつつあるけれどもまだまだ馬を専門とし、誇りを持っている馬を育てる牧場主が残っている。

 そんな町の住人たちは土造りや種蒔き、作物の世話、収穫期、家畜の世話や出産などを除いては、基本的にのほほ~んと生活しているので、ロスガルジの犯罪発生率は低いと言われている。住人がのほほ~んとしすぎて犯罪に気が付いていないのか、或いは農作業が忙しすぎて「はあ?泥棒?テメェ泥棒してる暇があったら農作業手伝えコノヤロー!給金は現物支給だコラァ!!!」と、敢えて犯罪を放置している可能性も否定出来ない。繁忙期の農家の目は血走っている。或る意味、強盗より怖いかもしれない。

 ――という不確かな理由で表面上は犯罪発生率が低いとされるロスガルジではあるが、南の国境の要塞に近いので、王国軍南方司令部から一小隊が念の為に派遣されている。だが、殆ど犯罪が発生しないので、隊員は派出所で一日を退屈に過ごす羽目になる。ロスガルジに派遣されてくる隊員の殆どは地元の者だが、稀に地方都市や中央から左遷されてくる者が紛れ込んでいる。左遷されてきた者の大半が「そりゃ左遷されますわ、クビにならなかっただけ有難いね」「過去の栄光に縋るのってみっともないね」と同僚や町の住人にひそひそ話をされてしまうような人間性の持ち主だったりするのだが――半年ほど前にやって来た女性隊員は少し毛色が違うようだと、町で密かに噂になっていたり、いなかったり。




「ステルキさん!」


 ロスガルジ小隊の派出所に慌てて駆け込んできたのは、近くに住んでいる幼い姉弟リューパとオリだ。


「ステルキさん、うちの鶏がいっぱい逃げちゃったの!あたしたちだけじゃ捕まえられなくて、捕まえるの手伝って!」

「はい、只今参ります」


 焦燥感溢れるリューパの声に応じたのは、中性的で落ち着いた低い声。二十代半ばくらいに見える、鳶色の髪をきっちりと結い上げたステルキ准尉――ヴェルザは報告書をまとめていた手を止めて、机の上に置いてある帽子を被り、立ち上がる。そして、きびきびとした軍人らしい歩みで子供たちの許へ。


「リューパさん、鶏たちはどの辺りに逃げてしまいましたか?」


 大人と子供を区別することなく敬語を使うヴェルザは非常に背が高い。思春期前のリューパや幼児の域を脱したばかりのオリと並ぶと、大人と子供というよりも、巨人と小人くらいの身長差がある。彼女は子供たちを怯えさせないようにしゃがんで、リューパに問いかけた。冷え冷えとして見える鋼鉄色をした切れ長の目は温かくて、優しくて、子供たちはほっとする。


「あのね、鶏小屋の鍵が開いちゃっててね、鶏がいっぱいあっちこっちに逃げちゃったの。お父さんたちが畑に行ってる間に小屋の掃除をしておいてって、頼まれて、掃除して、鍵閉めたと思ってたのに……どうしよう、お父さんたちに怒られちゃうよぉ……っ!」


 自分たちだけで鶏を捕まえようと努力したのだろう、リューパたちの肌や服には土埃や鶏の羽がついている。然し子供だけではどうにもならなくて、顔見知りのヴェルザに助けを求めたのだ。すると彼女が快く応対してくれたので、安心したリューパの目から涙が零れる。リューパにつられて、弟のオリも泣き出してしまった。派出所に子供の泣き声二重奏が響き渡り、奥の席に着いている中年の男性が苛立たしげに舌打ちをした。


「二人だけではどうにもならないと判断して、私に助けてと言いに来られましたね。そうしたら次に起こす行動は、私と一緒に脱走した鶏を捕獲して、小屋に戻すことです。……御両親に叱られる時も、お供しますよ。――さあ、泣き止んで」


 ヴェルザが懐から出したハンカチを二人の前に差し出すとリューパが受け取り、涙と鼻水と涎でべちょべちょになったオリの顔を丁寧に拭いてやる。自分の顔は土に汚れたエプロンでゴシゴシと拭いている様子を、ヴェルザが微笑ましく見守る。


「おい、ステルキ。そんなことは子供とその親にやらせろ。小隊の仕事じゃない。余計な仕事を増やすな。町の人間に良いように利用されるだけで、何の得にもならない」

「はい、ですから、私だけで対処します。ブルタズ先輩にはご面倒をおかけしませんように致しますので、御安心ください。何かありましても、ステルキの独断なので自分は関係ないと正々堂々と主張してください」


 ロスガルジに左遷されて十余年のブルタズ軍曹はヴェルザの反撃が気に入らないと、表情と態度に出す。階級はヴェルザより下のブルタズ軍曹は、彼女よりも小隊にいる年数が長いので先輩として振る舞っているようだが、その態度が先輩として相応しいものではないと周りの人間に思われていることは知らないらしい。ヴェルザが指摘しないことが、原因の一つでもあるのだが。


「さあ、急ぎましょう。鶏が遠くまで逃げてしまうかもしれません」


 オリを軽々と抱き上げ、リューパの手を握り、ヴェルザは派出所を後にする。苛立ちを隠そうともしないブルタズ軍曹を残して。




 幸いなことに脱走した鶏たちはリューパたちの家の付近に留まってくれていた。道中に鶏の数を聞いていたヴェルザは目視で鶏の数を確認すると、子供たちと協力して、自由を謳歌していた鶏の捕獲作戦を決行する。子供の足では追いつけないほど素早い鶏も、ヴェルザの鍛え上げられた脚にかかればあっという間に御用となる。物陰に潜んだり、壁と棚の隙間に逃げ込んだ鶏も、彼女の長く逞しい腕に捕まり、一縷の望みをかけて飛び上がって逃げようとした鶏も最高点に達したタイミングで足を掴まれた。


「ステルキさん、すごぉい!」


 最後の一羽を小屋に入れて、しっかりと鍵を閉めたことを確認して――捕獲作戦は終了となる。一息吐いたところでリューパたちの両親が畑仕事から帰ってきた。どうして小隊員のヴェルザが子供たちと一緒にいるのか不思議に思っている両親に、リューパは正直に事情を説明した。叱られることを覚悟しての行動だ。リューパの想像通り、姉弟は両親に説教をされる。然しヴェルザがいたからか、いつもよりは説教が短く、怖さもいくらか減っているように子供たちには感じられた。


「ステルキさん、有難う、手伝ってくれて。一緒に叱られてくれて」

「ありがとぉー」

「リューパがしっかりしているからと、子供たちを残して畑に行ってしまった我々にも問題はあります。今後は気を付けます。小隊の仕事でもないのに子供たちを放置しないでくれて有難う、ステルキさん」


 子供たちが怪我をすることなく、脱走した鶏も全て捕獲することが出来たので良かったと、派出所に戻ろうとするヴェルザ。何の見返りも求めない彼女に恐縮したリューパたちの両親から、籠に山盛りにされた野菜を渡されてしまう。

 御礼なんていらないのに、と言いかけて――ヴェルザは「美味しそうな野菜を有難う」と言葉を返して、踵を返した。この野菜は下宿先の女将に渡して、美味しく調理してもらおうと考えたようだ。

 線が細めの長身の男性に見えないこともないヴェルザの広い背中を見送ると、リューパたちの父親が思い出したように呟いた。


「酒場の酔っぱらいから聞いた話だから本当かどうかは分からんが……ステルキさんはロスガルジに来る前は王都で近衛師団に所属してたらしい」

「近衛師団って確か、軍の中の精鋭だけが入れるところでしょう?そんな優秀な人が何でこんな田舎に……?」


 ロスガルジにやって来る小隊員の多くは規則通りの仕事はするが、やる気がなく、住民の困りごとの相談には適当にしか対応してくれない。対してヴェルザはどんな些細なことにも耳を傾けてくれ、自分に対応出来ることであれば、勤務時間外でも対応してくれる為に住民からの評判は非常に良く、何より警邏を真面目にやってくれる。それだけで、他の隊員よりも随分と好感度が高い。

 故に、こんな田舎町に左遷されるような真似を仕出かした人物には到底見えず、首を傾げる住人も多い。


「ステルキさん格好良い。あたし、大きくなったらステルキさんのお嫁さんになる!」

「リューパ、その気持ち、分かるわ。お母さんもお父さんと結婚してなかったら、きっとステルキさんに恋して、結婚を迫ってるもの」

「……えっ?」


 妻と娘の爆弾発言に夫は顔色を悪くし、冷や汗をかく。姉につられて泣いたり、走ったりと沢山運動したオリは父親のズボンを掴んで、立ったまま舟を漕いでいた。




 派出所を目前にして、急にヴェルザの鼻の中がムズムズしてきた。何とか堪えられないだろうか、くしゃみの勢いで籠の野菜が地面に落ちてしまうかもしれない。とりあえず片手で口元を塞いだところで、くしゃみをした。良かった、掌に唾はついてしまったが鼻水や鼻糞は鼻から放たれることはなかったようだ。そういえばリューパに差し出したままで、ハンカチがない。唾のついてしまった手で色々な所に触れないように気を付けながら、ヴェルザは派出所の中に入る。


「ステルキ准尉、只今戻りました」

「……ふん、町の人間に媚ばっかり売って御苦労なことだな」

「まだまだ新入りの余所者ですから、この町に馴染もうと必死なんです」


 ブルタズ軍曹の嫌味に臆することなく言葉を返して事務室を通り過ぎて、籠に入った山盛りの野菜を荷物置き場に置いて、洗面所に向かい、汚れた手や顔などを手早く洗う。そうしてから事務室に戻り、帽子をとって、ヴェルザは着席をする。彼女の飄々とした態度が気に入らないブルタズ軍曹の大きすぎる独り言を無視して、中断していた報告書の作成を再開した。

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