5※

"OTOME"の文字がネオンチューブで青く光るピンクの扉を開くと、黒のバケットハットを深く被り黄色地の柄シャツを着たレイがこちらに向かって手を合わせた。


「おっつ~。今日もご愁傷様~。ほんと黒しか着ねーなー。」


「ご愁傷様って何なのその挨拶。」


「え?こいつまじ陰気臭くて葬式みたいじゃないっすかー。」


カウンターの中からBARのオーナーであるマサミさんが声を上げて笑う。


「うっせー。」


私はレイを小突きながら赤いカウンターチェアに腰掛けた。ピンクがかったショートボブを揺らしたマサミさんからおしぼりを受け取ると、やっと息ができたような安堵感を得ることが出来た。ここは歓楽街の裏路地にあるビアンバーだ。店内はほの暗くカウンターには6つの椅子が並んでいる。奥にテーブルが2台とそれを囲うようにコの字にソファが置かれ4、5人のグループでも利用できるようになっていた。


「スー。お疲れ様。何にしよっか?」


「テキーラ3つで!」


注文をしようと口を開いたところでレイが割り込んでくる。すかさずマサミさんが口を尖らせた。


「あと1つ誰が飲むのよ。」


「もちろん姐さんでしょ!全部スーに付けといてください!」


「私は嫌よ~。」


「またまた~。」


勝手に決めるなと怒ってみせると2人は弾けるように笑った。ここには誰かが押付ける普通もしがらみも無い。何かを取り繕う必要も無いし、本名も年齢も本当の事など何も分からない。ただこの空間で起こったことだけが全てであり、それがたまらなく心地良かった。


「ごちでーす。」


レイの音頭でショットグラスを合わせ、それぞれがテキーラを一気に流し込む。体内に液体が駆け落ちたところから熱くなった。レイが苦悶の表情を浮かべながらライムを齧る。


「うぇー。こんなんパカパカ飲むやつの気が知れんわー。」


「人の金だぞ。ちゃんと味わえ。」


「そうよ。私だって付き合ってあげたのに。」


「姐さん何だかんだノッてくれますよねー。そういうとこ好きっすー。」


「あら、ありがとっ。私もそういうレイの素直なところ好きよ。」


「またまた~。」


「うん、やっぱ勘違いだったかも~。」


「ちょっと!」


レイの悲痛な叫び声が店内に響く。マサミさんと目を見合わせて笑った。段々と体がほぐれていくのが分かった。それと同時にこんなに強ばった体で生きていたのかと気付かされる。


「お前今日何してたん?また自家発電?」


レイが電子タバコの煙を吐き出しながらこちらに問いかける。


「してねーし。人妻とデート。」


「「はぁ!?」」


2人の驚嘆の声が重なり合う。


「姐さんやべぇっすわ。こいつまじで、むっつりっすわ。」


「スーはそっち路線だったのねぇ…。」


驚嘆から一転してなじるような視線にいたたまれなくり、ただ買い物に行っただけだと言い直した。


「てか、お前その格好で行ったん?」


「うん。」


「まじかよ!どこ行ったん!?」


「モール。」


「まじでぇ!?やべぇ!腹痛てぇ!」


レイがゲラゲラと笑う。


「浮いたべ?」


「うん。」


レイはさらに手を叩いて笑った。今日の私のいでだちは、黒の革靴に黒のレザーパンツ。そして更に上は黒のオーバーサイズのワイドシャツである。革靴の飾りの金に合わせてアクセサリーも金にしてきたがむしろそれがいけなかった気がする。陽さんもよく何もつっこまなかったなと思う。


「ちょっ、おまっ、歩くレズビアンじゃん。もうちょっとマシなのあったべっ。」


レイはお腹を抱えて尚も笑い続ける。おかしくてたまらないようだ。


「なんかうっかりしてた。」


「浮かれ過ぎやろ!こいつそういうとこありますよねぇ。」


マサミさんがうんうんと頷く。


「逆にそういうところがいいんじゃないかしら?」


「えぇー?母性がなんちゃらみたいな?」


「そうそう。スー見てるとなんかぎゅーってしたくなるもん。」


「ええー?それは姐さんだけなんじゃ?」


「なぁにぃ?」


レイはマサミさんにギロリと音が聞こえそうなくらい睨まれる。すんませんと弱った顔を見せた。


「で、ヤッたん?」


「やってない。」


「ヤるん?」


「知らん。」


「いや!ヤるなし!捕まるぞ!」


逮捕にはならないでしょとマサミさんがクスクスと笑った。


「ふふっ。なんかドキドキって感じで良いわねぇ。若いなぁ。」


「姐さんも若いじゃないっすかぁ!」


「あらほんとぉ?まだいけるかしらっ。」


「ええ!はい!もう!すっごく!ほんとに!」


「レ~イ~??」


「はははー。ちょっとお花を摘みに行きましょうかねぇ…。」


レイが笑顔を引きつらせながら椅子から降りようとした時、出入口の扉に付けられたベルが鳴った。一斉に振り向くと姿を現したのはミコだった。


「ママぁ、ただいまぁ!2人ともお待たせぇ。」


マサミさんがおかえりと微笑みながらミコにおしぼりを手渡す。

"スー"というのはミコに付けてもらった。

"一輝"という漢字表記から一等星を連想したらしく、そこから"スター"となり"スー"となった。誰も呼んでいないあだ名を付けたくなったらしい。結局今では皆が私を"スー"と呼び、私も"スー"と名乗るようになった。最初は違和感があったが夜に出会った人しかそう呼ばないので特別感があって何となく気に入っている。

土曜日はクラブハウスを貸し切ったガールズオンリーイベントが数件開催される。イベントに行く前にこうして乙女で集まって飲むのが私達の習慣になっていた。

ミコは私の左の椅子をこちらに寄せてきて座るなり、首に腕を回してきた。白地で袖に大きな赤い薔薇が刺繍された長袖のクロップドトップスから覗いた左手首をちらりと見ると、真一文字の古いケロイドが幾つも刻まれている。その中に紛れて、まだ赤が滲んだカサブタのものが数本あった。また増えたようだ。


「へへっ。すぅちゃぁん。あれぇ?右の軟骨ぅ、ピアス増えたぁ?自分で開けたのぉ?いつぅ?2週間前はなかったもんねぇ?」


首に絡みつきながら軟骨に新しく3つ開けたピアスを容赦なくつまみ上げてくる。


「ちょっ、まだ安定してないから、痛いって。」


「あははっ。痛くしてるぅ。」


「スーは痛いの好きなむっつりだもんなー?」


レイがこちらを見ずに頬杖をつきながら茶々を入れてくる。どこを見るともなしに開かれた目はぼんやりとしている。酔いが回ってきたのかもしれない。


「ママぁ!クライナー4つぅ!」


「4つ…。そろそろ大人な飲み方がしたいわ…。」


マサミさんはそう呟いてディスプレイクーラーから色とりどりの小さな小さなウイスキーボトルのようなものを取り出してきてくれた。


マサミさんは液体が透明の物を私は白、レイはエメラルドブルー、ミコは深い赤紫色の小瓶を持つと可愛らしい小さなキャップを開ける。


「クライナーしか勝たぁん!かんぱぁ〜い!」


何と戦っていて何に勝つのかよく分からないが、それぞれがミコのボトルに向かって自分のそれを合わせる。そして、口内に一気に流し込んだ。途端にお菓子のような甘さが広がっていく。


「スーはほんと、あまったるいのが好きだよなー。」


「ミントとかコーヒーとか好きそうに見えるわよね。」


「そんなところも可愛いぃ。」


ミコが腕に絡みついてくる。眉の辺りで切り揃えられた漆黒の前髪が揺れる。土曜日の夜だけは生きた心地がした。何も着飾っていないそのままの自分でいられる、束の間の一時だった。




「うぅ、やっぱり夜はちょっと冷えるわね。」


お見送りに出てきたマサミさんが肩を震わせる。インディゴブルーのフレアパンツにベージュの丸首のシャツをゆったりと合わせている。シャツが薄そうに見える。4月も下旬になるが朝晩はやはりまだ冷え込む。


「ママぁお酒足りてないんじゃないのぉ?うぉううぉうぅ!」


ミコのうざ絡みが始まる前に腰を抱き寄せる。よろめきながらこちらに体重を預けてきたミコが耳元で囁く。


「そうゆうのほんとずるい。」


ほんのり頬を赤く染めたミコが紫がかった瞳でじっとこちらを見上げてくる。猫のように跳ね上げられたアイラインに赤いアイシャドーが輝く。肩甲骨の辺りまで伸びたポニーテールが揺れる度に官能的な甘い香水の匂いが香り立つ。


「ミコー。そんなに脚出して風邪ひかないでよー。」


「大丈夫ぅ。すぅちゃんがあっためてくれるってぇ。」


ミコはタイトな黒のレザースカートに黒の厚底のショートブーツを合わせていた。ヒールが無ければ私の胸上くらいの身長だが、今日は私の耳元くらいになっていた。


「おまたー。姐さん冷やしちゃいけんぜよ。」


トイレに行っていたレイがマサミさんにカーディガンを掛けながら戻ってくる。


「あら、気が利くじゃない。」


「めっちゃ匂い嗅いどきましたぁぁっ!!」


「きもい。」


言いながらミコがレイの黒地に花柄の刺繍が施されたスニーカーの踵を蹴る。


「ありがたき幸せっ!」


レイはミコに向かって勢いよく手を合わせた。ミコはまた気に入らないというような顔をしている。


「むっつりはどっちだよ。まじで。」


レイは両方の掌を上に向け肩をすくめる仕草をした。口をわざとらしくへの字に曲げている。中々に苛つく表情だ。


「マサミさんありがとうございました。冷えるのでもう大丈夫ですよ。楽しかったです。」


「はーい。ありがとう。楽しんできてね。」


マサミさんは笑顔で手を振り送り出してくれた。


星も見えないネオン輝く街。ここでは誰も私達を気にとめない。容赦なく視線を浴びせてくる者も振り返る者も潜めいた声も何も無い。その代わり、孤独が寸分違わぬリズムで後を付けて迫ってくる。アルコールで焦燥感を飲み下し高揚感を手に入れても朝はいつでもやってくる。


「ねぇ、タクろぉ。」


冷えたミコの指先が手首に食い込む。その提案を否定する者は誰もいなかった。夜は短い。私達は同じ孤独を抱えている。


クラブハウスの重厚な扉を開けて体を滑り込ませると、中は人の熱気で溢れ返っていた。甘ったるい香水と煙草の煙が入り交じった匂いが全身を包む。鼓動までかき消すような重低音に全身の毛穴が開く。バーカウンターでレッドブルウォッカをもらい3人で乾杯した。ここからは単独行動だ。それぞれがそれぞれの気になる女に声をかけたりかけられたり、一夜の楽園を楽しむ。透明なプラスチックのコップに付いた水滴と不規則に浮かび上がっては消える気泡が極彩色の光を受けて輝く。


会場は2階までが吹き抜けになっており、3階はサブのDJブースがあった。そこには何人かが座れるようにソファが置いてあったが、既に女同士のカップル達が占領していた。

2階では1階のフロアを見下ろしながら煙草を吸うことができた。喫煙スポットも女達でごった返している。肩をすぼめながら中に進み、何とか灰皿に近い空いているスペースを見つけることが出来た。着いてきたレイが早速ホルダーにたばこスティックをセットしていた。こういう時電子タバコは便利だなと思う。よろけてきた女の髪に引火する心配がなく灰も出ない。しかし、紙巻煙草には無い特有の匂いが苦手で乗り換える気は更々なかった。


「今羨ましいなって思ったべ?」


レイが美味しそうに煙を吐き出しながら聞いてくる。乙女にいた時よりも声のボリュームを上げている。いるかと言うようにホルダーを差し出される。私は手を振っていらないとジェスチャーした。レイは唇を突き出し面白くないというような顔をする。特大のスピーカーから流れる音が爆音なのでどうしてもジェスチャーが多くなる。私はクラッチバッグから黒いパッケージのボックスを取り出して、そしてこれまた黒いフィルターの煙草を抜き出した。銀色に輝くジッポで火をつける。


パッケージには悪魔のようなキャラクターがこちらを見てニヤついてるイラストが描かれていた。ライターにもそのキャラクターがプリントされている。もうずっとこの銘柄を愛好している。煙が重く鼻からチョコのような香ばしい香りが抜けていくのが好きだった。そして何よりもこのフィルターには甘味料が付けられており、唇が甘くなるところが1番気に入っていた。


「うわっ、匂ってきた。あっまぁ!」


レイが大袈裟に声を上げた。私はこれみよがしに煙草を差し出した。いらんわと大声で突き返される。レイはメンソールを好むので私の煙草は甘くて気持ち悪いと言われる。


「じゃあ、キスする?」


レイの肩をつかんで耳元に口を寄せる。今なら唇が甘いよとおどけて見せる。レイは驚いた顔をしていた。


「ばっかじゃねぇの!何お前、酔っ払ってんの?」


ハットを目深く被っても怯えているのが伝わってくる。レイに悪いので声を噛み殺して笑った。気分が良い。生きている心地がする。ここは自由だ。辺りを見渡しても下を見下ろしても同じ境遇をもつ女しかいない。

そこかしこにベタベタくっついて乳繰り合っている女達の姿が見えた。絶景だ。レーザー光線に煙をくゆらせ音に合わせて体を揺らす。コップの中身を一気に飲み干した。


「なあ。ミコ、増えてた?」


レイが心配そうにこちらを見上げてきた。ミコのリストカットを心配しているようだ。出来ているケロイドは細く、新しい傷も命を脅かすような深さではなさそうだったことを伝える。


ミコのリストカットは今になって始まったものではない。出会った時から左腕は痛々しかった。衝動的なところがあるので私達はひやりとさせられることがあった。慢性的で常習化した痛みは、今では最早痛みですらなくなってしまっているのだろう。

依存的に己に刃を突き立てるミコに何をしてあげられるのか、時々こうして2人で考える。しかし答えはいつも袋小路だ。

結局私達は赤の他人でしかない。押し付けられることを極端に嫌うミコを思い通りに動かすことなど出来るはずがなかった。それよりも厚かましく世話を焼いて嫌われて目の前から姿を消されることの方が私達にはよっぽど恐ろしく、たとえ傷が増えていてもこうして定期的に顔が見られるだけマシだった。


「これ、やる。」


そう言って半分も飲んでいないコップを押し付けて、レイは女達の中に紛れて消えた。人一倍飲酒を煽るくせにあまり酒が強くなかった。飲みきれなくなるとこうしてこっそり私に押し付けるのだった。乙女で摂ったアルコールで今日の摂取可能量は終了したのだろう。自分で飲酒量をコントロールできるあたり好感が持てる。レイからもらったアルコールも一気に流し込み1階に降りた。


バーカウンターでジーマのパンクレモネードをもらい、DJブースに近寄る。ピンク色の液体が青色の光を浴びると怪しく煌めき可愛いらしい。一口口に含むと細かな泡が口の中で弾けた。頬に熱が集中している。音に身を任せ体を揺らすと息が上がっていく。自然と口角が上がる。この瞬間の為だけに日々をこなしていると言っても過言ではない。全神経が解放されていくのが分かった。とても楽しい。

肩が触れるか触れないかの距離に知らない女の肩が並ぶ。時折体が触れ合うとはにかんで笑い合ってみたり、束の間手を取り合って踊ってみたりした。

全員他人のはずなのに満員電車のような孤独感はなく、誰もが誰かを意識し合う視線や熱が渦を巻いていた。



服の裾を引っ張られたような気がして振り返った。するとそこにはセミロングの毛先を緩やかに波打たせた女の子が立っていた。だぼっとしたシルエットの白のパーカーにレオパード柄のロングスカートを合わせている。袖から指先だけ覗かせしきりに前髪を触っている。目は伏せられ、鼻先は可愛らしく丸みを帯びていた。

首筋に手をかける。触れた髪は細く柔らかい。腰を屈めて彼女の耳に今にも触れるか触れないかの距離にまで唇を寄せ、低く喉を鳴らして問いかける。


「どうしたの?」


「キス、してもらえませんかっ…。」


レッドブラウンの口紅が引かれた唇が開かれて紡がれた声はか細く震えていた。

背筋を戻し後ろを見やると4、5人のグループが固唾を飲んでこちらを見守っているのが分かった。大方、じゃんけんの罰ゲームか何かだろう。周りと比べて頭が一つ分浮き、1番目立つ私に声をかけてきたに違いない。好奇な視線を受けると後悔させてやりたくなる。この日を恨む程に。

アルコールで緩くなった理性がサディスティックな情欲を湧き出させる。それはむくむくと心に充満した。

事態を把握した私はまた彼女に問いかける。


「本当にしたいと思ってる?」


「はい…」


躊躇いがちな返事が気に入らない。今にも泣き出しそうに瞳が揺れている。


「ごめん、煙草吸ってきちゃった。」


不安と安堵が入り交じった吐息を孕ませ、え?と彼女が聞き直す。瞬間、首筋に回した手に力を込めて引き寄せ、中途半端に開かれた口に容赦なく自分のそれを押し込んだ。彼女が慌てて私の肩を掴むと、細い指先が食い込んだ。

離れ際に下唇の内側の柔らかいところに軽く歯を立てた。離れると彼女からふわっと力が抜けるのが分かった。慌てて腰に手を回し支え、彼女が帰るべきグループにウインクした。だが、皆固まっていて誰も迎えに来そうにない。そもそも私の渾身のウインクが見えなかったのか、若い子には伝わらないのかちょっと恥ずかしくなってきた。そうこうしているうちに彼女がふわりと私の首に腕を回してきた。柔らかな胸が私の体を押し返す。


「今日いつまでいますか?」


切なげに湿った声が私の耳をそっと撫でる。


「帰らないよ。」


そう答えると彼女は私の頬に自分の頬を愛しそうに寄せてきた。背伸びしたつま先がいじらしい。

私から離れると名残惜しそうにこちらに手を振ってグループに戻って行った。グループからは甲高い声が上がった。彼女の熱を流し込むように瓶に入ったピンクのリキュールを空にした。


煙草を吸おうと左側の壁に体を引きずりながら階段を上っていると、右側から足が伸びてきて通路を塞がれる。ライトに照らされた厚底のショートブーツが黒光りしていた。驚いて顔を上げるとミコがいた。頬を真っ赤に染め上げて嬉しそうに目を細めている。あれから相当お酒が入ったようだ。


「すぅちゃあぁんっ。飲まされたぁ。」


半ば倒れるようにしてこちらに体を預けてくる。ミコもあまり酒が強い方ではないが、こちらはレイと違って記憶が無くなるまで飲む。最後は決まって便座か地面と友達になっている。今日も限界が近そうだ。


「ミコちゃぁあんてばぁっ!」


階段下から金髪をショートカットに刈り込み前髪を上げた者が猫撫で声でミコの名を呼ぶ。私の姿を確認するなり舌打ちをしたのが見えた。通りすがりざまに肩をぶつけられた。体勢を崩さないようにミコの体を支える。


「あいつしつこぉい。」


ミコは私の腕に頬を埋めて目を閉じながら笑っていた。


「今日リョウさんは?」


「リョウぅ?誰それ?」


先月、ミコと付き合いだした彼女のはずだが明らかな嘘をついてすっとぼけている。二人の間に何かあったのかもしれない。ミコの血が滲んだ傷跡が脳裏を過ぎる。


「ねぇ?この後どう?」


ミコが甘えるようにこちらを見上げて聞いてくる。


「今日は…無理かな…。」


「女ぁ?」


腰に回された腕に力がこもり、ぎりぎりと内蔵を締め上げられる。苦しくなり眉をしかめるとミコは嬉しそうに笑った。


「あたし3人でもいいよぉ。でも4人は嫌ぁ。レイはなんか童貞くさい。」


ケラケラと声に出して笑う。


「ねぇ、久し振りにアミちゃん見たいなぁ。」


ミコはゆっくりと私の左太腿に手を這わせる。それはまるで本物のヘビのようにゆっくりとしていて何かを狙っているかのような手つきだった。

アミちゃんというのは私のアミメニシキヘビのタトゥーをミコが勝手にそう呼んでいる。小さい頃に夢に出てきた白くて長い蛇が忘れられずに彫ってもらったものだ。


「あたしも同じ所に同じタトゥー入れてもらおうかなぁ。」


そう言いながらミコが2つに分かれた舌先を覗かせた。私は驚き、息を飲んだ。いつの間にやったのだろうか。前回会った時は舌にはピアスだけだったはずだ。絶句した私を見てミコは嬉しそうに口角を引き上げる。


「ねぇ、ヘビみたい?」


ミコの手はパンツのチャックに伸びる。それでも私が何も言えずにいると内腿をぎゅっとつねり上げられた。


「つまんないっ。」


ミコは私の体を壁に叩きつけ、ゆらゆらと階段を上って行く。何と声をかけたら良いの戸惑っているとバケツハットが凄い勢いで私の横を通り抜けて行った。


「ミコ!ドリンクチケットもらった!何か飲みに行こうぜ!」


「はぁ?うざい!」


「そんな事言わないで付き合ってくださいよぉ。」


悪態をつきながらミコはレイと階段を降りてくる。口から重い息を吐き出す。すれ違いざまにレイが目で合図をしてきた。助かった。肩の荷が降りたような思いだ。安堵で胸を撫で下ろしてしまう自分自身が嫌だった。

時々、ああしてミコの勢いに飲まれて肌を重ねることがある。しかし今日のミコは酷く暴力的で手に負える気がしなかった。レイは何だかんだ上手く言ってきっとソフトドリンクを飲ませるのだろう。頭が上がらない。ミコに必要なのはきっと私ではない。ミコといると2人で底なし沼にハマっているようなどうしようもない気持ちになった。

体の力が抜けて思わず階段にへたり込む。ずるい自分が嫌で壁に頭を打ち付けた。頭よりもつねられた内腿がヒリヒリと痛い。ミコが存在を主張して泣き叫んでいるようだった。

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