第30話 奴隷船襲撃とラビットの子守歌
8月、提督の艦隊は西インド諸島・カリブ海近海を目指して進んでいる。デイヴィージョーンズ号が囮として先頭を帆走し、離れて様子を見ながら艦隊が進んでいるのだが、このあたりになると暑さで水分が恋しくなり、水の補給が急務だった。デイヴィージョーンズ号だけでなく提督の艦隊も新鮮な水を得られる場所を探していた。
「おや、あれは奴隷船だな。スチーブンソン君、どう思う」
望遠鏡で水平線上の船を見ていたグリーン副長が確認を促すとフレッドが望遠鏡を手に取る。望遠鏡で見えたのは三本マストでスクエアセイル(四角帆)、砲門まで備えられた船だ。甲板上で働かされている人員の様子から奴隷船と見て取れる。まだはっきりと見えたものではないが、多くの黒人たちが働いている。恐らく足を鎖でつながれたまま強制労働させられているのだろう。彼らはアフリカ大陸から拉致され、新大陸やあちこちの島のプランテーションで奴隷として売られるのだ。
「バリケード(船内の奴隷が上がってこないように棘や銃が備わっている)があれば間違いなく奴隷船でしょう。フランスの旗をあげているようですが」
ついこの間まで大耳ニコラスと一緒によく行動していたフレッドだったが、さすがにグリーン副長が乗り込んでいるとなると素直に指揮下に入らねばならないだろう。ニコラスもそのことは十分に承知していた。
(まあ……上官がこの船に乗ったとなるとつかず離れずに上官の命令を聞くのは当たり前だろうが、シェークスピア君、忘れちゃいけねえよ。この船は軍艦じゃなく、海賊船だということをな)
そんなニコラスのつぶやきに気付くでもなく、フレッドはグリーン副長と話をしている。そのそばで聞き耳を立てて次第に表情が曇っていくラビットがいた。
ラビット自身も奴隷船で運ばれていた。だからその船が奴隷船であることはわかっている。船の中に奴隷たちが鎖でつながれ、食事とは言いがたいものを食べられるのはまだよく、食料が少なくなれば乗組員に優先され、奴隷の分はないということもままあった。排泄も垂れ流しでそこから来る赤痢などの病気が蔓延し、長い航海途中に死んでいく奴隷もいた。そして病気の奴隷は真っ先に海に捨てられた。ラビットが逃亡したときは痩せすぎていた体だったので、足につながれていた鎖から足が抜け、そのチャンスを得てラビットは海に飛び込んで”青ザメ”に救われたのだ。
あれ以来”青ザメ”は奴隷船とかかわっていない。
「諸君、航海途中にこのような船に遭遇した場合、どうするかも命令のうちに入っている。海軍としてならこれはやり過ごすだろうがこの船は海賊船だ。あの船を拿捕しようじゃないか」
グリーン副長が連中に話すと期待したほどの歓声はなく、連中は静かに持ち場へ就いていく。デイヴィスはその様子をずっと伺っていた。
「ニコラス、海軍殿は自分たちの手を汚すのは好まないようだな。マリサが人身売買に嫌悪感を抱いている手前、俺たちも奴隷船を襲撃することはラビットのとき以降なかったが、命令とあらばやるしかねえな」
デイヴィスはニコラスのそばで動向を見ている。白兵戦になったら右手にうまく力が入らないデイヴィスは不利だろう。
「
ニコラスの言葉にデイヴィスは珍しく笑う。
「海軍との関係はマリサがつないだものだ。海賊(buccaneer)ということで総督のお墨付きをもらってはいるが、俺たちは海軍に利用されているんだよ。よく今までこんな関係でやってこれたもんだ……では海軍殿の指示を聞こうじゃないか」
そう言って二人は操舵を続けている。
マリサとは言えば、いつもの
「マリサ、これは命令だ。君の主観は胸にしまっておくように」
マリサの様子に気付いたフレッドが声をかける。それを見てグリーン副長が
「……承知したよ、海軍様」
グリーン副長のあの視線はマリサの脅威だった。そもそもマリサには彼にそのような視線を送られる筋合いがなかったのだが、前回と同様にマリサに対して敵意のある視線を送っているのだ。マリサはわざと視線をそらした。
「旗をあげろ!奴隷船を停船させる」
グリーン副長が声を上げる。海軍が海賊旗を掲げるように言うとは皮肉だ。いったいどんな立場でものを言っているのかとブツブツ言うマリサのそばで連中が旗を揚げる。
船が海賊旗を揚げるや否や奴隷船が戦闘態勢に入った。甲板上にいた奴隷たちが船内へ追いやられる。金となる奴隷を戦闘で傷つけたくないのだろう。その奴隷船は砲門が開き攻撃を仕掛けてくる様子で、オルソンをはじめとする砲撃人員は言われるまでもなく砲撃の準備をしている。沈めるのが目的ではないときの砲撃は何度も経験したことだ。操舵をニコラスとデイヴィスに任せ、あとは白兵戦だ。
「ラビット、お前はこの船に残って奴らから船を守れ。奴隷船に乗り込んだら逃亡奴隷として捕まるぞ!」
マリサが言うとラビットは頷いて船内に入った。砲撃の方に回るのだ。
ズドーン!
第一発が奴隷船側から撃たれた。水柱があがり、デイヴィージョーンズ号が大きく揺れて甲板にいる連中がふらついたり倒れこんだりした。
ズドーン!
第二発が奴隷船から撃たれる。白煙とともにデイヴィージョーンズ号に衝撃が走り、欄干が破壊された。
ズドーン!
今度はデイヴィージョーンズ号から一撃。オルソンが指示を出し、連中が『丁寧』に砲撃をする。主計長のモーガンがもったいないというので無駄にせず、的確に狙う。この一撃が奴隷船のメインマストに命中する。崩れ落ちるマストや帆に甲板上の人員が逃げ回る。
ズドーン!ズドーン!
喫水線を狙ってデイヴィージョーンズ号が威嚇射撃をする。これを受けて奴隷船が左舷側に大きく傾いた。その際傾いた船から海に落ちる乗組員もいた。それにしても中にいる奴隷たちは恐怖だろう。
「乗り込むぞ!奴隷船は守備メインだ。戦闘態勢が崩れているうちに手中に収めろ」
グリーン副長の掛け声とともに船を近づけロープを使って連中が乗り込んでいく。気が乗らないという顔をしながらフレッドの後を追って乗り込むマリサ。すかさず上級乗組員を見つけるとサーベルで彼の手から剣を跳ね飛ばし銃を突きつける。
「フレッド、フランス語を話せるなら彼に船長ところまで案内するように言ってくれ」
マリサが言うとフレッドがフランス語で乗組員に言った。すると乗組員はおどおどしながら頷き、銃を突き付けられたままマリサとフレッドを案内した。フレッドは周りを警戒しながら二人とともに船内へ入る。
船内に入ると強烈なにおいが漂った。それは奴隷たちのいる下層の船室からだった。船室と言っても部屋という形ではなく、低くて横に広い場所に鎖でつながれた奴隷たちがひしめき合っているところだ。奴隷たちの白い眼が一斉にマリサ達を見つめる。それは生きることをあきらめたかのような眼差しだった。男たちはこの場に置かれ、女と子どもは船首側に押し込められる。大概の女性奴隷は乗組員の慰み者にされ、子をはらんだまま売られることもあった。
「フレッド、主観はだめだということだが、どう考えてもあたしはこんなのは乗り気じゃないからな。ラビットのことを考えたらやってられないよ」
ため息をつきながら船長のいる船尾側へ行くマリサ達。上級乗組員は船長室のドアを叩き、中へ入る。たちまち肉を焼いた香ばしい香りがした。船長は牛肉を焼き、豪華な食事中だったようだ。
「お食事中失礼します、船長殿。この船は我々イギリスの海賊がいただきます。あなたが素直にしたがっていただければ我々も紳士的に対応いたしますが、そうでなくば海へ放り込むことになりますがどういたしましょうか」
フレッドが落ち着いた物腰で話しかける。フランス語が分からないマリサは上級乗組員を船長のそばに追いやり銃を向けている。
おどおどしている船長は食事の手を止めると腰のサーベルと銃をテーブルに置き、上級乗組員もそれに
フレッドはその武器を受け取ると二人を甲板上へ誘った。
「……奴隷たちが粗末な扱いをされているのにこいつは豪華な食事か。奴隷たちのことを何とも思ってないんだろうな」
マリサがつぶやくがフランス人には伝わらない。
甲板にはグリーン副長が待ち構えていた。すでに制圧したとあって旗が降ろされている。グリーン副長の指示で二人は監視付きで狭い船室に監禁されることになった。フレッドはそのまま奴隷たちの様子を見に行く。健康状態など知るためである。
「戦闘でメインマストが折れてしまっている。このままでは満足に帆走できないだろう。ジャマイカまでこの奴隷船を中の奴隷ごと曳航することにした。あっちを見てくれ。我々の動きを見ていた提督の艦隊がこちらに向かっている」
グリーン副長が言う通り、遠く距離を置いていた艦隊が動きを始めている。
この船の奴隷たちは売主の国が変わっただけで助かるわけではないのだ。そのことにマリサがイライラしていたが、デイヴィージョーンズ号の方を見るとラビットが甲板上に上がっているではないか。気が気でないらしく大きく目を見開いてずっと奴隷船の方を見ている。
そこへ船内の奴隷の様子を見に行っていたフレッドが一人の男性奴隷とともに現れる。代表として何か訴えがあるとのことだった。しきりにその男はグリーン副長に訴えるが、彼の言葉は自分たちの母国語であり、さっぱりわからない。恐らく言葉も通じないまま鞭や足かせで強引に働いてきたのだろう。困惑するグリーン副長。そこへデイヴィージョーンズ号から奴隷船の方を見ていたラビットがマリサの知らない言葉で奴隷の男に話しかけ、そのまましばらく話が続いた。
「その人は労働でけがをしている奴隷がいるから医者にみてもらえないか、と言っている。その人は部族の首長だ。そしてそこの奴隷たちはおいらがいた村の人たちだ」
ラビットは泣いている。自分の村の人たちに会えたというのに彼らは売られてしまう。その先に過酷な労働が待っているというのにどうしようもできないことに胸が痛んだ。
「わかった。そのけがをした奴隷についてはハミルトン船医にまかせよう。そう伝えてくれ」
グリーン副長の決断によりハミルトン船医が呼ばれ、手当てをしていく。
ラビットはまだ涙目である。しばらく男の奴隷と言い合いをすると泣きながら船内へ入っていく。マリサは慌ててデイヴィージョーンズ号に移乗するとラビットのそばへ行った。
「おいらは父ちゃんと一緒に奴隷狩りにあって奴隷船に乗せられたんだ。おいらは足かせが合わなくてある日足が抜けてしまい、あの日海へとびこんだ。母ちゃんとは離れ離れのままだった。さっきの首長が言うにはあの奴隷船に母ちゃんが乗っていたけど病気が蔓延して死に、海へ投げられたそうだ……。もうおいらは一人ぼっちだ……なんで肌の色が黒いだけでおいらたちはこんなめにあうのだろう……こんなのは納得できねえよ」
そう言って声を殺して泣き続けた。
「ラビット、あんたには家族はいないのかもしれないが仲間はいるよ。あたしたち”青ザメ”の仲間だ……それではダメか」
マリサが声をかけるもラビットは返事をせずに泣き続けている。
奴隷船はその後、提督の艦隊に曳航されてジャマイカへ向かうことになった。奴隷たちはイギリス植民地で労働を強いられるのである。デイヴィージョーンズ号と提督の艦隊はジャマイカで合流することになる。
アフリカ大陸の奴隷は三角貿易で大量に新大陸アメリカや西インド諸島へ送られていた。それによって多額の利益を得ていたのは他でもないイギリスだった。
「フレッド、あたしは人が人を売り買いするのは二度とごめんだ。他の海賊はどうか知らないが、あたし達は身分も出自も問わない海賊だ。例え奴隷出身でも船じゃ仲間の一人だ。それがあたしの主張だからな」
マリサが言うとフレッドは頷く。しかしはっきりした言葉をかけないのはこれが命令で動いているからだった。
デイヴィージョーンズ号は近くの無人島で水を補給し、海賊共和国ナッソーを目指して帆走している。海賊が横行している海域まであと一歩だった。
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