第9話イライザ母さんとグリーン副長

 嵐を乗り切った拿捕船の売買や捕虜の引き渡しを国に委ね、デイヴィージョーンズ号はポーツマス港に入った。嵐による修理・メンテナンスと荷積みのため、しばらくの間停泊となる。フレッドは軍へ赴き、拿捕船と捕虜の報告と新たな命令書を受け取りに外出している。


 連中は舞踏会へ行くかのようにおめかしをして船を降りて行った。待ち人がいたり、なじみの店で飲んだりするからである。

 マリサも港へ着く前からそわそわして町娘のような服に着替えた。シフトドレス(シュミーズ)の上にコルセットをつけ、ペチコートやスカート、ジャケットにストールといったどちらかというと働く女性の服装だ。貴族社会のあのごてごてしたドレスは嫌いだったが、この庶民の服装は苦にならなかった。大好きな人が着ていたからである。さすがにこの姿のときはサーベルを腰につけるわけにはいかず、護身用としてさやに収めた短剣をスカートの下の足にくくりつけているわけだが、それでもこれがあの海賊だとは思えない仕上がりだった。髪をくるっと丸めて収めると

お土産を片手に馬車に乗った。


 馬車は半時ほど街中を走り、田園地帯へと入る。窓からみえる景色は水平線ではない。あたり一面に広がる畑と時おり見える家や納屋があるだけだった。マリサはその一つの家の前まで来ると親しみを込めてドアをたたく。

「イライザ母さん、帰ってきたよ、マリサだよ」

 その声に中からバタバタする音が聞こえ、やがてドアが開けられた。中から出てきたのは40は過ぎたかと思われる栗毛の女性だった。小綺麗に服を整え、落ち着いた物腰の女性、イライザである。

「ああ……神様、感謝します……」

 イライザは涙が止まらない。そして思い切りマリサを抱きしめる。

「あなたのことを祈らない日はなかったわ……お帰り、マリサ」

 イライザに勧められるまま、マリサは家の中へ入る。

「いつも心配かけてごめんね……ほらこれはお土産。略奪品じゃないから安心して受け取ってね」

 マリサはお土産が入った籠をイライザに手渡す。そこには南海の黒真珠だの、リネンの布だの、刺繍が施された靴下、そしてこの時代貴重な銀貨が入っていた。イライザはそれらを受け取ると何度も頷きながらそしてまた涙を流した。

「ありがとうね、マリサ。でも一番の宝はあんたよ。こうして無事に帰ってきてくれたことが嬉しいわ」

 イライザがこの時代、高価なお茶を入れ、しばらく平和的なお茶会が続く。



 イライザはマリサの育ての親である。デイヴィスが当時、ある領地を治めていたウオルターの屋敷からマリサをさらい、恋人であるイライザに育ててもらっていたのだ。子どもがいなかったイライザは夫に先立たれ、デイヴィスが時おり金銭的な面倒を見ていた。そしてマリサを預けてごく普通に女性として育ってほしいと思っていたのだが、マリサはいつしか海上での生活を選んでしまい、いまや頭目として連中をまとめあげる立場だ。


「ジョンは……ジョン・デイヴィスはいつ来るのかしら。一緒ではなかったのね」

 イライザはそういってため息を一つする。どこかさみしげだ。

「デイヴィスは船の修理に立ち会い、荷積みが済んだら来るはずだよ。ごめん、あたしは気持ちが焦ったから先に来た。それに……用が済んだらまた船に戻らないといけないんだ。向こうで軍の命令が伝達されるからね。”青ザメ”は今は海軍に協力することで友好的な関係を築いている。そしてもう一つの条件としてわけのわからない約束があるんだ。ウオルター総督はあたしと海軍士官の結婚をするように言ってきた。そんなのは知ったことではないけどね。なんでそんな条件をだしたのかわからない。」

「あなたを守りたいからだと思うわよ。海賊でいる限り、あなたは処刑されるか返り討ちにあうかだから。海軍士官と結婚すれば海賊をやめることになるでしょうからね。あなたの生みの親であるマーガレットはどちらを望んだかしらね」

 イライザが言っているマーガレットとはマリサと双子であるシャーロットの生みの母親であり、総督の亡き妻だ。

 そのマーガレットはウォルターの元へ嫁ぐ前に前頭目のロバートと恋に落ちたが引き裂かれ、2人を産むと産褥熱で亡くなってしまった。そんな事実をマリサは詳しく知らない。マリサにとって母はイライザ、父はデイヴィスであった。


 楽しいお茶会もすんだころ、ドアをたたく音が聞こえた。窓からみると馬車が止まっている。

「デイヴィスだ!」

 マリサは立ち上がってドアを開けようとしたが、イライザが駆け寄って勢いよく開ける。

「ジョン……ジョン……」

 そのままデイヴィスの胸に飛び込み、抱擁する。愛するジョン・デイヴィスの帰還に嬉しさで幾度もキスをした。

「今回はちょっと長い旅だった……お互いに元気で良かったな」

「マリサと二人分の心配をする側にもなってみて」

 そう言って笑う。会いたい人に会えた、一番の笑顔だ。

「じゃあ、デイヴィス、あたしは船に戻る。フレッドが軍から帰ってくるだろうからね。大丈夫、船の方はあたしがいる」

 マリサは二人の邪魔をしないように出発しかけていた馬車を呼び止めると再びイライザを抱きしめた。

「あたしにとって母さんはイライザだけだから……。大好きなイライザ母さんだけだから」

「私もよ……あなたは私の大切な子ども、マリサよ。だから必ず元気で生きてほしい。生き延びる道を選んでまた会いに来てね」

 マリサは何度も頷くと、慌てるかのように馬車に飛び乗った。

 デイヴィスもイライザも会えなかった長い時間を埋めるのだ。自分は船でやるべきことがある、ゆっくりしていられなかった。



 船に戻ったマリサは特に宿に泊まるでもなく……というより女性一人で泊まるような宿がなかったのである……船に泊まることにした。連中がいない船は怖いほど静まりかえっている。その状況にイライザとデイヴィスが育ての親であるといっても何かしら寂しさを感じられずにはいられなかった。

 甲板から港の街並みやほかの船をみつめながら時を過ごす。

「どうした、やけに寂しそうな顔をして」

 背後から声を掛けられ、驚いて振り向く。

「フレッド、帰っていたのなら先に言いなよ」

 人がいないと思っていたので思わず本音の顔をしていたマリサは少し調子を崩した。

「それは失礼した。僕も君が帰るほんの少し前に帰ったところだ。君が珍しい格好で帰ってきたから最初は不審な人物かと思って警戒したよ……でも……町娘の服装の君もなかなか良かった」

 フレッドのこの言葉、以前のマリサならひっぱたいていたところだ。

「それはどうもありがとう。馬鹿にするなよな、あたしだって用があるときはそんな恰好をするよ。今日は母さんに会いに行ってた。母さんはあたしの大事な人だからさ……さて、軍の命令を聞こうじゃないか」

 そういうとマリサとフレッドは船長室へ入る。デイヴィスがいない今、マリサの権限で使うことになる。


フレッドは船長室に入るなり、テーブルに紙を広げた。

「命令書の内容を話す。”青ザメ”にもかかわることだからよく聞いてほしい。我々は港に停泊している『爆弾ケッチ』(臼砲を備えてある沿岸攻撃破壊用帆船)1隻に乗り込み、スペインの植民地を攻撃することになった。その船の名はエトナ号。指揮しているのはスミス艦長だ。他に爆弾ケッチ一隻、フリゲート艦一隻、デイヴィージョーンズ号の編成だ。ところが海軍の人員だけでは足りず強制徴募隊でも集まらなかった。そこで”青ザメ”の連中を回してもらうことになった。このことはデイヴィス船長にも話してある」

「デイヴィスがいいって言ったならあたしは構わないよ……で、誰が乗り込む?」

 乗り込むといっても海軍の船だから操舵や見張りなどは自分たちでやるだろう。となると連中が手伝う仕事は帆の管理か。どちらにしても自分には関係ないと思っていた。

「デイヴィス船長から許可をもらったのはマンディ・スコット、トム・アンダーソン、オルソン伯爵、そして君だ」

 思わず手を止めてフレッドをみつめるマリサ。

「なんであたしが?軍の乗員に何と言って説明する気だ。あたしはまっぴらだよ」

 どう考えても女が海軍の船に乗るのはおかしいだろう。いや、それ以前に女海賊というのも珍しいのだが。

「じゃあ、連中にはマリサは海軍が怖くて乗船を拒んだ、と言っておく。それでいいか」

 このフレッドの言い方に機嫌を悪くしたマリサは小刀を手にフレッドに詰め寄る。

「いいわけないだろうが!乗るよ、爆弾ケッチの航海を手伝うよ。言っておくが爆弾ケッチ上では、あたしはただの新米手伝いだ。そういうことでいいよな」

「もちろんだとも。僕は爆弾ケッチに仕官として乗り込むことになっている。久々に海軍として動くからそのつもりでいてほしい。海軍の乗員が君に何か手を出すことがあったら即、糾弾する。では、僕は支度があるから失礼する」

 フレッドはそう言ってマリサの前から去った。


 マリサは海軍のあの規律の良さが苦手だったし、まさに男社会というなかに飛び込むのも気が引けた。女であることはどうしようもない事実だが、少なくとも”青ザメ”の中では自分も他の連中と同格に見てもらっている……ような気がする。だが、伝統ある女王陛下の海軍とあっては飾り物になるか慰み者になるだろう。どちらも望むべき姿ではない。デイヴィスはそのことを考えていったのだろうか。今となってはフレッドを信じるしかない。



 一週間後、”青ザメ”のひと時の休みが終わり、爆弾ケッチの出帆準備が整うと、フレッドと選ばれた”青ザメ”の連中が乗り込むことになった。マリサもなるべく目立たない格好をしておとなしく乗り込む。当のフレッドは本来の海軍士官の制服を着、見違えるようである。


 その名をエトナ号と名付けられた爆弾ケッチ。火山と同様に爆発するという意味のもじりであった。臼砲を備えるためフォアマストがなく、メインマストとミズンマスト2本だけで、沿岸部の攻撃に特化した船だった。17世紀後半にフランス人によって考えられた爆弾ケッチは、歴史が浅く、まだ知らないものもいるくらいだった。喫水が浅く、目的地の港や沿岸部を攻撃しやすい利点があった。

 マリサが思ったとおり、”青ザメ”の手伝い人員は帆の管理だった。いざというときは余る人手などないのだからそれはそれで納得がいくが、軍人たちと行動を共にするのは気が引けた。

 


「脱帽!」

 グリーン副長の声により、海軍の乗員たちが脱帽する。これからスミス艦長の挨拶だ。

「このエトナ号には女王陛下の海軍の諸君の他、”青ザメ”からも人員の応援部隊が乗り込んでいる。目的地の攻撃任務完了まで協力をしていってほしい。ただ……」

 50歳前と思われるスミス艦長は見習い水夫役のマリサをみつめる。できるだけ乗員の後ろにいて目立たないようにしていたが、やはりわかってしまうようだ。

「スチーブンソン君、あの女性はいったいなんだ?」

「見習い水夫のマリサであります。”青ザメ”の一員です」

 隣でフレッドがてきぱきと返事をする。それを聞いて一瞬表情が厳しくなるスミス艦長。

「諸君、この船にはレディーも乗船している。だからといって手を出すな、規律違反はむち打ちだ」

(むち打ち?噂には聞いていたがやはりそうなのか)

 驚きのあまり目を見開くマリサ。いや、それよりも周りの水夫の目が気になる。どう考えても注目されている。

「レディーがこの船にいることに動揺しているかもしれないが、それは君たちがいつも冷静でいられるか試されていると思いたまえ。これは試練だ。我々はこのエトナ号他女王陛下の艦隊、そしてデイヴィージョーンズ号とともにスペインのある植民地の港を叩く。君たちの日頃の訓練の成果を見せてほしい。伝統ある我々海軍が海賊と協力するのは今までにもあったことだ。彼らに負けるなよ。君たちに期待している」

「アイアイサー!」


 軍の規律は厳しく艦長の声に水夫たちは微動だにしない。しかしマリサはスミス艦長の隣でじっと自分に冷たい視線を送っているグリーン副長を見逃さなかった。マリサは殺気立ったものを感じる。

「着帽!」

 再び彼の声により帽子を被る。もちろん帽子がない連中はスカーフだが。



 解散となりながらも腑に落ちないマリサ。グリーン副長のあの眼差しは明らかに敵意だ、用心するに越したことはない。そしてそれをいち早く気づいたものがいた。デイヴィージョーンズ号で砲手長を務めるオルソン伯爵である。エトナ号でもその腕を見込まれて帆の管理ではなく臼砲の支援に回ることになっている。

「これは私の勘だが……彼は貴族だ。名前は偽名だろう。用心しておけよ。きっと何かやらかすぞ」

 オルソンは小声でマリサに話すと持ち場へついていった。



  言葉通り、あの男は何かを企んでいるだろう。しかし今は任務遂行が第一だ。迷っていては足手まといになる。スミス艦長の指示のもと、ここにあらたな作戦が始まったのである。



 


 

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