第17話 軛村ニテ神退治ノ事(六) 隠されるもの



 命からがら山を降りた熊吉は一目散に村長の屋敷へと走った。

 屋敷の前に辿り着いた時熊吉の息は絶え絶えで村長を呼んでくれと言うその一言を出すのにも苦労した。


 出てきた村長は熊吉のその慌てぶりと持っている汚れた着物を見てこれは普通では無いと感じ取ったのか、すぐさま居間へと通し熊吉への水を持って来させると誰もこの部屋へ近づけるなと釘を刺し襖を閉めた。


 振り返り様に村長が尋ねる。


「何があった?熊吉、死にそうな顔してんぞ。なんだその着物は?えれえ臭えな。」


 熊吉は先程見てきた一部始終を村長のすけに話した。

 木戸助は熊吉の話を何も口を挟まず聞いている。

 山神が人を襲うなんて堅物の村長はきっと信じないだろうな、とも思ったが見た事をそのまま話すしか無かった。


 すると着物を見つめ、意外な事を村長は口にする。


「お前が山に入ってる間にな、他の猟師からしらせが来たんだ、正一が山で消えたらしい。…お前が持ってるその着物よく見てみろ、ぎだらけで正一が着てたもんじゃねえのか?あいつのおっかあが破れるたびに縫い付けてたボロの着物じゃねえか。毛皮は、無かったか?」


 熊吉は頭を金槌で殴られたような衝撃に襲われた。


「正一が…喰われたんか。」



 うつむき、毛皮の質問に対して首を横に振る。


「そうか、一緒に喰われたか何処かに落ちてるか。お前が正一にやったんだろ?毛皮、あいつん家何もねかったから。」


 熊吉は目の前に置いている汚れた着物をまじまじと見た、逃げるのに必死で拾ってからここまでゆっくりと見る暇さえ無かったが確かに良く見るとそれは正一の着物だった。




 正一は若い猟師で巻狩りを始めたばかりのまだ年端もいかない青年だった。

 単独で猟をする熊吉とは余り顔を合わせる事も無かったがいつもボロを着ていて寒そうだったので猟師として山に入るなら、と毛皮をやった事を熊吉は思い出す。


 そして村長がこの凄惨な話を聞いた後もいつもと変わらず冷静な事に熊吉は少し不思議な気持ちになった。


 胡座をかき背筋を伸ばした木戸助は温度の無い声で静かに言った。


「この事は誰にも言ってはならねえ、見た事も、もちろん正一が死んだ事もだ。山神に取られたと思え。もし誰かに話したら…お前ただじゃおかねえからな、お前の嫁、名前なんてったか?ハルだったか?もうすぐ子供生まれんだろ?荒事にはしたくねえ。な?何も無かったんだ、熊吉、これからもいつも通り山に入れば良え、お前はこの村一番の猟師だろ、大丈夫だ、村の為に頑張ってくれろ、続けんだ、分かったな?」


 その言葉に熊吉は自分の耳を疑った。


「そんな事言ったって山神が人喰うようになったらこれからもそうなるぞ、どうすんだ?俺達を人柱にするっちゅうんか?」


 重たい沈黙が流れる。


 "人柱"という言葉に村長の眉が微かに動いたのが熊吉は気になった。



「…大丈夫だ、我々が何とかすっから、俺に考えがあるんだ。少し我慢してくれろ。」



 こんな事が許される訳が無い、と熊吉は語気を強めた。


「ふざけんな!正一が死んでんだぞ!あんなまだ若え奴が山神にガブガブと喰われちまったんだぞ!早く村の者に知らせねえと間に合わねえ。村長、おめえ何考えてんだ!」



「俺だってこれがおおごとだって事ぁ分かってんだ少し黙ってろ!…それとも何か?熊吉、お前が正一のかたきを取るってのか?山神に復讐すっか?出来るのならやってみ、雪丸貸してやっから、どうだ?うん?やんのか?どうすんだ!おい熊吉何とか言え!」


 鬼の形相で村長が怒鳴る。

 その言葉の意味を考えてから熊吉は唇を噛んだ、下唇は歯に力が入りすぎたせいで血がにじむ。



 それから村長は優しく諭すように熊吉に語りかけた。

「お前の気持ちは良く分かる、俺だって悔しいさ。正一、とてもえ子だったのに…そんな事になっちまって、怖かったろう、痛かったろう。だから俺達が何とかする、熊吉お前は家に帰って休め、疲れてんだろう?ゆっくり寝ろ。な?危なくないようにまたシノビ(猟)すんだ。」


「分かった。」


 熊吉は重くフラフラと覚束おぼつかない足取りで家へと戻る。

 何も言い返せないまま村長に言いくるめられた事も、俺が敵を取ると言えなかった自分にも腹が立って堪らなかった。


「おっとう…俺はどうしたらかった?」


 この世には居ない父親に尋ねる、しかし返事は帰って来なかった。


 薄曇りの空は今にも雨が降り出しそうだ。


 家が見えた辺りでポツリと落ちて来た雨が瞬く間に土砂降りに変わる、ずぶ濡れのまま立ち尽くしていると家の方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 ハルの姿が見えた時熊吉の感情が爆発した。涙が溢れて止まらない。泣き声を上げながらハルの方へと駆け出した。熊吉の泣いた所を見た事が無かったハルは驚いている。


 思わず熊吉はハルを抱きしめた、涙が止まらない。ハルは何が起きたか分からないまま優しく声をかける。

「どした?あんた何で泣いてんだ?他のもんに見られたら恥ずかいぞ?はようちに入んな。」


 熊吉は泣きながら「すまねえ」、と同じ言葉を何度も繰り返した。



 *


 先程の部屋で村長は煙管を吹かしながら物思いに耽っている。

 それから着物をつまむと裏庭に出て落ち葉を掻き集めるとそれを中に放り込み火を付けた。


そして

「あの時の地震かもしんねえな…」


 と呟いた。




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