化け猫をまつ

帆多 丁

1. 平笠と鎖骨と鼻

 妻は美しいひとでした。

 いや、過去形で語るのもおかしいですね。妻は存命です。

 美しいひとですよ。

 右目に猫の魂を、下腹に魔女の魂を抱えて妻は生きています。

 美しいひとですよ。


 さてですね、今から始まるのは私のノロケ話なんですが、お二方ふたかた、よろしいのですか? そりゃあ私にとってはなんだかんだ良い思い出ですし、話すにやぶさかではありませんが、他人のノロケなぞ聞いて面白いのです?


 ──そうですか。では、こっぱずかしくもありますが、こんなところで出会うのも何かの巡り合わせでしょうから、お迎えが来るまでの間、精いっぱい語らせていただきましょう。


 おほん。


 いま出会いだの巡り合わせだのと申し上げましたが、私と妻の出会いは痛みを伴うものでした。

 鎖骨と鼻が、ごつんと。


 忘れもしません、雨季が明けたばかりのカンカン照りの日でしたよ。私は内陸から港の方へと下っていましてね。盆地で買い付けた乳奈ヴスアーがなかなか良い値ではけた。


 あ、乳奈ヴスアーはご存じない? これは失礼をしました。あれは日持ちのする果物でして、ぐにぐにとてのひらで揉みこんでやってから、皮に切り込み入れて果汁を吸いだすんですよ。淡白な甘さで暑い日の渇きにもいいし、下り腹にもよく効くんです。かじっちゃ駄目ですよ? 皮が渋いんで、一日中ツバを吐いて過ごすハメになりますからね。

 で、その乳奈ヴスアー、本当は港で売るつもりだったんですが、さすがに熟れ過ぎの心配もあったもんですから、ここで売れてくれたのはむしろ運がよかった。

 それでまぁ気分も懐具合もよくなりましたし、なんか面白い物でもありゃしないかと、耳長馬みみながうまと荷車を知り合いに預けて、町なかをウロウロしてたんですな。


 そしたら、空にまるいものが飛んでた。

 ああ、平笠ひらかさか。誰かの笠が飛ばされでもしたのかね、と見てましたらこっちに流れてきますし、ちょうど私の頭に乗っかってきそうな塩梅でしたからね。これはあれだ、笠が頭にすぽんとまればちょっと面白いじゃないかって気分にもなりまして、それならこっちもしっかり迎えてやろうなんて考えまして。

 よーく見て、よーく狙って、それ。


 すぽん。

 ごつん。

「ぎゃ!」


 これが初めて聞いた妻の声でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る