喜劇とは不幸を眺めることである

注:映画『ジョーカー』のネタバレがあります。

 アーサー・フレックの物語は、本人も語っていたように喜劇コメディである。実際、三谷幸喜あたりがチェーホフを喜劇として演出される可能性がないではなかった。

 しかし、それは結局悲劇として提出された。

 例えば、本作の否定的な評に『作中ほとんどジョーカー業してない』というのがある。つまり、純然たるジョーカーとしての行為がオチのあれしかなく、他はアーサーの考えや思いの延長でに過ぎないということだ。

 そしてそれは、役者としてのホアキン・フェニックスの存在でさらに印象付けられる。そもそも『グラディエーター』や『ザ・マスター』の彼を想起してもらいたいが、あんまり楽しくなさそうというか、心ここにあらずという感じを受ける。

 だからこそ、アーサー・フレックの物語は、もととなったタクシーの運ちゃんや売れないコメディアンの物語とは違った結果になる。

 彼は、満ち足りた夢の住民になったのだ。

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