第76話 不穏は幸せの顔をしてやってきます

「どうかしたのか?」



 ネジはついたずねた。結界の外から帰ってきてから、ガリバーの様子が何かおかしかったからだ。



「ん? 別に」


「そうか? いつもと違うように見えるが」


「そう?」


「何かわるい虫に刺されたか? 毒消し草、いるか?」


「いらないよ。そもそもこの辺りの虫にはだいたい刺されたから、耐性があるしね」


「確かにそうだな。虫に刺されて死にかけたガリバーを三回くらい見たことがある」


「ほんと、よく生きているよね」


「生きていてもらわなければ困る」



 心配するネジをよそに、ガリバーはいつも通り呑気のんきそうである。思い過ごしだろうか。いや、しかし、何か嫌なかんじがしたのだが。



「温泉はどうだった?」


「よかったよ。おもしろかった」


「おもしろかった?」


「うん。言えないんだけど」


「言えない?」


「先生には言えないんだ。ごめんね」


「そうか」



 言語化できないということだろうか。確かに言葉というしばりの中で表現できないことは多くある。ガリバーもそういった経験を積んでいるということだろう。


 ずっと自分の手元で育ててきたからだろうか、知らないところで成長されるのは少しだけ不満である。いつ咲くのかを気長に待っていた花が少し目を離したすきに咲いてしまっていたような、そんながっかり感。


 いずれは手元からいなくなる。それは決まっていることなのだから、ガリバーは一人で遊ぶのはいいことだ。それは喜ぶべきことだとネジは思い直す。


 ネジがはっきりとしないもやもやを抱えていたところ、その気持ちをむこともなく、ガリバーはくすくすと笑いながら、近寄ってきた。



「ねぇ、先生、手を出して」


「何だ?」


「いいから」



 何か新しい不意打ちの方法でも考えたのだろうか。ネジに勝てないことを察してから、ガリバーはたまに不意打ちをしかけてくる。人間ならではの工夫に満ちたしょうもないやり方ではあるが、ネジはその発想を見るのが意外と嫌いではなかった。



「はい、プレゼント」



 しかし、ガリバーの行動は、ネジの予想とまったく異なった。



「プレゼント?」


「そう。いつもお世話になっているからね」


「そうか」



 渡されたのは鉱石である。ネジは鉱石が好きだ。人間のようであるが、いわゆる趣味。そのことはガリバーも知っているだろうから気を利かせてくれたのだろうが。



「これは、太陽鉱石の塊か。よくみつけたな」


「えへへ、まぁね」


「俺もいくつか持っているが、こんなに大きいものは見たことがない」


「うれしい?」


「あぁ、そうだな」


「やった!」



 ネジは、ガリバーほど無邪気ではなかった。太陽鉱石をどこでみつけてきたのかが気になったのだ。太陽鉱石は、特殊な植物と精霊の死骸が合わさってほんの一欠片が出来上がる。これほど大きい結晶が自然にできるとすれば、相当の大精霊が死んだに違いない。それはすなわちを意味する。


 しかし、この辺りにそのような大災害の跡はない。つまり、これほど大きな太陽鉱石はできないはずだ。


 ネジが考えているよりも遥か昔の代物だろうか。それが噴火か何かの拍子で地上に出てきた。最近の大きな噴火は50年ほど前だったが、あのときだろうか。


 もしくは、自然にできたものではないか、だが。


 疑念は絶えないが、手放しで喜ぶガリバーを見ているとそんな心配など無用に思えてくる。何の因果もないのに不思議なものだ。



「ガリバー、ありがとう。大事にするよ」


「うん。そうしてくれるとうれしいな」



 太陽鉱石を身体の中に取り込みながら、ネジはしみじみと思う。



「あと一年か。早いものだな」



 預かった頃は五年という月日が永遠に感じられたものだが、あと一年となるとあっという間だったと思える。時間というのはつくづく曖昧なものだ。



「そのことなんだけどさ。僕、ずっとここにいたらだめかな?」


「ここに?」


「うん。だって、もう食料も自分で調達できるし、寝床だって作ったし。小屋も今作っているしさ。人の町になんか行かなくたって、ここで生きていけるよ」


「それはだめだ」


「何でさ?」


「吸血鬼との約束だからだ。おまえの父親の願いでもある」


「そうかもしれないけどさ」


「人間は人間の里で暮らすべきだ。自然とも魔とも交われないおまえらはふさわしい場所にいた方がいい」


「むぅ。僕は、ここにいたいけどな」


「俺は騒がしいのは好かん」


「……そっか」


「そうだ」



 残念そうにするガリバーに対して、ネジはなるべくそっけなく応えた。情というものがある。もしも、彼がここにとどまりたいと思ってしまったら、彼にとってよくないだろう。


 あと一年。


 人間とゴーレムが共に過ごすという奇妙な時間としては長い、長すぎる時間だ。それで十分。惜しむようなものではない。ただ、花が咲くのを眺めるように、散るのを待とう。


 しかしながら、一つ、ネジは勘違いしていた。といよりも油断していた。彼は知っているはずであったのに。始まりが唐突ならば、終わりもまた唐突に訪れるということを。

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