第36話 氷上の疾走劇 その7なのです~大王烏賊~

 私はとても信心深しんじんぶかい方であるが、いのれば救われるという標語は信じていない。主はそこにいるだけで、手を差し伸べてくれることはないし、手を下すこともない。


 ここは舞台の上。


 主は、観客だ。私達がおどるのをただながめている。この舞台が成功するか否かは、演者の努力次第だ。私はそう考えて生きてきて、その考えはあながち間違っていなかったと思っている。


 今、この壮絶そうぜつな瞬間も主をうらむ気はない。


 だけど。


 

「カラスのばぁぁぁぁかぁぁぁぁぁあ!!」



 こいつのことは恨む!


 用意周到よういしゅうとうのような顔をして、行き当たりばったりで、無鉄砲むてっぽうで、よく言って、無茶苦茶だ。


 風の音が鼓膜こまくやぶりそうなほどの爆音で鳴っている。空は嫌いじゃない。ちゅうに舞ったときの浮遊感は心が躍る。けれども、自分の意思でなく、誰かにかかえられて放り出されたならば、話は別だ。



「カラスのあぁぁぁぁぁほほほほほほほぉ!」



 絶叫ぜっきょうに次ぐ絶叫。


 身体はへとへとなはずなのに大声は出るのだから不思議である。いや、そんなことどうでもいい。今は、この重力に見捨てられた身体が、無事に地面に受け止めてもらえるかが気が気でならない。


 ものすごい勢いで魔晶岩が近づいてくる。


 実際のところ一瞬のはずである。しかし、永遠に辿たどり着かないのではないかと思えるほど、浮遊している時間を長く感じた。


 お願い! 何も起きないで!


 私の祈りが届いたのか。


 それとも、移動速度が速すぎてどの魔物も手出しできずにいるのか。私達は、海の上をすべるようにして魔晶岩へとんでいく。


 岸が眼前にいたる。


 が、そのとき。


 ザバ!


 波が高くのぼる。白い波の中から現れるのは船食百足。もう何度も戦ってきた魔物。やはり最後の最後まで、立ちはだかるか。


 

「アリス!」


「わかってる!」



 言うと同時に、カラスは私の身体は上空に放り出される。反動でカラスは下へ。向かってきた船食百足のあごが、くうを切る。


 カラスは船食百足の胴に足をかける。私は、空で身体をひねる。上と下。私とカラスはほぼ同時に、剣を振るい、



「「邪魔だ!」」



 船食百足の体節を切り刻んだ。


 宙に舞った体節に足をかけ、私とカラスは跳ねた。痛みはあったが最後の一蹴ひとけり。


 遠かった。


 あまりに遠かったが、だけど、だけれども、走って、走って、走り切ったその先に、本当に魔晶岩はあって、私の足は、かちりと、しっかりと地面を踏みしめた。


 

「やった」



 こぼれた言葉が、吐息の中に消えていく。


 

「やったよね?」



 応えを求めない問いが地面にぶつかり跳ね返ってくる。そしてこみ上げる。胸の内側から大きな大きな形のない何かが、喉もとを震わせながら押し寄せてくる。涙となってあふれそうになるのを必死にこらえる。せっかくの達成感を零してしまってはもったいない。


 代わりにこぶしを握って、全力で叫んでやった。



「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」



 岩場に反響した叫びは、波を押しのけるのではないかとすら思えるほどにわんわんと響いた。



「何だよ、元気じゃないか」



 振り返ると、カラスがひざをついていた。相当疲れたようである。今ならば正面切って勝てそうだ。


 私は、ふんと胸を張って、カラスに笑みをみせてやった。



「どんなもんよ!」


「あぁ、さすがだよ」


「へへーん! 言ったでしょ、余裕だって。私にかかれば、このくらい何でも――



 そこで、私は言葉を失った。異変に気づいたからだ。カラスの足。そこに、何かがからみついている。


 

「っ!?」



 次の瞬間、カラスの身体は海の中に引きずり込まれる。いったい何が起こったのか理解できない。唐突とうとつな出来事に、頭がついていかなかった。


 しばらくして、私の疑問の応えは相手の方から現れる。海が急にせりあがったのだ。出てきたのは壁。壁としか言いようがない大きさの物体。


 無数の触手をもつその巨大生物は、伝説級と言ってもいいくらいの魔物。出会ったらそれは死のときと言って過言でない、その魔物は。



大王烏賊クラーケン!?」



 到底、人の相手にできる生物とは思えない。私からしてみれば、水槽幻馬ケルピーよりもよっぽどの恐怖を覚える。


 

「カラス!?」



 呼んでみたが応えが返ってこない。返ってくるとも思えない。けれども、死んだとも思えなかった。あのカラスが、死ぬなんて想像できない。


 助けにいくか? でも、どうやって?


 私が、一歩前に足を出そうとしたとき、



「動くな!」



 声が返ってきた。


 カラスが、海から跳び出てくる。大王烏賊の触手を斬って脱出したのだろう。しかし、逃げるには至らず、大王烏賊の上で格闘している。



「こいつは魔晶岩には手を出せない。奥にいれば襲ってこない!」


「でも、カラスが!」


「自分でなんとかする! そこで見ていろ!」



 カラスはきっぱりと述べる。だが、それは明らかに強がりだ。なんとか生きのびているが動きに精彩せいさいさがない。


 死ぬ。


 彼に比べればほんの少しであるが、先ほどまで死線をさまよった。だから、わかる。彼は死線から帰って来られない。向こう側に落ちてしまう。


 だめだ。


 何とかしないと。でも、私に何ができる?


 混乱した思考の中で、これまでの道筋がフラッシュバックする。その中に何か突破する鍵がないかと。氷の道をひた走ってきた。その中で倒してきた敵の姿、振るった剣、氷の魔法、それから。


 ふと、頭の中がクリアになる。


 すべてのピースが収まるべきところに収まる。今まで欠けていた部分が、少女の姿をした火の化身と共に埋め込まれる。


 ふつと掌の上に炎が現れる。



「火の精の燈火ともしびに我が心をくべる。燃えよ燃えよ。激情を食らい地を溶かし天を焦がせ」



 炎が周囲を駆け巡る。今までとは違う。ただあふれるだけで制御できなかった炎とは違い、すべてが私の手の内に収まっていた。


 ずっと不思議だった。


 魔法だけはできなくてもくやしくなかった。他のことはできて当たり前。できないと悔しい。けれども、魔法だけは違った。


 きっと、だったからだ。もしも、魔法まで使えてしまったら、もう何もやることがなくなる。だから、できないものを残しておきたかった。


 でも、今は違う。


 できないことだらけだ。剣で勝てない相手がいる。一人では辿りつけない場所がある。想像を絶する魔法がある。


 もう、出ししみする必要はない。


 それにお手本も見せてもらったし。


 私は、気怠けだるそうな火炎龍の少女を思い出して、ふと笑みをこぼす。そんな場合ではないのに、何だかおかしくて。


 彼女を真似して手をかざす。


 そして、告げる。



「焼き払え」



 炎がいっせいに駆ける。地をい空を飛び、大王烏賊の肉体へと襲いかかる。一瞬にして、燃えさかる。その巨体をおおいつくすほどの炎が、津波のように大王烏賊を呑み込んだ。


 表皮からむしばむ炎を受けて、大王烏賊は苦しそうにもだえていた。


 効いている!


 このまま、倒してしまえるか? そんな楽観的な思考が現れたとき、火の中から小さな影が飛び出てくる。



「殺す気か!」


「あはは。生きているからいいでしょ」



 カラスである。彼は、焦げた服をぱんぱんと払っていた。それにしても、火炎魔法の援助があったといっても、よく大王烏賊から無事に生還せいかんできるな。本当に人間離れしている。



「倒したかな?」


「このくらいでは死なんだろう。だが、痛手いたであたえた。さすがに引くと思うぞ」



 カラスの言葉通り、大王烏賊は逃げるようにして海の中にその巨体をしずめていった。



「終わったの?」


「あぁ、一応、安全なところまで来た」


「そっか」



 私は、ふと身体の力が抜ける。気の緩みとは関係なく、魔力を使い切ったことによる反動。もう立っていられない。意識がすーっと消え入り、視界が傾いていく。



「あー、おもしろかった」



 とんと、何かにぶつかって、地面ではなく、痛くもなかったので、安心してしまって、そのまま、私は深い深い無意識の底に沈んでいった。

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