第37話 摩天楼から夜空を見下ろす

「イカスミパスタはもういい!」



 さけんで跳び起きたとき、目の前には、やけに大きな満月が輝いていた。わりとまじめに天国に来てしまったのだろうかと思ったのだけど、背後からの不躾ぶしつけな男の声を聞いて、現実だと思い直す。



「何の夢を見ていたんだ?」


大王烏賊クラーケンがコックになってイカスミパスタを毎日食べさせられる夢だったわ。あのイカスミ自分で出していたのかしら。きもっ」


「いつも思うんだが、イカスミって混ぜる意味あるのか?」


「知らない。気分じゃない? って、そんなことはどうでもいいのよ! ここはどこ?」



 覚えている最後の場所とまったく違う。すべて夢だった? いや、痛みは健在けんざいで、というか、思い出したから余計に痛い。


 

「一応、止血はしておいたが、あまり無理はするな」


「あ、ありがと。じゃなくて!」


「見てわからないか?」


「わからないから聞いているんでしょ」


「魔晶岩の頂上だ」


「あ、そ。え?」


「気をつけろ。落ちたら死ぬぞ」


「え? えぇ!?」



 驚いた拍子ひょうしの痛みでき込む。でも、驚きの方が勝った。頂上? 魔晶岩はかなり高く隆起りゅうきしていたはずだが。ただ、確かに、私の視界には空がある。海ははるか下に見え、星を手でさらえそうだ。



「登ったの?」


「あぁ」


「私を担いで?」


「ちょっと軽すぎるな。もっと飯を食った方がいい」


「うっさい。死ね」



 デリカシーのない発言は無視するとして、私は、現実についていくのに苦労していた。カラスも疲れていたはずだ。疲れ果てていた。魔力は尽きて体力も限界だったに違いない。その状態で、魔晶岩を登った?



「なんやかんやあったけど、あんたがいちばん化物だわ」


「気合が違う。俺には何としてもここに辿り着くという断固たる意志があったからな」


「今さら根性論とかないわー」



 私の突っ込みを意にかいする様子はなく、一心不乱に魔晶岩の中央をながめている。


 何を見ているのだろうかとそちらを見やって、うっと目をすぼめる。何かがキラキラと輝いているのだ。



「何それ?」


「高純度の魔力結晶クリスタルだ」


「! それ全部?」


「そうだ。この国が採掘能力もないのに魔晶岩を確保し続けている理由であり、俺がここに来た理由だ」



 魔晶岩。その名の通り、魔力が集まり、結晶化したもの。高純度であれば、掌サイズでも十分価値があるというのにこの量は。


 

「表面は物質化してほとんど岩石になっているがな。中央にはこうやってしっかり詰まっている」


「すごい、けど、何よ。さんざんかっこつけていたくせに、結局お金目当てなの? がっかりだわ」


「ふん。金なんてどうでもいい」



 私の皮肉ひにく一蹴いっしゅうして、カラスはスッと手を魔力結晶にのばした。すると、彼の手は、するりと結晶の中に入り込んだのだ。



「何してんの!?」


「手を入れている」


「そうじゃなくて! 魔力結晶の中にどうやって?」


「ここは月の光で溶けているからな」


「?」


「月の光は魔力を活性化させる。だから、魔力結晶も力場としての魔力に戻る。ここはその中間地点。物質としての魔力結晶とが力場としての魔力がせめぎ合って流体化しているんだ」


「意味わからんないけど、つまり魔力水ってことね」


「まぁ、それでいい」



 カラスは、少しだけ不満そうなだったが、それよりも、魔力水のまり場を調査するのに熱心であった。広さと底の深さを調べ終えると、彼はおもむろに服を脱ぎ始めた。



「ちょっと! 何しているの!?」


「何って、見てわからないのか?」


「わからないって言ってんでしょ! ハッ! 私が疲れて動けないのをいいことに、ついにエッチなことを!」


「はぁ」


「何でため息つくのよ! むかつく!」



 そう言いつつ、カラスは服をざばっと脱ぎ捨て、真っ裸になり、布切れを肩にパンとかけた。



「もちろん風呂に入るんだ」


「風呂? どこに? ってか、私の前で裸になるな」


「目の前にあるだろ」



 目の前と言われても、あるのは魔力結晶と、魔力水の溜まり場。ん? まさか?



「世にも珍しい流体化した魔力の風呂。世界中を探してもここでしか起きない現象だ。俺は、これを魔性の湯と呼んでいる」


「入って大丈夫なの?」



 そもそも温かいのか? イメージとしてはとても冷たいかんじがするのだけど。


 私の心配をよそに、カラスは魔性の湯に足を突っ込んだ。見たところ、ただの風呂のようだ。彼に異変もない。肩までかってから、彼は気持ちよさそうにあぁと声をあげた。



「気になるのならおまえも入るといい」


「私が?」


「おまえ以外に誰がいる? この湯に入るのは、世界中で二人目だ」


「裸になれっての? やっぱりエッチなこと考えているんじゃないの!」


「まだ、そんなこと言っているのか? 周りを見てみろ。今ここにあるのは、最高の景色と最高の風呂だけだ」



 言われた通りに見渡してみる。確かに、何もない。岩と風呂が乗っかる魔晶岩の頂上。そこに私とカラスがいる。海は遥か下。上には満月。


 こんなところでは、下世話なことを考えている私の方が滑稽こっけいに思えてくる。


 ふんと鼻を鳴らしてから、私は着ていた服を勢いよく脱ぎ捨てた。実際には、そこらしこ痛かったから、けっこう手間取ったけれども、気分としては、こうバッと一発で脱いだかんじだ。



「見たければ見るがいいわ。恥じるところなんていっさいないもの」


「前を隠せ。はしたない」


「あんたが言うな!」



 カラスが投げつけてきた布切れで私は身体を隠す。


 近づくと確かに風呂釜ふろがまに見えなくもない。キラキラと光っている魔力水がただの水だと思いこめば足を突っ込める。だけど、それはイカスミが白いと思い込むのと同じくらい難しい。


 だからといってあんまり迷っていると、カラスに臆病者おくびょうものと思われてしゃくだ。


 ままよ!


 私はごくりとつばんでから、ざぶんと魔性の湯に跳び込んだ。

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