第16話 温泉はいいものです

「ここは?」



 聖堂の奥。そこに裏口がある。勝手知ったるといったふうに、裏口から出て行くカラスの後ろを、僕はエミリーを背負せおって追って出る。


 

「裏庭?」



 聖堂を背に負ったその場所には、木々がしげっていた。また森。しかし、ただ無造作に生えているのではなく、丁寧に整えられており、やはり庭と呼ぶべき場所であった。


 裏口から道が続いている。しっかりと石畳で舗装ほそうされた道は、曲がりくねってさらに奥へと続いている。


 

「この先に何があるの?」


「来ればわかる」



 いや、言ってよ。この人、そういうところあるよね。無駄に隠すところ。そのせいで、こっちはいい迷惑なんだけど。


 また、試練があるのではないかと警戒しつつ、僕は、エミリーの体重合わせてさらに重くなった身体を引きって歩いた。平らだし、舗装もされているので、獣道を歩くよりも楽だけど。


 やたらと幹の太い木々を見送って、しばらく歩くと、急に道が開けた。



「泉?」



 水の溜まり場。どこからか湧いているのだろう。ちょろちょろと流れる小川と、大きな泉。ただ泉は人工的なものらしく、大きな石で敷き詰められている。


 しかも、温かい? これって。



「温泉だ」


「だよね」



 え? 何で? 何で、この人、急にドヤ顔しているの? ここで僕が驚くと思ったの? いや、驚いたよ。何か、すごい期待させて連れて来られて、あったのがただの温泉だったから。マイナスの意味でさ。


 

「まさか、とは思うけど、カラスが神殿攻略をする目的って、この、ただの温泉が目当てなの?」


「まさか」


「だよね、そんなわけないよね」


「あぁ、これはただの温泉じゃない。名づけるならば、英雄の湯だ」


「あ、そういうことじゃなく」


「もともと活火山が近くにあるからな、いい成分のお湯が出るんだ。それに加えて、聖剣の魔力のせいで魔力濃度が濃くなって木々も豊富、つまり、ほぼ魔界化している。こういうところには妖精が集まるんだ。この妖精の鱗粉が、疲労回復、滋養強壮、魔力増強効果があり、何よりも気持ちがいい。俺の知るかぎり、ここほど妖精の集まる温泉はない、名湯だよ」



 だから、温泉の解説をしてほしいわけではなく。



「ディランは、この温泉を独り占めするために、ゴーレムで神殿を守らせているんじゃないかと俺は思うんだ」



 そんなわけないだろ。


 

「じゃ、君は、温泉に入りに来るだけのために、いくつもの試練に挑んだっていうの?」


「そうだ」


「そんなのバカげている!」



 僕は、叫ばざるを得なかった。だって、ありえない。そんなことは、ありえない。


 

「みんな、魔王に挑もうと、この世界を救おうと思って、この神殿に挑んでいるっていうのに! 君は、そんな不純な動機で!」


「はぁ。おまえは学習しないな。思い返してみろ。みんなというが、いったい何人が、そんな殊勝しゅしょうな気持ちで戦っていた?」


「それは……」


「人それぞれ事情があるし、目的があるし、欲望がある。おまえが世界を救いたいのならば、それはそれでやればいい。ただ、みながそんな崇高すうこうな信念で動いているわけじゃない。そこを理解できないと、また騙されるし、強くなれないし、後ろから仲間に殴られる」


「うっ……!」



 言い返せない。すべて事実だからだ。僕は、カラスよりもはるかに弱いし、ハーマンに騙されて死にかけて、信じていた仲間のエミリーにぶん殴られた。


 その理由が、僕の見識の狭さだと言われたら、そうではないといえなかった。


 

「おまえはもっと視野を広く持て。そうしないと魔王討伐なんていう前に、簡単におっ死ぬぞ」


「それは、そうかもしれないけど」


「ということで、まずは、風呂だ」


「それは、わかんない」



 何言っての、この人?



「だから、おまえは視野が狭いというんだ」



 カラスは服を脱ぎながら、したり顔で言った。



「風呂はな、世界を変えるぜ」



 半裸で何言ってんだ、このおっさん。


 僕が非難の視線を送ってもどこ吹く風で、カラスは服を脱ぎ捨て、裸になり、布切れをパンと肩にかけた。


 

「君、恥ずかしくないの?」


「男同士、何を恥ずかしがる?」


「いや、女子もいるんだけど」


「当分起きないだろ」



 言いつつ、カラスは、布切れで身体をき始めた。どうやら温泉に入る前に、身体を清めているらしい。


 正直、この行動の意味はわからない。しかし、カラスが常人ならざる強さを持っているのは事実だ。その秘密を知れるのならば、彼の謎行動に従ってみるのも一つなのかもしれない。


 

「まぁ、他にやることもなくなったし」



 僕は、服を脱ぎ捨て、カラス同様に、身体の汚れを落とした。汚れよりも傷の方が目立っており、この状態で温泉に入るのはどうなの? と不安がつのった。


 けれども、僕以上に傷だらけのカラスが何の躊躇ためらいもなく温泉にざぶんと入るのを見て、ちょっと、むっとして、平気なふりをして、僕も温泉に跳び込んだ。


 いろいろと思うことはある。


 だけど、頭の中のいろんな経緯いきさつも、いろんな思いも、いろんな後悔も、いろんな主義主張も、ひっくりめて差し置いて、一言、心の底からきあがってきた言葉は、言葉にならず、ほんの一息となった。

 


「ふわぁ」

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