第6話 そこまでする?

「うげぇ、臭いよぉ」



 エミリーが不満の声をらすのは何度目だろうか。うめいたからといって臭いが消えるわけではないのだけど、確かにこの臭いには辟易へきえきとする。



我慢わがままだよ、エミリー。森の試練を突破するためなんだから」


「うぅ、他に方法はないの? こんなやり方で突破できても、人に話せないわよ」



 確かに、この状態は誰にも話せない。


 今、僕達は、地面にいつくばって移動している。二角ふたつのモグラの糞を体中にり付けて。


 そう、糞を体中に、塗り付けて。


 再度、確認すると、ゾッとする。


 

「おまえら、人に自慢するために、神殿に向かっているのか? だったら帰って劇作家にでもなった方がいい。実際の冒険は物語にできない生臭なまぐさいものだ」


「生臭いっていうか、痛臭いたくさい。もう、目がね、しぱしぱするの」



 カラスの声に、エミリーがぶつぶつと応える。カラスは慣れたもので、さっさと進んでしまう。その後を、僕とエミリーが追う。なんだか芋虫いもむしになった気分だ。



「この高さなら、食人植物は攻撃してこないんでしょ。だったら、こんなくさいの塗らなくてもよかったんじゃないの?」



 エミリーの不満に、やれやれといった風にカラスは答えた。



「これは、他の魔獣避け用だ。食人植物の群生地帯には、大きい魔獣はいないが小さい魔獣はいる。伏せて進んでもたいてい小さい魔獣にやられるか、交戦して暴れて蔓に触れ、食人植物にやられる」



 なるほど、それ魔獣避けが必要というわけか。



「二角モグラは、この森では強い方の魔獣だ。このんで近寄ってくる魔獣はいない」



 理屈はわかる。だけど、実際にやるかと言われると躊躇ちゅうちょする方法である。そういう意味では、このカラスという男、神殿に辿たどり着くという信念があまりに強い。


 覚悟が足りなかった、と僕は再認識させられる。何でもする、どんな苦難にも立ち向かうと、口では威勢のいいことを言っていたが、魔獣の糞を塗ってまで前進しようとは思わなかった。


 恐るべし、カラスという男。


 でも、臭いのは嫌だな。



「こんな方法があるなんて知らなかったな。カラスしか知らないの?」


「さぁ。他の奴に聞いたことがないから知らないな」


「ハーマンに教えてあげればよかったのに。そうしたら、僕達がおとりにされることもなかった」


「あれはあれで正しい攻略法だ。おとりを掴ませて突破すれば、短時間で攻略できる。この方法だと五日はかかるからな。後の試練に体力を温存しようと考えると、あちらの方が効率的だ」


五日いつかぁあ?」


「安心しろ。おまえらが強引に進んだからな。あと二日分くらいだろう」



 それでも二日もあるじゃないかと、僕とエミリーはぼとりと頭を地面に埋めた。自分の体よりも地面の方がいいにおいがする。ゆえに地面に顔を埋めると少しリラックスできるのだけど、地面よりも臭い自分という現実にげんなりもするのである。


 落ち込んでいても仕方ないと気を取り直して、進もうとしたときだった。



「止まれ」


「?」



 カラスの声を聞いて、僕は思わず地面に身を伏せる。何があったのかと恐る恐る前をうかがう。すると、そこには想像を絶する悲惨ひさんな光景が視界に跳び込んできた。


 

「助けてくれ!」



 その姿、顔をおぼろげにしか覚えていないが、確か、ハーマンと一緒に僕達を見捨てた奴らだ。あのとき、彼らは、うすら笑いを浮かべていたが、今は、涙を流して助けをうている。


 

「誰か助けてくれ! 食い殺される!」



 彼らは、蔓に飲まれているのではない。おそらく、蔓からのがれる方法を知っていたか、気づいたのだろう。皆、地面に伏せている。しかし、彼らは全身を地面に叩きつけるように苦しんでいる。いや、苦しめられている。


 小さな魔獣の群れによって。



「穴掘りネズミ。この森の試練で警戒すべき本当の敵だ」



 冒険者達に群がっている無数のネズミ。奴らは、冒険者の悲鳴など聞く耳持たず、むさぼっている。血が吹き荒れる。肉が千切れる。落ちた肉にまたネズミが群がる。



「なんておぞましい……」


「あれを避けるための魔除けだ。文句を言う気も失せただろ」


「えぇ、まぁ」


「ちなみにネズミというと前歯まえばで攻撃しそうなものだが、穴掘りネズミはその異様に発達した爪で攻撃してくる。手で穴を掘る仕草が特徴的で、そのまま名前になったらしい」



 いや、そんな豆知識いらないんだけど。



「ついでに言えば、獲物を襲っているときの穴掘りネズミは凄まじく好戦的だ。ときには、二角モグラを襲うこともある」


「へー、え?」



 今、カラスは何と言った? 二角モグラを襲うこともある? だとしたら、この臭い魔除けが意味をなさないのでは?


 たらりとひたいの汗がれる。ぽとりと、一滴、汗が地面に落ちたときだった。僕の懸念けねんが現実にけ出てきたかのように、穴掘りネズミは一斉に僕達の方を向いた。



「カ、カラス!? どうすれば!?」


「ふむ、こうならないように魔除けをしていたからな」


「ちょっと!」



 穴掘りネズミは、こちらを窺っている。魔除けが一応効いているのだろうか。それでも、引く様子ではない。どこからかじろうかと、いや、どこから掘ろうかと品定めしているようだ。


 僕は身体を持ち上げて、剣に手をかける。数は、50、いや、60、100匹は超えていないと思うが。動きは俊敏しゅんびんまとは小さい。僕の剣ですべてさばききれるか?


 ごくりとつばむ。


 そのとき、カラスがのそりと立ち上がった。



「はぁ、ここで体力を使いたくはないんだが、仕方ない」


「カラス、そんなふうに立つと、穴掘りネズミを刺激しちゃうんじゃ」



 僕の忠告は当たっていた。カラスが立つと、興奮した穴掘りネズミが一匹、彼に向かって走る。それを契機けいきに穴掘りネズミが、一斉に突っ込んできた。


 

「くそぉ!」



 僕は、焦って剣を抜く。


 だが、その必要はなかった。


 穴掘りネズミが襲ってくる展開は予想通りであった。しかし、その次に目の前で起きた事象は、僕の想像の一切を裏切っていた。


 穴掘りネズミが、はじけ飛んだ。


 

「ふぅ」



 カラスの吐息といきが、スローモーションに見える。そのくらい、彼の剣は速かった。二本の剣を両の手で持ち、嵐のように激しく、一方で、精巧せいこうなカラクリのように的確に穴掘りネズミを斬り跳ねる。


 一拍いっぱくおくと、カラスの剣は腰のさやに収まり、そして、血の雨が、パッと一帯に広がった。



「カラス。君は、いったい何者なの?」



 人間技にんげんわざじゃない。


 明らかに達人。僕も剣には自信があったけれど、まったくの異次元。レベルが違う。


 こんな、どこにでもいそうなしがない冒険者が。

 

 僕がたずねると、カラスはグッと荷物をかつぎ直し、大きく息を吐いた。



「今の攻撃で食人植物が暴れ出す。吊るされたくなかったら、ついてこい。次は助けんぞ」


「「え!?」」



 襲ってくる蔓を避け、斬り損ねた穴掘りネズミから逃げつつ走り、再び森が静けさを取り戻した頃には、当たりはすっかり暗くなっていた。僕は、疲れ果て、カラスが何者なのかと考える余裕もなく、ただ眠りに落ちてしまった。

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