死にたがりと婚約者
師走 こなゆき
P1 main part
日付が変わるか変わらないかの深夜。
本校舎、一番東の窓を音を立てないようにゆっくりと開ける。
鍵が壊れて閉まらなくなっているのは知っていた。
先生たちは何か悪事に使われないようにと、業者が修理に来るまで窓の鍵が壊れているのを生徒たちに秘密にしているみたいだけど、誰が吹聴しているのか風の噂で生徒みんなに知られている。
わたしは窓の桟を乗り越え、校舎に入る。
昼間はたくさんの生徒や先生が居て賑やかなのに、今は誰の声もしない。わたし一人だけの空間。よく知っている人の、誰も知らない一面をわたしだけにこっそり見せてくれたようで、肌が粟立つのを感じる。
足音を立てないように、靴を手に持って廊下を進む。
外から聞こえる鳥の声や車のエンジン音に、ヒタヒタとわたしの足音が混じる。靴下越しに感じる固くてヒンヤリとした足元の感触が、いつもの廊下とは違うので気持ちが悪い。
この中学校は夜間の警備をどこかの警備会社に任せているので、宿直の人は居ない。また、その警備会社も窓が割られたり、無理やり鍵を壊すなんてことをしない限りは出動して来ないのは、口の軽い先生が漏らしていた。
つまり、今この中学校にはわたし以外の誰も居ない。
居るはずないとは分かっていても、木材の軋みや風といった少しの物音に驚いて、わたしの体はびくりと跳ねる。
目的地は屋上。ちょっとした冒険のような面持ちで、いくつかの階段を上る。
けれど、そんな浮かれた気持ちも階段を上り、目的地が近づくにつれて沈んでいく。軽かった足取りも、足に力を込めて持ち上げないと段差を越えられないくらいに、重く遅くなっていく。
――今夜、わたしは死ぬつもりだ。
こんな後ろ向きな目的なのに、明るい気分で足取りも軽いのだとしたら、その人は精神的に参りきっていて、既にまともじゃなくなっているんだろう。
どちらかと言えば、まだわたしはまともな部類だと思う。
「今から死のうとしてる人間がまともだってさ」
自嘲して皮肉を言うけれど、当然、返事はない。
死にたくない、進みたくないと重くなる脚を無理やり持ち上げて進む。これからの暗い未来だとか、自分の無力さだとか、冷ややかな両親の眼差しだとかを想像して、無駄に生きるよりは死んだ方がマシだと自分に言い聞かせながら。
ゆっくり、ゆっくりと、まるで絞首台に登る死刑囚みたいな気持ちになりながら、屋上へ出る扉にたどり着いた。
屋上は危険だからと生徒は立ち入り禁止で扉は施錠されてるけど、鍵は昼間に職員室からくすねておいた。
鍵を差し込み、捻る。カチリと音が鳴った。
唾を飲み込む。
少し錆びたノブを捻って、ドアを押す。
しかしドアは開かず、意気込んで踏み出したわたしはドアに頭をぶつけて鈍い音を立てたあとで「痛っ!」と大きな声を上げた。
どうしてドアが開かないの?
気を取り直して、鍵をもう一度回してからドアを押すと、ギィィと鈍い音を立てながら、ゆっくりとドアが開いた。どうやら、元々鍵は開いていたらしい。不用心。
生徒は立入禁止なのに、どうして鍵が開いていたんだろう?
そう考える暇もなく、わたしはドアが開いた瞬間に吹き込んできた風に目が開けられなくなって、瞳を強く閉じた。
「だあれ?」
誰も居ないはずなのに不意に声をかけられて、わたしの心臓がドキリと跳ねた。透き通るような、女の人の声。
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